「アヒージョ」という料理がある。

刻んだニンニクや鷹の爪などを入れたオリーブオイルを温め、その中で食材をオイル煮にして食べるスペイン料理だ。

お酒に合うし、実に旨い。

 

 

四月。もはや暑いぐらいの春の日差しが降り注ぐこの日、僕は仕事もせずにアヒージョを食べることばかり考えていた。

ニンニクと塩の効いたオリーブオイルをパンに塗りたくって食べたい、それ以外のことは何もしたくない。

しかし僕には、アヒージョをそう簡単にやることができない理由がある。

それは……

 

 

 

以前、自宅でタコのアヒージョをしてみた時、コンロ周りに高温の油がハネ散ってとんでもないことになった経験がある。

のちにそれは「油の温度を高くしすぎた」ことと、「タコの水気を拭かなかったことが原因だと悟るのだが、

この出来事は完全に僕のトラウマとなり、それ以来、自宅でアヒージョを作れない体になってしまった。

 

人生、一寸先は闇とはよく言ったものである。

 

しかし、今日はどうしてもアヒージョが食べたい。

手前勝手な望みであるとは百も承知だが、それでも僕はこう願わずにはいられない。

「自宅の床に油をハネさせず、アヒージョをさせてくれ」、と。

 

 

 

もっとも簡単な解決法は、「誰かの家を借りてアヒージョをする」ことだ。

当然、これでは世界の総量としての「床にハネ散るアヒージョ」は減らせないのだから、根本的な解決にはならない。

だが一方で、愛する自宅の床は確実に守ることができる。

 

ご存知だろうか?

インドでは日本のように「他人に迷惑をかけるな」と教えるのではなく、「お前は他人に迷惑かけ生きているのだから、 他人のことも許しなさい」と教えるそうだ。

つまり人間が人様に迷惑をかけるのは、生きる上で当然であるという価値観である。

 

確かに人が生きていく過程で、全く他人に迷惑をかけないなんてことはありえない。

どことなく開き直る側に有利すぎる考え方のような気もするが、たまにはどーんと、インド流でいこうじゃないか。

 

 

会社の後輩社員(名前は松岡という)に相談したところ、快く自宅でアヒージョをすることを承知してくれた。

それはもう、本当に快く。

 

そしてさらにもう一点、僕にはアヒージョをやるにあたり億劫なことがある。

 

 

 

「だったらお前はもうアヒージョをやるな」という気がしてくるが、アヒージョはやりたい。

アヒージョをやるのが面倒なのではなく、何をアヒージョにしたら良いかを考えるのが面倒くさいのだ。

変な食材を買ってきて、失敗しちゃったら嫌だし。

 

今の自分の欲求を、なるだけ正確に言葉に置き換えてみるとこういうことだ。

 

「誰かが食材を勝手に買ってきて、勝手にアヒージョしている現場にたまたま立ち会いたい」

 

思い出して欲しい、インド流を。

どーんと、いこう。

 

 

意を決した僕は、会社の同僚たちに向かってこう呼びかけた。

 

「これからアヒージョをやりたいので、食材を持ち寄ってこの家まで来てください。アヒージョをする設備はあるけど、アヒージョにする食材は一切ありません」

 

 

「?」

思っていた以上に話の意図が伝わりづらかったので、3回ほど同じことを言った。

あとは仲間たちを信じよう。

人間を、信じよう。

 

> 信じる。 <