最近、あるケーキ屋さんで衝撃的な出会いをした。
その名も「あまみカオリ研究所」。
こちらのお店の「セレクトスイーツ」という商品のシステムに一瞬で心を奪われてしまったのだ。
土台になるケーキ、フルーツソース、フレーバー(スパイスやナッツ等)、紅茶をそれぞれ自分で選べるシステムだ。
つまり好きな組み合わせのオリジナルスイーツを作れるという夢のようなケーキである。
全部で320通りの組み合わせがあるらしい。私はそういう無限みたいな数字を出されると腰砕けにされてしまう。
そんなことされたら食べてみたいに決まってるじゃないか。
というわけで、私と同じく甘党であるオモコロライターのヤスミノさんに来てもらった。
事前にメニューを見て選んでもらったヤスミノさんのセレクトスイーツと、私のセレクトスイーツを買ってきたので、お披露目しあってみようと思う。
「すごいですね、箱からしてめちゃくちゃオシャレ」
オシャレな箱にヤスミノさんも食いつかずにいられない。
そういえばお店もジュエリーショップかと思うぐらい洗練されていて、買う前から「ここのケーキはただ事じゃないぞ」と感じた。
すでに私たちの期待はかなり高まっている。
「なんか開けるの緊張しちゃうな~」
慎重にフタに指をかけ、箱を開けた。
「あっ箱だ」
箱を開けたら、箱が続いていた。いや、焦ってはいけない。確実にケーキはこの中にあるのだから。
「箱、ですね」
箱だ。無限の、箱。焦らされている。しかし我々は高揚感に包まれていた。空気でわかるのだ。ケーキはもうすぐそこに来ていると。
「じゃあ開けますよ」
ヤスミノさんの合図とともに箱を開いた。
箱だ箱だと言ってた箱は、アイテムがぎっしり詰まった宝箱だった。ケーキひとつにこんなに情報があるとパニックになってしまう。
「おお、すご、へー……!」
圧倒的な情報量を前に、私たちは簡単な感動詞しか発することしかできなかった。
ヤスミノさんが選んだセレクトスイーツはこちら。(全部で¥1750)
ベースのケーキは「TON-GARI」。チーズクリームのケーキだ。
組み合わせにカシス、ピスタチオ、オリーブオイル、塩を選んでいる。
正直、この組み合わせを聞いた時は天才かと思ってしまった。こんなにもチーズを生かす組み合わせがあるだろうか。正直イタリアだ。ヤスミノさんからイタリアのパティシエの魂を感じた。
そして私が選んだセレクトスイーツはこちら。(全部で¥1850)
ベースのケーキは「MAN-MARU」。中にバニラクリームとスポンジ、苺ジャムが入っている。ショートケーキ的なイメージだろうか。
桃のピューレと、桃&キンモクセイのフレーバーティーを選び、桃の甘い香りを最大限に楽しめる組み合わせにしてみた。
お互いのセレクトスイーツを眺めながら、ひとしきり「あらーーいいですねえ……」を言い合った。
期待が高まりきったところで、さぁ、では、食べますか……!
ヤスミノさんのセレクトスイーツ
「じゃあ、まずはカシスをかけてみようかな」
あえてカシスをひとすじ垂らしてきた。完全に魅せてきている。このままでは危ない。私の心が奪われてしまいそうだ。
私には私の、ヤスミノさんにはヤスミノさんのセレクトスイーツがあるのだ。
でも知りたいよ。その魅力的なイタリアのお山がどういう味わいなのか。
「え、食べる前にケーキを半分に切るんですか? ……なるほど、いいですね」
ヤスミノさんはすぐに私の意向を汲み取ってくれた。実はお互い同じ気持ちだったのかもしれない。もう気になってしょうがないのだ、隣人のセレクトスイーツが。
ということで、お互いのセレクトスイーツを半分に切ってトレードすることにした。
気を取り直してヤスミノさんに、ヤスミノさんのセレクトスイーツを食べてもらう。
ひと口食べ、遠い目になった。口の中に意識を集中しているのだろうか、数秒沈黙したあとポツリと言った。
「チーズケーキです」
素直すぎる感想だった。隣で驚く私を見ることなく、まだ遠くを見つめながらヤスミノさんは続けた。
「なめらかなムースなんですけどしつこくないです。あ、いや、さっぱりしてるわけでもないかも。こってりしてないけど、チーズの風味は濃厚」
チーズの禅問答だ。ものすごく難解なことを言っているようだが、絶妙なバランスの味ということだろうか。
「分かりやすく言うと、ほら、チーズケーキって口の中でヌニュゥってなるじゃないですか。それがないです」
独特な感性を普通の感じで交えてきたので、また驚いてしまったが、ヌニュゥがないそうだ。
私も半分わけてもらったケーキを食べてみた。不思議なことにヤスミノさんの感想がぴったり当てはまった。
要約すると、こってりとさっぱりの中間の、良い塩梅のチーズムースケーキ。上品にまとまった誰もが好きな味だ。
「カシスのはっきりした酸味が合いますね!」
そうだ、これは組み合わせが前提のケーキなのだ。後からフルーツやフレーバーを付け加えるのを計算した上で、このベースのケーキなんだろう。
私たちは食べながら発見していく喜びに気づき始めていた。
「次は塩かけてみます」
このケーキ、自然と食べる姿勢に品が出てしまう。
「塩めちゃくちゃ合います。チーズの味が引き締まるというか」
「カシスと塩を同時に食べるとおいしい! 複雑なようで芯のある味。これが一番好きかも」
「オリーブオイルは急にパスタの気持ちになります」
数々のマリアージュの連続にフォークが止まらない。
私もカシスとピスタチオを一緒に食べてみた。
カシスの酸味がメインの味に入れ替わり、ピスタチオの力強い食感が加わることで、チーズムースケーキの優しい印象がガラリと変わった。まったく別物のケーキと言っていい。
楽しい。ケーキってこんなにワクワクする食べ物だったのか。
いろいろと味の模索をしながら、ヤスミノさんにこの組み合わせを選んだ理由を聞いてみた。
「ピスタチオの香りが好きなので、フレーバーはけっこう素直に選びました」
私は「ピスタチオ」というフレーズを聞いて、2年半前の記事を思い出した。
あの頃のヤスミノさんの鼻は、ピスタチオを感じていなかった。
当時、ヤスミノさんは鼻中隔湾曲症だった。鼻の穴を左右に隔てている隔壁が湾曲しているせいで、片方の鼻がほとんど塞がっているような状態だったという。
そして、今は手術によって鼻中隔湾曲症が直ったということも噂で聞いていた。
私はずっと気になっていたのだ。あれからヤスミノさんの鼻はどうなったのか。香りを感じるようになったのか。
だから今回、あまみカオリ研究所の香りに着目したケーキを一緒に食べて、どう感じるのかを聞きたくてお誘いしたのもあった。
「たぶん生まれつきなんですけど、鼻に通ってる骨が湾曲してて、左の穴が半分ぐらい塞がった状態でした」
「8割ぐらいの人は、鼻呼吸する時に1、2時間おきに空気の通る鼻の穴が無意識に切り替わるらしいんですよ。
僕も左右交互にっていうタイプなんですけど、でも左の穴が塞がってるから、左が担当の時間は体感的に空気の通りがゼロでした。」
「両方の鼻の穴を開放して吸える空気を100としたら、左右どちらかの穴で50の空気を吸えるはずなんですけど、僕の鼻では50のさらに半分なんで、25ですよね。通常の4分の1の空気で生活してたことになります。」
エベレストの頂上で暮らしてる人の話みたいになってきた。まさかそんなギリギリの酸素でずっと生活してたなんて。
「で、中学時代は口呼吸が恥ずかしくて、バレないようにずっとこうやって授業受けてました」
持ち前の器用さで呼吸と自意識を守っていた中学時代
「あ、このアールグレイの紅茶、香りが良くてめちゃくちゃおいしい……」
鼻の手術をしてからまるで世界が変わったという。
あまみカオリ研究所のケーキを心底楽しんでいるヤスミノさんを見て、とてもうれしかった。私もヤスミノさんの鼻を心から祝福した。