株式会社paperboy&co.(現GMOペパボ)創業者であり、現在は実業家、起業家として活躍する家入一真さん。彼の新たな著作「さよならインターネット」が発売されました。
この記事では、元ペパボの部下だった株式会社バーグハンバーグバーグの社長シモダテツヤとともに、2人がこれまで触れ合ってきたインターネットの思い出と、これから先のインターネットとの付き合い方ついて対談していただきます。
インターネットで出会った二人
なんだか、おひさしぶりですね。
いつ以来だったかな…。しかし、バーグもきれいなオフィスになりましたね。そういや先日、CAMPFIREもオフィスを引越ししたんだけれども、誘ったのに引越し祝いパーティーに来てくれなかったんですよ…。
そもそも、誘われてないです。
あ、そうだっけ……。今日はぼくの新刊『さよならインターネット』にちなんだ対談なので、テーマはインターネットです。これまでとか、その未来について語れたらなと。
インターネットですか。
もともと2人の出会いもネットを介してで。シモダくんがやってた「ゴブリンと僕」という個人サイトを、ぼくがよく見ていたのが知り合ったきっかけでしたね。
当時ぼくはまだ大学生で、テキストサイトブーム全盛期だったころでしたね。就活でペパボへメールしたらたまたま家入さんがぼくのサイトを知ってくれてて、なんだかそのままの流れで家入さんの会社に入社させてもらったと。
当時、特に募集してなかったんだけどシモダくんのメアドが「hanzubonhaitemasu@~(半ズボン履いてます)」だったので、それを見て気になっちゃって。「今度『ゴブ僕』の人が会社に来るよ!『ゴブ僕』の!」って社内で大騒ぎしたんだけど、まったく無反応でさ…。
そんな大したサイトじゃなかったので、そりゃそうなるでしょうね。そのころのインターネットって、狭いコミュニティでもそれが世界のすべてのように感じられたんですよね。コミュニティのなかでウケればいい、知りあいのサイト主に評価されたら満足、っていう。
そんな単純な構造だったから、サイト運営にドハマリしたと思います。でも今はいろいろな表現手段ができたからか、1つ1つのコンテンツ濃度が薄まった気がしていて。
お。その話、まさにこの本に書いたな。読んでる?
あれ? その本、ぼくが書いたんじゃないですかね? ぼくって家入一真ですよね?
「家入さんは少し先にいる存在」だった
ペパボで働いていたころ、突然家入さんが「一発ネタをつくるのはもうやめる!」と言い出したときのこと、よく覚えてます。
それまで、西城秀樹が還暦するまでをカウントする「HIDEKI TICKER」や、針の指す場所がめちゃめちゃで今何時なのかさっぱり分からない「ぺろたん腕時計」とか結構話題になるサービスを作り続けていたのに、ある日それを「やめる」と言いだした。これはすごく印象的でした。
あーあったね。作るそばから忘れられるようなサービスやテキストを生んで、いったい何になるんだろう、と虚しさを覚えてしまって。
ぼく自身は表現をまだ楽しんでいる真っ最中だったんで、なんだかショックでしたね。当時のぼくにとって家入さんは「少し先にいる存在」だったので。
だから、家入さんが「表現をやめる」と言い出したことに、とても不安にさせられたんです。今は楽しいけど、いずれぼくも同じことを思うのかな、って。
ぼくはそのころからネットと距離を置いて、当時興味を持ち始めていたカフェ事業に進んでいった。そのころ、起業家の仲間と中国へ行ったんですよ。みんなの目的は、ソーシャルゲーム事情の視察だったんだけど、ぼくだけ下町をまわってドーナツ屋さんを視察してた。
ドーナツ屋!?
その結果、視察したみんなはソーシャルゲーム事業を始めて成功して、ぼくはカフェ事業で手痛い思いをすることになった。だからこそ、またネットに戻ることになったのだけれど。
ぼくはずっとネットの世界から離れていなかったし、家入さんがこっちに戻ると聞いたときは驚いたし、素直にうれしかったですね。「ああ、あの人、ついに働くんだ!」って。
ぼくも戻ってみて驚いた。シモダくんが立派になってて。夜な夜な、お笑い芸人とか芸能人とかJOYと遊んでは、インスタにあげてる。いや、偉くなったもんだな、と。
なんかすごく引っかかる言い方。
おめーも似たようなもんだろうがよ!
インターネットへの”飽き”
バーグハンバーグバーグが作るものって、ネットの人に好意的に受け入れられてるよね。アンチとかはいないんじゃないの?
うーん、どうなんでしょうね。今までは、ぼくたちを知っている人って基本的に「応援団的な立場」を取ってくれる方が多かったんですが、当たる企画が増えてきた時期に、当然バーグを知らない人の比率も増えるじゃないですか。すると“否”から入る人もでてきましたね。
それだけ認知が広まったってことだろうけど。サービスとかでも同じことが言えるね。触れる人の範囲が広がれば広がるほど、敵は自然と増える。
しかも新しく知ってくれた人だけでなく、古参の人まで“否”になる。手のひらを返すというか、ずっと好きでいたからこそ、あるタイミングで急に敵にまわる。「もう飽きた」とか言い出すわけですよ。
いやいや、飽きるも何も、あんたがハマッた時期なんて、こっちは知るか!
それ、地獄のミサワの「2年くらい前に見たわ」ってネタと一緒のこと言ってる!
地獄のミサワの「女に惚れさす名言集」
ぼくの場合、過去に出した本を読んで好きになってくれた人が、突然豹変することが多い。彼らが期待していないことを一度でもすると、突然否定に走る。振り幅も半端じゃない。それこそ「会ったら殺されるんじゃないか」ってくらいの全否定。
でも、それくらい急にハマって一転してアンチになる…ってすごいよね。
30代に入ってから、新しいものを見てもなかなか食指が動かないというか、簡単にはハマりにくくなってきた気はします。
悲しいかな、20代と比べると「新しいものです」「これから話題になります」って言われても、過去に見た何かの延長や亜種として捉えてしまいがちで。勝手に「こういうものでしょ」って認識して、理解したつもりになっちゃう。
ハマれるかどうか、ってことは確かに大きいね。ソーシャルゲームを手がけなかったのは、やっぱりぼくがソシャゲにハマれなかったからであって。
あー、たしかに「ハマる」ってことはそもそも努力をすることではないと思いますね。何も考えていなくても自然に「やりたい」と思えないと、ハマっているとは到底いえないし、一生懸命にはなれない。本当に好きじゃないと関わりたいとなかなか思えないですよね。
電子書籍とかはどう? kindleとか。
便利でよく利用してるんですが、読む分には確かにいいけど一度読んだら読み返さないですね。本というモノがあると、手にとって読み返そうと思うし、読み返すから作品の細かいところまで思い出せたりするんですが。
だからkindle版で読んだマンガで「あの名シーンが」とか言われても、思い出せない。
あー、あーうー、モノとしての本だと、汚れたり、間にポテトチップのカスがあったりして、そのときの思い出も一緒に味わえる。前に手にしたときの空気が蘇るというか。
朝シコッたちんちんの先にティッシュをつけたまま出社して、トイレでそれに気付いたとき、「あ」って思うのと同じですね。
そういう侘び寂びと言うか、だらしなさを尊ぶことができる、ってことも、やっぱり歳をとったのかもしれない。でもさ、そうしているうち、やがてまわりから排除されちゃうね。
排除されたくないなあ。
今どきのインターネットはここがダメ
そういえば、うちでやってるメディアのオモコロのイベントも、最近呼んでもらえないんですよ。僕が編集長を2代目に交代して遠慮してたら、いないことが当たり前になったみたいで、声もかけられなくなった。
さみしいんだ。
さみしいです。以前ペパボで社員旅行にいったときだったかな。みんなが集まっているところを、家入さんが部屋の端から眺めていたことがあって。
「なぜ端にいるんですか?」って聞いたら、「みんなが見えるじゃない。ぼくが会社を作らなければ、この場はなかったし、この人たちは出会わなかった。そう思うと感慨深くて」って言っていたことを思い出します。やっぱさみしかったんですか?
そう? ぼくはそういうの大丈夫なんだよね。相変わらずシモダくんは後輩を無理やり引っ越しさせる、とかそういうのはやってるの? 他人の人生を強引に変えちゃうってやつ。
やってますよ。趣味なので。これキッカケで、もし後輩が成功したら、恩着せがましくまとわりついて老後食わせてもらおうと企んでるんです。そしていつか、ぼくが人生を変えた後輩たちとの関係性を整理して、ツリー(樹形図)を書きたい。
あのとき、自分がキッカケを作れてなかったらこいつは活躍してない、このひとと出会って結婚してない、とか一目で分かって老後食わせてもらうための交渉に使えるやつを。ショットガンで撃ち殺されるような老害になるのが夢です。
恩着せツリーいいね! ただ、ぼくも「恩の回収フェイズ」に入ったと思っていて。今お金ないし、困ってるし、むかし出資したり、おごったりした人たちから、そろそろ回収してもいいんじゃないかって。
普段から恩着せツリーを用意しておくといいよね。この人からまだ恩を回収してなかった、ってすぐにわかるし。
一人一人に電話かけて、回収した順にバツをつけていく。「3年前の6月におごったよね」って。そして「あいつ必死だな」って噂が出回って、孤独に死んでいくんです僕たち。
でも30代後半になって、やっぱり「歳をとった」って感じることは増えたな。特に肉体的に。うんこのキレもだいぶ悪くなったし。
ぼくはおしっこなんですけど、頭で「終わった」と思ったあと、ズボンはいたらまたちょっと出た、なんてことが増えました。きっと脳のインパルスは若い頃と同じように流れても、体が追っつかないんでしょうね。
ネットの未来を考える、ということもあるけど、ぼくやまわりが老いたときにどうなるかってことはけっこう考えるね。そのとき、ぼくらの感性がネットの事情なんかに追いつけるか、っていう。
感性といえば…あれ、いま何を言おうとしたんだっけ?
はて、何?
ああ、昔と変わったところとしては、実名での使用が当たり前になったってことですかね。そのせいでネットの世界に逃げ場がなくなった。
かつては1つのサービスで困ったことがあっても、ハンドルネームを変えて、別のところへ移動すれば、それで関係性を断つことができた。いじめられっ子の転校みたいなものかも。でもいまは簡単に身バレしちゃうから、逃げ切れない。
たとえ匿名で書いたとしても、一度目立てば、実名を探そうと集団で動き出す。だからこそ、バレないような裏アカを作る、ってことになったりなぁ。暇をみては「よっぱらい 運転」とかで検索する人は実際にいるし。
インターネットポリスですね。ポリスって警察って意味でしたっけ? まあ、インターネット登場前と以降で考えれば、人の性格は確実に悪くなったと思いますね。それまでは悪いことを思ったとしても、口に出すようなことははばかられた。建前とか体裁があったし。
でも建前が無いネット上にそれを吐き出せば、受け入れられるし、ときに賞賛を得られたりもする。そうなれば、制御できなくなる。
以前より毒舌が受け入れられる文化は確かに生まれたなぁ。
Twitterで悪口を言う。誰かに喧嘩を売り続ける。そんなことで誰かから認められちゃう。
吐き出した方も、受け入れた方も刺激が得られるから、次から次に過激なものを欲するようになる。やめられないのぅ。麻薬みたいなもの…。
ネットに依存性は間違いなくあるなぁ。ぼくらがこの仕事に携わり続けているのも、ネットのそういった特徴のせいかもしれないですね。若い頃にハマったときの、驚きに出会ったときの、あのときの刺激を探し続けているじゃろうか。
……。だからこそ、インターネットと簡単にさよならできないんじゃろうね、人は。そして、わしらはネットに夢中になっている間に老害どころか、気がつけば死んでいるのかも…。
え…? 今なんか言った?
あれ、何か言ってた? 何を言ってたんだろう…。あ、そうそう、わし新しい本を出したんじゃよ。
ええ本ですなぁ…。紙でできとる。
好評発売中!!