夏休みが終わる。

 

いや、私は大人なのでふつうに働いている。しかし、毎年8月31日になると「もう夏休みも終わりか……」という思いが湧いてくる。

そして「読書感想文を書かなければ……」と焦る。書かなければいけない読書感想文などもうないのに。

 

 

だれでも書ける最高の読書感想文 (角川文庫)

 

しかし、いま思い起こしてみれば読書感想文なんてせいぜい1000文字。10ツイートもすれば使い切ってしまう量に、なぜあの頃の自分は苦しんでいたのか。

 

『だれでも書ける最高の読書感想文』(齋藤孝)を読んでみたら、「いやさ」の正体の片鱗をつかむことができた。

 

 

感想文に正解はない

 

 

この本は「読書感想文でなにをどうやればいいかさっぱりわからない」レベルの人に書かれた指南書だ。おもなターゲットは小中学生だろう。

しかし、大人が読んでも学ぶところは大きい。たとえば、30ページにはこう書いてある。

 

感想文には正解なんかありません。どういう読み方をしてもいい。

「これが正しい答えです」というものもなければ、「こう書かなければいけません」という決まりごともない。

 

読書感想文に悩む子どもは、無意識に「正解に向けて書かなければ」というプレッシャーを感じていることがある。まずはその強迫観念を解きほぐさなければ、と齋藤孝は書いている。

 

かといって好き放題に書けばいいわけではないという。作文は必ず誰かが読む。だから、読んだ人がおもしろいと思うように工夫するといいと、35ページに齋藤孝自身の価値観が書かれている。

 

感想文の場合、僕は、その人が本とどういう出会いをしたのかがいきいきと書かれているものを評価します。

 

このへんを読んで、自分が読書感想文に対して感じていた苦手意識、というより「嫌だなぁ」と思った記憶が、再び頭をもたげてきた。

 

 

本で変わらなければいけないという強迫観念

 

その本を読んだことで、心のスイッチがカチリと入った、いままでとは何かが変わったということを書くことができれば、読み手を「へえ」「ほお」と言わせるようなものになる。

 

36ページにはこうある。

なるほど。

 

読む前と読んだ後で筆者の心に起こったなんらかの変化を読者は期待しているのだ。だから、そういうものを書くことができればすぐれた読書感想文になる。

 

145ページで、「青少年読書感想文全国コンクール」で最優秀賞をとった作文がまるまる引用されている。ハンセン病の元患者、そして詩人である桜井哲夫さんを追ったドキュメンタリー本の感想文だ。筆者が、最初は桜井さんを「怖い。気持ち悪い」と思った導入から、最後は桜井さんを「かわいい」と思うに至った過程がていねいに描かれている。最優秀賞になるのも納得だ。

ここでも「読む前と読んだあとの変化」が効果的に活かされているのがわかる。

 

 

あれ?

「感想文に正解はない」のではなかったか?

読書感想文への苦手意識がいよいよ顔をのぞかせてきた。

 

別に本の内容が矛盾しているわけではない。「正解はないけれど、特に評価される読書感想文はある」というだけだ。

しかし、誰だって評価はされたいと思っている。評価されるには「心の動き」を書かなればいけない。だから、本を読んだら心が動かなければいけない……!

 

なのに、やべえ! 読んでて何にも感じなかった!

 

よくある小学生作文の「私もこんな人になりたいと思いました」といういい加減な締めくくりは、そんな強迫観念に裏打ちされているのではないかと思う。

私が読書感想文に対して感じていた嫌さの正体もこれだったはずだ。

 

 

読書感想文は人生最初の自己啓発

 

読書感想文に何を書くかは自由だ。正解はない。しかし、作文が評価されるためには押さえるべき要点がある。

「その本をきっかけに、自分がどう変わったか」を書くことだ。

 

言ってしまえば読書感想文とは、人生最初の自己啓発セミナーの課題なのだ。

 

わけもわからず本に目を通し、「さて、あなたのどこが変化しましたか?」と問われる。この変化は社会的に要請される「好ましい変化」でなければならない。「僕はこの本を読んで、人を手当たりしだいにぶん殴ってみたくなりました」なんて書いたらヒドい目にあうことくらい、小学生だってわかっている。

 

戦争はよくない。友達は大事だ。家族はかけがえがない。地球環境を守らなくてはならない。

 

なんかそういう結論に着地しないといけないと、子どもは直感している。

 

いや、実際はだれもそんなことを「命令」してきてはいない。むしろ命令されていれば公式を当てはめて算数を解くみたいに作文が書けてラクだろう。

現実はもっと巧妙にできている。「自由に書いていいんだ」と言われる。でも実際には踏み込んではいけないゾーンがある。柵のない地雷原のような世界だ。そして、地雷を避けながら慎重に歩いたルートが「自分が本当に思ったこと」だ、ということにされる。

 

この本はとても優れた作文技術書だと思うけれど、同時に自己啓発書でもある。

 

すべての感想は捏造である

 

本当は、ほとんどの子どもは本を読んでもなんにも感じてない。というか、大人だってそうだと思う。今の自分もそうだ。

本を読んでいて思うことなんて「ふーん」「面白い」「ダルい」とか、そんな感じの動物的なものだ。

 

文字をちょっとずつ書きながらジワジワと形成された意見らしきものが、あとになってから「感じたこと」だと捏造されていく。意見を捏造しなければ文章なんて書けない。

この記事だって、本を読んでいるときには特に何も思わなかったが、記事を書いていたらこんな考えが出てきたのだ。それをあたかも読みながら感じたことのようにウソをついているのだ。大人は汚い生き物なのだ。枕も頭が乗ってるところだけ黒ずんでいる。

 

しかし、子どもはそれを知らない。頭のなかに「感じたこと」がそのまま隠されていると思い込んで、必死に探そうとして疲弊してしまう。「なにもなさ」に愕然として、密かに自分を恥じる子もいるかもしれない。

作文の意見は書きながら無理やり作っていくものだ、ということがわかっていれば、悩む子の何割かは少し楽になるんじゃないかなと思う。

 

どんどん思ってないことを書こう! 社会に迎合するかどうか選ぶのはそれからだ!

 

 

 

だれでも書ける最高の読書感想文 (角川文庫)