哲学篇

某日、某所。
哲学に詳しい人との約束の日。
今回は僕1人で立ち向かいます。人類の果てに。
あっ!

哲学の人だ~~~!!!
南学 正仁(なんがく まさひと)さん:
精神科医・哲学者。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了、千葉大学医学部卒業。監訳書に『精神病の苦しみのためのパーソン・ベースド認知療法』(はるかぜ書房)。共著書に『精神医学の歴史と人類学』(東京大学出版会)、『心の臨床を哲学する』(新曜社)。
哲学研究をしつつ、現役のお医者さんでもあります。
医学生や司法修習生との哲学プラクティス(哲学的なテーマに対する対話型の探求活動)もやっているそうです。
取材お受けいただいてありがとうございます!
こちらこそ、よろしくお願いします
さて、今回も宇宙さんの時と同じく、事前に取材の趣旨をお伝えした上で快諾いただいたのですが、

そうはいっても、やはり怖すぎます。
テーマも怖いし、こんな取材を依頼してくる人も怖い。ライターネーム「ペンギン」。
まずお聞きしたいのですが、今回の取材依頼を聞いて率直にどう思われましたか?
そうですね・・・

すごい依頼だな、と
すみません
いや、すごい面白いなと思ったんですよ。
まず直感的に「成り立ちそう」と思わされる迫力がありました。
よくよく考えてみても、私が研究している「心の哲学」においても重要な思考実験になり得ると思いましたし、このテーマでペンギンさんに論文を書くことをおススメしても良いなと思ったくらいです
とりあえず、怖がられてなくて良かった・・・
さて、ここで哲学に詳しい人に聞きたい内容をおさらいすると、

「宇宙1周目のペンギン①と、宇宙2周目のペンギン②は、“完全に同じ”だから、ペンギン①(=僕)は死なない!」と言えるかどうか、という話ですね。
(「マルチバース」の話を更に区別しようとすると物凄くややこしくなりそうなので、一旦シンプル(?)に「1周目⇒2周目」軸で考えます)
私が「哲学全般」に詳しいわけではもちろんないんですが、専攻している「心の哲学」の話がペンギンさんの興味とも近そうなので、そのあたりの話を中心にさせてもらいますね
※注:本題まで少し長い上に、本題も長いですが、道中を楽しんでもらえたら嬉しいです。僕は止まらないし急がないしいずれにせよ宇宙はいつか2周目に入ります。
「自分」という感覚
そもそも「心の哲学」って、どういう哲学なんでしょうか?
ざっくり言うと、「人間の心」とか「意識」のようなものがどこから生まれるのか?みたいな、自然科学でもまだ解明し切れていない「心」について考える哲学ですね。
有名どころでいうと「クオリア」とか、あるいは「哲学的ゾンビ」なども、哲学の分野としては心の哲学に属しています

その中でも、私の研究対象のひとつが「意識の超難問〔the harder problem〕」です
東大王?
要は、「なぜ私は私なのか?」という問いです
あっ、もうわからなくなりました!

たとえば、今ここには南学とペンギンさんがいますよね?

2人はそれぞれ、当たり前ですが自分のことを「自分」だと思っていて、その感覚が入れ替わる、つまりペンギンさんが南学のことを「自分」だと思うことはないですよね
そうですね。だって自分じゃないし
しかし、なぜ、この「南学」という特定の人物が、そしてその人物だけが「自分」なんだ!?と。
仮に、「南学」の脳の状態とか記憶とか性格とかあらゆるデータを全て把握したとしても、この人物が「自分」かどうかというのは、そのデータのどこを見ても書かれていないですよね
それでは、他の誰かではなく、この人物が「自分」であるのはいったいなぜなのか?という問いが、「意識の超難問」です
他の誰も持つことがない、自分の「自分感」の正体、みたいなことですね。
うーむ・・・

でも僕も考えたことあって、たとえば「今ここで現に喋っていて、取材を一生懸命がんばろうとしているけど、内心では、昨日スーパーで定価598円のちょっと良いコブサラダが30%OFFで売ってて思い切って買ったらあんま美味しくなくて同じ値段で安いサラダを買った時よりも悲しくなった気持ちを今も若干引きずっているし、鼻が若干ムズついているので花粉症の兆しを感じて怯えてもいる」という、この自分にしか決して味わえない「自分の感じ」って、当たり前に感じているけど何なんだろう?と
電車に乗ったらたくさんの人がいますけど、その全員にそういう「自分感」があって、今までの人生の歩みが全員分あって、いろんな理由で今この瞬間同じ電車に乗っていて、座っている場所が違うから見えている景色は当然全員違ってて、考えてることも全員違ってて、でもたとえば電車の中で赤ちゃんが泣いたりすると全員の意識がバッとそっちに向いて各々の「自分感」同士がハモるような一体感は感じるけど、それでも僕は絶対に他の乗客の「自分感」を感じることはできないし、自分にしか「自分感」は感じないって思ってます
しかもその電車は何十年も繰り返し、同じ線路で同じ景色の中を何万回も通過しつづけていて、窓の外に見える山とか空の景色はなんならもっと数千年・数万年もそこにずっとあって、電車じゃなくて馬に乗ったり狩猟したりしながらその景色を見ていた人、その時の風の冷たさとかニオイとかを感じていた人にとっての「自分から見える景色」もあったはずで、その人も絶対その人だけの「自分感」があって、どんなにピッタリ同じ体験・同じ感想・同じ思考になったとしても、絶対にその人の自分感ではなく僕の自分感しかなくて、僕は今この瞬間に僕の眼から見える「景色」しか自分の景色として感じないんだなあ、みたいなことは思いますね
すごい熱量でありがとうございます。
「自分感」が自分にしか宿らないって、あまりにも当たり前すぎる話なので、疑問に感じない人にとっては全くピンとこない問いなんですよね。
だから「どういう問いなのか」を説明するだけでもかなり苦労するんですよ
わからないけど、でもなんか共感できる疑問な気もしている・・・
ペンギン注:
あとでWikipediaの「なぜ私は私なのか」という記事(どういう記事?)を読んでみたところ、理論物理学者としても有名なシュレディンガーは「何千年も変わらず存在しているアルプスの雄大な景色があって、今までの歴史で数多の人が全く同じ景色を見てきただろうに、なぜ全く同じ景色を見ているうちの1人に過ぎないこの私だけに、”自分”を感じるのだろうか」といった比喩で、同じような問いについて説明しようとしていたそうです。
わかるような、わからないような、でもわかるような・・・

でも、ペンギンさんの言ってるスクリーンセーバーの話って、言い換えると「遠く遠く遠く離れた未来にいる、物理的な配列が完全に完全に完全に完全に同じ状態である“自分”には、今この瞬間の“自分感”と全く同じ“自分感”が宿るはずだ!」っていうことですよね?
そうです!

ペンギン①と見た目完全に一緒のペンギン②が未来にいますという話ではなくて、まさに「今この瞬間に僕が持っている“自分感”」がある!ということです
だとすると、「“自分感”がどのようにして自分に宿るのか?」という思考実験が、ヒントになりそうなんですよね
いくつかネタを持ってきたので、順に追いかけてみましょう

南学さん、今日のためにレジュメを作ってきてくれました。
本当にありがとうございます。

この「デジタル太郎」って、河野太郎のことですか?
違います
哲学者たちが考える「自分感」
ペンギンさんの思考実験とは直接関係ないことも含みますが、まずいくつか「自分感」にまつわる学説を紹介させてください。
一応、遠回りから始めるのにもちゃんと理由がありまして、
といいますと?

先に言っておきますと、私が知る限りペンギンさんの学説は「特殊」です。
もし過去に全く同じような思考実験があったらそれをお伝えしておしまいなのですが、そうもいかないんですよね
なので、その「特殊さ」を分かっていただくために、まずは一般的な説をいくつかお伝えしたいんです
そもそもの話でお恥ずかしいのですが、「思考実験」が何なのか、どういう意味があるのかすら、まだピンときてないかもです
確かに、「思考実験」は言葉のインパクトが強いので、とにかく極端なシチュエーションを考えると思っている人もいるかもですね

たとえば今回でいう「自分感」が、本当にあるのか?あるとしたらどういうメカニズムで生じるのか?それとも実はない概念なのか?
といったことを、実験では明らかにできないですよね。
まだ人類は脳の仕組みすら完全には解明できてないですし、「脳を完璧に再現して、自分感が生まれるかどうか確かめましょう!」みたいなことが、技術的にも倫理的にも難しいと
そのため、本当の実験とは別で、「こういうケースが起こり得ることを前提にしたら、実際どういうことが起こるか?“自分感”を説明できるか?」を考えるのが、思考実験の目的のひとつです。
ある意味、人類の技術が「脳の完全再現」まで到達した日のために備える「準備」ともいえるかもしれません
おおぉぉ
で、数学っていうのは「(もし)こういう状況なら、どうなるだろう?」っていう、何かしらの前提をもとに理論とか予想を組み立てるやり方なのよ、基本は。
その前提っていうのが、現実でもあり得る前提のこともあるし、現実ではあり得ない前提のこともある。
また、進研ゼミでやったところが出た・・・

「自分感」に特に関連する哲学上の議論のひとつが、「人格の同一性」という話です。
要は、「自分が自分である感覚(=人格)」が「ずっと続く(=同一性)」ために必要な条件を考える思考ですね
①身体説
身体説は、おそらく一番イメージしやすい説だと思います

「自分が自分である」と感じられる理由を、

ずっと同じ自分の身体で生きてきたから、という理由に求める説です。
専門的には「身体的に連続している」という言い方をします
まんまですね
でも、じゃあ「身体の連続」って何なの?っていう話があって。
たとえばここに古くなったペンギンさんがいるとするじゃないですか?

古くなったペンギン
古くなったペンギンさんにも当然、自分感が宿っています。
そして古くなったパーツを、超すごい医療技術でちょっとずつ新しいパーツに入れ替えていくとしましょう

するとやがて全部のパーツを入れ替えても、

新しいペンギンさんには自分感が宿り続けていると思いますか?
う~ん、宿っていそうな気がしますが・・・
そしてさらに、

入れ替えた古いパーツも実は超すごいバイオ技術で保管されていて、
『封印されしエクゾディア』だ・・・

古いパーツ全てをもう一度合体させると、どうなりますか?
『エクゾディア』が揃ったので僕の勝ちです

古いペンギンさんと新しいペンギンさんの2人が存在していて、どっちも身体的に連続していると言えそうな、困った状態になります
たしかに直感的に、身体説はピンとこない気がしますね
っていうか、思考実験ってこんなに容赦なく色んなことをしでかすんですね

哲学には容赦のない思考実験はまだまだあるのですが、この話の要点としては、身体が連続しているからといって自分感が確実に宿るかというと、そうとも言い切れない、ってことですね
②心理説
もう1つの代表的な考え方が、心理説です

「自分が自分としてここまで生きてきた」という記憶・心理的状態に求める説です。
専門的には「心理的に連続している」という言い方をします
確かに、これはもう少しピンときますね
ですがこれも意外と難しくて、

心理説の場合、実際に今日まで生きてきて「自分はペンギンだ」と思うことも含みますし、

実際には生きてない場合、たとえばペンギンさんが寝始めた一瞬のうちに、ペンギンさんの睡眠直前までの一生分の記憶を完璧に埋め込んだロボットを起動させれば、心理的には連続していると言えるのでロボットの方に「自分はペンギンだ」という感覚が宿ることになります
そうなると、ロボットがシャットダウンされない限り「自分感」はロボットの方に残り続けて、生身のペンギンが起きても「他人」に見えちゃうことになりますね
それ以外にも、たとえばシンプルに記憶喪失が起こった場合に、その人が「自分感」すらも感じなくなるかというと、おそらくそんなことはないですよね。
記憶を全部失ったとしても、殴られた時に痛いと思うとか、お腹が減った時に空腹感を感じるのは、他の誰でもない「自分」ですからね

ということで、何かしらの形で自分が「連続している」ことが、自分感にとって大事っぽくはあるのですが、身体説・心理説のどちらか一方だけでは説明し切れなさそうです
たしかに、実際に経験してないのに記憶だけで“自分感”を感じるっていうのは、違和感強めですね
③closest-continuer theory
これはある意味、身体説と心理説の折衷案のような説です

ペンギンさんとして実際に今まで連続して生きてきて、連続した記憶もちゃんとある状態のペンギンさんを「生物太郎」とすると、当然生物太郎には自分感が宿っていますよね
ですね。今がまさにその状態ですからね

で、生物太郎の全ての記憶を、超超すごいUSBメモリにコピーしたとしましょう

そのUSBメモリを、デジタル太郎にぶっ刺します
これが・・・デジタル太郎・・・

すると、ペンギンさんの全ての記憶を持った生物太郎とデジタル太郎の2人がいる状態になりますが、では自分感はどっちに宿るでしょうか?
それはさすがに生物太郎じゃないですか?
だって生物太郎って今の僕と完全に同じ状態ですよね。
デジタル太郎が爆誕したからといって、この僕の「「この感じ」」がそっちに行くとは思えないです

では、もしUSBメモリに記憶を記録したのと同時に、生物太郎が死ぬとしたらどうですか?
それだったら、デジタル太郎に自分感が残っていてほしいかも・・・

どこでもドアの話が、まさに同じ構図ですもんね
というように、自分感がどっちに宿るのか怪しい状態になった時に、

生物太郎が生きているなら、自分感はもっとも連続性のある生物太郎に宿って(=身体説&心理説)、

生物太郎がいなくなるのであれば、自分感はその次に連続性のあるデジタル太郎の方に宿る(=心理説)、
という説を、closest-continuer theory(もっとも近い連続体-説)といいます
④その他の説

他にもいくつか説がありまして
なんか頭がくらくらしてきました
ずっとやってれば慣れますよ

the further fact view(さらなる事実説)というのは、身体の連続性も、記憶/心理の連続性も、どっちも実は自分感とは関係ない、という説です
大きく出ましたね
要は、人間の科学的な思考だけでは自分感を説明できないのでは?という考え方ですね
???

ここで言ってる科学的思考というのは、ざっくり言うと「観測者(=自分)」と「観測される対象」をパッキリ分けるという考え方です。
二元論とか、デカルト的とかいう呼ばれ方もしますね。
人類はこうやってパッキリと観測対象を自分と区別することで、科学を発展させてきたと言われています
観測者・・・
そういうパラメータだから我々が生まれて、その上で「確率低っ!!」と考えているにすぎない。
観測者である人間が存在できている宇宙だから、結果として「超超超超超ちょうど良いパラメータの宇宙に見える」だけってことですね
うーむ・・・なんかものすごく重要な話のような気がする・・・・

「観測者とそれ以外を分ける」という考え方は、「自分」と「それ以外の数多の人間」を分けるという考え方にも適用されていって、

つまり科学では、「自分感」が宿っている「観測者=自分」は、そもそも他の人(観測される対象)とは絶対的にパキッと分けられている・・・と
うむむ、うむむむむむ

で、これまで紹介した身体説も心理説も科学的思考の一種なので、そもそも「観測される対象」側について考えるための思考法なんですよね。
他の誰でもない「自分(=観測者)」側のことについて考えるための思考法ではないかもしれないんですよ

うむむ
なので、人類が営々と積み上げてきた科学的思考そのものが、自分感の仕組みを考えるための思考法としては根本的に合ってないんじゃないか?という考え方ですね。
科学的思考とは全く別な考え方をしないと、そもそも自分感についてまともに考えることすらできないんじゃないか?と
うむむむむむむむむむむむむむむむ
私は個人的には、この説に一番、何かを突破する兆しのようなものを感じています
わかる!気がする

他にも、the deflationary view(真理のデフレ主義)というのもあります。
生物学的・心理的事実をすべて収集してもわからないのであれば、人格の同一性という問いそのものが実は「ない」んだ、という考えですね
(@~@)???
長くなるので、一旦ここら辺で区切りましょうか
スクリーンセーバー理論は何が「特殊」なのか?
いよいよ本題なんですが、

さっきも言った通り、私が知る限りペンギンさんの説は「特殊」なんですよ

まず時間的に連続していません。
どこでもドアを引き合いに出すとわかりやすいのですが、

日本側でドアをくぐったのが1月1日の0時00分だとしたら、

次の瞬間、1月1日の0時00分~01分には、再構築された「自分」がアメリカにいますよね。
この場合、身体は連続していないですが記憶は連続しています。
余計な空白時間がないので、なんというか「引継ぎが自然」なんですよね。

「引継ぎが自然」だからこそ、「自分感」がギリ残りそうな雰囲気を出せているということでもあります。
どこでもドアに限らず、この手の思考実験はだいたい「次の瞬間」にして連続性をある程度担保しようとする傾向があります

一方でペンギンさんの説は、わざわざものすごく遠い未来・遠い時間軸に引継ぎ先を設定しています。
まったく連続していない。連続の真逆。
この時点でだいぶ特殊です

また、空間的にも連続していません。
「全く同じ場所で、同じ相手と、同じこと(モナカの絵を怒られる)が起きる」ので、ある意味では連続しているのかもしれませんが、これは明らかに「身体説」の連続性とは全然違います。
身体説でいうところの連続性は、銀河系ごと一旦バラバラになってもう一度再構築される、なんていう、連続性がどう考えてもなさそうな仮定をしないですからね

つまりペンギンさんの説は、「時間的にも空間的にも連続していないけど、でも完全に同じ自分だったら自分感はある」説、ということです。
わざわざ、専門家が考えている思考実験より厳しい状況に自ら突っ込んでいる説になっています。
これはかなりエキセントリックですね
確かに今までの学説は、どれも時間を連続させたり身体を連続させたり、自分感がありそうなギリギリのラインを突いた思考実験でしたね。
僕のは、全然そうじゃない・・・
そうなんですよ。
それなのに「なんか、ありそうかも・・・?」と思わせる謎の説得力をほのかに帯びているのが、不思議なんですよね

まあ、無理やり考えると「“自分”を遠い未来まで冷凍保存して」しかも「生身の身体じゃなくてロボットに記憶を搭載させてから蘇らせる」とかが近いですが・・・
でもペンギンさんの場合は、記憶すらも別に引き継がないんですもんねえ・・・
何一つ連続していない・・・
一体なぜそんなハードなシチュエーションを・・・
僕の考えでは、そもそも「再現」とか「再生」でもなくて、ただただ「完全に同じ」っていうだけで・・・

なぜならスクリーンセーバーって時間が十分に経てばまた
いや、それはもうよくわかったので大丈夫です。説明までループしないでください

たとえばなんですけど、
今ペンギンさんは日本にいて、

物理的に完全に同じペンギンさんが、ブラジルにも同時に存在したとします

この時、自分感は日本のペンギンさんの方に宿っていますよね?
ですね
もし仮に、日本のペンギンさんとブラジルのペンギンさんの間で自分感を同時に感じられるとすると、情報の伝達速度が光の速度を超えることになってしまう。
なので自分感は同時に感じることはできず、日本かブラジルのどちらか一方だけ・・・この場合は日本だけに自分感が宿ると考えられます

さらにその状態のまま、ブラジル側のペンギンさんをものすごく遠くの未来にふっ飛ばしたとします

この時、未来のブラジルペンギンさんに自分感が宿り始めるかというと、ちょっと怪しいじゃないですか?
未来のブラジルペンギン
なぜかというと、さっきの「同じ時代の日本=ブラジル間」よりも、もっと状況が悪化しているからです。
同じ時代ですら「別な場所で同時に2者が自分感を感じる」ことは考えづらいのに、さらに時代すら超えさせることで、むしろ状況が好転して逆に2者が同じ自分感を感じるようになり始めるとは思えない・・・

・・・って考えると、やはりペンギン①とペンギン②が同じ“自分感”を持つというのは考えづらいのではないかと・・・
う~~~ん
納得しないですか?
そうですね・・・
詭弁かもしれませんが、僕の中では、

ペンギン①⇒ペンギン②に自分感が引き継がれていない状況なんだとしたら、まだカンカンカンカンが途中ってことなんですよね。
同じ自分感じゃないということは、そのペンギンは僕ではない、また別な回のペンギンでしかないというか

大量の時間が過ぎて、自分感も含めた全てが今と同じである状況に辿り着くまで、カンカンカンカンし続けます。
確率はものすごく低いでしょうけれども、ゼロ%でない限りはいつか必ず起こります

いつか必ず起こる「今この瞬間と全て同じ状況」というのは、自分感も含めた全てが同じ状況ということです。
その時の自分には、今の自分と完全に同じ自分感も宿っているということなので、僕視点でいえばずっと生きている、つまり死なないのと同じ、っていう考え方です

なるほど・・・ほぼ無限の試行回数を重ねれば、今この瞬間に何かによって生み出されている「自分感」が、いつかまた同じく生み出されるだろうから、敢えて連続性をなくして逆に極限まで引き離した方がそういうことが起こり得るということか・・・
うーむ・・・今までの思考実験の文脈からすると荒唐無稽だが、どうして妙な説得力を感じてしまうんだろうか・・・
スクリーンセーバー理論の弱点
ひとつ気になったんですけれども、
ペンギンさんが考えている「自分感」って、「今この瞬間の自分感」だけじゃなさそうなんですよね。
つまり「今この瞬間に自分の眼で景色が見えている、その自分とやらに自分感を感じる」という、一瞬の状況の話ではなさそうで
それはそうですね!
ということは、まああり得ないですが、たとえば

無限のカンカンをしている最中、銀河系に似たモノすらないタイミングで突然、

宇宙全体の原子に影響のある大大大大大災害が起こったとして、

次の瞬間に奇跡的な偶然で、宇宙全体の原子配列が「モナカで怒られている瞬間」と完全に同じ状態、地球人全員の脳・記憶も含めて全く同じ状態にピタッと辿り着いたとしたら、どうですか?
それは・・・
“僕”じゃないですね
なんで!?
明らかに「完全に同じ」じゃないですか!
こんなにトンデモなシチュエーションを提供したというのに
うーんとですね・・・

さっき教えていただいた「心理説」への違和感が、近いかもしれないです。
僕の感覚では、自分感って「今この瞬間」の状態だけじゃない気がしていて、

実際にそれまでの人生を歩んでいる証が必要だと思ってます。
たとえばモナカの絵日記で怒られる前にも、「庭に生えてる雑草の絵」とか「遊びに行ったプールの絵(ただの四角)」で切り抜けた日も実際にあって、僕としてはその都度いろいろ頭を巡らせて、どうすれば怒られずにギリギリの手抜きができるか一生懸命考えて、なんならもっと良い手抜き絵を追求して一旦消しゴムで消したが故に日記帳がヨレてるページも痕跡としてあったりするんですよね
「実際に生きた履歴」が大事なんです。
その都度、どんなに小さくとも自分が人生を意思決定しながら歩んでいるという履歴です。
記憶ではなくリアリティといいますか。
そういうものの積み重ねで、自分感が生まれるという感覚です
なるほど・・・


説、立証したくないんですか?
怒ってますか!?
いやそうじゃなくて

自分からわざわざ立証すべきことを増やしに行ってる気がしますね、ペンギンさんは。
「今この瞬間の自分感が未来にもある」ことだけを立証するならまだシンプルですが、人生の経験や外部の痕跡まで含めて立証しようとするのは、命題の作り方としては・・・
・・・
もし一致しなかった場合は、基本的には理論の方が間違ってるってことなので、「じゃあこういう要素も理論に加えなきゃ」とか「こういうケースの時だけこう計算するルールにしよう」みたいに、どんどん理論がツギハギ状態になっていくんですよね
確かにそれは汚くて嫌だなあ
それが一定レベルを超えると、シンプルな理論で現実世界を説明できなくなるので、汚い理論=リジェクト、となるわけです
・・・汚い?
・・・ですね、言葉を選ばずに言うなら。
自分から立証を拒絶しているような雰囲気すらあります

・・・

確かに、この理論って僕の欲望が生み出したものかもしれないです

「この瞬間」が再び訪れることよりも、それに至る人生までちゃんと繰り返していてほしい、みたいな。
僕は自分では自己肯定感が低い方だと思っていたんですが、自分の人生以外に「自分感」を感じたくないというか、実は自分の人生をかなり肯定していて、その結果として「“この自分”が繰り返されること」を心の底では望んでいるというか・・・

「正しいことを立証したい」というよりも「この理論を考えている自分」を肯定したいというか・・・
死ぬほど恥ずかしい話ですが

なるほど・・・
自分のことを観測者として客観的に世界を説明する科学者だと思っていたら、実はめちゃくちゃ個人としての欲望を語っていた。
その結果が「スクリーンセーバー理論」ってことかあ・・・
・・・

良い話だ
なので、人類が営々と積み上げてきた科学的思考そのものが、自分感の仕組みを考えるための思考法としては根本的に合ってないんじゃないか?という考え方ですね。
科学的思考とは全く別な考え方をしないと、そもそも自分感についてまともに考えることすらできないんじゃないか?と
うむむむむむむむむむむむむむむむ
私は個人的には、この説に一番、何かを突破する兆しのようなものを感じています
この話を聞いた時点で、何か底知れぬドキドキ感はあったんですよね
たしかに。
でもそう考えると、自分感を科学的思考の外側から考えてみるという兆しに、実は近い考え方かもしれないですね

「心」の問題に限らないですが、観測者の主観・嗜好・文化的背景とかを完全に抜きにして客観的に問題設定するのって、実はけっこう難しいのかもしれないですね
たしかに。
そもそも世の中にたくさんある思考実験も、「”思考実験を考えるのが好きな人”が考えた」「”思考実験を考える仕事を選ぶ(選べる)ような人”が考えた」という属性が裏に貼り付いてそうですよね
究極的には人類の思考のクセみたいなのもあるでしょうし、完全に主観を排除することはできないかもしれないですね。
むしろそういう偏りを自覚することこそが、私たちらしい「思考」なのかも
う~む
宇宙さんの話とも結局全部つながってるような・・・僕にはまだ咀嚼し切れないくらい大きい話だ

哲学界のド真ん中でそういう説をぶち上げるのはなかなかハードル高いでしょうけど、WEBメディアみたいに「外」からこの手の意見が出てくるというのは、なんというかすごい「良い」なと思いましたね
僕は最後の話でとても納得できました。ありがとうございました!!
=====

ということで。

僕の理論は、正しいか間違っているかという軸で言えば、宇宙さん・南学さんとの対話を経て「限りなく厳しい」ということがわかってきました。

宇宙は「僕」がいなくなった後もある程度続いていって、「僕」はもしかしたら一回きりしかこの宇宙に登場しないのかもしれません。
しかし不思議と、怖さみたいなものはなくなっています。




人類が脈々と築き上げてきた、叡智としか言いようのない何かを感じることができましたし、

エゴにまみれていた自分理論も、僕はまだ愛せる気がしています。
というか、いや?
でも、全然、

まだあると思います。

これは宇宙の話ではなく、僕の宇宙に関する話なのかもしれませんが、

僕は、宇宙には「2周目」があるんじゃないかと、今日も思っています。
皆さんの宇宙はどうでしょうか?

(おしまい)

ペンギン




そういうパラメータだから我々が生まれて、その上で













