筆者がオモコロで記事を掲載するときは、基本的にこれまで採集した話の中で、

五千字から八千字程度の文字数になるものを(一記事につき)ひとつ掲載する形を取ります。

しかし、その選定基準では文字数等の関係でどうしても語ることのできない話や、

その一つだけでは記事として成立させづらく、しかし興味深い話などをどうしても取り零してしまうことになってしまいます。

 

今回は、筆者がこれまで採集してきた幾つかの話の中から、

そういった小規模なものをいくつか抜粋して掲載します。

掌編を読むような気持ちで、お楽しみ頂ければ幸いです。

 

 

「ちょっと前、だから七月終わりくらいのことだったと思うんだけどね。

私ってエアコンつけて寝るんだけどさ普段。

でも朝までしてるとおなか痛くなっちゃうから、

ベッド入るときはタオルケット一枚くらいで、

エアコンは設定で何時間後に電源オフってして、それで寝るのね。

 

で、その七月終わりの時もそういう感じで寝てたんだけど、

その日は確かお昼寝してたかなんかで、眠りが浅くなってて。

まだ夜だったんだけど一回、ぱっと起きたんだよね。

右の枕元にスマホがあって、それ点けたら確か二時半くらいで。

そんぐらいの時間だからエアコンはまだ動いてるっぽくて、

何となく緑のライトが見えてたし、

冷たい空気が通ってる感じもしてて。

 

そういう時間に起きたにしてはまだ結構眠くて、

つまり夜遅くに眼が冴えましたって感じの起き方ではなかったから、

また寝ようとしたんだけど。

でもなんかこう息苦しいというか、

喉がはりつくみたいに渇いてて、

唾を飲み込んだら喉の奥がちょっと痛い、いやな感じがあって。

眠かったんだけど、仕方ないから冷蔵庫まで行ったのね。

 

確かスマホも持って行ってて、

スマホのライトで歩いてた気がする。

ちゃんと電気点けたら目が覚めちゃう気がして。

冷蔵庫があるとこまでぺたぺた歩いて、

麦茶かなんか飲んで、またベッド戻ったんだけど。

 

冷蔵庫からベッドまで戻るときって、こう何ていうか、

進行方向にはベランダの窓が見えるから。

初めてそっちの方に、スマホのライトが向いたのね。

そしたら窓に、でっかい蛾がとまってるのが見えて。

 

それが、確かその日って洗濯物干すためにベランダ開けてたからさ。

いつもは網戸とガラス窓で二重になってるんだけど、

その日は網戸閉めるの忘れてたんだよね。

だから、ベランダに繋がるガラス窓に直接、

そのでっかい蛾がとまってる状態になってたのね。

だから、うわ気持ち悪いな、って思って。

蛾っていうか、何なんだろうな。

茶色い羽と黒い点々があって、

ちょっと縦に細長くて、ぷりぷりした胴体があるみたいな、

そういう系統の虫ね。

あれの裏側が、ベランダのガラス窓から直接見えて。

 

しかもよく見たらさ、裏側の、

その胴体のとこがさ、なんか卵持ってるっぽくて。

そこだけこう、ぶりゅって盛り上がっててね。

山にいるジョロウグモの裏側の、

おなかが赤いあの感じっていうか。

 

起きぬけにそんなの見たわけだから、

まあいい気持ちはしないじゃない、当然。

だから、もうお茶も飲んだし早く寝ようって、

そっちから視線を、外しかけたんだけど。

スマホのライトを急に部屋から窓に向けたからかな、

その蛾が突然ばたばた動き出して、

目の高さくらいのとこまで来てまた止まったんだよ。

窓越しとはいえ、結構びくってなって、

びくってなったんだけど、

それがさっきより近いとこに来たから、

初めてそこで気付いたのね。

その蛾っぽい虫の、へんに盛り上がった胴体が、

脈打つみたいに動いてて。

それ卵持ってるんじゃなくてさ。

どうみても人間の口なんだよ。

人間の、くちびる。

人間のくちびるが、その胴体の裏側に、

虫が縦長だからなのかな、

横じゃなくて縦についてて。

そう、縦に裂けるみたいにしてくっついてるの。虫のおなかに。

 

それが動いてたの。

口は閉じたままなんだけど、閉じたままで動いてるの。

寝てるひとがくちゃくちゃ口を動かすみたいに、

生きてる人のくちびるみたいに虫が。

それに気付いたのと同じタイミングで、

 

部屋にいる私の右耳のすぐ近くでぶぶぶぶぶっておっきな虫の音がしてぶるぶる震える羽がみみたぶに当たる感触がしたところで記憶が消えてるの。

 

また起きたら、それが不思議なんだけど、ベッドの上でちゃんと寝てて。

ちゃんとっていうのは、枕に頭を置いてタオルケットを一枚体に掛けて、っていう、

そういうしっかりした寝方ってことね。

そこで記憶が途切れてるなら、

もうちょっと布団がぐちゃぐちゃになってるとかありそうなのに。

そもそもベッドに入った記憶も無かったし。

 

その時はもう朝になってて、

当然エアコンもタイマー設定で電源が切れてたから、

部屋の中がすごい蒸し暑くて、

腕とか、タオルケットの中の足とかがねちゃねちゃしてて。

あとスマホがさ。自分の体はちゃんとベッドの定位置にあったのに、

スマホはライト点けたまんまで充電ケーブルにも挿さずに枕元で放置してたのね。

だからスマホもけっこう熱くなってるし、

充電見たら10何パーぐらいしか残ってなくて、それも含めてすごい嫌な寝覚めで。

 

しかも何が気持ち悪かったかって、

起きたときに枕がやたら湿っててさ。

ああ暑かったし結構寝汗かいちゃったかなって思ったんだけど、

それにしては湿り方がこう、一か所に集中してて。

見たらそれ、寝てるときに右の耳とかこめかみが付く場所でさ。

それでベッドの上で右耳を触ったら、そこがやけに濡れてて。

右の人差し指から、糸を引くみたいにねばねばした感触と、

ひとの唾液が乾いたみたいな、すごいいやなにおいがして。

 

それですぐエアコンつけて、シャワー浴びに行ったんだよ。

その時にちらっと窓を見たけど、別に何もいなかったから、

別に大丈夫だと思ってるんだけど。

 

思ってるんだけどさ。

 

それ以来、ちょっと部屋が変な感じになってて。

っていうのもね、

いつの間にか窓に卵を産み付けたやつがいたらしくて」

 

深夜に友人からかかってきた電話は、

そこでぶつりと途切れたという。

 

彼女が話している途中、電話の向こうからは、

窓がかたかた揺れる音と、

たくさんの人間が発するくぐもったざわめきのような音が聞こえ続けていた。

 

そむく

 

それは、恐らくハンディカメラのようなもので、

ブラウン管テレビの画面を撮影し続けている、

そんな様子を映した動画であった。

 

そのカメラは、環境音とでも言おうか、

室内特有のさらさらとしたホワイトノイズだけを拾っている。

そのため、撮影者は無言でテレビに向けてカメラを構えており、

またテレビに映されている動画も、再生自体はされているものの、

音声は出力されていないことが推測できた。

 

無音のままに映像が流れ続けているテレビ画面を、

カメラの画角いっぱいに「直撮り」している、そんな動画。

 

テレビの中には、楽しそうに話をしていると思われる一人の女性が映っている。

音声が無いため話の内容は分からないのだが、

例えばホームビデオか何かのように、楽しげな雑談をしているといった風情である。

 

しかし、そのロケーションには、少しばかりの違和感があった。

というのも、女性がいるのがどこであるか詳しく判別できないほどに、

その撮影場所が真っ暗なのである。

女性の姿は、恐らく懐中電灯か何かであろう局所的な光源によって判別できているが、

その周囲の風景はほぼ見えないような状態であった。

恐らくは映像自体の画質が悪いことと、

ただでさえ画質の悪い映像をハンディカメラで直接撮影していること、

そういった外部環境の要因も大きいのだろうと思われる。

 

そうして、真っ暗な背景のなか、

懐中電灯で照らされた女性がぱくぱくと口を動かしている映像は、

およそ二分ほど続いた。

 

二分経った頃、

突然に女性は口を閉じて。

じっとこちらを───ビデオの撮影者の方を、向いたという。

はにかむような微笑を浮かべたまま、数秒間。

撮影者の方をじっと見つめた後で、

 

一歩、また一歩と、後退を始めた。

反対側を向いて歩いているのではなく、

「依然としてこちらを見つめたままの状態で、後ろ向きに歩き始めた」のである。

 

その辺りで、画角いっぱいに(少しばかり画面端がはみ出した状態で)テレビ画面を接写していたハンディカメラが、

手ぶれの影響でほんの少しだけ角度をずらしたためであろう。

女性の奇妙な動きを再生しているテレビ画面の、

画面左上にあった「逆再生」の表示が、

その直撮り映像のなかにちらりと映りこんだ。

 

それは「巻き戻している最中のビデオテープ」の映像を撮影したものだった。

逆再生中だから音声は出力されず、

音声が出力されないままにただ女性が口を動かしているだけの映像が流れていたため、

それが逆再生であることにも気付かなかった。

 

巻き戻されるテレビの映像の中で、

先ほどまで楽しそうに喋っていた女性は、

来た道を後ろ歩きでゆっくりと戻っていく。

それに合わせて、女性を照らしていたいくつかの懐中電灯の明かりは、

複数のちいさなスポットライトのように、ぶれながらその姿を照らしていった。

複数の明かりが不規則なぶれ方をしているため、

そのビデオの撮影者が複数人であることがそこで分かった。

 

女性が後ろに歩いていき、

ビデオの撮影者らはそれを先ほどと同じ場所で見ている。

そのため、遠ざかる女性の姿は段々と小さくなっていき、

それに合わせてライトの光も段々と広く、

ぼんやりしたものに変わっていく。

真っ黒だった背景が、少しずつ薄い灰色に変化していく。

その撮影場所が、テレビ画面越しにでも、何となく察せられるようになる。

 

それは廃墟だった。

まず人が住むことは出来ないであろう、

ぼろぼろの三階建てアパートのような廃墟。

黒く染みが広がるように朽ちた外壁や、

明らかに経年劣化で割れたであろう窓ガラス。

その周りを囲むように生えている、ぼうぼうの雑草。

 

その雑草をかき分けるようにして、

女性はこちらを向いたまま後ろ歩きでアパートまで戻り、

一階のひび割れた窓を開けて廃墟の中に入り、

そして窓を閉めた。

 

閉まった窓ガラスを、暫くの間、幾つかの懐中電灯が照らした後で。

そのビデオの撮影者らは、ゆっくりと、その廃墟を遠ざかっていった。

逆再生の映像だから、その廃墟を視界に映したままで、

後ろ歩きに進んでいくことになる。

少しずつ、ぼろぼろの廃アパートの姿が小さくなっていき、

そしてどこかで道を曲がったのであろう。

ふっとカメラがぶれると、一旦何も見えなくなり、

手ぶれした状態で真っ暗な雑木林を歩く映像が流れた。

ほどなくして、撮影者は来た道を(逆再生される映像によって結果的に)戻っていき、

数分経った頃に、五、六人乗りくらいの乗用車が置いてある狭い道に出た。

懐中電灯を持っている人々が、めいめいにその中に乗り込んで。

 

ビデオカメラは、バック走行のように動く車窓や、車の中を映し出していった。

どうやら、その映像を撮影しているのは、二十代くらいの男性の一団であるようだった。

カメラに向かって笑顔を浮かべたり、

真っ暗な雑木林を進んで(戻って)いく車窓を見ながら何やら雑談をする様子が、

車内ライトによって映し出されていた。

 

と、

 

ここでビデオは止まった。

そのテレビ画面を直撮りしている映像が、ではなく、

そのテレビ画面が、止まった。

画面の左上を見ると、先ほどまで「逆再生」だった表示が「一時停止」に変わっている。

つまり、そのビデオを接写している誰かが、映像の巻き戻しを一旦止めたのだろう。

 

そして、数秒の沈黙の後で、

ビデオが「再生」された。

 

先ほどまで無音で逆再生されていた映像が、

正規の時間経過に沿って、音声付きで流れだしたのである。

 

「えー、今俺たちはー、幽霊が出るっていう廃墟に、肝試しに来ていまーす」

 

明るげで笑い交じりの、男性の声が聞こえてきた。

車のエンジン音と、車内に流れる女性ボーカルのポップス。

がやがやとした笑い声。

 

 

「あと何分ぐらいで着くって言ってたっけー」

「あ、おい早えぞまだ酒飲むなって、はは」

 

恐らくは大学生くらいの年齢であろう男性の一団を乗せた車を、

カメラは映している。

 

「でもさ、マジなのそのハナシ」

「いや、俺も先輩からしか聞いたことないからさ」

「でも、地元では結構有名なんだってよ、なんか皆いなくなってそのまま忘れられたとかで」

「へえー。知らんかった」

「お、こいつビビってんじゃねえの」

「はあー?」

 

何気ない、男子大学生の騒ぎようをビデオは映し出している、のだが。

だとすると、この映像には違和感が残る。

先ほどまでの映像が「逆再生」によるものだとするならば、

この大学生の一団はこのあと車を降りて雑木林を進み、

ほどなくして「幽霊が出るっていう廃墟」に辿り着くことになる。

ひとが住んでいるとは思えない、ぼろぼろのアパート。

真っ暗で電灯も無い、正真正銘の廃墟。

 

そして、懐中電灯を片手に其処まで歩いた彼らは、

割れた一階の窓ガラスから出てきてこちらまで歩いてくる、

ひとりの女性を目撃することになる。

 

彼女は微笑を浮かべながら草をかき分けて彼らに近づいて、

そして何かを話し始める。少なくとも数分間。

 

深夜に、山の中に肝試しに来て、

その廃墟に行く様子を撮影して、

そこで「あの人」が出てきたのなら。

 

このビデオは何故、それを淡々と撮影できたのか。

 

「さて、ここで問題でーす」

 

突然に声が聞こえた。

それは接写されたテレビ画面のスピーカーからではなく、もっと近く。

それを直撮りするハンディカメラの向こうから、聞こえてきている。

テレビ画面の撮影者の、声であった。

 

そして、その声は。

つい先ほど車内の映像で楽しそうに喋っていた、

ひとりの男子大学生の声と、まるきり同じもので。

 

へらへらとしたその声とともに、

ずっとテレビ画面を接写していたハンディカメラが大きくぶれ、

その撮影者が自分の顔を映した。

 

「みんなはこの後、何を教えてもらったでしょーか」

 

荒れ放題の部屋の中でぐちゃりと笑う男性の、

すぐ後ろにあの女性がいて。

すぐ後ろに座っている彼女の右半身が、右目が見えていてそれは彼の方を向いていて、 

彼女は肩を震わせて笑いを押し殺していた。

 

「正解は、これから見ていけば分かりますよおー」

 

そう言ってカメラが再びテレビ画面を向いた。

画面の映像はちょうど彼らが車を降りる所で、

 

「おっ、着いた着いた」

 

という声が流れ始めていて。

 

「そこで俺は、映像を切りました」

 

この話の提供者である、当時大学生であった男性は、

そこで話を結んだ。

 

「なんでこの映像をあいつが、熱出して肝試しに行けなかった俺に送ったのかも。あいつらが今どこで何をしてるのかも。全部、結局、分からないまま終わってしまいました」

 

わらう

 

夜、会社から帰るときって僕、

基本的にはイヤホンで音楽を聴いてて。

途中の、バス停降りてすぐのとこにあるポプラでお菓子買うときには外すんだけど、

そこ出た後とかはずっとスマホで音楽流しながら歩いてるんだよね。

 

でもこの前、コンビニ袋持ちながらてくてく歩いてるときにさ。

僕の家までの帰り道に、路地を一本入る感じで、

道をショートカットできるところがあるんだけど、

そこ歩いてたとき、髪に引っ掛かってイヤホンが取れちゃって。ワイヤレスのやつ。

すぐしゃがんでイヤホンは取ったんだけど、

その落とした場所が、路地の中腹ぐらいのとこで。

っていうのも、路地に入って真っ直ぐ進むとショートカットが出来るんだけど、

その途中にちょくちょく脇道みたいなのがあって、

でも通り過ぎるだけだからそんなに意識してなくて。

 

でもさっきイヤホンを落としちゃったから、

その時初めて「その帰り道の環境音」を聞いたんだよ。

夜の暗い脇道の向こうから、

「おい」

声が聞こえてそっち向いたらおじさんが壁向いて立ってて。

四十くらいのおじさんが、壁向いて両手で顔覆うみたいにしてて。

その人、全然こっち見ないまま、ぼそぼそした声で、

すっごい棒読みで泣き真似してたんだよ。

 

「おい おいおいおい おいおい」

 

何て言うか、発声練習とか、下手なアングラ劇団の演技みたいな、

傍目にもぎこちないって感じる、泣き声の音読っていうか。

 

「おいおいおい ああかわいそうに おいおい」

 

でもおかしいじゃん明らかに。夜の十時とかだよそれ。

そんな夜中に路地裏の脇道で、壁向いて立ってさ。

 

「おいおい おいおいおい」

 

しかもさ。

おじさんが立ってる先の、路地裏の壁って、

普通に人ん家の壁なんだよ。

カーテンは閉まってたけど窓もあって、

しかも窓がちょっと、何センチか開いてるっぽくて。

そんなとこに人が立ってたら絶対やばいのに。

なのにその家の窓の向こうから、

 

「ふ」

 

「ふ くっ ひ ふふふ」

 

明らかに、含み笑いの声が聞こえてきてて。

多分二、三人くらいの、大人の笑い声が、

あの下手な泣き真似のむこうで聞こえてたんだよ。

 

「ふふ あ はは」

 

「くく あい あ あいつさ」

 

その声が。

 

「あいつさ あれで なんとかなるっておもってんの」

 

笑いながらそういう意味のことを言ってて、

そこでやっと我に返って、すぐそこ離れたんだよね。

 

その路地裏、てっきり誰も気付いてない穴場の近道だと思ってたんだけど、

ただ誰も通らないだけだったんだって、その時初めて気付いたんだよ。

 

もう通ってないよ、流石に。

 


 

これら三つの話はすべて、全く別の時期に、全く別の方々から採集したものです。

しかし、何故これらの独立した話の舞台が、全て三重県志摩市南西部にある(あった)地域の一箇所に集まっているのか、未だ不明なままでいます。

 

(了)

 

書籍発売のおしらせ

 

8月7日から終わります

 

上の画像からリンクの遷移が可能です