再び穴を開ける

やはりもう一度やらなければいけない。立ち向かわなくてはいけない。

穴は開いたが内側まで届いてはいないし、もう少し大きく開けたほうがいいと思う。

 

最初に穴を開けたときから1年が経った。その間に引っ越したり仕事を辞めたりといろいろあった。ついぞ革靴を履くことはなかった。だから今度こそちゃんと穴を開ける。革靴と私のために。

 

やるしかない。新しい部屋だ。

 

革靴に穴を開ける。1年前の感覚を思い出しながら革靴をひっかく。無傷の表面に爪がつるつると滑る。左手で押さえて右人差し指をあてがう。

 

1年前の経験で親指が一番力をかけやすいことがわかった。爪を立てて前後に動かす。すずりに炭をするみたいだ。ゆっくりと爪が革に沈んでいく。

 

革が柔らかくなった。染色が剥がれて指が黒ずんできた。もう一息だ。

 

革靴の染色が剥がれてもう少しのところまで来た。ここからが鬼門だ。

前回はここから進めずハサミを使ってしまった。革を貫くためには爪以上に鋭く硬いものがなかったからだ。だけど、ある。まだ人間の体には爪より硬いものが。

 

歯だ。

ハンバーガーを食べるように両手で持ってかじりつく。

 

せっかくだからと味わってみる。誰かの靴を舐めることは屈辱的なモチーフとして描かれている。革靴を今まで舐めた経験はなかった。

革靴はしょっぱくて渋く、舌先が何か張り付いたように平坦な感覚になる。絶対体には良くないしお腹を壊す味だった。今後の人生で靴を舐めるか否かの選択を迫られたときは「でも変な味するからな」と頭によぎるだろう。

 

歯を立てる。前歯で革を少しずつ噛んでプツプツと噛み切っていく。

そしてその切れ目に歯を引っ掛けて……

 

ちぎる!

 

革靴に穴が開いた。唾液でふやけて破れやすくなっている。自分の力で開けることができた。困難に立ち向かったときは知恵と工夫が大事なのだと思う。もう少し穴を大きくしたい。

 

いけーーーっ!

 

革靴に大きな穴が開いた!

だけどまだ貫通ではない。この白い布地が曲者で、爪も歯が立たないし(ややこしいですね)、何をしてもつるつるとして手応えがない。革靴の内側にはまた革があるが、この布地がいくら擦っても突破できない。

 

だからもうナイフで切り込みを入れてしまう。前回ハサミを使ったときのような後悔はない。大切なのは思い切りの良さなのかもしれない。

 

革靴に穴が開いた! 表面から内側までのきれいな穴が開いた! 

革靴の上から靴下を履いた自分の足が見えていると安心する。足が革靴になって固定されてしまうのではなくて、私の足は私のものとしてちゃんとある。

 

できた穴に指を突っ込んでみる。

 

これは存外に気持ちがいい。革靴の上から肌をかくのがこんなに開放感あふれてすっきりするものだとは。

須賀原洋行のマンガ『気分は形而上』に、サラリーマンが革靴の上からかゆいところをかき続け、ようやく地肌に到達して本当に気持ちよさそうにしているシーンがある。私もその気持ちがわかるようになった。

硬い革靴を突破して、ようやく自分の体に触れた安心感はものすごい!

 

開いた穴から光が差し込んでいた。中敷きが光を浴びたのはこれが初めてではないか。

人生でここまで革靴に向き合ったことはない。私は馴染みがないから勝手なイメージを持ってしまっていたが、革靴は革靴として機能があるし、日常のシーンに溶け込んでくれる。

 

誰も寄せ付けないくらいつるつるで硬い革靴にも穴は開く。その事実が私を安心させる。

普段笑顔を見せない人が何かの拍子にくすりと笑ったのを見て、「この人も笑うことがあるんだ」と親しみを持つようなことがある。私にとっては革靴に開いた穴がそれで、革靴にも穴が開くんだ、誰も寄せ付けないわけではないのだ、と今後は革靴ともっと砕けた関係で付き合っていけそうである。

 

革靴の穴を見るたび安心する。こちらに微笑みかけるえくぼのようで。

 

 

とはいえ、私はこれからもこの革靴を履く。だから革靴のために簡易ながら修繕をしてあげたい。なんだか穴がこちらを睨んでいるように見えてきた。

 

革のシートを切り取って貼ってみると意外なほど馴染む。シートの境界線が若干気になるとはいえ、パッチワークのようでこれはこれでアリではないか。

 

履くと穴が開いていたとは思えないほどきれいになった。今後革靴を履く機会がいくつあるかはわからないが、そのときはこの革靴にがんばってもらう。