しばらく前、すごく子どもがほしいと思ったことがあった。
かわいがり、育み、そばにいるだけで満ち足りるような……。
しかしよく考えるとそれは子どもじゃなくて精神の依り代で、物体でよかった。
だから子どものマネキンを買った。
身長78cm、頭囲44cm、ウェスト42.5cm。2歳の子どもの背丈くらいだろうか。
ひどく不気味がられながらも持って帰るのがおっくうだったので倉庫に置きっぱなしになっていた。
直立不動で動かない。それはマネキンだから。
自分の席のとなりに置いて、たまになでたりしていたが、今は洋服掛けになっている。
顔が見えない。ビロードのマントを羽織っているようで、どこか救われるように清らかだ。
あまり会社に置いておいても周りの迷惑になるので、意を決して自宅まで持ち帰ることにした。
はじめて会社から出ることになるだろうか。
不安げにこちらを見ている(ように見える)。
エレベーターのドアが開き1階へ。
頼りない背丈がかわいらしく、子どもを持つ親はこんな気持ちなんだろうなと思う。
外に出た。駅までの道を歩く。
ステンレスの台座がひどく冷たくて、手がかじかむ。
誰も何も言わないけれど、マネキンを抱えて満員の電車に乗ると他人の目線が一気に集まるのを感じる。
自分のパーソナルスペースを確保するだけではなく、他人からこの子を守らなくては! という気持ちにさせられる。親になった気持ちだ。
気温は8℃でとても寒い。
いつもは買わないけど、自動販売機で温かい飲み物を買う。
子どもの目線からだと上段の飲み物は見えない。ぐずってこちらを見ているような気がする。
子どもはすぐに高いところに登る。
表情のないマネキンだが、だんだん輪郭が浮かび上がりこちらを見ている。
手をさしのべなくてはならない。
交通量の多い交差点に来た。
抱き上げた体が柔らかく軽く、ひどく脆く感じられる。こちらを見つめている。
公園で少し休憩し、私が身につけていたマフラーを巻いてやる。
とても似合っている。親が子どもに物をあげる気持ちは、子どもを喜ばせてあげたい気持ちが第一だが、少し自分の趣味を押し付けたいエゴも入り混じっているのではないかと思う。
私は父親がくれた製図用定規を今も使っているが、湿り気を帯びた親子愛ではなく、必要だから渡すという実利的な紐帯のようなものになっているのではないか。この子も同じ気持ちだとうれしい。
滑り台の上にいる。
ケガをしないように、尻もちをつかないように見守っている。
じっと見ている。とてもかわいい。
私のかわいい子どもを誰かに見せてあげたい。
時刻は23時を回った。最近引っ越してきた友人の家に向かう。
ピンポーン
ゴンゴンゴンッ
こんばんは〜