あなたが人生で初めて革靴を履いたのはいつだろうか。
私は大学へ入学する直前。国道沿いの紳士服チェーンで母親付き添いでスーツだの靴下だの革靴含めた一式を買い揃え、あげく必要のないタイピンも買わされて、店内の白色蛍光灯でわざとらしく光る革靴の先を眺めながら何かに納得した。イニシエーション、通過儀礼。
初めて革靴を履いたとき、くるぶしに履き口が突き刺さる感覚を覚えている。そしてつま先の中空、ぼんやりと無為で、歩くたびにかぽかぽと音を立てる。革靴を履くと私の何かを矯正されているような感じがする。
革靴を履き込んでいくと次第に革が馴染んで履きやすくなっていくらしい。だが私は靴が身体に馴染むまで革靴を履き続ける自信はなかったし、革靴を履いた記憶は数えられるくらいに少ない。入学式、成人式、就職活動、祖母が亡くなったとき。仕事でやむを得ず履くことはあったが、靴が体に馴染むまで長く履いたことはない。
革靴は私にとってなんだか不気味だ。見た目はかっこいいなと思うけども、履いていると私の体を奪われてしまうように感じる。
だから私は革靴の上から自分の足に到達したいと思った。
革靴をほじって、皮膚感覚を感じるところまで穴を開けたい。革靴に恨みがあるわけではない。革靴を履いていても下にはきちんと生身の肉体があるんだと知ることで安心できる気がする。
だから今回は革靴に穴を開ける。
穴を開ける
革靴だ。足が閉じ込められている。
革靴に穴を開けようとする。人差し指の先がこすれて熱くなる。まったく歯が立たない。指だけど。
革靴に穴を開けたい。自分の頭をかいていて、何かの拍子にずぼっと指が頭にめり込んでしまうことを想像してゾッとする。
革靴に穴を開けようとする。何か小規模な解放を求めて開ける。靴下を穿いた私の足にたどり着くために開ける。誰かと砂山の側面を片側ずつ掘り進めて、中で互いの指先が触れるような、そんな驚きと気恥ずかしさが欲しくて開ける。
革靴に穴は開かない。意外と頑丈で、やはり動物の皮は人間の皮膚よりも丈夫なんだなと思う。
革靴にはうっすらと筋ができたような気がする。
硬い。ひたすらに。革靴を履くことはあっても、表面だけをこんなに触り続けたことはない。革はまだ誰も寄せ付けないくらい硬くてひんやりしている。
革靴に穴を開けたいから一生懸命ひっかく。この感覚はなんだろう。なんだか懐かしい気がする。
そうだ。これは買ったばかりの野球のグローブを柔らかくするのに少し似ている。小学校のときに赤色のグローブを買ってもらったのがうれしくて家にいるときはずっと揉んでいた。車で出かけるときも揉んでいたし、お風呂の湿気で柔らかくなるかもとお風呂で揉むこともあった。
革靴は誰も揉んでいないしお風呂に持ち込むこともない。まあそれは形が崩れるからか。
爪を擦り付けるようにひっかくと、幾度の反復で細い筋ができた。
テカテカで硬くて寄る辺ない革靴の表面に文字通り爪痕を残すことができた。登山家が山を登る足がかりとして打ち込むくさびのようだ。この爪痕を起点としてどんどん内側に向けて掘り進めていく。
革靴に穴を開けたい。親指のほうが力が入る。指を縦にしてピザを切るかのようにギコギコと前後に動かす。指が道具になったようだ。
爪が染料で黒くなってしまった。動物の革ってもともと黒いわけじゃなくて染色されているんだなと思う。インクが揮発するときのツンとしたにおいがする。革靴にもにおいってあるんだ。
指でひっかき続けている部分の光沢が失われてきていて、ハリとかツヤ、それは革靴の絶対的なるものではないことを知る。
革は何度もこするうちに柔らかくなってきている。
解放がだんだんと近づいている。
革靴に穴を開けられる気がしてきた。
革靴を履いているとき爪先があまりにも無感覚で、ゴミ箱を蹴飛ばしてしまったことがある。がらんごろんと音を立てて転がるゴミ箱、誰かの捨てたプラスチックカップに入った飲みさしが飛び散ったが、水滴は染み込まず革靴の表面に丸く張り付いていた。
並べてみると爪でひっかいたところがわかるくらいになっている。
ところで私が買った革靴はこれで3足目になる。
1足目は地元のスーツ屋で買った黒い靴。履き口が歩くたびかかとにめり込んで痛かった。大学の入学式では絆創膏を貼っていた。その靴は友人の家に泊まったときにそのまま忘れて帰り、汚くなって捨てられたようだ。
2回目は就職面接を受けるために急ごしらえで買った茶色の靴。自由な服装でと書いてあったので私服にスニーカーで行こうとしたらそれはまずいぞと教えてもらい、面接を受ける会社近くの店で買った(面接は受かった)。1足目は黒だったからそのときは茶色にしたんだと思う。結局その面接で30分ほど履いただけでどこかに置き忘れてなくなった。9800円。値段を覚えている。
3回目は穴を開けているこの靴。硬い革をほじくって私の足に届いたらとてもとても気持ちがいい気がする。革靴に恨みがあるわけではない。物を粗末にするわけじゃない。硬い表面を指でひっかいて穴を開けることができたのなら、もっと革靴のことを理解できると思う。
夜明け前だ。3時くらい。新聞配達のバイクが通り過ぎる。
もし足がかゆくなっても革靴の上からでは掻けない。そういうもどかしさがある。それはスニーカーでも同じことなのだが、こと革靴に関してはあのすべすべした質感が感覚を拒絶するような寄る辺なさがあるのだ。私はそのベールを剥がしにかかっている。
立ち上がる。履き心地に変化はない。腰を伸ばしてまた椅子に座る。
新しいほじくり方を発明した。親指でホールドしてその他の指でワシワシとひっかく。もう革はだいぶ柔らかくなっているのでもう一息だ。
外もだいぶ明るくなってきた。疲れてきている。目がしぱしぱする。
革靴に穴が開きそうだ。こすり続けているうちに表面が剥がれてぽろぽろと床に落ちる。黒じゃなくて青緑色をしているんだ。もう少し。
もう少しなのにここからどうにもならない。革が柔らかくなったばかりに、内布の上を滑るので手応えがなくなってきている。
やむを得ない。
指がダメなら道具を使うしかない。これは冒涜ではなく、私が私の殻を打ち破るために必要なことである。
せっかくなら道具を使わずに自力で穴を開けたいという気持ちがあったが、もう頼らざるを得ない。気持ちが折れそうになる。
穴は開いた。小さいけど。
両足を並べてみると穴が開いたのがわかる(→)。虫に喰われたように明らかに損傷している。
窓から朝が来た。
靴を履いて外に出た。
穴が開いてもやはり革靴然としている。穴を開けたのに革靴は革靴だ。惜しむらくはハサミを使ってしまったこと、そして貫通はできていないことだ。靴下にはたどりついていない。
だけど不思議な達成感がある。時間をかけたから。爪先が真っ黒になったから。
私はよくやったと思っていた。
だが、それでいいのか?