これは、ある家の間取りである。
あなたはこの家の異常さがわかるだろうか。
おそらく、一見しただけではごくありふれた民家に見えるだろう。
しかし、注意深くすみずみまで見ると、家中そこかしこに奇妙な違和感が存在することに気づく。
その違和感が重なり、やがて一つの事実に結びつく。
それはあまりに恐ろしく、決して信じたくない事実である。
1.知人からの連絡
九月某日、知人のYさんから
「相談したいことがある」という連絡が来た。
雨穴:なるほど。なぜ作ったんでしょうか?
Kさん:もしかして、最初はここを収納スペースかなにかにする予定だったんじゃないですかね?
Kさん:たとえばリビング側に扉を作ればクローゼットとして使えるし、台所側に作れば食器棚になる。
だけど途中で気が変わったか、費用が足りなくなったかで扉を取り付ける前に断念した。
雨穴:そうか。その時にはすでに工事が進んでいて間取りを変更することができず「無の空間」が残された、と。
Kさん:そう考えるのが自然ですね。
雨穴:なるほど!じゃあオカルト的な話ではないんですね。
Kさん:そうですね。ただ……
雨穴:え?
Kさん:あの、ちなみにこの家って誰が建てたんですか?
雨穴:前の住人です。30代の男性で、奥さんと子供が一人いたそうです。
Kさん:仕事は何をされてたかわかりますか?
雨穴:いやあ、そこまではちょっと…。何か気になります?
Kさん:いや、最初にこの間取りを見たときにね、ずいぶん変な家だなって思ったんですよ。
雨穴:そうですか?謎の空間以外、特に気にならなかったんですが…。
Kさん:私が変だと思ったのは二階の間取りなんです。
雨穴:二階…?
Kさん:子供部屋を見てください。何か気づきませんか?
雨穴:うーん…あれ?
雨穴:ドアが二つある。二重扉…?
Kさん:そう。それにドアの位置もおかしいんです。
Kさん:たとえば階段で二階に来て子供部屋に入るには、かなり遠回りしないといけない。
Kさん:廊下に一つドアをつければすむのに、なんでこんな面倒くさい設計にしたんでしょうか。
雨穴:たしかに変ですね。
Kさん:それにこの部屋、窓が一つもないんですよ。
雨穴:ほんとだ。
Kさん:中部屋だからエアコンも取り付けられないし、日当たりも悪いしで生活環境はよくないでしょうね。
雨穴:あ、今気付いたんですがこのトイレ、子供部屋からしか入れないですね。
Kさん:おそらく子供専用でしょうね。ちなみにこのトイレにも窓がありません。
雨穴:窓がない二重扉のトイレ付きの部屋。なんか独房みたいですね。
Kさん:「過保護」と言うには行きすぎてる。子供を徹底的に管理下に置きたいという意思を感じます。
そして、おそらく誰にも子供を見せたくなかった。
Kさん:すべての部屋が子供部屋を囲うように配置されています。こうまでして子供を外から見せたくなかったのか…と。
雨穴:うーん…。
雨穴:ところで子供部屋とドアでつながっている部屋は…
Kさん:おそらく夫婦の寝室でしょうね。ダブルベッドがありますし。この部屋は開放的ですね。窓も多いし。
━━━私は「明るくて開放的な内装」というYさんの言葉を思い出した。
Kさん:ただ、この部屋も少し気になることがあるんです。
Kさん:ここにシャワー室があるということは隣の洋室は脱衣所を兼ねてると思うんですが、そうすると寝室から脱衣所が丸見えなんですよね。
雨穴:そういえば部屋の境にドアがないですね。
Kさん:いくら夫婦とはいえ、風呂上がりの姿はあまり見られたくないじゃないですか。
なんというか、ずいぶん『仲のいい』夫婦だったんだろうなと。そんな『仲のいい』夫婦と『隔離された子供』っていうアンバランスさがなんか不気味で…。
まあ、考えすぎかもしれませんが。
雨穴:なるほど…あれ?
雨穴:シャワー室とは別に浴室がある。これって珍しくないですか?
Kさん:ないことはないですが、あまり見ないですね。そういえばこの浴室にも窓がないんですよ。シャワー室には大きな窓があるのに。
雨穴:たしかに…。変な間取りですね。そうするとどうでしょう。この家は買わない方がいいですか?
Kさん:まあ、間取りだけではなんとも言えませんが、私だったら買わないですね。
雨穴:そうですか…。
━━━私はKさんに礼を言い電話を切った。
間取り図を見る。
言われてみれば不思議な家だ。
想像を巡らす。
部屋から出られない子供。
ダブルベッドで眠る両親。
一階と二階を見比べる。
一階だけなら普通の家だ。謎の空間があることをのぞけば。
謎の空間。
作られなかった収納スペース…。
本当にそうか?
そのとき、ある憶測が頭に浮かんだ。あまりにばかばかしい憶測。でも…
二枚の間取り図を重ねてみる。
これは…
偶然だろうか?それとも…
3.謎の空間
私は再びKさんに電話をかけた。
雨穴:もしもし、Kさん。たびたびすみません。
Kさん:いえいえ、なにか気づきました?
雨穴:あの、やっぱり一階の空間のことが気になって、もしかして二階と何か関係があるんじゃないかと思ったんです。
それで一階と二階の間取り図を重ねてみたんですが…
雨穴:一階の空間が、子供部屋と浴室の角にぴったり重なるんですよ。まるで二つの部屋を橋渡ししてるみたいに。
Kさん:ああ、たしかに…
雨穴:それで…まあ、これは素人のばかげた考えだとは思うんですけど、もしかして一階の空間って…通路なんじゃないでしょうか?
Kさん:通路?
雨穴:たとえばですよ。
雨穴:子供部屋と浴室の床に、一階につながる抜け穴があったとします。
雨穴:二つの抜け穴は一階の空間に続いている。
雨穴:すると空間を通って子供部屋と浴室を行き来できると思うんです。
両親は外から子供を見せたくなかった。これなら誰にも見られずに子供を風呂に入れることができる。
そして子供部屋の棚は、この家を売るときに抜け穴を隠すために置いたんじゃないかと…思ったんですが…どうでしょうか…?
Kさん:うーん…まあ、面白い考えではあると思いますけど…。
雨穴:考えすぎですか…
Kさん:わざわざそこまでするかな…とは思いますね。
雨穴:まあ、そうですよね。すみません。なんか突然思いついてしまったもので…。今のは忘れてください。
━━━私は急に恥ずかしくなった。なにを子供の妄想みたいなことを真剣にしゃべってしまったんだ。
話を切り上げようとしたその時、電話の向こうでKさんがなにやらつぶやくのが聞こえた。
Kさん:…通路…いや、待てよ。もしそうだとするとこの部屋は…。
雨穴:え?どうかしました?
Kさん:いえ、今の話を聞いてちょっとね…。
ところで雨穴さん。この家の前の持ち主には奥さんと子供が一人いたんですよね。
雨穴:はい
Kさん:両親は二階の寝室で寝る。子供は子供部屋で寝る。
Kさん:だとすると一階にあるこの寝室は誰のものなんでしょうか。
雨穴:うーん…家に来たお客さんを泊まるための部屋とか?
Kさん:まあ、そんなところでしょう。誰かはわからないですが少なくともこの家には頻繁に来客があったと考えられます。客、窓のない子供部屋、浴室、そこにさっきの「通路」の話を合わせると、一つのストーリーが見えてくるんです。
雨穴:ストーリー?
Kさん:まあ、それこそばかげた考えだと思うんですけど、私の妄想だと思って聞いてください。
Kさんは物語を語るように話し出した。
4.妄想
Kさん:かつてこの家に住んでいたのは夫婦と子供一人。
子供はある目的のために子供部屋に閉じ込められていた。
夫婦はたびたび家に客を招く。どういった関係かはわからないが、それなりに社会的地位のある人。たとえば、会社の重役、中小企業の社長。
リビングで雑談をし、ダイニングで夕食をふるまう。
夫が客に酒を勧める。上機嫌の客。すっかり酔っ払った客に妻はこう言う。
「今晩は泊っていかれたらどうですか?そこにベッドルームもありますし」
「お風呂も沸いてますから、どうぞ」
客は二階の窓のない浴室に案内される。
客が風呂に入ったことを確認すると、妻は子供部屋に合図を送る。
子供はあるものを持って床の抜け穴から一階の通路を通り、風呂場に侵入する。そして…
刃物を客の背中に突き立てる。
雨穴:は!?え!?なんでそんな話に…?
Kさん:まあまあ、これはあくまで私の妄想ですから。
Kさん:裸で丸腰、酔いが回って朦朧とした客はなんのことかわからず、抵抗もできない。子供は何度も何度も客の背中に刃物をうちこむ。大量の血が流れる。やがて客は何も理解できないまま床に倒れ、息絶える。
それを確認した夫はどこかに電話をかけ、「仕事」が無事終わったことを報告する。
つまりこの家はごく一般的な民家に見せかけた、殺し屋の仕事場である。そういう仮説が成り立つんです。
雨穴:……殺し屋……って………
Kさん:もし現代の日本に殺し屋がいたとしたら、こういう形で我々の身近に平然と暮らしているかもしれない。どうでしょう?
雨穴:いや…どう?って言われても…。
Kさん:まあ、あくまで私の妄想ですよ。こう考えたら面白いよねってだけの話です。
━━━子供を利用して人を殺す夫婦。そのために育てられた子供。面白いわけがない。
Kさん:ところでさっき、抜け穴を隠すために棚を置いたっていう話が出ましたが、子供部屋にはもう一つ棚がありますよね。
Kさん:とすると、この棚の下にも抜け穴があると考えられませんか?
雨穴:まあ…。
Kさん:抜け穴の先はどこになるでしょう。
雨穴:物置…?
Kさん:物置ですか。それなら、この家には死体処理のためのルートも存在していると言えますね。
雨穴:え?
Kさん:さっきの話に戻ります。
死体を風呂場に置いておくわけにはいかない。
外から見られずに処理する必要がある。
そこで、ふたたび抜け穴を使うんです。抜け穴を通して死体を運ぶ。
でも穴が小さすぎて大人の体は入らない。そこで夫婦はノコギリか何かで死体を細かく切断する。
ちょうど抜け穴に入るくらいの、そして子供が運べるくらいの大きさに。
雨穴:……!?
Kさん:夫婦はバラバラにした死体を浴室の抜け穴に投げ込む。子供はそれを一つずつ、何時間もかけて自分の部屋に運び、そしてもう一つの抜け穴に落としていく。こうして死体は浴室から物置に輸送されるわけです。
Kさん:夫婦はそれを、車庫にとめてあったであろう車のトランクに詰め込む。
そしてそのまま、近くの山か林に捨てに行く。
━━━駅から近いわりに近隣に自然が多い、というのがこの家の売りだった。
Kさん:この一連の出来事はすべて窓がない部屋で行われることになります。つまり、外から一切見られることなく殺人が遂行されるわけです。昼でも夜でも、年中いつだって人を殺せる。どう思いますか?
━━━Kさんの独擅場でほとんど何も言えずにいたが、ここでずっと感じていた疑問をKさんにぶつけてみることにした。
雨穴:あの、仮に今までの話が全部本当だったとして…どうしてここまで凝った仕掛けをする必要があるんでしょうか?
外から見られずに人を殺したいなら、家中のカーテンを閉めればいいだけなのでは…?
Kさん:そう、そこなんです。普通、人は家で見られたくないことをするときにカーテンを締める。殺人ともなればなおさらです。
逆に、カーテンを開け放した家の中で殺人が行われてるとは誰も思わない。
雨穴:心理トリックってやつですか?
Kさん:そうです。間取りを見てください。この家はやけに窓が多いんです。
Kさん:台所なんて三か所も。まるで外から「見てください」と言わんばかりに。
それは決して見られてはいけない部屋を隠すためのカモフラージュだと思うんですよね。
━━━よく次から次へともっともらしいことを言えるものだ。私は彼の饒舌に挑戦するつもりでこんな質問した。
雨穴:死体処理の話についてなんですけど、そもそも物置の真上に浴室を作ったら死体を運ぶ手間がだいぶはぶけると思うんですが、どうしてそうしなかったんでしょうか?
Kさん:そうですね。
Kさん:玄関と車庫の向きを考えると、この家は二辺が道路に面しているんじゃないでしょうか。
Kさん:すると浴室は家の一番奥に位置することになる。
獲物を奥に追いつめるのはハンターの心理として当然です。
雨穴:そういうものですか…。
Kさんとの電話を終え、私はしばらくぼんやりしていた。
Kさんの話が本当だったら…どうする?
警察に届け出るか?
まさか。まともに取り合ってもらえるわけがない。
だいたい、殺し屋一家が作った殺人屋敷なんて現実離れした話、大の大人がなにを真剣に話していたんだ。Kさんは最初から私をからかうつもりだったのかもしれない。彼も言っていたが、ばかばかしい妄想だ。
もう考えるのはよそう。夕食の支度でもしようかと思ったその時、
電話が鳴った。
5.終幕
雨穴:もしもし
━━━どうも、Yです!
雨穴:あ、Yさん!お久しぶりです。実は今さっきまで設計士のKさんと話してたんですよ。それでね、ちょっと笑っちゃうんですけど、Kさんが言うにはあの家は…
Yさん:あー、実はそれについてちょっと…雨穴さんに謝らなきゃいけないことがあって。あの家、結局買うのやめたんです。
雨穴:え!?どうして?
Yさん:雨穴さんもご存じだと思いますけど…。あんなことがあったらねえ。
雨穴:あんなこと?
Yさん:あれ?今朝のニュース見てないですか。なんか、あの家の近くの雑木林でバラバラ死体が見つかったらしくて。
雨穴:……!?
Yさん:それで人づてに聞いたんですが、被害者が以前あの家に泊ったことがあるとかないとか。まあ、事件には関係ないとは思いますけど、なんか気持ち悪いじゃないですか。それで今日、断ってきたんです。で、Kさんはなんておっしゃってたんですか?
雨穴:え……と。ああ、いや………………特になにも…。
Yさん:そうですか。
雨穴:あの、ところでちょっとお聞きしたいんですけど、あの家の前の持ち主って…今どこに住んでるかとか分かりますか?
Yさん:ああ、この前不動産屋に聞いたんですけどね、売買の契約が終わった途端に連絡がとれなくなっちゃったらしいんですよ。
雨穴:そう…ですか
Yさん:面倒かけちゃって本当すいません。じゃ、また今度飯でも!
Yさんは元気よく電話を切った。
彼が買うのをやめた以上、もうあの家は私になんの関係もない。
忘れよう。追究したってしかたない。
私は二枚の間取り図を入念に丸めてゴミ箱に捨てた。
おわり
追記
この記事は公開後、思わぬ反響を呼び、読者の方から「この家を知っている」「こういう家に住んでいたことがある」という意見が複数寄せられた。
もちろんこれらはシャレ・悪ノリとして受け取った。ネットで記事が話題になると、こういう遊びをする人が必ず何人かは出てくる。本気で取り合うことではない。
ただ、その中に一つだけ、どうも冗談とは思えない、不気味なメッセージがあった。
送り主の許可を取り、以下に全文を記載する。
いたずらにしては、フルネームと電話番号まで書き添えてあり丁寧すぎる。
このままにしておくには、なんとなく気味が悪く、ひとまず送り主の宮江さんと連絡を取ることにした。
数回、メールのやりとりをした結果、以下のことがわかった。
・宮江さんは埼玉県在住の会社員。
・彼女は、あの家に関して、あることを知っている。
・それを私に伝えたいが、込み入った話なので、直接会って話したいと考えている。
正直、直接会うことに不安はあった。メールだけでは宮江さんがどんな人物なのか判断できないし、「あの家に関してあることを知っている」なんて、あまりにも怪しい。
しかし、そんなリスクを冒してまでも、彼女に会ってみたい、という気持ちが抑えきれなかった。記事を書いたあとも、私はあの家のことが気になってしまい、捨てた間取り図をゴミ箱から拾い出して、暇があれば眺めて色々考えていたのだ。
あの家のことをもっと知りたい。彼女に会うことで少しでも情報が得られるなら……
私は覚悟を決め、宮江さんと会う約束をした。
……それ以降の出来事は、以下の書籍で、その全貌を記した。
ご興味があれば、ぜひ読んでいただきたい。