六月某日、私はいつものようにトイレを使用していた。
ウォシュレットはやっぱり素晴らしい。
尻を拭くのがめんどくさいから水で洗っちまおう、といういたってシンプルな発想が生み出した奇跡の代物だ。
1960年代に初めて日本で販売されて以来、幾度とない進化を遂げながらここまで普及してきたウォシュレット。
私は、もうこれなしでは生きていけないかもしれない。
そしてなにより…
彼女だ。
ビデ。彼女が素晴らしい。
漆黒の体で、下方から強い水の噴射を受け、宙を舞っているこの女性にあなたは注目したことがあっただろうか?
「このボタンを押すと、あなたのデリケートゾーンを洗う機能が作動します」ということを表すためだけに、自らのデリケートゾーンを生涯洗われ続けているのだ。
彼女こそがトイレ界の「姫」であるはずなのに、なんということか!
「チョロチョロ…」という音を流すあの機械に「姫」の称号の座を奪われている現実。
しかし私はずっと昔から一途に、このビデ様を女性のシンボルとして崇め続けていた。
ウォシュレットを愛する私は、ファンとしてビデ様を追いかけ続けた。
ビデ様のような強い女性になりたい。そう願いながら毎日過ごしていた。
名前が「ビデ」に似てるという理由で、クラスが同じだったヒデ君に恋をしたりもした。
「あなたがおしり機能で、私がビデ機能。いつも隣にいてください」
フラれた。
身の回りにビデ様がいないと、不安で仕方がなかった。
トイレでしか会えないなんて嫌だ、ビデ様ががんばっていることをいつも忘れたくない。
砂浜にビデ様を描いては、波に消されていくのを見て涙したあの日。
そしてそれにうまく答えられなかった自分に嫌気がさして、一日中ウォシュレットに向かって土下座していたあの日。
私はいつだってビデ様中心の生活を送っていた。心はすべてビデ様のものだった。
最近の愛読書はもっぱら、今話題の「ビデ様、ムーブ辞めるってよ」である。
あまり使われることのなかったムーブ機能に嫌気がさしたビデは、ムーブすることを辞めてしまう。
利用者からの「なかったらなかったで寂しい!」という叫びに、ビデは…?
定価1010円。(TOTOにかかっててうまいですね)
待ち受けだってもちろんビデ様だ。
ツイッターで「この画像RTするといいウォシュレットに出会えるんだって!」というツイートと共にこの画像が回ってきたら、その発信源は私だ。
今もビデ様は、デリケートゾーンに強い水を浴び続けているのだと思うと、「私もがんばらなくっちゃ!」といつも思えた。
やがて、その愛はおかしな方向へ屈折してゆく。
そして徐々に梅雨に入り始め、枝豆がおいしい季節になってきたその日、私は決心する。
「ビデ様になろう」
…――――そして。
なった。
ビデで~す!
体が黒くなり、ビデ様に格段に近づいた自分。
いつも死んでいたその目は夢と希望に満ち溢れ、やけになんかすごい輝いていた。
でも明らかに足りないものがある。
この、下から噴き出す水だ。
ビデ様を完全に再現したいのであれば、噴き出す水も黒くなければならなかった。
…石油?
私は、油田から湧き上っている石油を尻に浴びるしかないと思った。
どうすればいいんだ…。真のビデ様になるために思考を巡らせる。
黒くて…噴き出す水…?
ねっ?
さよなら、高校生としてのアタシ。
アタシは、今から二代目ビデ様になります。
プシューーーーーーー!!
完全に一致!
…みんな。私、ビデ様になったよ。
小さい頃は、動物園の飼育員さんとかになりたかったけど、予想だにしなかったビデ様になったよ。
こうして私は、突如として全国のビデ様の座を奪っていった。
「私こそがビデ様だ」
―――しかし、そんな幸せもつかの間、3年の月日が経ったある日。
コーラが尽き、ウォシュレットとしての役目を終えてしまった。
下から噴射する水がなければビデ様でいることはできない。
―――生半可な憧れだけじゃ、一人前のビデ様になんてなれないんだ。
そう、悟った。
もう普通の女には戻れないところまで来てしまっていた私は、死を選択するほかなかった。