こんにちは!ここには猫好きしかいません。

総体としての猫ちゃんがかわいいのはもちろんですが猫の個別パーツのかわいさについて論じられたことは実はあまりありません。今日は猫の個別パーツについて超偏愛していこうと思います。

 

 

第6肉球

比較的ポピュラーな癖(へき)である肉球から始めましょう。

今回は、一般的な中央第0球から手指第5球までは述べません。これら勉強不足と思えば各自肉球概論に目を通しておいてください。それでは目線を下にうつしていってください。

そう第6球に気づきましたか?第6球は前足だけに存在します。これは試験にだすので覚えておいてくださいね。さわり心地は第0球のように柔らかくなく触り心地は豆餅のマメのようです。ちょっち硬ぇ。しつこく触ると嫌がります。

 

 

ヒゲ

美はどこから来るのか?数多ある回答のひとつは、規則正しいということです。幾何学的な美しさと言い換えてもいいでしょう。

猫ちゃんの口元を御覧なさい。そこにありますね幾何学的な美。さながらコンバインによる田植え、互いに直交するように並べられたヒゲの穴は、九九が覚えられない小学生の強い味方になるでしょう。

 

美はどこから来るのか?数多ある回答のもうひとつは、その美が失われるときの美しさです。背徳の美と言い換えてもいいでしょう。

その多連装のロケットランチャーのようなヒゲ穴から自然に抜け落ちた「ひげ」は偏愛家のみなさんは当然コレクションしているものですが、自分の手の甲とかに植えてみたことはあるでしょうか?もしまだならば、あまりに鋭く甘美な痛みに打ち震えることでしょう。

というか猫ちゃんはこんなワイヤーみたいなの口元に刺さってて痛くないの?

 

 

 

顎の薄毛

一般的に猫毛の魔力はその手触りや毛並みとされますが、偏愛者ほど薄毛の部分に魅力を感じるといいます。それはたとえば、金が鉄より高価な理由と同じでその希少さゆえなのです。薄毛が故に価値があるのです。

薄毛地帯は耳や鼻などが有名なのですが、近年、増加傾向のあるライト層によってその環境が脅かされており、偏愛家は保護を訴えている現状があります。その彼らが最後の薄毛地帯と呼び信仰の対象としているのが、です。

顎の薄毛地帯の魅力は、うっすら色づく桜色の大地。そこから北に目を向けたときに入る、ジブラルタル海峡の両岸にかつて建っていた大理石の白柱のような歯牙。機会に恵まれ、その顎にカツオ節の舞い散る様が見られれば、寿命が七年伸びると言われております。

 

 

 

微小耳

猫パーツフェチズムの門戸を大きく押し開いたのはアニメ・マンガなどのメディアによる擬人化・ケモ化表現であるのは論をまたないでしょう。その是非については今回は論じませんが、その急速な発展とともに失われてしまった偏愛があるのではないでしょうか?

そのひとつが微小耳です。猫耳の一般大衆化の陰で、繊細表現よりポップな記号化が好まれる昨今、微小耳は鳴りを潜めてしまいました。ああこれが大量消費社会か!

お近くに猫ちゃんがおりましたら、これほどまでに持て囃される猫耳の少し後ろ側に回って精神を落ち着けてください。ちっちゃい耳がついてますでしょう?カワイー。

 

 

 

断崖の襟足

これは飼い猫にだけ、認められた特権なのかもしれません。天竺を目指した孫悟空のその額の環と同じく、凶暴性を封じる首輪はもちろんその毛流にも秩序を与えています。

その首輪から解き放たれた猫の首のたくましさを人は忘れてしまっているのです。御覧なさい、海原雄山のようなたくましい襟足を。

猫は決して家畜化されたわけではないのです、飼いならされているのは彼らか我々かどちらなのか。

 

 

 

憂いなる眉間の陰(シャドウ・パーフェクター)

かつて青色の顔料は貴重でした。そのため画家は好んでこの言い伝えを話したそうです。神様が世界を作るときに海や空に青色を使いすぎてしまったからあまり青色は残っていないのだとか。

さて、猫の眉間を見つめたことはありますか。猫の憂いがすべてそこに詰まっているとそう思いませんか?偏愛家は好んでこのたとえ話をします。猫の眉間には憂いの思い(カリカリが半生タイプだとか)が凝縮している。そのため猫のほとんどはかわいさにあふれているのです。

 

 

 

残骸(エクリプス)

かつてあり、今あり、この先にあらん、エジプトの王の墓碑にはその王の存在を永遠にせんがためにこのように刻まれていたといいます。一方、エジプトの王の御者であり神聖な存在である、猫はどうでしょうか。

偏愛家は、もはや猫の実体など見てはいないのです。魂の形を見てるといってもいいでしょう。そこに猫がいたな感、それだけが唯一我々を時間旅行に連れて行くのです。かの量子物理学の嚆矢、エルヴィーン・シュレーディンガーはいいます。

猫がいた形跡というのは空間に残された形跡ではない。時間に残された形跡なのだ