底冷えのする冬の日、僕は考えていた。何をって、パンスト相撲についてだ。

パンティストッキングを頭にかぶった人間同士が、互いに引っ張り合って先に脱げたほうを負けとするゲーム、それがパンスト相撲。その間抜けなさまやパンストによって歪められた滑稽な表情を見て楽しむ、「面白い」レクリエーションのひとつである。

 

しかしパンスト相撲とはその実、パンティストッキングによって面白く「させられている」に過ぎない。パンスト相撲は面白いが、それは我々の、人間の手柄ではないのである。

人間が本来持ち得る面白さをパンストによって上書きし、画一的な面白さを再生産するだけの「手順」……現代のパンスト相撲はそのように評さざるを得ない。パンスト相撲というものを最初に考案した人は確かに称賛に値するが、今行われているパンスト相撲はそんな太古の発明のコピー&ペーストでしかないのだ。いつまで安易な模倣を繰り返す? そして何より、パンストなどというちょっとばかし伸縮性に富んだ布に人間の面白さが負けるようなことがあっていいのか? いいわけがない! だから僕は立ち上がることにした。

 

「というわけで、僕が考えた『真のパンスト相撲』にお付き合いいただきたいのです」

「なるほどね」

 

「それで、これはどういうことかな?」

「ご説明します」

 

「僕たちは互いにマネキンの首を持ち、それにパンストをかぶせて引っ張り合います。それで先にパンストが脱げてしまったほうが負け。その点では従来のパンスト相撲と同じです」

「しかし当然ながら、マネキンにパンストをかぶせて引っ張っても面白い表情は生まれません。そこで……」

 

僕たち自身が『面白い顔』をするんです。自らの意思と表情筋をもって、パンストなんかに頼らずにね」

「そうすることで初めて、僕たちは本当に面白くパンスト相撲をできると思うんです。ご理解いただけましたか」

「…………」

 

「とりあえず1回やってみようか」

「話が早くて助かります」

 

「準備はよろしいですね? 早速始めましょうか。人類がより面白く、自由になるための『真のパンスト相撲』を……」

 

それでは……

 

用意……

 

スタート!!!

 

みげみげみげみげみげみげみげ!!!!!!!

 

ざぽざぽざぽざぽざぽざぽざぽ!!!!!!!

 

らかぼし!らかぼし!らかぼし!らかぷし!らかえった!らかぼし!らかぼし!らかぼし!!!!!!!!!!!!!!!

 

ひゃんちゃん!ひゃんちゃん!ひゃんちゃら!ひゃんちゃん?ひゃんちゃん!ひゃんちゃーん!!!!!!

 

グギャゴネツェベルソヘアラルーッンッタッタキシワタベホヌミンネハロヒリポッパーグイットキワナヒシヨペアブラーーーーッッッッ!!!!!!!

 

ヨバイルゴネザワイゼンカントメキネシヒキロッパッッットゲゲノムミナホネシプルルルトンペノクオーイカズレギシンーーーーッッッッ!!!!!!!

 

キャキャロケクワマシロンポリスマナヴァイゴーン阿艘伽伯甜麺陸運局ノーユアマンダレオクサケラシスタブンゴザイニナニネネノハロゴンドヨンオオドオリロビンサクニャマシツカイリンペノケ!!!!!!!

 

「本当にこれで満足かい?」

「えっ?」

 

 

 

 

「……どういうことですか?」

「いや、ちょっと疑問に思ってね」

 

「確かに変顔は面白い。今日びパンスト相撲を真剣に取り沙汰する着眼点も悪くはないさ。でも君は、本当にこれを面白いと思っているのか?」

「いや、パンスト相撲を面白くするには、これが思いついた中で最良の方法かと……」

「それは企画の建前だろう? 私が問うているのは、君が本当に、心から面白いと思って『これ』をしているのかってことだよ」

 

「ある程度先鋭化した笑いがむしろ一般的な今、あえてプリミティブな笑いに大真面目に取り組むという発想は悪くない。確かにそういう視点は必要だし、そうすることで面白さの真髄に肉薄しているように思えるかもしれない。でもだからこそ、それが本当の面白さだと錯覚してほしくはないんだ。余計なお世話かもしれないがね」

「私は本当の面白さっていうのは、時代やトレンドにも、自分のアイデンティティにさえも左右されるものじゃないと思う。本当の面白さは、もっと厳粛で神聖なものなんだよ。だが、君が今やっていることはそれとはかけ離れているように見える」

 

「君がただの逆張りやスカしでこんなことをしているわけじゃないのは認めてやってもいい。君だっていろいろ考えた末にここにたどり着いたんだろう。でもここは終着点なんかじゃない。これが本当の面白さだなんて、たとえ一瞬たりとも思ってほしくはない」

「いいか、君は流れに逆らっているようで、その実誰より流されているんだ。自分でもわかってるだろう? 君は自分のいる場所を見定めて、その『位置エネルギー』を利用した面白さをやっているだけ。このままじゃメタとギャップに頼りきりの二流のユーモアでお茶を濁し続けて終わりだ」

「今の君は、自分で自分をくだらなくしているように見える。なぜそんなことをするんだい?」

 

「本当の面白さと向き合うのが怖い? それともただ怠惰なだけ?」

「……!!」

「君がパンスト相撲や変顔を本当に面白いと思っているならそれでいい。でもそうではないんだろう? ならば君は、君の本当の面白さをやるしかないんだよ」

「…………」

 

「……やります」

 

「僕の、本当の面白さを、やります……」

「……そうかい」

「無理強いしてしまったようで悪いが、楽しみにしておくよ。本当の面白さってのは良いものだからね、それがどのようなものであろうとも」

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

「考えてきたようだね、君なりの『本当の面白さ』を」

「はい」

「僕の思う、本当に面白いことは……」

 

「死が目前に迫ったおじいさんに『ふわふわ時間』を聴かせることです」

「詳しく聞かせてもらおうか」

 

「まず僕は小学5年生の男の子なんです。親が小金持ちで、都内の私鉄の急行停車駅にあるタワマンに住んでます。両親は仕事の都合で帰りが遅くて、家には基本僕ひとり。もう慣れちゃってそんなに寂しくもないんですけどね。わりと治安の良い地域なので、夜8時くらいまでは街をぶらついて暇を潰したりして。そんな小学生です。

7月の蒸し暑い夜のことでした。その日も家に親がいなくて、近所のコインランドリーに洗濯物を持って行ったんですよ。そこで、おじいさんと出会ったんです。おじいさんはランドリーにある長椅子に腰かけてましたが、今思うと洗濯機も乾燥機も1台も動いてなかったような気もします。僕が乾燥機にコインを入れて同じ長椅子に座ると、おじいさんは待ち構えていたように口を開きました。

 

『おれは、死神に魅入られている』……

曰く、この世には死神が実在する。でも死神の動きはのろすぎるから、標的のもとにたどり着くより先にその標的の寿命が尽きてしまうんです。だから死神に命を刈り取られる者はめったにいない、と。

一般的な人間の寿命であれば、まず死神に追いつかれることはありません。でもおじいさんは前世から同じ死神に目を付けられているせいで、いよいよ追いつかれそうだと言うんです。そしてその日時までわかる、今年の9月28日の夜0時きっかりにその時が訪れると、おじいさんはそう話しました。

 

いつの間にか僕たちは互いの体が触れ合うほどに近づいていました。『おれは怖い、だから』とおじいさんは言い、僕の手を取りました。『だから、その時をどう迎えればいいか、お前に決めてほしい』

温かく、力強い手でした。おじいさんの顔を近くで見てみると、老いてはいるけれど血色が良く、どこか患っているようには見えない。彼は病気か何かの比喩として死神という言葉を使っているのではなく、まさしく今語った通りの状況に置かれているのだと僕は信じました。

考えるより先に『はい』という返事が口から飛び出しました。おじいさんに気圧されたわけでも、同情したわけでもありません。なぜ自分が、とさえ思わなかった。僕はごく当然の、よくあることのようにその頼みを聞き入れました。そうさせるだけの説得力というか、何か絶対的な響きがおじいさんの言葉にはあったのです。

 

おじいさんは礼を言うでもなく、『じゃあ、またここで』と言ったきり黙りこくってしまいました。僕は僕で、その場ではおじいさんに会釈だけして、乾燥が終わった洗濯物を取り出して家に帰りました。

改めて、おじいさんの言葉について考えてみました。でも死が間近に迫った人が何を思うのか、何を望んでいるかなんて小学生にわかるわけがありません。それに実を言うと、そこまで真剣にこの問題に向き合っていたわけでもありませんでした。ちょっとしたボランティアに取り組むような、その程度の気持ちだったんです。仕方ないですよ、その時の僕には命の重さなんてわかってなかったんだから。

 

だからかもしれませんね、死について考えてたはずなのに、あのイントロのギターが頭に流れ始めたんです。パワーコードのEの音が。もう聞き間違いようもなく、『けいおん!』の劇中歌で放課後ティータイムの代表曲である『ふわふわ時間』でした。これだ、と思いました。あのおじいさんに、来たる9月28日の夜0時前、少し早い鎮魂歌としてふわふわ時間を聴かせてあげよう。それしかない。だって、ふわふわ時間は明るくて良い曲だから。暗くて良くない曲を聴かせるよりどんなにいいか。

おじいさんはふわふわ時間もけいおん!も知らないだろうし、そもそもアニメやアニソンの概念をどこまで理解しているかもわからない。でもだからこそいいんです。だって死の間際に慣れ親しんだものに触れたって、現世への執着が強まるだけじゃないですか。それなら初めての体験をしたほうがかえって恐怖をごまかせるんじゃないかと、取って付けたような理由ですがそう思ったんです。

 

おじいさんの最期にふわふわ時間を聴かせてあげることは決まりましたが、スマホから音源を流すだけじゃあまりに味気ないですよね。人生の終幕を飾るにふさわしい、特別な音楽体験でなければなりません。でもこればっかりは僕ひとりじゃどうしようもない。まさか放課後ティータイムを呼んで生演奏してもらうわけにもいかないし。そこで、よく行く喫茶店のお姉さんに相談してみることにしました。

うちの近くの商店街に昔ながらの喫茶店があって、お姉さんはそこのバイトでした。親がいない日によくご飯を食べに行ってたので顔見知りだったんです。僕を気にかけてくれてたのか、いろいろ話しかけてくれて。僕もお姉さんに会うために喫茶店に通ってたようなところはありましたよ、そりゃあ。

ともかく、お姉さんに例の件について話してみたんです。家族や先生に相談するようなことじゃないし、同級生に話してもしょうがないですから。僕の話を聞き終わったお姉さんは困ったように『何それ』と言いましたが、疑っている風ではありませんでした。僕も不思議と、こんな話信じてもらえないとは全然思わなかったんですよね。

 

『群馬のほうに、小屋があるんだけど』とお姉さんは言いました。群馬県の人里離れた平原に、1軒の小屋が建っていると。『そこなら大きい音で音楽流せるよ。周りに誰もいないし』

山々に囲まれた静かな平原、満点の星空が広がるその下の小屋で、この世を去りゆく老人のために大音量でふわふわ時間が流れる。それは実に素晴らしく、意味のあることのように思えました。僕はお姉さんに、9月27日──おじいさんの死の前日──に自分とおじいさんを車でその小屋に連れて行ってくれるようお願いしました。

喫茶店を飛び出してコインランドリーに向かい、さっそくおじいさんにその計画を話して聞かせました。でも、ふわふわ時間という曲名だけは伏せておくことにしました。そこは当日のサプライズにしたかったんです。僕の話を聞いたおじいさんは『すまないね』と言い、やはりそれきり一言も発しませんでしたが、顔つきにはどこか満ち足りたような、覚悟が決まったような色が見えた気がしました。

それからのおよそ1ヶ月半はまるで何事もなかったように過ぎていきました。ちょうど夏休みが始まって、帰省やらなんやらでバタバタしてたのもありますし。コインランドリーや喫茶店に行って2人に会うことはありましたが、集合場所や時間を確認したくらいでそんなに話しはしませんでした。別にこれ以上話しておくべきこともなかったですしね。

 

あっという間に9月27日がやって来ました。その日は18時に東京を発つ予定になっていました。学校から帰ってきて喫茶店に向かうと、店の前に車が停まっていて、その前でおじいさんとお姉さんが何か話していました。多分、はじめましての挨拶でもしてたんでしょう。お姉さんはともかく、おじいさんまで全く普段と変わらないように見えました。動揺しているわけでもなければ、特別落ち着き払っているのでもない。まるで今日が、今までに数限りなく繰り返されてきたなんでもない1日──例えば1997年6月13日とか──と同じであるかのような感じでした。

僕たちは車に乗り込みました。お姉さんが運転手で、僕は助手席、おじいさんは後部座席。お姉さんは眠くならないようにとエナジードリンクを買ってきてくれていました。僕のは砂糖入り、自分のはノンシュガー。『逆でもいいよ』と、ひそひそ話をするみたいにお姉さんは言いました。エナジードリンクを交換したのがおじいさんにバレたらまずいとでも思ったんでしょうか。

車は北へ向けて走り出しました。車内での会話が弾んだとは言えません。それぞれが今までに話してきたようなことを、ぽつりぽつりと繰り返すくらいでした。でも不思議と気まずくはなく、ある種の居心地の良さがそこにはありました。その居心地の良さもあと少しでなくなってしまうと思うと、僕は初めて寂しさを感じるとともに、死というものの取り返しのつかなさにようやく実感が追いついてきました。

 

サービスエリアに寄って晩ご飯を食べたり、渋滞に巻き込まれたりして時間を取られ、目的地に到着したのは23時半頃。『ギリギリになっちゃってすみません』と言い、お姉さんは車を停めました。

 

そこはまさしく、人里離れた平原という言葉通りの場所でした。星々が瞬く夜空と、それよりも濃い黒の山の影に囲まれた野原。その真ん中に小屋は立っていました。お姉さんがスマホのライトで小屋を照らしました。暗くて全体は見えなかったけれど、思ったよりはきれいな印象です。室内もそれなりに整っていました。もっとも物はなく、見たところ椅子が2脚置いてあるだけ。お姉さんがランタンを点けてくれましたが、新たに見つかったのは壁際に立てかけられているほうきだけでした。

 

さっそく準備を始めました。といっても、スマホとBluetoothスピーカーを接続するだけですが。あ、肝心なことを言い忘れてましたが、今回流すふわふわ時間は唯がボーカルのバージョンです。澪ボーカルもかっこいいけど、この状況なら唯の癒されるような歌声のほうがいいかと思って。

せっかくなので小屋の真ん中に椅子を持ってきて、おじいさんにはそこに座ってもらいました。僕とお姉さんはスピーカーやランタンの位置をあちこち調整しましたが、それでも冷酷なほどあっという間に準備は終わってしまいました。ふわふわ時間は約4分の曲なので、23時56分から再生を始めればちょうどいい。そして今はその時まで15分ほどの猶予がありました。あとはもう待つしかありません。おじいさんは椅子の上で、僕とお姉さんは壁際に立って、23時43分、44分、45分、46分、47分、48分、49分、50分、51分、52分、53分、54分、55分、僕はスマホの再生ボタンをタップしました。

 

 

静寂を切り裂くようにイントロのギターリフが爆音で響き渡りました。おじいさんはびくっと体を震わせると、きょろきょろ周囲を見回し始めました。やはりおじいさんは今までこういう種類の音楽を聴いたことはなかったようです。歌が始まると彼は『えっ』『なんだなんだ』などと口走りだし、曲がサビに突入するころにはそれは音楽にも負けないほどの大音声になっていました。

 

『おいっ、なんなんだこれは! どういうことだ、ええっ! おれにはちっともわけがわからねえぞ! どうしろってんだ、なあ! おれにもわかるよう説明しやがれ! ちくしょう! ちくしょう! なんだってんだ! どうなってやがる! どういうつもりだ! くそっ! いい加減にしろ! これはなんだ! おれはどうすればいいんだ! 誰か教えてくれ! ほんとに、さっぱりなんにもわからねえんだよ! 冗談じゃねえや! なあおい! 聞いてるのか! 勘弁してくれよ! 一体全体どうしちまったんだ! なんなんだこれは! どうなってるんだあっ!』

サビの間じゅう、おじいさんはずっとそのようなことを喚き散らしていました。僕は心臓が高鳴って、同じように叫びだしたくなるのを我慢するのがやっとでした。隣に立つお姉さんを見ると、奇跡を目の当たりにしているみたいに瞳を輝かせていました。

曲が2番に入るとおじいさんはもう椅子に座ってはおらず、泥酔しているような千鳥足で小屋じゅうをそぞろ歩いていました。すっかり混乱しているようで、曲に合わせて首を上下左右に動かしたり両腕を振り回したりして『のって』いるのです。本当に優れた音楽というのは個人の趣味嗜好や音楽的素養を超えて、薬品のように厳然と作用するものらしい。そしてそれはたとえ一時だけでも、生と死の境界すら曖昧にしてしまうものなのですね。『ふわふわ時間』を選んだのは間違いではなかったと僕は確信しました。

 

2度目のサビが始まると、おじいさんは雄々しい咆哮をあげて大暴れし始めました。どこにそんなエネルギーが残っていたのか、来世の分の生命力を前借りしているようなものすごい動きでした。しかしその表情には恐怖や怒り、動揺ではなく、恍惚としたものが見て取れました。

そのまま間奏に入ると、おじいさんは楽器を弾くようなジェスチャーを高速で繰り返しました。エアギターというより、自分のお腹を遮二無二かきむしっているような動きです。そもそもギターの弾き方をよくわかっていないことに加え、極度の興奮状態で体を思うように操れなかったのでしょう。その姿がなんだかひどく愛おしく思え、僕はつい『おじいさんかわいいよー!』と声を張り上げてしまいました。それに対しおじいさんは『馬鹿いうな! お前のほうがかわいいだろうがっ!』と怒鳴り返しました。お姉さんはただもううずくまって床を叩き続けていました。

間奏が終わり一旦曲のテンポが落ちると、おじいさんは動きを止めてその場にへたりこんでしまいました。曲に合わせてそうしているのか、それとも本当に力尽きてしまったのか判断がつきません。まさか、と思った次の瞬間──というのはつまり、ふわふわ時間の曲調が変わってラップみたいになるあの瞬間──ああ、おじいさんは、キムチを食べ始めました! 曲の急展開に惑わされることなく、むしろ渡りに船と言わんばかりに、わずか10秒ほどの間に1パックのキムチを食べきってしまったのです。そして、改めて言いますが、彼はふわふわ時間を聴くのは今回が初めてのはずなのに、ラップパートの終わり、澪の『そう寝ちゃおーっ!』の合いの手と全く同じタイミングで、おじいさんも『そう寝ちゃおーっ!』と叫んだのでした。

 

もう限界でした。僕たちはみんな手にした拳銃をめちゃくちゃに撃ちまくりました。今までこの地球上で起きた、全ての争い事で用いられた弾丸の総数よりずっとたくさんの銃弾が飛び交いました。でも誰も倒れない、血も流れない。もしかしたら拳銃を撃っていたのではなかったのかもしれません。僕たちはただ、笑っていただけなのかもしれません。銃声もしくは笑い声の向こうで『もしすんなり話せればその後は どうにかなるよね』という声が聞こえました。ふわふわ時間(ふわふわ時間)。ふわふわ時間(ふわふわ時間)。ふわふわ時間(ふわふわ時間)。そして最後の1音が鳴ると同時にあたり一面がまばゆい閃光に包まれ、そのまま意識が遠ざかっていきました。

 

気が付くと、陽の光が窓から小屋の中に差し込んでいました。スマホを見ると今は9月28日の朝8時。近くでお姉さんが床に転がって眠っていましたが、おじいさんの姿はどこにもありませんでした。

外に出てみると、昨夜はまるで気が付きませんでしたが、野原には一面コスモスが咲き乱れていました。僕はなんだか圧倒されてしまい、すぐさま小屋に戻ってお姉さんを揺り起こしました。『おじいさんがいない』

車に乗って平原を端から端まで探してみましたが、おじいさんはとうとう見つかりませんでした。血の1滴すら残さず、まるで初めから生まれてこなかったみたいにこの世から消えてしまったのです。彼を付け狙っていた死神はよほどの手練だったに違いない。僕たちですら、おじいさんが本当に存在していたのか自信がなくなってきたほどでした。

 

『帰ろう』と先に言ったのが、自分だったのかお姉さんだったのかは思い出せません。僕たちは出発しました。車内は往路よりさらに会話が少ない有様でしたが、かえって好都合でした。昨日のことについて何か一言でも口にすれば、全てが嘘になってしまう気がしたのです。むやみに言葉を使って昨夜の出来事をくだらなく意訳するのだけは避けなければならないと思いました。

東京に着いたのは15時頃でした。すっかり1日が終わった気分でいましたが、まだ全然昼間だったのです。僕はお姉さんと別れると真っ先にコインランドリーに向かいました。おじいさんの姿はなく、おじいさんがいたという痕跡さえありませんでした。僕は長椅子のいつもおじいさんが座っていた場所に座り、今度はひとりでふわふわ時間を聴きました。アニメのキャラが何か歌っていました。この日からそう遠くない未来、あるいはそれなりに遠い未来に僕もお姉さんも死にました。でもふわふわ時間はずっと聴かれ続けています。これが僕の思う本当に面白いことです」

 

「……面白かったですか?」

「その答えが重要かい?」

「君は考え抜いた末に、その本当の面白さにたどり着いたんだろう。ならそれでいいじゃないか」

「君の本当の面白さが他の人のそれより優れているかはわからないが、そんなのは大した問題じゃない。本当の面白さというのは、それだけで十分に素晴らしいものだからね」

 

「何が本当に面白いのか、僕には到底わからない。でも何かを本当に面白いと心から信じている人は、その人のやることは、とても美しく高貴だと思う。時にそれは面白さ自体より価値のあるものではないかと思ってしまうことさえある」

「僕が『本当の面白さ』に執着していた理由がわかっただろう。今まで知ったような口を利いて悪かったね。僕には実際、ユーモアのセンスなんてないんだ」

「……ともかく、君はひとつの本当の面白さにたどり着いた。それは紛れもなく意味のあることだよ」

 

ありがとう、本当の面白さを聞かせてくれて。おかげでもう少しやれそうだ。

 

今話したことをより具体的な形で表現してもいいし、そのまま胸にしまっておくだけでもいい。もちろん、「やっぱり面白くないな」と思ったっていい。ただ、迷った時には思い出せばいいんだ。この場所を覚えておけばどこへだって行けるし、どこからでも戻ってこられる。

 

さあ行け! 踏み出すことを恐れるな! お前は自由だ! 何をしようが、どうなろうが知ったことか! 死ね、もしくは、生きろ!!!