どうも。僕です。愛してる。アイラブユー。
現代の意味に近い
「愛」という言葉がまだ浸透していなかった明治の時代です。
二葉亭四迷はI love you をこう和訳しました。
わたし、死んでもいいわ
また、夏目漱石はI love you をこのように言いました。
月が綺麗ですね
当時の日本人にとって、I love you の和訳は、未知なる戦いだったのです。
それでは、あまり知られていない
文豪たちのロマンチックな戦いをご覧ください。
彼の名作童話「やまなし」に出てくる、キーワード「クラムボン」をこんなにも明け透けに使うまっすぐな愛の形に、イーハトーヴ(理想郷)が見出せるでしょう。
ちなみに、ここではクラムボンは「スケ」くらいの意味で使っています。
「走れメロス」で、かの邪知暴虐なる王から、メロスが親友セリヌンティウスを救ったときの2人はお互いを裏切りかけたことを告白しあうシーンが想起されます。
I love you. を Strike me. としたのは人一倍マッチョな思考といえるかもしれません。
失礼ですよ!
オーデュボンの祈りにも似た柔らかな新緑や、鮮やかなゴールデンスランパーの日差しの中、淡い花が咲き始めたラッシュライフの季節のような恋心の到来を、予想外の喜びとして表現しています。
「朝起きたら両思いになっていたい」そんなご都合主義的ともいえる、愛への渇望が小説家としてのプライドをかなぐり捨てさせて筆を走らさせてしまった。20世紀を代表する作家が中学生男子みたいな欲望をさらしてしまった稀有な例でしょう。
「シャイニング」でググッてください。
「きょう ふの味噌汁」の一節に、好きな人と朝の時間を共有したい。
そんな、charaも逃げ出すような 優しい気持ちがこめられていました。
再確認しておきますが、あくまで、I love you.の和訳です。
いいかな、そのテイでやっています。
「人生という名の」です。
和訳と言っているのに英語を使ってしまうあたり、まさに「愛は盲目」なのでしょうか。ファストフード感覚で消費される愛もあるのかもしれないけど、もう少し探そうよ。
自由人。
羅生門。
最後に、小説を愛する読者の皆さんに謝らねばならぬことがあります。
ここまですべてフィクションでした。芥川龍之介はツイッター使いません。
登場する人物と実在の人物には一切の関係はございません。
ですが、今回の記事、現実世界の小説にパープリンの妄想をかぶせるという怒られてもしょうがないヤツです。
しょうがないヤツですが、なにとぞ寛大なご処置をよろしくお願いします。
以上。おわり!