まず仲間内の一人が急に「ランタンパビリオンに行こう」と言い出す。
それを聞いた俺がサッと先回りし、何かしらのポーズをとってランタンになる。なぜランタンなのか、ランタンパビリオンとは何なのか、なぜ俺の役目だったのかは覚えていない。内輪ネタとはそういうものだから。
友人らは「これがランタンか」と感心した後、次のランタンを見にいく。それに合わせて俺は先回りし、さっきとは違うポーズをとって別のランタンになる。
これを次々
飽きるまで繰り返す。今となっては2回目くらいで飽きろと思う。
時々、前のランタンを見に戻るなどのフェイントが入るので
サッと戻ってそこのランタンになる。この時前とポーズが違うと
「こんなのだったかな」と不思議がられる。
意味がわからない上に、何が楽しいのかも全然わからないと思ったことだと思う。
でも、当時の自分達はこれで顎がおかしくなるくらい笑っていた。週2くらいでやっていたと思う。
このような、友人の間だけで流行っていた意味不明なギャグなど、文にして説明すると面白さが全く伝わらないかもしれないけどとにかくその時その場にいた人間はゲラゲラ笑っていたような内輪ネタを募集して紹介する記事です。前ブロスでやってたやつです。ブロスの時に最終回って言ったけど、13日の金曜日だって完結編の後何作もやったからな。
暮らしと理科
中学の理科の先生がやたらと「暮らしと理科」と言うワードを使いまくっていたため、自分のクラスの人たちが全く理科に無関係なことに対しても「それ暮らしと理科じゃないよ?」や「それは暮らしと理科だわ」と言ったふうに何に対しても暮らしと理科というワードを用いるようになっていました。
文にするとびっくりするぐらい面白くないですが当時は暮らしと理科という言葉だけでクラスのほとんどが爆笑していました。
やまめ
エピソード型の見本みたいな良い内輪ネタ。「それ暮らしと理科じゃないよ?」好きすぎるな。
イデアァ!!!
倫理の授業で、先生がプラトンとアリストテレスの説明をする際、教科書の表紙に載っていた「アテナイの学堂」を指して豹変しました。
「これがプラトン、指差してるべ?『イデア!』って。これに反論してるのがアリストテレス。『現実見れ!』ってやってんだわ、な?プラトンは……
イデアァ!!!!!!!!!!!!!!!(指を上に突き出す)、アリストテレスは現実ゥ!!!!!!!!!!!!(手のひらを教卓に叩きつける)イッデァア!!!!!!(指を上に突き出す)現実ーーーーーーッッ!!!!!!!!!!!(教科書を教卓に叩きつける)」異常音量で放たれた「イデア」と「現実」は記憶に深く刻まれ
「デカい声を出すときは『イデア』と叫ぶ」「『イデア』が出たら『現実』で返す」という内輪ネタが誕生し、なんだかんだ10年経った今でもウケています。
(例:バレーでサーブを打つ側が「イデア!」と叫んだら、拾う側は「現実!」と返す)倫理の先生が急におかしくなるのは学校あるあるなんでしょうか。
たかし
用例が最高。でもしっかり先生が教えたかったことは記憶に刻まれてるからいい教育なのかもしれない。
ザリガニも喜んでいる
息子が観察で使ったザリガニをお礼を言って返却したら先生から「自分からありがとうが言えて素晴らしい!ザリガニも喜んでいる!」というお手紙をもらって帰ってきたので、それを我が家の冷蔵庫に貼っていたらいつの間にか家族間で流行っていた。
汎用性が高く、嬉しい時にはもちろん悲しい時や起こっている時も「今日で休みが終わる!ザリガニも悲しんでいる!」「道が混みすぎてる!ザリガニも怒っている!」などザリガニが後ろ楯してくれているようでなんとなく心強い。
まんまる
無表情でハサミを掲げているところはバッチリ想像できるな。
バナナ
中学生の頃、私含めた仲良し3人組でデパートかどっかに居た時の話です。
うち1人が唐突に「あれバナナじゃね?」と言ってどこかを指さしました。
多分バナナ柄のタオルだかバナナのぬいぐるみだかがあったんだと思います。その言い方がまた妙に真剣なのと、唐突に「バナナ」というワードが出た事もあり、よく分かんないけど何か爆笑してしまいました。
以来その3人の中で「バナナ」が流行り、事あるごとにネタにしてました。
例えば3人の中の誰かの誕生日に、他の2人で口裏を合わせ、あらかじめバナナを一房買ってそれを半分ずつ持ち寄り、2人の持ってきたバナナが偶然にもピッタリ一致して「運命」を演出するドッキリ等をしてきました(誕生日の子はアホほど笑っていました)。
全員が結婚した今となっても、ライングループの名前は「バナナ」です。サラ
バナナがピッタリ一致するドッキリ、想像するだけでちょっと涙が出るくらい笑ってしまった。
RTA
小学5年生から6年生ごろ、ちょうどコロナ禍真っ只中だった時期に『感染予防戦隊コロナに負けないんジャー』という、戦隊モノになぞらえた注意喚起の張り紙がクラスのドアに貼られていました。
“マスクレッド”や”手洗いブルー”といった、感染対策のための行動をとるヒーローたちの立ち絵が描かれており、
たとえば上記のブルーは手を擦るポースなど、それぞれ決めポーズなようなものをしていました。
そこで、誰がはじめたのかわかりませんが、それらの全員分のポーズをどれだけ早くキメることができるかという
『コロナに負けないんジャーRTA』のようなものが流行りだしました。一過性のノリかと思いましたが、案外卒業間近まで流行っており、最終的にはオリジナルの追加戦士のようなものまで加わっていたのを覚えてます。
かれこれ小学校を卒業して4年は経ちますが、さっきやってみたらちゃんと全員分できたので、また余計なことに脳のリソースを使ってしまっているなと少し萎えました。
のりまき
成人したあたりで当時の友人集めてまた競ってほしい。
リズム
高校生の時、昼休みになんとなくみんなであまり人が来ないトイレに行って話をする習慣がありました。
ある日そこで友人の1人がスマホで洋楽を大音量で流し、音姫代わりにしながら個室に入っていきました。
それを見た他の友人が「おめーはリズムに乗らないとう○こできねーのかよ!!」と叫び、しばらく「リズムう○こ」として流行っていました。汚い話です。
ぬりぬり
「音楽に合わせて」とかじゃなくて「リズムに乗らないと」って言ったやつがとても良いな。
二つとも
私が通っていた小さい中学校には優しいんだけど相当陰謀論ぐせの強い校長兼社会教師がいました(教材で使ったYouTubeの動画の広告に出てきたGHQが消した情報やらの怪しい本を生徒の目の前で買う行為をしていた)
ある時期にその校長が脚本をした思想つよつよ劇をやることになり、その中に「二つとも、幸せになれる道じゃよ」と言うセリフが出てきたので、それからその学校で一緒だった友達と昼ごはんに行く時とかに何を食べるか迷ったりしてると必ず「二つとも、幸せになれる道じゃよ」と誰かが必ず言う風潮ができました。
パーティーキャロネイド
言葉自体はとても良いな。良い言葉の部分だけが生徒に残ってるから良いのか。
スワローズ
高校2年生の時の修学旅行の思い出です。
京都の旅館に宿泊し、その日の夜は自由時間が設けられていました。しかし岩手から出て来て初めての京都。どこに行けばいいか分からず、私と友人(2人)は適当にふらりと付近を歩いて旅館まで戻りました。
帰ってきたのはどうやら私達のみで、先生からも「まだ夕飯の準備が出来ていないから外で待ってて」そう言われ落胆。
どうしようもないから……と旅館の入り口にあったベンチで一旦待とうと座ろうとした瞬間、友人Aが「ロッテ座ろーぜ」と言い、私と友人Bは意味が分からず爆笑。
何かのスイッチが入ってしまったのか、腹筋が引き攣り口角が壊れてしまうのではないかと思うくらい笑っていました。後日、修学旅行から帰ってきた後に真相を聞いたら、「いや、なんかロッテスワローズの単語が頭に出てきて……」との事。そして意味が分からず再び爆笑。数年経って大人になった今でも、〝ロッテ座ろーぜ〟で3人大爆笑しています。
しかもロッテスワローズじゃなくてヤクルトスワローズだし。
もくもく
全然わかってないやつの堂々とした外し良いよね。
テナガザル
学生時代、週一くらいで友人と深夜にゲームで遊んでいたのですが、その時に「お絵かきの森」というゲームをやることになりました。
お絵かきの森はざっくり言うとめちゃくちゃ簡素な絵チャなのですが、モードの一つに「出されたお題を描き、他の人に当ててもらう」というものがあります。
私の手番で、出されたお題が「テナガザル」だったため、私が一瞬でとにかく腕が長いだけの人間の絵を描いたところ、友人の一人が一瞬で正解を叩き出し、そのスピード感が深夜テンションも手伝って異様に面白くなってしまい、1時間くらい本当にお腹が痛くなるほど笑っていました。
その後も日を変え別のゲームで遊んでいても「テナガザル…」と呟くだけで抱腹絶倒していました。
年月が経ち、今はさすがにテナガザルで笑いはしませんが、当時のことを思い出すとちょっと口角が上がります。
M
深夜テンションっぷりが伝わってきてめちゃめちゃ良い。本当にそこに参加してたやつだけが面白いやつで最高。
閑話休題
高校生のときの数学の先生で、授業中に話が脱線した際に「閑話休題(ニッコリ」と言って本題に戻る先生がいました。「閑話休題」という語呂の良さとか、やけにかっこいい雰囲気がツボで、仲間内で万能ワードとして使われていました。(相槌とか、どうしたの?とかの意味で使われてました)
余談ですが、国語の漢字テストで「閑話休題」が出たときにみんなで「数学で習ったやつだ!」となり、国語の先生を困惑させました。
おしんちゃん
「数学で習ったやつだ!」の時の盛り上がりすごかっただろうな……
兄貴
中学の頃、教室の黒板横にクラスの共有パソコンが置いてあって、そのキーボードの横に鮮やかな青色のはたきが置いてありました。
それを見た友人が「うちの兄貴今こんな頭してるわ」と言い出したことから、そのはたきが「兄貴」と呼ばれるようになり、転じて鮮やかな色、なんか楽しそうなこと、などを指す言葉として定着していきました
【例】
「ごめんちょっと兄貴取って!」「え兄貴そこ掃除して大丈夫なん?」
「めっちゃ好きな絵師さんいるんだけど見てほしい、兄貴ほどの色選び」
「ミスドのかき氷食おう」「オ兄貴!!!」(おい兄貴!!!と言う時は入りをできるだけ短縮して発音するのが粋とされていた)兄貴当人は青髪からトリコロールカラーになり、銀髪のパーマヘアを経て研修医になったそうです。みんな元気かな
天王洲鎧武
「粋とされていた」が良いな。全然意味がわからなくて。
ふんふんふんふん
十年程前、高校生の時、激しいめまいに襲われ立てなくなったため夜間救急を受診したところ、研修医っぽい若くてかわいい女医さんが診てくれました。
その際私の必死の訴えに対して「ふんふんふんふん……心当たりは?」と妙に悠長な相槌を打ってきたことが、付き添いの母と私のツボにはまり、それ以来ずっとネタにしています。
「ふんふん」と言うことがあれば必ず「心当たりは?」と返し、「ふんふんふんふふん、心当たりは?」と更にリズミカルに続けて、最終的にアツいラップバトルの形式になって終わるという流れでした。
今はもう家を出て母とも会う機会も減ったのですが、今年の年賀状に「たまには帰ってきて一緒にふんふんしてほしいです」と書いてあって普通に泣きました。
みゆ
盆と正月にはふんふんしに帰ろう。
報告
ベランダでシコったことを報告したやつがそのまま「ベランダ」と呼ばれるようになった。
ハセガワ
最高。