春木名美来の真相
栗原:はい、もしもし。
雨穴:栗原さん、わかりましたよ。
栗原:何がですか?
雨穴:春木名母娘と、倉辺誠二の関係です。
――「川越」という地名は二か所存在する。
ひとつは埼玉県川越市。
そしてもうひとつは……

三重県川越町。
栗原:三重県ですか。ひちやぎホテルがある場所……いや、倉辺誠二の出身地。
倉辺と美来さんは同郷だった……。
雨穴:はい。二人の接点は、東京ではなく三重県にあったんです。

倉辺誠二
享年45歳。三重県出身。
地元の有力企業群『張柄(はりがら)グループ』現会長の次男で、大学卒業後も定職に就かず、勝手気ままな生活を送っていた。
若いころから女性への乱暴行為を繰り返していたが、いずれも両親が多額の示談金を払い、不起訴処分になっていた。
しかし、27歳のとき4度目の逮捕で、相手側が被害届を取り下げず拘置所で約一か月を過ごす。
結果、証拠不十分で不起訴となったが、一か月の拘留生活がよほど堪えたのか、それ以降の逮捕歴はない。
翌年、親元を離れて上京し一般企業に就職。32歳で結婚。
このとき婿養子に入り『張柄』から、妻の苗字である『倉辺』に改姓している。
年齢から計算すると……

倉辺が4度目に逮捕されたのは2001年。
その翌年に上京しているということは、彼は2002年まで三重県にいたことになる。
一方、美来さんは……

亡くなった時点で満17歳。
つまり2002年生まれだ。

二人がともに三重県にいたのは、2002年の一年間だけ。
短いが、私はこの『短さ』が重要なのではないかと考えた。その考えを裏付けるものはないか探したところ、一つの記事が見つかった。

それは、三重県の女性人権団体が定期更新しているウェブマガジンに掲載された古い記事だった。
発行元に許可を得た上で、ここに全文掲載させていただく。








長い罰
栗原:DNA鑑定……
雨穴:これは、沙緒理さんが倉辺誠二に向けたとても遠回しな脅迫なのではないかと思います。
――人は、両親からDNAを半分ずつ受け継ぐ。

――ゆえにDNAが50%一致すれば、父娘であることが証明される。
雨穴:生まれた子供……美来さんのDNAを調べて、それを倉辺のものと照合すれば、彼が美来さんの父親かどうかがわかる。つまり、それが犯罪の証拠になる。
性犯罪の場合、容疑者のDNAサンプルが収集・保管されるそうです。警察には倉辺のDNAデータがある。
だから、沙緒理さんがその気になれば、倉辺を起訴できるかもしれないということです。

栗原:しかし、あえてそれをしない選択をした……と彼女は言っているわけですね。
雨穴:はい。ただし「この子が生きているかぎりは」という条件をつけています。
言い換えれば『この子が死んだら、DNA鑑定によって倉辺を起訴するかもしれない』ということ。
一か月の拘留生活に懲りていた倉辺は、これを読んで怯え、三重から逃げ出したのではないかと。
栗原:しかしそもそも、どうして沙緒理さんはその時点でDNA鑑定をしなかったのでしょうか。
『そういった話題とは無縁な環境で育ってほしい』と口では言っていますが、その後の行動を考えると、彼女が美来さんの幸せを願っていたとは考えづらいです。
雨穴:ここからは想像になってしまいますが、沙緒理さんは、もっと大きな復讐を望んだのではないかと。
当時の日本の法律では、性犯罪は数年間の懲役刑が一般的だったそうです。
有罪が確定しても、倉辺はすぐに刑務所から出てきてしまう。沙緒理さんが失ったものに対して、その罰はあまりにも小さすぎる。
だから、彼女はもっと長くて、恐ろしい罰を倉辺に与えることにした。

雨穴:倉辺は怖かったはずです。
もしも、病気や事故で美来さんが亡くなったら。あるいは、沙緒理さんの気持ちが変わったら。
もっといえば、美来さんが大きくなって、本当の母親の話を聞かされ、彼女自身がそれを望んだら……。
倉辺は、家庭を築いて幸せな生活を手に入れる一方で、その幸せがある日突然壊される恐怖を抱えていた。
栗原:たしかに、数年の懲役より重い罰かもしれませんね。
雨穴:そして、時効が成立する直前の2019年。沙緒理さんはついに行動に出た。

栗原:美来さんが失踪したという報道を見て、倉辺は生きた心地がしなかったでしょうね。
雨穴:『もし何かの事件に巻き込まれていて、遺体で発見されたら』……夜も眠れなかったと思います。
そんな中、彼は掲示板を見つける。

雨穴:コアなファンにしか分からないパスワードも、倉辺は一発でクリアできたはずです。
なんせ、三重県は彼の地元でもありますから。

雨穴:倉辺がどんな気持ちでこの投稿を読んだかはわかりませんが、彼にとって悪いニュースだったことは間違いありません。

栗原:「美来さんが亡くなった」……彼にとっては死刑宣告と同じですからね。
雨穴:はい。だけど、遺体がまだ見つからず、犯人も逮捕されていない状況では、沙緒理さんが過去の事件に気を回す余裕はないだろう、このまま時効まで逃げきれれば……倉辺はそんなことを思っていたかもしれません。
栗原:しかしそんなある日、沙緒理さんがあのメッセージを投稿した。

雨穴:遺体が発見されたら、事件が早期に解決してしまうかもしれない。
『事件解決後、沙緒理さんがリミさんの事件に片を付けようとしたら』……倉辺からすれば、これが一番怖い。
栗原:だから彼は、事件を解決させないために遺体を奪うことにした……なるほどね。
……しかし、倉辺も勇気がありますね。

栗原:参加する条件とはいえ、自分の顔と名前をさらけ出すなんて。
雨穴:それ以外に助かる方法がなかった……というのもあると思いますが、もしかしたら彼は、沙緒理さんが気づかないと考えたのかもしれません。
倉辺は結婚したとき、奥さんの苗字に改姓している。そして『誠二』という比較的ありふれた名前。
17年で顔もだいぶ変わったはずです。
栗原:別人のふりをして参加しようとしたわけですか。
――17年もの間、恨み続けた人間を別人と間違えるわけがない。しかし、倉辺は異様なほど楽観的だった。
被害者の恨みを軽く見ていたのか……もうそこまで恨んでいないだろうと高をくくっていたのか。
雨穴:倉辺も、まさか沙緒理さんが自分を殺すためだけに、こんな仕掛けを打ってくるとは考えもしなかったんじゃないですかね。
栗原:しかし、沙緒理さんも沙緒理さんで異常ですね。
妹を奪われた悲しみ、倉辺への殺意。それは理解できますが、復讐のために美来さんを殺したのは、もはや狂気です。
雨穴:それは……たしかにそうなんですけど……、
沙緒理さんを擁護するわけではないですが、彼女も本当はこんな結末を望んでなかったんじゃないかなって思うんです。
栗原:なんででしょう?
雨穴:名前です。
「サオリ」→「リミ」→「ミライ」……三人の名前、しりとりのように繋がっているんですよ。
深読みが過ぎるかもしれませんが、美来さんが生まれたとき、沙緒理さんは「リミさんから命のバトンを渡された子供」と考えていたのではないかと。
そうでなくても、まったく愛情の無い子供に『美来』なんていう綺麗な名前を付けないと思います。

雨穴:インタビューの言葉も、すべてが嘘ではないような気がするんです。
妹の忘れ形見である美来さんを大切にしようという気持ちが……ある時期まではあったのではないかと。
栗原:ある時期までは……ね。
――しかし、美来さんは倉辺の血を引く子供でもある。
成長するにすれ、どうしたってある部分は父親に似てしまう。美来さんに『倉辺誠二』の面影を見たとき、沙緒理さんはどんな気持ちだったか……想像すらできないが、きっと心は揺れ動いたはずだ。
十数年揺れ動き続けた心は、いつしか摩耗し、狂っていった。
栗原:その結果、美来さんに無理やりアイドルをやらせて、復讐の道具にしてしまったんだから、人間っていうのは恐ろしいですね。
雨穴:……あの、美来さんがアイドルを目指した理由についてなんですけど、やっぱり、栗原さんの考えは間違っていると思います。
栗原:……なぜですか?
雨穴:いや……これも想像でしかないんですが……。
美来さんには3人の「親」がいますよね。
父親の倉辺、母親のリミさん、そして育ての親の沙緒理さん。
美来さんは……
倉辺にとっては「恐怖」だった。
リミさんにとっては「絶望」だった。
そして沙緒理さんにとっては……
結局、美来さんはどの親からも愛してもらえなかったんです。
そんな彼女が、たとえ他人からであっても、愛情を一身に浴びることを望んだとしても不思議ではないと思うんですよね。
そういう強い思いがあったからこそ……美来さんは人の心をつかんだ。

雨穴:落ち込んでいる人に勇気を与えた。
それは……美来さんにとって幸せなことだったんじゃないかな……って。
まあ、私の願望かもしれませんけど。
栗原:本当の所は本人にしかわかりませんが、願うのは自由です。
あの日、彼らは何をした。
電話を切ったあと、もう一度掲示板を開いた。

少なくとも、ここにメッセージを書き込んだ人たちは、美来さんを愛していたはずだ。
しんみりとした気持ちで読んでいたが、最後まで読み終えたとき、ふいに、今まで見落としていた不可解な点に気づいた。

犯行声明の名前が、6人分しか書かれていないのだ。
途中離脱した奈崎さんを除いても、あの日のメンバーは7人いたはず。
奈崎さんの他にも離脱者がいたということか。

伊志田、村田、安岐、刈茅、枝野、田中……
猿張……沙緒理さんの名前がない。
おかしい。
このメッセージがあの夜の『遠隔殺人』を意味しているなら、首謀者である沙緒理さんの名前が書かれていないのは不自然だ。
そのとき、薄気味悪い予感が這い上がってきた。
そういえば……あのあと彼らはどうしたのだろう。
遺体の掘り起こしを直前で中止され、謎の紙を持たされ、復讐に利用されたメンバーは、それでもなお沙緒理さんを信頼し続けたのだろうか?
いや……さすがにそんなはずは……
だとしたら……

「犯人」とは誰のことなのか。
沙緒理さんは、今どこにいるのか。
あの日、彼らは何をしたのか。
追記
数日後、栗原さんから電話が来た。
栗原:どうも、実は面白いものを見つけましてね。
雨穴:なんですか?
栗原:今、写真を送ります。

雨穴:……倉辺誠二……?
栗原:似ていますが別人です。
彼の名前は張柄誠一(はりがらせいいち)。近畿・中部にまたがる企業群『張柄グループ』の現社長。
親から地位を受け継いだ、いわゆる坊ちゃん社長です。実質的な経営権はいまだに会長……つまり父親が握っていると噂されています。
雨穴:張柄って……
栗原:倉辺誠二の旧姓です。

栗原:彼は倉辺誠二の双子の兄だそうです。
雨穴:ああ……どうりで顔が似てますね。
栗原:『きょうだい、身がわり』
雨穴:え……?

栗原:リミさんが遺したメッセージ、誠一・誠二の兄弟のことだったらどうします……?
雨穴:…………まってください。それって……
栗原:たしか雨穴さん、以前『遺体の身元特定以降の報道がほとんどなかった』って言ってましたよね。

栗原:容疑者が死亡しているからといって『身元特定』の段階で突然捜査が打ち切りになったというのは不自然です。
それよりも『身元が特定されたことによって、捜査を打ち切らなければいけない状況になった』と考えるべきではないでしょうか?
では『遺体の身元特定=殺害されたのが美来さんだと確定したこと』によって、何が起こったのか。
雨穴:……美来さんと倉辺誠二の関係が明らかになった……?
栗原:はい。過去の逮捕歴と戸籍を調べれば『倉辺はかつて、リミさんへの性犯罪容疑で逮捕されたこと』『美来さんがリミさんの娘であること』はすぐにわかる。すると、2019年9月の事件と、1リミさんの事件に何らかのつながりがあると推測することは容易です。
様々なことが分かりそうなその状況……真相への入り口が開いたそのとき、警察が自ら捜査を打ち切ったのはなぜか。
……外部から何らかの圧力があった、と考えるべきです。
――それをしてメリットのある外部勢力は、ひとつしかない。
雨穴:張柄家ですか……?
栗原:はい。張柄家は以前から、金と権力で身内の事件をもみ消しています。倉辺誠二の性犯罪がその良い例です。

栗原:『張柄家の息子が刑務所に入っている』……そんな情報が広まれば企業のイメージが汚れる。だから多額の示談金を払い不起訴に持ち込んだ。
であれば、2019年の事件に関しても、張柄家が同じ対応をしてもおかしくない。
雨穴:つまり、張柄家が警察と報道に圧力をかけて、息子の事件をもみ消した……
栗原:あくまで推測ですけどね。
ただ、それが事実ならば、タイミングがおかしいんですよ。

栗原:『張柄家の息子が事故死。車のトランクには白骨遺体が積まれていた』……とんでもない大事件、大スキャンダルです。
にもかかわらず、この事件に関する報道がいくつも残っている。
ということは当初、張柄家はこの事件をスルーしていたということです。
もしかしたら、倉辺誠二がすでに張柄家の人間ではなかったからかもしれません。
ずっと前に『張柄』から『倉辺』に改姓していて、実家との縁も薄い。だから『張柄の次男とはいえ、もはや他人。他人のしたことです』という逃げ口上で、知らぬ存ぜぬを貫くつもりだった。

栗原:ところが、被害者の身元が特定されてから……つまり『リミさんの事件に何らかの関係がある』と判明してから、彼らは慌てて事件をもみ消した。
2019年の殺人事件はスルーしたのに、ずっと昔に不起訴になったリミさんの事件を封じ込めようとしたのはなぜか。
雨穴:そこに……倉辺誠二以外の誰かが関わっていたから……
栗原:……と考えるのが自然ですよね。
――『きょうだい、身がわり』

栗原:誠一は張柄家の長男。張柄家を背負って立つ大事な跡継ぎです。
そんな彼の経歴に傷をつけるわけにはいかない。だから顔がそっくりな双子の弟である誠二が、昔から彼の『身がわり』になっていた。
リミさんは、そんな張柄家の闇を伝えようとしていた。
――もしも誠二が兄の『身代わり人形』を強制されていたのだとしたら、彼が三重から上京した理由も、改姓した理由も納得できる。
誠二は、張柄家から逃げ出したかった。しかし……
雨穴:栗原さんの推測が正しかったら、どうして倉辺誠二は9月8日、美来さんの遺骨を奪おうとしたんでしょうか?
兄の罪を彼がかぶっていたなら、DNA鑑定の結果『美来さんの父親は誠一』ってことが判明する……誠二には何の損もないどころか、過去の冤罪も晴れて良いことづくめだと思うんですけど……。
栗原:実は、そうでもないんですよ。

栗原:奈崎さんの言う通り、親子と兄弟のDNAは、基本的に50%一致します。
ただ、ここには一つの例外があるんです。
一卵性双生児……顔がそっくりの兄弟はDNAがほぼ100%一致するんですよ。
雨穴:え……?
栗原:つまりDNA鑑定の結果、リミさん事件の犯人は、誠一か誠二の二択になる。
そうなったとき、果たして張柄家はどのような対応を取るか。
過去の事例を見れば明白ですよね。
雨穴:つまり……張柄家は誠一を守るために、誠二にまた濡れ衣を着せる……?
栗原:実際どうかは別として、少なくとも誠二はその可能性に怯えていたはずです。
彼は、最後まで張柄家から逃げられなかったということかもしれません。
だとしたら……
倉辺誠二の人生は…
春木名沙緒理の人生は…
春木名美来の人生は…

3人の人生は、何だったのか……
Ⓒ2024 雨穴&BHB
In honor of TOSHIKA MASAKI
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オモコロ大人気シリーズが書籍化!!
8月3日発売の『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』に雨穴が書きおろし短編小説を寄稿しています

雨穴







