弓矢だ。弓矢の話をしたい。
漫画や映画、ゲームに至るまで幅広い創作物に弓矢が登場する。半月型に歪めた板に糸を張り、矢をつがえて対象に向けて放つ。シンプルな構造。
勇者はもちろん、ボコブリンさえ弓矢で正確にこちらを狙ってくるが果たしてそんなに上手く扱えるものなのかと思う。
獲物を仕留める狩りの道具、脅威を排除する道具として弓矢は登場する。銃や剣なんかと比べれば作り方も簡単だ。板を曲げ弓を張るだけで作ることができる。
森恒二の漫画「自殺島」には主人公がうっすらとした知識で大弓を作って試行錯誤しながら獲物を狩るシーンがある。自分で作った道具で生き抜いていくその姿がすごくかっこよくて、私もそうなりたい、いや、そんな大変なことはしたくないけど弓矢は作ってみたいと思った。
だから、
今回は山で弓矢を作ってみます
文句あるか?
\ ないよ〜 /
かわいいアライグマくん
行くぜ!!!! Let’s go!!!!!!!!
山へ
山で竹を切って弓矢を作りたいと父親に伝えたら車を出してくれた。ありがたいことです。
私は運転免許を持っていないので助手席に乗るたび運転できる人ってすごいな〜と思う。
山に到着した。弟も手伝ってくれるようなので付いてきてもらった。思いつきにこんなに大勢連れ立ってくれるとは思いませんでしたね。
山は私有地なので何をやってもいい(法の許す範囲で)。
竹が生い茂っている。特に手をかけなくてもボンボコ生えてくる。春にはタケノコが採れることでしょう。
マンガ『美味しんぼ』に、タケノコを生えてるまま焼いて食べさせる回があって、山岡さんが
「ようし!焼くぞ! タケノコをタケノコ山に生えたまま焼くぞ!」
と叫ぶ回が印象的だったので今度やっていいか父親に聞いたら好きにしろやとのこと。自分の山だから今度やります。
今回弓矢を作る筆者(神田)。なんだか泣きそうな顔をしている。
なにかあったんでしょうか。
山の管理は大変。ほっとくと勝手に朽ちて倒れて周りに迷惑をかけるので人間が定期的に手をかける必要がある。枯れて乾いた竹は茶色になってボロボロになっていく。
私は帰省したときに遊び半分でチェーンソーで木を切ったり草刈りをする程度だが、これを日常的にやっている父親はすごいなと思う。
今回使う道具は「ノコギリ」「ハンマー」「ナタ」の3つ。使い込まれた道具ってかっこいい。
ノコギリは竹を切断し、ハンマーは竹の節を砕くため、ナタは竹を割るのと細部を削るのに使う。ずっとパソコンとスマホしか触ってないから特化した役割のある道具を触るのが楽しい。
まずは矢を放つための弓を作っていく。特に設計図はないのでこれくらいの幅に割った竹を火で炙って曲げて糸を張る。全部勘でやってるのでこの記事は弓矢づくりのガイドにはならない。
既に朽ちた竹は柔軟性がないので新たに青竹を割る必要がある。弓に必要なものはきっとしなりである。
弓作り開始
がんばって竹を切るぞと思っていたらすでに父親が切ってくれていたようで、もう斧で割ってくれているところだった。おんぶにだっこである。
竹は縦方向に繊維が走っているので縦に割りやすい構造になっている。流れ着いた無人島に竹が生えていたとしたらこんなに加工しやすい素材もないだろう。
竹にナタを入れてハンマーで叩いて細く割っていく。ナタは力いっぱい振り回すものだと思っていたが、こういう使い方があるのだと驚く。
やっていきます。いけるか?
いけている。本当にきれいにすっぱり縦に割れる。
「竹を割ったような性格」という慣用句があるがこんなに気持ちいいやつだったとはね。
いけました。
できた。もうこれでかなり弓然としている。ここまでいけばもうできたも同然。
目を離したスキに父親が竹をハンマーで叩いていた。何をしているか聞いたら「叩いてバリを落としている」とのこと。弓を持つときに手を怪我しないようにするためだそう。
弓を扱って自分の手が傷だらけになるのも楽しみにしていたが(リスクを引き受けないと卑怯だから)こりゃすみませんね。
節のささくれも落としてくれていた。至れり尽くせりだ。
自分で弓を作るのではなく、そういうアクティビティを体験しているような気持ちになってくる。むしろ全部タダ乗りしたほうが記事とかじゃなく私が楽しめる気がする……。
さて、次は弓を曲げていく。どう曲げるか。
そう、炙っていく。熱を加えると竹の繊維が柔らかくなるのだ。
意外にも曲がっていく。竹を持って体重をかけると熱で柔らかくなった部分がくにゃっとたわむ。
いくら竹がしなりのある素材だといっても、そのままは使えない。素材が道具になるにはやはりそれなりに手をかけないとダメなんだな。
あ、そういえば弓の弦をひっかけて張るために先端をくさび状に削っておく必要があった。マジックで目印を作っておく。
ごぼうのささがきをするように先端を削っていく。意外と難しい。思ったより竹が固くて力が入らない。
「こうやって立てて削ればええやろが」と父親がやる。
私がやろうとすることに全部先回りして最善策を出してくれる、苦労して自分で頭を悩ませるより、自分より得意な人に全部任せたほうがいいなと思いはじめた。たとえそれが自分の力でやらなければならないものだったとしても。
リンクだって自分で弓を作らずにボコブリンが一生懸命作ったであろう弓を奪って使っているのだし、私もそれでいいのかも。
そして私が竹を火のそばでくにゃくにゃ曲げていたら、見かねた父親が竹を持って直火に当て、
「こうやって竹に当てて曲げるんや」と教えてくれた。
ほえ〜、こんなやり方があったとはね。あるものを上手く使うのがDIYなのだな。
父親はモタモタしている人を見るとイライラするタイプの人だから、人にやらせるより自分でやったほうがいいと思っているのだろう。私は、いや、私もどちらかというと自分ができることは自分でやったほうがいいと思うから気持ちはわかる。
自分でできないことは誰かに任せて、私ができる範囲のことをやってそこそこ楽しんでいたい。
たしかにこうやって曲げたほうが効率がいい。
たっぷり体重をかけると折れてしまうのではないかと心配になるが、私が思うより竹は丈夫だ。
何度も曲げるうちにかなり柔らかくなってきた。しなりに加えて、何かぎゅむぎゅむとした粘りが出てきたように思う。竹っておもしろいな〜。
よし、これで弦を張れば弓ができるはずだ。
と、思ったらそれを父親が許さない。
「弦を張る部分を曲げておかないとよく矢が飛ばなくなる」と、弓の先端を曲げ始めた。
そうなんだ。竹を曲げて終わりじゃないんだと驚く。たしかに先端が曲がっていたらその分反発がなくなる。よくここまで気がつくな。子どもが遊び半分に作るものなんてテキトーでいいだろうに。
そういえば電車でたまに遭遇する弓道部の高校生たちの弓は、いやに先端がピンとまっすぐに伸びている。
曲げなきゃいけないなら先端を炙って柔らかくして……。
一生懸命曲げていく。弓の曲がりとは逆方向に反らすことでその分反発が生まれる。弓の細かい部位の名称はわからないので、便宜上全部「弓」と呼ぶ。
モタモタしてたら全部父親が「貸せ」とやってくれる。
心強いのだが、自分が楽しみを見つけよう、上達しようと思ってバイト先で盛り付けの仕事をしていたら店主が「もうええから貸してっ!」と叫んで皿をぶん取られたときの所在なさを思い出す。
でもまあ、自分がやらなくていいなら全部それでいいのだけど。
ややわかりにくいが、先端が全体の曲がりと逆方向になっている。これでいいらしい。
実際によく飛ぶか、正しい作り方なのかはどうでもいい。
私はただ弓を作りたいのであって「よく飛ぶ弓」を作りたいわけではない。現物を作ってその手触りや構造の妙を感じたいだけだ。だからもう実際まったく弓の機能を成さなくてもいいのだった。
だからこうして父親が甲斐甲斐しく世話をしてくれるのが、ありがたい反面申し訳なくなる。
どこか騙しているような気がして。
たこ糸で輪っかを作り、それを先端に引っ掛けて弦とする。
私は指先で糸を丁寧に結んだり、紙をまっすぐ切ったりするような細かい作業が本当に苦手なので助かる。もし無人島で弓を作ろうとしても途中でイヤになって断念するだろう。
それなら絶対や尖った石や重い木の棒で獲物を殴りに行ったほうが早いからだ。
いったん休憩して、そこから仕上げにかかる。
休憩
家から持ってきた炊き込みごはんと、途中のスーパーで買った鶏レバー煮を熾火で温める。私は脳や体が疲れたときは大抵レバーを食べる。栄養があるから。弟は山でもずっとスマホゲームをしていた。
トレーに乗せたままでは温まらないのでそのまま竹に乗せてしまう。なんか3割増しでおいしそうに見える。アウトドアの食事という感じ。あと芋をアルミホイルに包んで放り込んでいおいた。
竹ってお皿にもなるんだな。細く切れば箸にもなるし。こんなに便利な素材なかなかない。
温まった昼食をとりながら父親と話す。なんでそんなに弓づくりに詳しいのか、と聞いたら「子どものときは山でみんなで作っていたから」と話してくれた。
みんな作るのかあ。じゃあ私はたぶんテキトーに作ってテキトーに遊ぶから仲間内では熱くなれないな。それにしても父親が子どものときはもう50年以上前だけど、当時身につけた知識がまだ運用可能なのがすごい。昔取った杵柄というやつだ。
私が50年経っても覚えていて運用可能なものはなんだろう……考えたけど半世紀経ったらSNSとかメディアも変わってるだろうし何も無いかもな。今持っている雑貨や古着が高騰していたらいいな。
豚肉の塊に、なんだっけ……さけるチーズか、さけるチーズを乗せてアルミホイルに包んで熾火に入れておく。どう仕上がるかに興味があるので、味はおいしくなくてもいいと思う。
弓矢ができあがった
ご飯も食べ終わったし弦を張る続きをするか、と思っていたら父親がやってくれていた。ありがたいことです。
とうにレジャー気分だった。私はもう全部父親がやってくれるだろうとどこかで思っていた。
出来上がったのがこちらの弓だ。かっこいい! なにやら大きいし重厚感がある。
父親は「本当は竹を重ねると強度が増してよりしなるようになり威力が増す」と話していたが、私はそこまで求めていないので今回は大丈夫だった。もし威力を目的としていたらそうするけどなんでそんなこと知っているんだ。
そういえば矢を作っていなかった。いちおう100均で竹ひごを買ってきてはいたが、大きい弓なのでできるだけ大きい矢のほうがいい。
落ちていた細い竹をノコギリで切って……
こうなる。先端を細く削れば矢の完成だ。長さは勘で作っている。
ということで弓矢ができた。思ったよりちゃんとしっかり仕上がっている。
父親が手伝ってくれたので完成度が高い。私ひとりだったら途中でめんどくさくなっていたと思う。その点は感謝している。
三脚の袋を矢筒にすると、途端に狩人みたいな見た目になってかっこいい。
実際に狩りをする人も矢筒に矢を入れて身につけるとき毎回ちょっと気分良くなっているんじゃないか。「おれ狩人じゃん」みたいな。どういう状況においても何か楽しめる依り代があったほうがいい。
弓矢を放つ
いよいよ弓矢を放つ。じっくり炙って丁寧に曲げたおかげでこんなにしなっている。
弓矢を作る前は、糸の張りや弾力で飛ばすものだと思っていたが、大事なのはやはり竹のしなりだった。強く引き絞るにはしっかり竹を曲げておくのが重要だったんだな。
用意したのは頭の上にリンゴを乗せたマネキンだ。
保育園のときにウィリアム・テルの伝記を読んで、「息子の頭の上にリンゴを乗せて射抜くなんてたいしたやつだ」と思った記憶がある。だからやってみたかった。
私はマネキンと利害関係はないのでまったく緊張感はないが。
でも人っぽいものが向かい側にいたらちょっと緊張する。
弟が弓道部だったくらいで私と弓矢の関わりは一切なく、ぜんぜん触ったことはないのでゲーム「ラスト・オブ・アス」のエリーの気持ちで行く。
いくぞ!
ダメだ!
打ち方がダメなのか矢のバランスが悪いのか、空中で矢が倒れて寝てしまう。
矢を持ち直して今度こそ……。
やったか!?
当たってはいる!
私がウイリアム・テルだったら間違いなく息子を絶命させているだろう。
まあもしもの話はさておいて、自分が作った弓矢がちゃんと対象を射抜けたことに言いようのない満足感があった。
父親は「弓を横にするのは騎兵隊の撃ち方なんや」と言って弓を横にして撃っていたが、ぜんぜん当たっていなかった。私は本当に2発目で当てた。気持ちよすぎる。
私が(主に作業したのは父親だが)作った弓矢がちゃんと機能して非常に満足した。
もっとブラッシュアップしていけば、もしかしたら狩人のように獲物を狙うこともできるだろうし、コツを掴めばもっと上手くなれるだろう。獲物に命中させる楽しみ、丈夫な道具を作る楽しみ、そして上達する楽しみ。ちゃんとそこには熱狂があった。
自分でイチからすべて作ったわけではないが、ちゃんと楽しめた。できるだけ苦労はしたくない。無事に私がやりたかったことを形にできてうれしく思う。
だけどもう満足したので弓矢を燃やして終わる。弓矢の話はもう終わりだ。