かつての俺はボクサーとして毎日汗水を垂らし練習に励んでいた。

いわば俺にとってボクシングとは汗を流すことだったのだ。

 

 

 

 

その前提でもう一度、おでん什器を見ていただこう。

 

 

 

 

この形、なにかに似ていないだろうか?

 

そう、

 

 

 

ボクシングのリングに。

 

 

 

特に、その四角さが。

 

 

そうだ。

おでんの四角い什器を目にしたとき、長年のボクサー生活に慣れ親しんだ俺の体はそれをリングであると勝手に勘違いして大量の汗を分泌するようになった。

 

 

その汗がおでんの出汁にぽろぽろとこぼれ落ち、やがておでん全体をしっこに染め上げた。

 

これがすべての真相である。

 

あれほど真剣に打ち込んだボクサーとしての日々が、俺のセカンドキャリアを破滅に追いやったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 う、う、うえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん

 

 お、おい、そんな泣かなくても……。しっこなんてまた出せばいいんだから……

 

 ヒック、グスッ、うん……。

 

 でもね、ぼくね、ほんとはね……。

 

 うえ〜〜ん、あ〜〜〜ん!!

 うえ〜〜ん、あ〜〜〜ん!!

 うえ〜〜ん、あ〜〜〜ん!!

 うえ〜〜ん、あ〜〜〜ん!!

 うえ〜〜ん、あ〜〜〜ん!!

 うえ〜〜ん、あ〜〜〜ん!!

 うえ〜〜ん、あ〜〜〜ん!!

 うえ〜〜ん、あ〜〜〜ん!!

 うえ〜〜ん、あ〜〜〜ん!!

 

 

 \うえ〜〜〜〜ん、あ〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!/

 

 

 

 自分の顔でwordleする元気があれば大丈夫だろ……

 

 やれやれ。まさしく「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」だな

 

 ですね(´・ω・`)

 

 

 

 

 

 (´・ ・`) =ω フゥ

 

 

 

↑バカ

 

 

 

俺は泣いた。泣いて、泣いて、涙が枯れるまで泣いて。

実際涙が枯れた頃には内山くんのマックシェイクのCM以外何も覚えていなかった。

 

 

 

結局俺は、おでん屋の屋台を閉めることにした。

無理もない。

 

 

「しっこ臭いおでんを喰わす店」。

 

そんな噂が一度立ってしまえば、やってくるのは保健所かウエハースおじさんくらいなもんだ。そして、そのどちらも選べない臆病者の俺に他の選択肢は残されていなかった。

 

 

 

(ボクサー+おでん屋)をやめた俺はすっかり夢が枯渇しちまってさ。

 

他に目指す道も見つけられず、毎日アパートの自室でスケスケのネグリジェの動画を見て漫然と過ごしていた。そして、桃を指で強く押したようにじんわり心は傷つくのであった。

 

そもそもボクサーにしろおでん屋にしろ、俺にはまだ早すぎたのではないか。

 

 

あまりに見切り発車だったのではないか。

 

後悔が心を蝕んでいく。

 

そうなると、A・RA・SHIのイントロでさえも「時期尚早……時期尚早……」と繰り返し俺に囁いてるように思えてきて、それから相葉くんのことがちょっと苦手になった。

 

 

 

 

そんな俺を見かねた妻は、俺の写真と筆跡を勝手に用いさまざまな企業に履歴書を送りまくった。

 

 

甲斐あって、俺は新たな仕事にありつくことができた。

 

 

これが、俺の新しい職場だ。

 

 

そう。

 

マダムたちのこめかみ辺りを天の川のごとく彩る存在、

メガネのチェーンである。

 

 

 

人間である俺がなぜメガネのチェーンとして働くことになったのか。

 

それは送った履歴書に問題があった。

 

証明写真を撮る際に、セルフタイマーをセットして駆け出したはいいが勢い余ってレンズの手前でスッ転び、その瞬間シャッターが切れた。

 

結果、写真に写ったのは俺の顔面ではなく胸元辺り。

そう、ちょうどパーカーのヒモであった。

 

それを見たメガネのチェーンの人事担当は、俺のことを人間ではなくヒモであると勘違いしたのだろう。

 

チェーンに出来ることは恐らくヒモにも出来るに違いないという算段で、俺を採用したのだった。

人生どこでなにがあるか分からないものだ。

 

 

ともかく、挫折続きの俺だけどこの仕事だけは天職だと信じ、励むことにした。

 

 

 

 

 

入社した翌日のこと。

 

 

俺は河原で肉をあらんかぎりに咀嚼していた。

職場の先輩チェーンたちが俺の入社を祝い、歓迎パーティとしてBBQに誘ってくれたのだ。

 

 

 

 おい新人!楽しんでっか?

 

 はい、楽しすぎます!

 

 おい新人!もっと食いなよ!再不斬の目よりちっちゃい胃袋か!?

 

 はい、ちっちゃくないです!

 

 

 

 

 

やはり新しい職場は緊張するな……。

 

しかも周りはメガネのチェーンばかりで、いまだに人間なんかやってるのは俺一人。

 

肩身が狭いったらありゃしない。早く家に帰ってニーチェ先生の続きが見たい。

もうそれしか考えてなかった。

 

 

 

 

 

 

 なんか熱くなってきたな。バーベの炎に焼かれすぎたかもな

 

 それじゃあいつものアレ、やりますか

 

 いいねえ!やろう!

 

 

 

 (アレ……?)

 

 

 

 

 

 (農園ホッコリーナなのか……?)

 

 

 

 

 

驚くべきことに、アレとは農園ホッコリーナではなかった。

 

いや、事態はもっと深刻と言えよう。

 

 

 

BBQの炎にあてられてアツアツになったチェーンたちが、次々と川の中へダイブしたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

ジュ~~~~~~~~

 

 

 

加熱されたチェーンが川の水で急速に冷やされ、軽快な音をたてる。

 

 くぅ~~~、やっぱこの音だよな

 

 チェーンに生まれて良かった~~!!

 

 おい新人!お前も鳴らしてみろよ!

 

 オイオイ、無理に決まってるだろ、こいつ人間様だぜ

 

 あ、そっか!ハハハハハハハハハ

 

 

 

 

 ……!!

 

 

 

と、とんだはずかしめ正一を受けてしまった!!

 

価値観の多様化が叫ばれるようになって久しい昨今だが、人間とメガネチェーンの間にはいまだ根強い差別意識がある。こうやって人間にはできないことを目の前で見せびらかして、劣等感を抱かせようというやり方だ。

 

許せない。許せないが、俺が熱々になったあと川に飛び込んだところでジュ〜という音は鳴らない。

そこはチェーンに一日の長がある。

 

ボクシングで負け、おでんで負け、今度はメガネのチェーンに負けるのか。

フッ、俺にはおあつらえ向きな展開だな。

 

 

 

 

 

……本当にそれでいいのか?

 

 

ここでやられっぱなしでは、結局この先もロクな人生を歩めまい。

 

 

今こそ、自分を変える時だ。

 

 

 

 うおおおおおおおおおおお!!

 

 

意を決して、俺は地面を蹴りあげて川に向かって思いきり飛び込んだ。