ここに、ある一人の冒険家が残した「航海日誌」がある。
【冒険家】
犬喋崎 粒音符(いぬしゃべりざき つぶおんぷ)
1964年、繁忙期のABC-MARTで人知れず産声を上げ、生後しばらく「VAN’s の薄底靴」と同じ扱われ方をされていたが、通行人の目を狙って口に含んだ「つぶグミ」を亜音速で吐き出していたことから、正式に人として認められ、「粒音符」の名を与えられる。
高校一年の頃、ししとうを食べ過ぎて真緑色の便をしたことから「俺はりそな銀行の御曹司だ」と思い込み、銀行業務検定試験を受験するが、扇風機の裏に嘘みたいなボリュームで溜まったホコリを見て、試験日の朝に秒で気絶。大きな挫折を味わったが、その日食べたラーメンサラダが旨すぎてすぐに元気になる。
その後、冒険家に転身した彼は、西武池袋線の全ての駅にミニオンズの真似をしながら降車するなど実績を積み重ね、40歳の時にはさけるチーズをさかないまま5本食べるという暴挙が話題を呼び、Pocochaのマンスリーランキングで9位にランクイン。そのとき得た利益を元に、「ふたりエッチ」の優良さんがラッピングされたホバークラフトを購入したことから「ホバークラフト兄貴」の異名をとるようになった。
2022年1月、「水中アニメイトは実在する」と言い残し、新たな冒険に挑戦するべく真鶴港からホバークラフトに乗り込んだが、出発から62日後に千葉県茂原のビックボーイにて消息を経つ。最後の無線連絡で聞こえてきた言葉は、「白鳥麗子でございます!」だったとされる。
こうして、ホバークラフト兄貴は行方知れずとなった。
ただひとつ残されたのは、彼が片時も肌身離さずに持っていたであろう一冊のノートだ。
ノートのページのほとんどには、なぜか小説版の「フォーチュン・クエスト」がみっしりと書き写されていたが、その合間合間には彼が赤裸々な思いを綴った手記のような文章もある。
今日はその文章をじっくりと味わいながら、一人の熱き冒険家が残した足跡を追ってみたい。
AM8:00。速度16ノットで南南東に向けて航行中。
出港後、時おり小雨は降るものの風は弱く、嘘みたいに平穏な波が続いている。はたして、この穏やかさこそが曲者だ。海は一見静かに見える時が、一番危険を孕んでいる。使い古された警句だが、人生に何か大きな事件が起きる時も、たいていは前触れなど存在しない。人々は決まって“コト”が起きてから、「あんなに平和な毎日だったのに」と口にするのだ。キマグレンが解散を発表した日も、こんな静かな朝だった。
しかし、リスクコントロールに優れた偉大なる冒険家は、こうした穏やかな海にこそ危険の匂いを嗅ぎ取る。今日の日誌を書き終えたら、私は爪の甘皮とジェルネイルの間にココナッツオイルをたっぷりと塗り込み、陸から持ち込んだ唯一の着衣であるジェラピケのプルオーバーに身を包んで、ホバークラフトの後部座席にどっかと座り込むつもりだ。これでいつ、いかなる闖入者にも対応できるし、宮前平に住んでいる彼女から連絡がきてもギリ一両日中に引き返せる。とにもかくにも、常に最悪のケースに備えて行動できるのが、冒険家のもっとも重要な資質であろう。
AM11:38。深夜までさらばのYouTubeチャンネルを見ていたら、クソ寝坊した。
そんなん、海じゃなくても見れるやろ(笑)って話なんだけど、不思議と旅先にいる時ほど、いつもと同じことしちゃうことってあるよね。あるよね、って一体誰に向けてこの日誌を書いているのだろう。やることが無さすぎて、頭がおかしくなりそうだ。薄々感じていたことだが、私の性格は本質的に冒険に向いていない。ホバークラフトだってバズるために買っただけだし。(4RTいただきました)
会話がしたい。誰かと、とりとめのない会話がしたい。「とり野菜みその鍋って美味いよね」とか。「しめじとえのきってどっち入れてる? え!? 舞茸って選択肢あったの!?」とか。「マツコの知らない世界で、とり野菜みその鍋に切り干し大根入れてたの美味そうだっ
最悪。
書いてる時にウミネコにフンされた。最悪。マジ無理。俺のジェラピケに、フンで信濃川流域みたいな模様かかれてる。
一級河川かテメェわ!!!!!!!!!!!!!!!!
ダメだ。落ち着く。「一級河川か」もあんまり芯食ってないし、冒険ではパニックが一番ダメ。心拍数下げなきゃダメ。落ち着くために今からサイゼリヤの注文書く。
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AA 06
今日はひとつ、思い出話をしよう。
私が高校生の頃、通学路に頻繁に現れる「チップスターおじさん」と呼ばれる初老の男性がいた。おじさんが出没する場所はまちまちだったが、私は桜丘三丁目のファミリーマートの隣にある公園でよく見かけていた。小田急線の千歳船橋駅の辺りだ。
おじさんはいつもよれよれのポロシャツ姿で、口元がたゆんと緩んだ忘我の表情でベンチに腰掛けており、なぜか少しふやけて色あせたチップスターの容器をいつも手に持って、中身を覗き込んでいた。それが「チップスターおじさん」の名前の由来というわけだ。
不思議なことには、容器の蓋は開いているものの、おじさんがポテトチップを食べている様子はなく、どうもチップスターの空容器の中に入れた、何らかの物体を見ているようなのだ。じぃーっと飽きもせず、生気のない眼差しで。
どれぐらいの時間、そうしているのだろう?
私がチップスターおじさんを公園で見かけたあと、友達の家に遊びに行った帰りにまた同じ場所を通りかかると、同じような体勢でおじさんがまだそこに座っていたことがある。恐らく4時間余りは経過していたはずで、その時は思わず小さく悲鳴をあげてしまったのだが、おじさんは相変わらず無反応のまま、容器の底を眺め続けていた。
異常と言えば異常なのだが、しかし、私はこうも思う。一見不思議なことでも理由を知ってしまえば、案外「なあんだ」で終わってしまうものではないか? と。
ひとつ、可能性の話をしてみよう。例えば、おじさんは著名な昆虫学者であり、とある虫の交尾を間近で観察したいと考え、チップスターの空き容器に捕獲したメスの昆虫を入れ、オスがその中に飛んでくるのをじっと待っていた、という説明はどうだろう?
多少変わった行為には感じるが、知的好奇心が高じてそのような行動をとってしまう熱心な研究者がいたとしても、理解の埒外ではあるまい。チップスターおじさんがしていたことは、きっと少し変わっているだけで、大きな意味では人間の常識の範囲内なのだと思う。
そのように自分の中で解釈してから、私はおじさんを見かけても特に興味を持つことがなくなり、やがて高校も卒業して、その地域を通ることもなくなっていった。
しかし、その何年か後、偶然同じ学区に住んでいた女性と飲み会で知り合い、チップスターおじさんの話をすることができた。当然彼女もおじさんのことを知っていて、そればかりかおじさんの背後を通った時に、容器に何が入っていたかをチラリと見たことがあるのだと言う。私は積年の疑問がようやく解ける時がきた!と、身を乗り出して彼女の言葉の続きを待った。
「それがね」
「意味はよく分からないんだけど」
「やげん軟骨」
「やげん軟骨の串が入ってたの。一本だけ」
谷中銀座で、大江千里にしゃりもにグミをもらったことがあります。
AM9:06。どうにもエンジンの調子が悪く、湿り気のある咳のような異音が昨日から止まらない。
定期的なスローダウンと、ぷんと漂う焦げ臭さが不安を煽る。このままでは、大海原に身一つで放り出されてしまうかもしれない。Kindleに入れてきたジャンプラの漫画も残りは、「魔都精兵のスレイブ」のみ。状況は、刻一刻と最悪に向かっている気がする。
今思えば、やはりジモティーでホバークラフトを譲り受けるのは間違っていたのだろう。服屋で試着だけするつもりが、ズルズルと「また来ます」が言えなくなっちゃうアレだ。俺は嫌われることが怖くて、相手を拒絶できない。それは優しさとは違うものなのだと、28の時には気づいていたのに。
人生のどこでバランスを崩したのか?と考えると、いつも思い出すのは高2の春の出来事だ。クラス替えから一ヶ月後ぐらいしか経っていない、まだ地に足がついていない雰囲気の教室。
深夜ラジオに送った投稿をたまたま読まれたことをきっかけに、「俺という人間は、周囲の評価より実は面白いのでは?」とテンションの上がっていた私は自然と口数も手数も多くなり、体格もカーストも上位のクラスメイトに「強めに当たっていく」というリスクを冒し始めていた。
当時、私が得意のパターンとしていたのは「スベっていることにする」という形で、会話の中で少しでもキャッチボールが止まったり、ベタな返しによって「あ~」という空気になったり、前にもあったパターンのやりとりが繰り返されたりすることを一番に発見しては、「いや、遅い遅い遅い!」「フッて損したな~」「ちょっと待って。同じ一日繰り返してる?」などの発言をして、「スベり役」のポジションを自分以外に回すことで面白げな雰囲気を作るというものだった。
これをやる時に気をつけなくてはいけないのは、スベり役を課せられる人間のヘイト管理なのだが、高2の私に他人のプライドを気にする余裕はなく、その場の面白さは自分一人で収穫して構わないものなのだと信じ込んでいた。
「勝ちすぎ」は、やがて破綻を招く。そもそも人間とは、もしかしたら勝った瞬間から負け始めているものなのかもしれない。
ある日の体育の時間、紅白に分かれたサッカーをやろうという時に、どっちの組になったかは忘れたがキーパー役をじゃんけんで決めようということになった。そこでクラスのリーダー格であった浦壁くんが、「物凄く早口でじゃんけんをして、一人で勝手に勝ちを宣言する」という行為をしたのだ。
今思えば別にボケでも何でもない、男子なら誰でもやりそうなイタズラといった感じのアクションだが、問題は浦壁くんがあまりにも「早すぎる」スピードで、じゃんけんと勝利宣言を同時に行なったため、その場の誰もが何が起こったのか飲み込めず、キョトンとしたまま棒立ちになる時間が発生してしまったのだ。
浦壁くんが、
「じゃけぽはいかちー」
と言った0.9秒後ぐらいに、私は「あ、早口でじゃんけんをしたのか」と理解したが、周囲の誰も動こうとしなかったため、浦壁くんは親切にもう一度、
「じゃけめーーい」
と、(照れもあったのか)一回目よりも口調を崩した形で「じゃんけんと勝利宣言を自分だけでする」ということを繰り返した。が、一回目でピンとこなかった行為が二回目で急激に笑いになるということもなく、完全に「スベった」という空気が出来上がってしまった。
こうした時、関係性の強い人間が「うっせっ!」とか「はい!じゃんけんしますよー!」とかメリハリのある声を上げて仕切り直してくれれば大いに助かったのだが、浦壁くんと同じぐらいの地位にいた男子は、紅白戦で別のチームに分かれてしまっていたため、その場に彼に対して強くツッコめる人間は存在しなかった。
私も彼とは数回ほどしか対等に喋ったことは無かったが、前述した笑いに関する多少の成功体験が私の自意識を引き上げ、「今なら浦壁くんをスベらせることもいける」と判断した私は、次の言葉を口にした。
「ね、ちょっと湿っぽくなっちゃいましたけど……」
2、3人のクスっとした笑いが起き、一瞬「いけたか?」と思った後、浦壁くんが私をねめつけながら言ったことが忘れられない。
「は? 湿っぽくねえよ」
言外に「お前は調子に乗るな」という強いプレッシャーの含まれたその言葉に、私の胃は瞬く間にキュッと巻き上がり、そのあと「おっとぉ?」とか何とか言ったかもしれないが、あまり記憶がない。とにかく口元の引きつりを隠すので精一杯だったことだけを覚えている。
恐らくいくつもの揉め事と渡り合ってきた浦壁くんからすれば、少しイラっとしたので威圧してやろうというぐらいの気持ちだったと思うが、強い言葉に慣れていない私は、その一言だけで相手の方も見れなくなり、「このまま殴りかかられたらどうしよう」という不安で血圧が急激に下がり、その場に座り込みたいほどビビってしまった。あの日、確かに私の自信は打ち砕かれたのだ。
それ以降の私の人生は、言うなれば全て復讐だ。浦壁くんへの。自分への。それもここで終わ――(文字が滲んでよく読めない)
マスクメロン。
PM13:06。エンジン停止。丸亀製麺で1尾170円のえび天をつけると、感覚的に「倍」払っているような感じがする。
夢を見た。
ミニナンの。
AM6:14。動きは弱々しいが、エンジンの復旧に成功した。全く風のない、怖いほどの静けさの海を、私のホバークラフトはゆっくり、ゆっくりと滑っていく。水平線の向こうまで何も見えない、無限に続くような海面に朝日がキラキラと煌めく光景は、美しすぎてとても現実とは思えない。もしかすると、自分はとっくに黄泉の国にいるのかもしれない。
こうした冒険を続けていると、いつしかそこで味わう感動よりも、ただ「続ける」ということが目的になっていることに気づく瞬間がある。心を動かすことよりも、ただ続けるということを続けるために続けているような感覚。今回のホバークラフトの旅も、半分ぐらいは意地のようなものだったのかもしれない。しかし、こうした光景を目の当たりにすると、意地を張ることでしか見えない景色も確実にあるのだろうと思う。そして意地を張らなかった私が見ていた景色も、どこかに存在するのだろう。どちらを選んだにしろ、私は私を生きた。それでいい。
2ヶ月前に旅に出る前に、持っている服やズボンの襟、ポケット、袖と、開いている穴という穴をテープのりでびっしり塞いできた。私がもしこのまま旅から帰らなければ、いつか私の服たちは誰かに発見され、「なぜこの人は、旅に出る前に洋服の穴を全て塞いだのか?」という謎が残るだろう。
きっと気持ち悪がるに違いないが、その謎は永遠に私という存在を「誰か」の中で生かしてくれる。肉体としての生が終わっても、“問い”としてこの世界にとどまり続けるのだとしたら、それは思っていたよりもずっと悪くない気分だ。
最後に心に引っかかていることを一つだけ。以前、地味ハロウィンに参加した時、「日本神話のヤマトタケルと同じ格好で、イーサリアムの値動きをめちゃくちゃ気にしている人」という仮装をしていったのだけれど、「地味でもないし、何?」という空気になった。あの時は本当にすいませんでした。
この日記を最後に、兄貴は消息を絶った。
あなたに少しでも、ホバークラフト兄貴が残したものが伝わりますように。
最後となったが、兄貴が消息を絶つ直前に残した言葉をここに紹介して、記事のしめくくりとしたい。
「朝食りんごヨーグルトを夕食に食べる」という記事で、次回のオモコロ杯を狙います。白鳥麗子でございます!
―― 犬喋崎 粒音符(1967-2022)
(終)