誰に言われるでもなく、何のためでもなく、ただ目の前の「かき揚げ」を撮り続けた男がいた。

 

 

▼写真家 虫塗部 足清(むしぬりべ あしきよ)

1967年、精肉店のショーケースの中で生を授かり、Jリーグチップスを主食にスクスクと成長。幼少の頃、スーパーファミコンにオイキムチの汁をこぼしたことをきっかけに写真家を目指し始め、耳たぶの肉を “重くして”シャッターを押すという、非常に特徴的な技法「ダークネス・ディバイド」によって広く知られた。

彼をもっとも惹きつけた被写体は「かき揚げ天ぷら」であり、生涯で撮影した2890万枚に及ぶ写真のすべてが、何らかのかき揚げ天ぷらである(一番多いのはえび、次点は指サック。後期の作品は、そのほとんどが指サックのかき揚げであった)。

 

閑静な住宅街に赴いては、100%の声で「焼き肉ヨーデル」を歌うという奇行を繰り返し、住民たちに「今?」と思われていたというエピソードでよく知られる。

 

2018年10月、紅茶花伝を飲み過ぎたため逝去。

(※モンゴルにて生存説あり)

 

今日はそんな彼が残した作品群を、彼の生前のコメント(※モンゴルにて生存説あり)とともに振り返ってみることにしよう。

 

 


 

 

幼い頃から他人の表情を読むのが苦手だった私は、いつしか輪郭で他者を区別するようになっていた。私の記憶の中の級友たちは、表情の部分だけぽっかりと黒い穴が開いているようだが、しかしこの丸い輪郭は◯◯さんだとか、このゴツゴツとした輪郭は××くんだとか、案外、輪郭だけでも思い出というものは残るようである。

相手からすれば失礼な話かもしれないが、輪郭とは世界とその人の存在を隔てる線のようで、じっと見れば見るほど魅入られるものだ。この人の、この命を形作っているものは一体なんなのだろう? その問いは、いつしか私の中で大きく膨れ上がり、今でも解決するどころか大きくなり続けている。

 

 

 

私に人生で初めて恋人と言っていい女性ができた時、二人でした最初の食事は最寄り駅前の立ち食いそば屋だった。

当時、私にとって外食と言えばその店でそばを食べることぐらいだったので、「食事に行こう」と言われた私は、何の考えもなく立ち食いそば屋に彼女を連れて行ったのだった。今となっては、全くバカげた話だが。

食券機の前で戸惑う彼女に、私は「春菊天がうまいんだ。卵も付けよう」と言って自慢げにボタンを押してやり、二人で大した会話をすることもなく、ただフウフウと熱いそばをすすって「じゃあ」と言って別れた。

自宅に帰って、「もしかすると、食事というのは男女できちんとする “そういう” 食事だったのか?」とハタと気付き、彼女のアパートに電話をかけて謝罪をした。さいわい笑ってくれていたが、心中穏やかではなかったのではないだろうか。

それが証拠に、次の日には学内は「春菊天」の話で持ち切りだった。あの出来事以来、街中で恋人たちの姿を見かけると、いつも余裕ぶりたいような、心細いような、寄る辺の無いあの時の気持ちを思い出す。大学は中退した。

 

 

私が祖師ヶ谷大蔵の大戸屋でバイトをしていた頃、同僚たちから「チップスターおじさん」と呼ばれている初老のお客がいた。チップスターおじさんは、いつも判で押したように「梅おろしチキンかつ定食(チキン2倍)」を注文し、食べ終わったあとでどこからか取り出したチップスターの容器をテーブルの上に置き、短い時で5分、長い時で20分弱も、何をするでもなくじっと眺めているのだという。確かに第三者から見れば珍妙な行為だ。

しかし、一見不思議なことでも理由を知ってみれば、案外「なあんだ」で終わってしまうのも世の常だ。例えばチップスターおじさんは、チップスターの容器に家族やペットの遺骨を入れていた、という説明はどうだろう? 多少奇異には感じるが、食後に近しい人の遺骨を眺めながら過去に思いを馳せていたとしても、全く理解の外では無いはずだ。

チップスターおじさんがしていたことは、きっと少し変わっているだけで、大きな意味では人間の常識の範囲内なのだと思う。

シフトの関係で、私は実際のチップスターおじさんに出会うことは無かったが、バイトを辞めた後、たまたま当時の同僚に街で再会することがあった。驚くべきことに、彼はチップスターおじさんがチップスターの蓋を開けるところに遭遇し、中身を見たのだという。

 

「それがさ」

 

「レゴだったんだよね」

 

「黄色いレゴの人の、首のパーツだけが大量に入ってたんだよ」

 

 

 

歌舞伎町で、大江千里にアセロラガムをもらったことがあります。

 

 

Suicaに5000円入れてる日って、なんつうか無敵。

 

 

 

20歳の頃、一瞬だけハゲタカを飼っていたことがある。

私が主体的に飼おうとしたわけではなく、近くの動物園から逃げ出したハゲタカが、開け放たれていた窓から私の部屋に入ってきたのだ。何故かそのまましばらく私の部屋に居座ってしまったハゲタカは、強烈な獣臭を撒き散らしながら、鋭い爪で私の部屋に貼ってあった「サクラ大戦2」のポスターを引き裂き、暗く貪欲な目で私をねめつけていた。君、死にたもうことなかれ。

恐らくハゲタカは腹が減っているのだろうと思った私は、近くのスーパーオオゼキで鶏・豚・牛の生肉を買い込み、自分用にとオリジンの「のりチキン竜田弁当」も買って自宅に戻ると、果たしてハゲタカはのりチキン竜田の香気に反応し、「ケェーッ」と一声鳴いて私からオリジンの袋を奪い取った。その時、奴に食いちぎられた左こめかみは、今も雷が鳴るとズキズキと痛む。

ハゲタカはその後、5日間ほどを我が家で過ごし、その間に27個ののりチキン竜田弁当を平らげ、私の吉田カバンを糞尿まみれにして、突然また翼を広げて窓から去っていった。不思議と腹が立つということはなく、むしろその雄大さ、野生というもののエゴイスティックぶりに、私はほとんど心を打たれていたと言っていい。

ハゲタカが私の元を去ってから3日後、私は通っていたピラティス教室でおしっこを漏らし、そこを出禁になった。

 

 

 

落としちゃったとき。

 

 

星野リゾートを十万の弓兵を率いて陥落させた後、ひとっ風呂浴びてから撮った写真だ。とてもそうは見えないよね? そこがいい。

 

 

 

Come on! Come on! Come on!

Come on! New York!

Come on! San Francisco!

Come on! Washington, D.C!

hey,

yes,

You are good girl.

and…

I am elbow rescue.

I wanna be a elbow rescue.

pardon?

 

 

 

この前、個展に来てくれた人が「あなた、かき揚げのことが本当に好きなんですか?」と核心めいたことを私にぶつけてきたが、物事が好きか嫌いかという単純な話だけでこんなことを続けていられるわけがない。好きや嫌いじゃなければ、あるいは上手か下手かという話が先になければ何かをしてはいけないと感じる人は、私が思っている以上に多いようだ。

私の場合、そういうことを感じる前に「まず、かき揚げがあった」のであり、思っていた以上に私の人生にかき揚げはあり続けた。ただそれだけのことだと思うし、いつか全てが嫌になってやめてしまう可能性もある。

そういった私の人生に対する感慨をすべてお話するには、時間も言葉も足りなかったので、その時はにぎりっぺを投げつけるだけでその場を後にした。そのあと、くさくさして「星のドラゴンクエスト」に2万課金した。これとて好きで課金しているわけではない。何の意味もないから、いいのだ。行く先に何も見えない、ぽっかりと空いた暗い穴に時間や存在が吸い込まれていく。その荒涼とした風景が、私にとってむしろ救いになっていることを考えると、私がかき揚げを撮る意味などむしろ無い方がいいのではないだろうか。

先日行った寺の和尚も、そんなような話をしてくれた。「俺は握力だけでチンパンジーを5匹殺したことがある」という話もしてくれた。あれは本当に和尚だったのだろうか?

 

 

あなたには、かき揚げたちの声が聞こえただろうか。

 

最後となったが、虫塗部が逝去する直前、紅茶花伝をがぶ飲みする前に残した言葉をここに記したいと思う。

 

 

今こそ基本に立ち返ろう。人によって、見えている世界は違う。私たちは一人ひとりが固有の生き物なのだ。すいません刑事さん、アクサダイレクトの名前でご町内にイタ電をかけまくったのは私です。私がやりました。

 

―― 虫塗部 足清(1967-2018)※モンゴルにて生存説あり

 

 

(終)