うーん・・・ どうしてかなあ

 

 

 

うーーーん・・・

 

 

 

う~~~!!! なん!!!

 

 

 

 

 

 

 

なぜ 人類は戦争に 明け暮れてるの?

 

 

 

 

 

 

 

 

3400年前から今日まで、世界で戦争がなく平和だった期間はわずか268年しかない。

 本当の戦争―すべての人が戦争について知っておくべき437の事

 

 

人類は、その文明を歩き始めたときから戦いに明け暮れている。

戦争が起きる理由は様々だが、そのひとつはイデオロギーの対立である。

 

 

 

 

 

 

すなわち 
尻が好きか 胸が好きか
という対立である。

 

 

 

 

 

 

 

親愛なる読者諸兄姉、貴君は、尻と胸、どちらにフヱチズムを覚えるだろうか?安心してほしい、これは、貴君の性別や年令に関係のない、もっと深層に根ざしたものだ。

 

この尻が好きか、胸が好きかは、対立を生んだ。歴史が大きく動くとき背後にこの対立があった。

 

この対立は、古今東西・老若男女問わず、である。
歴史をさかのぼってみよう。文字記録のない先史時代である。

 

 

 

先史時代

 

聡明なる読者諸兄姉であれば、すでにご存知であろうが改めて紹介したい。オーストリア・ヴィレンドルフ近郊の旧石器時代の遺跡から出土した、胸部を強調した小像、通称ヴィレンドルフのヴィーナスである。

 

ヴィレンドルフのヴィーナス ウィーン自然史博物館収蔵

 

そしてこちらも名の知れたヴィーナス像である。フランス・レスピューグから出土した臀部を強調した像で、通称レスピューグのヴィーナスである

 

ヴィレンドルフのヴィーナス フランス人類博物館 収蔵

これらはほんの一例に過ぎない。世界中でヴィーナス像が出土している。ヴィーナス像は大地母神をかたどったものと一般に認識されており、数多の部族が、それぞれに豊穣の神としての胸派多産の神として尻派に分かれて、信仰していた。

 

イラク シャニダール洞窟

 

そして尻派・胸派の衝突の痕跡も発見された。

イラクのシャニダール洞窟から臀部を強調したヴィーナス像が多数出土しており、洞窟外には胸部に外傷のあるネアンデルタール人の骨が発見されている。化石に残る人類の記録の上で、個人間ないしは生物種の間の暴力の最初の例である可能性があり、ネアンデルタール人の中で唯一の事例である。考古学会では、これを尻を崇める部族が胸派部族を攻撃したと見る動きがある。

 

 

 

紀元前

 

狼の乳を吸うロムルスとレムスの像

 

時代は下って紀元前753年
王政ローマ初代王であるロムルスと弟のレムスのローマの建国神話が有名である。

 

 

 

神話の概略はこうだ。

兄弟は建国にあたって議論を交わした。兄弟のうちどちらが建国者になるべきか、議論の要旨は、胸か尻かどちらを信奉しているかで決めるべきかに着地した。

 

かの有名な “Aut pectus et clunes”「胸か、尻か、」である。

 

 

議論は平行線をたどり、決闘の末、ついにロムルスはレムスを殺してしまう。ロムルスは都市を完成させるとその街をローマと名付け、愛と美尻の女神ウェヌスを主神と定めた。兄の贖罪だったのだろうか。レムスの遺体は、弟の死を悼んだロムルスによってローマを見下ろす「ローマ二丘」 オピオとオピウスの丘の谷間に埋葬されたという。

 

ローマ郊外 オピオとオピウス

 

これは、ローマの建国神話、つまり伝説ではあるが、史実を含むとする向きもある。

 

オリジナルの『尻の美しいウェヌス』の発見を目的とした水中調査の準備が進められているのだ。

『尻の美しいウェヌス』Callipygian Venus とは、ロムルスが主神に定めたウェヌスの表現形式の一形態である。振り向きざまに尻を見せる形式で人気となりいくたびもコピーされた。オリジナルは作者不明でヘレニズム期に青銅で作られたものとされるが、戦乱によって失われてしまった。今も地中海のどこかで微笑んでいるのだろうか。

 

尻の美しいウェヌス  ナポリ国立考古学博物館 所蔵

 

 

シルクロード

 

Dance of Chandraprabha

 

しめくくりに、時代を下って、シルクロードを辿ってみよう。
タクラマカン砂漠の南西30kmにそれはある。尻派玄奘三蔵(いわゆる三蔵法師)も立ち寄ったウイグルのクムトラ石窟だ。ここには臀部を強調した石仏が残されている。11世紀になると、胸派諸侯の侵攻により臀部を中心に破壊され、信徒も改宗を迫られたが、信仰を隠しながらも守ったものも多かった。ちょうど日本の隠れ尻シタンのように。

現在、信仰は回復し、ユネスコにより臀部の修復と保全が行われている。

 

 

20世紀のサピエンス

まとめよう。駆け足で人類の争いの歴史を見てきた。

古今東西、人類のいるところには争いがあった。胸のあるところには尻があり、尻のあるところには胸があった。しかし、20世紀に入りひとつのパラダイムシフトが起きる。

 

 

 

Max Karl Ernst Ludwig Planck(1858-1847)

 

量子論の発見は、素朴なものだった。年齢とともに胸派が尻派にシフト(またはその逆)が起きることは実験的に確かめられていたが、古典的な胸派・尻派解釈の方程式に当てはまると、年齢の極限で尻・胸の引力は発散してしまう矛盾があった。そこで、マックス・プランクは「どちらか一方だけを極限好きになることはできない」という仮説を立てた。

 

Albert Einstein(1879-1955)

 

プランクに続き、アインシュタインが量子論をさらに拡張した仮説を提唱したのだ。

「光は胸であり尻である」

アインシュタイン本人がラジオで行った量子仮説の説明の冒頭は、明快でそれだけに反響の大きいもので、科学者のみならず大衆にもよく知られるようになった。

アインシュタインが提唱した、胸と尻、相反する属性をあわせもつ量子という考え方は、科学の範疇のみにとどまらず、文化や芸術へ伝播した。“ダイバージェンス” つまり多様性は近代的な視座・視点をもたらし、このスローガンを胸に(同時に尻に)かかえて、人類は新世紀の門を開いたのである。

 

 

おわりに

さて、締めくくろう。
人類史は戦争の歴史であった。だがサピエンスとは「賢い」という意味だ。
世界人口が70億を越えたこれからの時代、ますますイデオロギーの衝突は増すだろうが、我々サピエンスはそれをダイバージェンスと捉えることができるはずだ。

 

さあ、

最後に現代を生きるサピエンス諸兄姉にこの言葉を送ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おしまい)