
はっ!!
今のは一体誰の声!?

リンゴさん?

小鳥さん?

それともお月様?

教えて!! 今のは誰の声なのよ〜っ!?
……などと一芝居打ってみたが、それが自分の内なる声であることに私はとっくに気付いていた。これは私の魂の叫びに他ならない。
茂原について

茂原(もばら)市は、千葉県東部にある市。私の住む東京からは50〜60キロほどの距離らしい。私は茂原に縁もゆかりもなく、この機会を逃せば一生行くことはないだろう。ただ、10年以上前に見た東京ダイナマイトのネタに名前が出ていたので存在は知っていた。当時はそんな地名聞いたことがなかったので、架空の地名を言うというボケなのかと思っていた。
リンスについて

コンディショナーとも呼ばれるヘアケア用品。髪の表面を油分でコーティングし、ダメージやパサツキを抑えるという。正直あまり効果を実感したことはないが、しないよりはましだろうと思って毎日リンスをしている。なお今現在、わが家のリンスは特に減っていないので買いに行く必要はない。
私について

私は変わり映えのない生活を送っている。日々自宅でパソコンに向かい、出かける場所といえば近所のコンビニやスーパーばかり。たまに遠出することがあっても、行き先はたいてい過去にも行ったことのある場所だ。それが不満なわけではないが、不満を感じないことに漠然とした不安を感じ始めている。私は一生こんなことを繰り返して、心に火を灯すことなく、ただ枯れていくのか?
とはいえ、大それた冒険や変化を望んでいるわけではない。今の暮らしが失われることは避けたいし、あくまで日常の範囲で目新しいことをしたいのだ。そういう葛藤の末、私の魂は「茂原にリンスを買いに行け!」と叫ぶに至ったのだろう。我ながら理解しがたい欲求ではあるが、私は私の魂の主人としてそれを叶えてやらなければならない。
茂原へ

というわけで茂原にやって来た。約2時間かかった。お隣の千葉県だからと軽く見ていたがこんな長旅になるとは……。あまりに遠くて、電車内に掲出されたルミネカードの広告がなぜか面白く感じられてくるほどだった。遠さを表すエピソードとして全然適切ではなく申し訳ないが、本当にそうなのだから仕方ない。

駅前は開けたロータリーになっており、大きな商業施設がある。これとは別に主に飲食店が集まる駅ビルもあり、ある程度栄えてはいるようだ。

「こっちへ進んでください」と言わんばかりにまっすぐ伸びた道があるので、とりあえずこの方向へ歩いてみることに。どこに続いているのか知らないが、リンスの1つくらいは見つかるだろう。

私は埼玉出身で、地元は茂原とだいたい同じくらいの規模の町である。こういう道路沿いの風景にも地元を思い出すようで、しかし不思議と雰囲気が違って感じられる。この景色に千葉県であることを示す決定的な何かがあるわけではないのに、「千葉に来た」ということがはっきり実感できた。なんでもない町並みにも地域ごとの特色を見出せるというのは興味深い。

「勉強堂」という名前のメガネ・コンタクトレンズの店がある。メガネやコンタクトが必要な人はたくさん勉強をしているから、ということなのだろうか。それとも店主が勉強に励んだ末この店を開いたから? でもそうだとすれば、この世の全ての店の名前は勉強堂になってしまう。

かと思えば今度は「やきとり大学」が。茂原の人は勉強熱心なのかもしれない。ところで私は高卒なので、この店で飲んで「俺の最終学歴、やきとり大学!」と言うジョークをかますことができるのである。そんなの面白すぎる。私はこのために大学に行かなかったのかもしれない。今度周りの大卒どもを引き連れてこの店に行こう。

やきとり大学の店頭にはメニューが貼り出されていたが、テキーラやラムの炭酸割りは「ソーダ」で焼酎の炭酸割りは「ソーダー」なのはどういうわけなのだろう。というか「ソーダー」なんて言う?

5分ほど歩いたところで、恐ろしく駐車場が広いクリエイトが姿を現した。駐車場の広大さもさることながら、店舗も相当な規模であるように見受けられる。ドラッグストアのみならずスーパーやコンビニの役割も担っているのかもしれない。きっと住民の暮らしを大いに支えているのだろう。
だがそう思うと、ここでリンスを買うのが少々癪になってくる。わざわざ2時間かけてここまで来て、誰もが利用するような店で買い物を済ませてしまっていいのか? それにまだ茂原を訪れたばかりだ。せっかくなので他の店も探してみたい。

さらに道をまっすぐ行くと川が見えてきた。このあたりまで来ると店は少なく、民家と自然が増えてきた印象。クリエイトを素通りしたはいいが、この先にリンスを売っているような場所があるのだろうか。それにしてもいい天気である。

ふと横道に折れてみると、物語に出てきそうな小さな神社が建っていた。こんなの小学校の夏休みに友達と集まる場所じゃん、と思ったが、よく考えたら私にそんな思い出はない。部屋でドラクエ9の「まさゆきの地図」に潜り続けていたのが私の夏休みだ。なぜあの夏、私はあんなにメタルキングを倒さなければならなかったのか。

その近くには民家に囲まれたいい感じの公園もあった。これを見た時、とっさに「フリーゲームじゃん」と思ったが、その直後にこの例えが全く芯を食っていないことに気付いた。なんとなく古き良き時代を舞台にしたフリーゲームの一場面っぽい気がしたのだ。なぜ有料のゲームではなくフリーゲームなのかは自分でもわからない。
このように風情ある光景と出会うことはできたが、やはり横道にはリンスを扱う店はありそうにない。再び大通りに戻りってしばらく歩いていると、色褪せた看板を掲げた建物が目に留まった。

「深谷薬局」……
見るからに老舗で、地域に根付いているといった雰囲気の店だ。駅から遠く、かつクリエイトからはさほど離れているわけでもないので、おそらく近辺の住民しか利用していないと思われる。こういう店を探していたのだ。早速ここでリンスを買おうじゃないか。

いや、ちょっと待て。
確かにここでリンスを買えば、クリエイトで買い物するよりは茂原に来た意味が生まれる。だが、私の魂はそれを望んでいたわけではないとこの瞬間に初めて気付かされた。「茂原にリンスを買いに行け!」とは一篇の詩だったのだ。茂原でなければならないが、茂原である意味があってはならないのである。意味があったほうが収まりは良いが、「何を上手いことまとめようとしてやがる」とわが魂は言っているのだ。なんとわがままで偏屈な! でも、いつだって最後はこいつに従うしかないのだ。

一旦駅に戻ってきたが、これからどうしたらいいのだろう。大きなドラッグストアもダメ、個人経営の小さな薬局もダメでは困る。それでは買えるリンスも買えないじゃないか。

駅ビルにマツモトキヨシがあることに気付いたが、今さらここで買い物するわけにもいかないだろう。茂原くらいの規模の町ならリンスを買うことなどたやすいはずなのに、自分のせいでどんどん選択肢が狭まってきている。

駅の反対側である東口に出てみる。こちらも同じくロータリーがあるが、先ほどまでいた南口側ほど背の高い建物はなく、より落ち着いた雰囲気である。

チェーンの居酒屋が目立つ南口側に対し、こちらは個人経営の店が多い印象。どういうわけか「m&m’s」の看板を掲げたスナックもあった。正式な店名はその上の「夜兎」のほうかと思われるが、なぜm&m’s? 夜の兎とアメリカのチョコ菓子ではモチーフが違いすぎる。

さらに進むと市民センターや大きな病院も見えてきた。意外とこっち側のほうが中心部といえるのかもしれない。だがドラッグストアはない。調剤薬局は2つほど見かけたが、おそらくクオール薬局でリンスは売ってないだろう。

そういえばまだ昼食もとっていない。さすがに空腹が無視できなくなってきたので、道中で見かけた「ペンギンベーカリー」に寄ることに。茂原ではリンス以外のものを買うつもりはなかったのだが致し方ない。

「カレーパングランプリ2025」で最高金賞を受賞したというカレーパンを購入。カレーパングランプリ2025で最高金賞を受賞しただけあってうまかった。が、腹がふくれて気持ちが落ち着いたことで、かえって自分の置かれている状況の難儀さが際立ってきたようでもある。茂原でリンスを買うのがこんなに大変なことだとは思わなかった。

南口側の道はなんとなく「これ以上進んでも何もないな」とわかるタイミングがあったが、こちら側の道は何かありそうな気配がうっすらずっと続いているため引き返すこともできない。今にも、ちょうどいい規模感のドラッグストアが見えてくるんじゃないか? でも実際にあるのはやってるのかやってないのかわからない布団屋などだ。本当にこの道の先にリンスが見つかるのか?

大した距離を歩いたわけでもないのに足取りが重い。こういうなんでもないのどかな風景にさえ、今では気力を奪われるように感じる。いろいろ言ってきたけれど、結局私は「無意味」のために歩き続けられるほど酔狂で高尚な人間ではなかったということか。私はふつう。無頼を気取っているだけの、実利と打算の申し子。それが慣れないことをするからこんな目に遭うのだ。こんなことなら冒険などせず、家で無水カレーでも作っていればよかった。無水カレーって野菜の旨味が凝縮してておいしいですよね。私はその程度の人間だ。

なんで武道具の専門店はあるのに、ドラッグストアはないかなあ!?!??!?

でかい高校が見えてきた。思えば私の高校時代はひどいものだった。家庭科の調理実習で班に分かれてカフェをやろうみたいな授業があったのだが、私は事前の話し合いに出席してなかったので自分が何を用意すればいいかわからず、とりあえず1班分のスコーンを焼いて持って行った。だが別の班員もスコーンを作ってきており、しかもそれが私のより見た目も味もずっと良かったので今さら自分のスコーンを出すこともできず、学校のトイレにこもって1人でスコーンを食べたのだった。そういう学生時代を過ごした私は10年後の今、リンスを見つけられず知らない茂原の町をさまよっている。こんなのってあんまりですよ。私は私の人生から逃れられないのか。

高校の近くにはセブンイレブンがある。コンビニもいいが、私が探しているのはドラッグストアだ。だいたいコンビニなんてこれまで何軒も見てきたわけで……

いや、そうか、コンビニ!!!
リンスはドラッグストアで買うものと思い込んでいたが、コンビニでも売っているのではないか? コンビニでリンスを買おうと思ったことがなさすぎて今の今まで気付かなかった。これこそ第三の選択肢、唯一の活路だ。それに、茂原まで来てコンビニでリンスを買うというのは、マジ、かっこいい。早く「茂原のコンビニでリンスを買った自分」になりたくてうずうずしてきた。

果たしてこのセブンイレブンにリンスはあるのか!? あってくれ!! 私をさらなる高みへと引き上げてくれ!!




おい、わが魂よ、これで満足か? お前の渇きは少しは癒えたか? ……そう、それならよかった。だって私は、まさにお前を喜ばせたかったんだから。それじゃあ帰ろうか。変わり映えのしない、退屈で、温かい日常へ……







彩雲
たかや
寺悠迅

めいと








