先日、近所を歩いていた時のこと。
道端の植え込みの中に何かが落ちているのが目に留まった。


・・・・・・凄十のゴミだ。
凄十は、全国のコンビニやドラッグストアなどで販売している活力サプリ。健康補助や疲労回復を目的とする栄養ドリンクの一種だが、一般的には「男性機能を高めるために飲むもの」という印象が強いかもしれない。
私もこのゴミを目にした時は、これを捨てた者は性の満足のために凄十を購入したものと決めつけ、なんて助平な不届き者なんだと呆れてしまった。しかも、わざわざ植え込みの中という目立たない場所に隠すように捨てているのが情けない。私は投棄者の浅ましさに軽蔑と憐憫をくれてやりながら、自分だけは真っ当な人間であるような顔をしてその場を立ち去った。
それから約1週間後。同じ道を通りかかった際、まだ凄十のゴミはあるのかと思って植え込みを覗いてみた。

なかった。
凄十のゴミは、ビンも箱も跡形もなく片付けられていた。きっと誰か心ある人が拾ってくれたのだろう。世の中捨てたものじゃないですね。よかった、よかった。

そう、よくないのである。なぜ私は1週間前、自分で凄十のゴミを拾わなかった? わざわざ立ち止まって写真まで撮ったのに。私には凄十のゴミを拾おうという発想などかけらもなく、それどころか面倒だから拾いたくないとか、汚いから触りたくないとすら考えていなかった。はなからそれは自分とは無関係のことだと信じ込み、あまつさえそれを捨てた人物を嘲っていたのだ。
だが本当に哀れなのはどっちだ? 私は今のところ、この世の悪にも善にも関与していない。それってすなわち、この世界に参加すらできていないということなのではないか。凄十のゴミを捨てた者のほうが、まだこの世界に受け入れられているのではないか。そんな考えも頭をよぎったほどだった。
凄十のゴミがなくなってすっきりした植え込みが、私には冷たく無情な風景に見えた。今や悪も善も私を置いて行ってしまった。そして世界は私を待ってはくれない。私の反省を待って一緒に出発してくれるほど世界は優しくないのだ。ただ物事はあるべき方向に進み、無関係な私ひとりがそこに取り残された形であった。

私はたまらず、コンビニで凄十を買って帰宅した。まだこの話を終わらせたくなかったのだ。このまま今日という日をやり過ごしてしまえば、何か取り返しのつかないわだかまりを抱えたまま生きていくことになる気がする。それで、せめてものあがきに自分でも凄十を買ってみたのだが、これから何をしようとしているのか自分でもよくわからなかった。

とりあえず箱から出してみる。ここで気付いたが、凄十を買ったということは凄十を飲まなければならないのだ。私は凄十を飲んだことはない。凄十を飲みたいと思ったことがないからだ。

使用素材を見るといろいろすごいものが入っているらしい。ここに書かれた1つ1つを具体的に頭に思い浮かべると飲むのが怖くなってくるので、余計なことを考える前に急いでキャップを回しひと思いに流し込んだ。

これが凄十か!! 一般的な栄養ドリンクと同じような甘くて飲みやすい味だが、喉の奥にはピリッとした刺激が残り、どことなくサソリやコブラどもの面影が感じられる気がする。これは確かに活力が湧いてきそうだ。
ちなみに凄十のホームページを見ると、仕事や趣味などここぞという活力が求められるシーンにおすすめ、とうたわれている。だが私はこれから何の予定もなく、やることといえばSwitch2に画面保護シートを貼ることくらいなのだ。凄十を飲んだおかげかきれいに貼ることができた。

そして手元に残ったのは、あの日植え込みで目にしたのと同じ凄十のゴミ。失ったものを取り返したような気分になった。これでようやく再出発できそうだ。ここから自分の道を歩いていけば、いつかは世界に追いつけるかもしれない。これで一旦は気持ちに区切りがついた。凄十を飲んだのに今夜はぐっすり眠れそうな気がした。








だめだ。だめだ。だめだ。だめだ。だめだ。だめだ。だめだ。だめだ。だめだ。だめだ。だめだ。だめだ。だめだ。おい、一体どういうつもりだ? 深夜に起き出して、凄十のゴミを持ってあの植え込みを訪れるなんて。この恥知らずめ! 何をしようとしているか言え!
……これくらいなら許されると思ったのだ。一瞬、ほんの一瞬だけ、植え込みの中に凄十のゴミを置いて、すぐさま拾い上げて持ち帰るのであれば。それなら倫理的にも、環境保護の観点から見ても問題はないだろう。だがそんなものよりずっと大切なものが失われると、ここに立った瞬間に理解した。私は凄十のゴミを固く握りしめたまま来た道を引き返した。

帰宅し、すぐに瓶の中身を水で洗った。箱は燃えるゴミで、キャップは金属ゴミで捨てた。ボウルに水を溜め、その中に瓶を浸けておいた。明日の朝にはラベルがきれいに剥がせるようになっているだろう。でもこんなのは善行とも言えない、当たり前のことだ。またしても私は善にも悪にもなれなかったわけだ。今や私と世界の距離はさらに遠ざかり、たとえ凄十1000本分のエナジーを摂取したとしても到底追いつけないように思えるのだった。

彩雲
めいと

鳥角
梨
オモコロ編集部







