みなさんこんにちは。JETです。

 

2025年8月19日(火)、長野県は善光寺と、長野県立美術館に出かけて参りました。

 

(長野へようこそ)

 

 

今の労働が平日休みですので、各種イベントには参加しづらいのですが、観光名所・行楽地には皆様の裏をかいて遊びに行けるということで、友人がいないのも誰ともスケジュールを合わせる必要がなく好都合と、ここぞとばかりに朝からえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインに乗車、妙高高原駅からしなの鉄道に乗り換え、長野駅を目指します。

 

午前10時、JR長野駅着。夏休みの小学生たちが、ホームにある立ち食い蕎麦屋で、連れ立って遅めの朝ごはんか、早めの昼ごはんを食べている姿を見かけました。ある意味ここが今日の旅のハイライトでした。「君たちは今この瞬間が人生で一番楽しい時だから、決して忘れてはいけないよ」と背後から話しかけそうになりましたが、鉄道警察に連行されるのでやめました。

 

(美しい光景)

 

長野にお住まいの方や、電車で観光に訪れた経験のある方には重々承知のことかもしれませんが、あらためて長野駅から善光寺までの道のりを説明します。

 

1・JR長野駅善光寺口を出る

2・駅前大通り(中央通り)を北にまっすぐ進む

3・途中、商店街や交差点をいくつか越えてさらに直進

4・善光寺表参道に入る

5・善光寺着

 

と、距離にして2km程度、脇目も振らずにダッシュすれば15分、散策しても小一時間と、県名を冠する旗艦駅から、県内最大級の史跡に到達できるまでの速度と効率の良さでいけば、長野は日本有数か下手をすれば日本一ではないかと考えています。ちょっと散策しながら、善光寺を目指します。

 

(もしもし、間違ってますよ)

 

(ご丁寧にありがとうございます)

 

 

 

(善光寺参道)

 

(日本一持ちやすい)

 

(塩抜きして軽く炒めた野沢菜を、砂糖と醤油で味を整え、ごま油で炒める)

 

朝ごはんを食べておらず、軽い腹ごしらえに、長野といえば、ということで野沢のおやきを買いました。炎天下の体にちょうどいい塩加減と気持ちの良いシャキシャキ感、皮のもちっと加減。おじいさんになると「菜っ葉」がちゃんと美味しいです。これはマジです。いやガチです。最近の若い人は「マジ」って言わないらしいです。でもおじいさんなのに「ガチで」とか言ってるのもそれはそれでどうかと思います。どういう表現が年相応なんですかね。「げに」とか言えばいいですか。もしくは喋らないほうがいいですか。

 

はい、善光寺ドンです。

 

 

(「令和の大改修」につき一部工事中)

 

現在の本堂は宝永4年(1707年)の再建で、東日本最大級の仏教建築であり、百八本の柱で檜皮葺の大屋根を支えています。善光寺の宗教的特色として、全国でも珍しい、特定の宗派に属さない「無宗派」の寺院であることが挙げられます。阿弥陀如来が「万人を救う」「誰でもウェルカム」という姿勢でいるので「一生一度は善光寺参り」と、江戸時代から庶民が全国から参拝に来て、お金を落とすことで、ここまでの巨大木造建造物と周辺整備を維持し続けてこられた歴史があるのです。

 

(親に煙を頭にかけてもらうやつってこの先ずっとあるんだろうな)

 

さて、本堂内は撮影NGですので、メインアトラクションの「お戒壇めぐり」についてはざっくり概要を箇条書きで説明します。

 

・本堂の地下にある暗闇の回廊を、徐々に視覚が慣れるまでゆっくりと壁伝いに歩く。スマホライトの使用はもちろん禁止。

・ぐるりと一周して帰ってこられたならば、阿弥陀様との「結縁(けちえん)」が達成される。

・道中にある「極楽の錠前」に触れられればご利益がある、かもしれない。

 

まず、木の床がつるつるに磨き上げられているので、靴下だとすべる。おのずとよたよた歩きせざるを得ません。腰をくの字に折り曲げて、壁の手触りを捉えながらゆっくり、ゆっくりと進みます。体質なのか老化なのか、桿体細胞が機能してないのかわかりませんが、眼が暗闇に慣れるのが人よりも遅いようで、おぼろげながらも横をどんどんと人が通り過ぎていくのがわかります。何より独りなので「ぶつかった!」とか「大丈夫?」とか盛り上がりながら歩けないこともあり、ただひたすら光を目指していると、自分がホワイトアスパラにでもなったかのような錯覚に陥ります。でも「ホワイトアスパラじゃないんだから」とも誰にも言えないうえに、よしんば誰かと歩いていたとして「ホワイトアスパラじゃないんだから」などと発言してももう二度と会ってもらえないだろうな。とかなんとかぶつくさ心の中でつぶやきながら歩いていると、光が差してきて出口に辿り着いてしまいました。あれ?錠前は?結局触れることは叶わず脱出してしまいました。もう金輪際、私は幸せになれません。さようなら。

 

暗闇から脱出して、お土産を買おうかとさまよっていると、天下のBEAMS様と善光寺のコラボグッズが販売されていました。

 

(生涯初の木刀ユーモア)

 

木刀を購入。お寺の境内で木刀を振りかざしていても狼藉には当たらないか、と不安もあったものの、善光寺と焼印もしっかり捺されているし、問題ないだろうということで堂々と購入。そもそも旅先で木刀を買うなんて行為そのものがお調子者丸出しなので、いい歳こいて控えたほうがいいのですが、のど自慢にもエントリーしたことですし、もう開き直って生きていきます。私は生粋のお調子者なんだ。

 

(自分、いつでもいけます)

 

(定職につけ、愚か者)

 

1人で散策中の、頼まれたら断れなさそうな成人男性を捕まえて写真を撮影していただきました。「善光寺をバックに、いい感じに撮ってください」との無茶振りにもしっかり応えてもらい、素晴らしい人柄を感じました。その節は本当にありがとうございました。

 

(「十割そば 大善」さん)

 

(十割とろろそば)

 

飲食店が混み出す前に、先んじてそばを食べようと勇んでいたのですが、そぞろ歩いているとあっという間にお昼になってしまいました。お邪魔したのは「十割そば大善」さん。とろろ十割そばを注文。店内には故・おヒョイさん(藤村俊二)の写真が飾られていて、いまの芸能界っておヒョイさん(藤村俊二)みたいな人っていないなと思いました。おヒョイさん(藤村俊二)という名前は、”いつの間にか「ヒョイ」と現れることが多い”と付けられたあだ名らしいです。

 

鰹出汁がふんだんに効いていて、十割そばははっきりとしたコシがあり、喉越し爽やかでとても美味しかったです。そして嬉しいのがそば湯。そば湯って何となく風邪とか一発で治りそうな感じがありますよね。

 

そういえば、昔『クレヨンしんちゃん』で時の総理大臣・橋本龍太郎をパロった「恥本総理」というキャラが出てきて、「そば湯ねえのか!そば湯!」と啖呵を切るくだりがあったのですが、時々臼井義人先生って元ネタ不明の謎パロディをやることがあって、いつかまとめたいです。何の話でしたっけ。

 

あと、昔は「店員さんの接客・愛想」といったホスピタリティ面を食べログ評価に加えている人はノイズだと感じてスルーしていたのですが、最近はその点も含めて店舗の評価か、と思い直しています。その点大善さんはお店の方の接客も抜群。基本の”き”として、自分の店に誇りを持って働いている人がいるお店はいいお店です。皆さんも是非「十割そば大善」さんにお越しください。立地も善光寺正面で抜群。

 

◆十割そば 大善

住所:長野県長野市大門町46-1

営業時間:10:30〜15:00(そばがなくなり次第閉店)

定休日:水曜日(祝日除く)

 

腹ごしらえも済んだところで、歩いて次の目的地「長野県立美術館」を目指します。善光寺から歩いて徒歩5分。お寺に参って即アート。これは行かなきゃ損でしょう。

 

(土建業に従事してそうな、がっちり犬)

 

(去年100周年だったから、とかじゃなくて毎年祝ってます?)

 

(ビニールテープで表現するのにもっとも適した苗字)

 

炎天下の中で回り道しまくってしまい、無駄にスタミナを消耗してしまいました。本来はもっとスムーズに辿り着けます。

 

(長野県立美術館)

 

さて長野県立美術館に着きました。ここでは、特別展示のマルセル・デュシャン(1887-1968)の代表作にして問題作『泉』を確認することが目的です(ごめんなさい、現在は展示終了しています)。

 

(便器か?)

 

便器ですね。デュシャンが真面目に絵画をやっていたのは30代半ばまでらしく、以降はあれこれ勿体ぶった理屈をこねて「これも芸術だろ」と当時の美術界隈を荒らした、バグとかイレギュラーみたいな人なんだと思うのですが、やはりハッタリは食っていく為に必要なスキルであることに疑いはないのでしょう。むしろ炎天下を歩いて便器を確認させられている事実に沸々と怒りが湧いてきました。しかしそれもデュシャンの掌の上?いやこれは純粋な私の怒りです。これ便器だろ。泉じゃなくて。

 

(『これが全人類所有可能の絵画だ』キャプション)

 

そしてもう1人の怪人、長野県諏訪郡出身の芸術家、「松澤宥(まつざわ ゆたか)(1922-2006)」。早稲田の建築を出た後、芸術を志したと思いきや、コロンビア大学で宗教哲学を学んで、ある深夜に突然「オブジェを消せ」と啓示を受け、「概念芸術家」として活動を開始。今回の特別展示では、代表作『ψ(プサイ)の部屋』の一部が展示されていて、その中でも目を見張るのが、

 

(『これが全人類所有可能の絵画だ』)

 

「虚空間状況探知センター」と名付けた自宅から、怪文書の書かれたハガキをばら撒いてそれを”作品”と呼びました。もうなんでもありです。しかし彼は、徹頭徹尾命懸けでこういった作品群を乱打していて、芸術という概念そのものと一体化を試みていたようです。何て何て?

ちなみに現代アーティストの巨匠、草間彌生(長野県松本市出身)が師と仰ぐ人間でもあります。

そして常設として、日本画家「東山魁夷(ひがしやま かいい)(1908-1999)の作品群が展示されています。こちらは撮影公開NGですので、作品イメージは以下のリンクを参考にしてください。

 

https://nagano.art.museum/higashiyama_kaii_gallery

(長野県立美術館公式HP:東山魁夷館)

 

東山魁夷は、東京美術学校(現:東京芸術大学)を出て、ドイツに美術留学し、戦争による挫折を経験、遅咲きながらも「こつこつ」「真面目に」「最後の最後まで」日本画を描き続け、いわば王道を辿ってきた人です。文芸雑誌『新潮』の表紙連作が展示されていたのですが、季節ごとに題材を決め、前号との連続性を意識しながら洒脱な絵を描いていて、その創作メモも併せて展示されていました。どこまでも真面目な人だったのだと思います。その人の作品が、デュシャンや松澤さんのような、ノールールデスマッチを挑んでくる人らと並べて展示されているのが、構図としてメリハリが効いていて面白いな、と感じました。

 

(長野オリンピック(’98)聖火台。JETは男子ボブスレーを観に現地に行きました)

 

(白鳥(しらとり)さんのバレエ教室だったら出来過ぎだし、白鳥の湖から来ていたらちょっとだけ冷める)

 

(さくら丼)

 

最後に、長野駅構内の『明治亭』さんで名物:さくら丼を頂きました。ソースカツ丼もメニューにあるのですが、ソースカツ丼は福井県の名物でもあって、どこで食べるのが得策なのかと思案したまま、まだ地方名物として手をつけられていません。”さくら”とは馬肉のこと。つまりは、馬刺しどんぶり。長野は農耕用の馬を食肉として食べる文化があり、特に南信州(飯田、伊那)では馬肉食が盛んなようです。さて、さくら丼。森高千里の『この街』で「夜のおかず何にすっと?馬刺しがよか。」というフレーズがあり(この歌の舞台は熊本ですが)、それを初めて聴いた時「馬刺しって米に合うか?」と疑っていました。

 

いざ食べてみると、「馬刺しはうまい。米もうまい」という感想。馬刺しはうまい。米もうまい。タレもうまい。滋養強壮にもいい。食べる価値あり。みなさんも是非、明治亭さんのさくら丼。召し上がってみてください。今回は以上です。

 

◆ソースかつ丼 明治亭 長野駅店

住所:長野県長野市南千歳1-22-6 MIDORI長野 3階 

営業時間:11:00~22:00(ラストオーダー 21:30)

定休日:原則なし(不定休、年3回休館日あり)

 

(長野県立美術館『いきものの森』より。またお会いしましょう。)

 

 

過去に訪れた場所