洋服のリフォーム屋の、かけつぎの仕事を辞めた。生まれつき手先が器用で、かつ、コミュニケーションがあまり得意でない私には、黙々とミシンと糸と針に集中していれば良かったから向いている仕事でした。けれど、還暦を迎えた今年の夏にすっぱり辞めました。夫の退職金の見込みもあるし、なんといっても飽きたからです。

 今が何曜日だか、すっかり感覚が失われて久しい。おそらく旦那と子供が出払っているので平日。テレビをつける。コマーシャル。

「ついついゴロゴロしてしまう」

「気がついたらもう夕方」

「体重計に乗ったらびっくり」

 そんな時にはこれ。『大地のちから』。行者ニンニクエキス配合。詳しくは本日の朝刊の折込チラシにて。

 結局何に効くのかよくわからないんですけれど、平日の昼間にテレビをつけている層なんか、どうせ「ついついゴロゴロしている」し「気がついたら夕方になっている」し「体重計に乗ったところ想定よりも体重が増えていて、びっくり」しているに違いないだろうという偏見、もとい、マーケティングに従って打ち出される広告。しかし反論ができないのも事実。こたつでゴロゴロしながらいつのまにか午後。蓄えられるばかりの贅肉。『大地のちから』を飲めば、シャキッとして運動する気が起きて、時間の進み方がゆっくりになり、痩身効果がある?麻薬?麻薬のコマーシャルをやっている?

 確かに、今の世の中深夜より、麻薬のコマーシャルをやるなら昼間か。テレビでコマーシャルを流したって、今どき若者は見やしないでしょうし、それなら、暇な騙しやすい我々のような年寄りの専業主婦を狙い撃ちにして、麻薬を売りつけたほうが儲かるのでしょう。テレビはすでにやくざやマフィア、フリーメイソンに支配されていると、辞める間際に同僚の高橋さんも熱弁を奮っていました。話半分に聞いていましたけれど、今こうして麻薬のコマーシャルが放送されている事実を目の当たりにすれば、ばっさり否定もできないのかもしれません。

 私には度胸がございませんので、いかにテレビで宣伝していたからと言っても麻薬を購入するつもりもありません。そのままテレビはつけっぱなし。次はアタッチメント式の、パチンとやるタイプの部分かつら、もとい、ウィッグのコマーシャルが流れ出しました。70代には見えない美人の女優が出てきて頭頂部の薄さに悩んでいのですが、ウィッグをパチンとやるとあら不思議、見た目も心も若返り、服装までカラフルになって、なんならカラコンまでつけて黒目の色素が薄くなり直径が小さくなってしまいました。ここまで来るとウィッグの力でなく、持ち前の美貌と照明さんとスタイリストさんとメイクさんの力量を見せつけられているだけなんじゃないでしょうか?

 私も20年、30年前の頭髪量ではありませんし、時折美容院で染めてはいますけれど、毎日若々しく黒々といきましょう、といった心意気、心持ちではなくなってきているのは否定しようがありません。それにしても、先ほどの麻薬のコマーシャルもそうですし、ウィッグにしたって、年寄りというのは、健康不安があって外見の老化に悩んでいるもので、日に日に判断能力が薄れているからとそこに付け込んで不要な買い物をさせようという商売が多すぎませんか。若い頃から漠然と感じていたことではありますけれど、実際に自分が「狙われる立場」になってみれば、背広を纏ったトンビやハゲタカが頭上をぐるぐる回っているような気がしてきます。

 コマーシャルが明けると、帯の情報バラエティ番組が始まりました。番組観覧席には、10人×3列ほどの私ぐらいの年代の、友達にはなれなさそうな女性たちが固そうで簡易な円いパイプ椅子に座っている。腰も尻も痛かろうに。わざわざスタジオまで出向いて行って情報バラエティ番組を視聴しようという気持ちが私には理解できません。若いアシスタントディレクターさんたちは彼女らのために百均で低反発の座布団を購入してあげて欲しいものです。汐留やお台場や赤坂や六本木には百均なんかないのかもしれませんが。だとしたら彼女らが剥き出しのパイプ椅子に座らされているのもしょうがないのかも。

 詐欺の話題。最近はどんどん詐欺の手口も巧妙になってきていて、通知される電話番号でさえ偽物であることもあるらしいですね。末尾が「0110」であれば警察からの電話だと信じてしまいそうになりますけれど、要は、コンピューターのテクニックを駆使すれば警察に成りすました電話番号を表示させることだってできるとか。そして次は宅配便会社からの再配達通知を偽った手口。業者のふりをしたメールが届き、「再配達のためにはクレジットカード番号を入力してください」と表示され、引っかかってしまえば財産を抜かれる。本物と偽物のメールを横並びで比較した参考画像を示す司会者。むしろ偽物の方がパッと見で業者のロゴマークが入っていてわかりやすく、手口を知らなければ騙されてしまうのもうなづけます。

 というよりもむしろ、いまだに私がそういった騙しや詐欺に引っかからないで生きていられたことのほうがおかしいような気がしてきました。世帯所得なんて大したことないし財産もないから悪い奴らに目をつけられていないだけなのかもしれませんけれど、今どき見境なく、誰彼構わずターゲットになる世の中、しかも見てくれだって、自分で言うのもなんですが、絶対に押しに弱く、一発で騙されるに決まっているのです。私が詐欺師なら私を騙すでしょう。そうして騙してふんだくった金銭の少なさに文句を言うでしょう。しかし、詐欺だってコツコツと弱者を狙い続ければそれなりの稼ぎにはなるはず。この辺りに住んでいる同年代の女性なんて、ちぎっては騙されちぎっては騙されてしまう。手応えのなさでむしろ避けられる確率の方が高いかもしれません。詐欺師だってプライドがあるでしょうから。

 話題が私に関係のない東京都内のデパ地下のおすすめ食材に移ったところで、重い腰を上げて洗い物、洗濯を済ませて居間に戻ってくると、昼の帯番組が終わっていて『鑑定団』の放送が始まりました。

 

 ♫ヘルプ アイ・ニード・サムバディ

  ヘルプ ノー・ジャス・エブリバディ

  ヘルプ ユー・ノウ・アイニー・サムワン ヘルプ

  ホエン・アイ・ワズ・ヤンガ・ソウ・マッチ・ヤンガ・ザン・トゥデイ

 

 何故『なんでも鑑定団』のオープニングはビートルズの『ヘルプ』なんでしょうか。お金がないからなんとか助けてください、というメッセージなのでしょうか。それはさておき、この『鑑定団』は、いつも見ても再放送で、一体何チャンネルで何曜日の何時からやっているのが最新なのかいまだによく知りません。けれど、上の子が生まれたころにはもう放送されていたような覚えがあるから、30年以上になるのですね。私も年を取るわけです。意識的に観ようと思って観た経験はないのですけれど、テレビに映っているとついつい目をやってしまう番組。「CMのあと、驚きの鑑定結果にスタジオ騒然!」などと大仰なナレーションと共にコマーシャルにいくと、前提を追っていなくても鑑定額が気になって、テレビの前に戻ってきてしまいます。

 見るたびに、私の岡山のほうの田舎の家には、そうした曰くつきの茶碗や壺や掛け軸なんかがあるかなあと思い出してみて、そうして、なんにも思い当たりません。祖父が常々自慢していた「西郷南州、つまり、西郷隆盛の署名入りの、”敬天愛人” と揮毫された書」があるのですけれど、私の家と西郷どんになんら繋がりはないと思われますし、西郷どんがわざわざ繋がりの薄い岡山県で「敬天愛人でごわす」と一筆したためてはいないんじゃないでしょうか。おそらく偽物とかレプリカの類。私の父も、「敬天愛人」が家にあるいきさつは知らないらしいのです。いつの間にか和室の鴨居の、父が地元の役場で会計課出納係として勤続30年を勤め上げた表彰状の隣に、額装されて飾ってありました。そういう気合いのこもった一筆は、やっぱり西郷どんの実家のある鹿児島か、あとは京都?とか東京?にあるのでしょうね。まったく幕末の歴史に詳しいわけではないから、適当なことを考えてしまいます。

 最初に出てきた依頼人は「谷文晁(たにぶんちょう)作の、藤の花の掛け軸」を持参しました。依頼者の父親が、知人の借金のカタに受け取った代物という。谷文晁とは、江戸時代後期に活躍した日本画家。

 借金の額から鑑みて、本人評価額は200万円。

 たぶんニセモノでしょう。

 だいたい掛け軸、とくに谷文晁と横山大観はニセモノの確率が極めて高いのです。あら、なんでこんな要らない知識が身についているのかしら。何十年も、集中していないとはいえ鑑定品と結果を見ているから多少、私の目も養われているんでしょうか。そんなはずはないか。

 CMをまたいで「驚愕の鑑定結果」が発表されます。イチ、ジュウ、ヒャク、セン。5,000円。言わんこっちゃありません。

 私と同い年ぐらいの、鑑定士の日本画の先生は「筆致がぎこちなく、谷文晁の自由奔放な筆捌きがまったく現れていないうえに、藤の花にも色ムラがあって、全体的にぼやけた印象である。よって、谷文晁作ではない」と容赦のない辛辣なコメント。続けざまに「速やかにお帰りください。そして、2度とスタジオに顔を見せないでください」と怒り出すかと思うぐらいの剣幕でしたが、流石にそんなことはなかったです。

 依頼人の70代のおじいさんは、感情の行き場のないようなしまりのない微笑みをたたえ、がっくりと肩を落としてしまいました。司会者に「また、いつかチャレンジしてください」と励まされています。おじいさんに「また、いつか」は訪れるのでしょうか?

 出張コーナー。各都道府県の自治体を訪れて、土地土地に暮らしている人々が秘蔵しているお宝を鑑定します。人の好さそうなおじいさん、おばあさん、消防団にいそうなお調子者のおじさん、ヤンキー上がり風のおじさんなどがお宝を披露。萩焼のぐい呑み、伊万里焼の大皿、ブリキの宇宙船、1964年東京オリンピックの記念切手シート。など。

 改めて集中して鑑定品を観てみます。ニセモノとホンモノ、私の調子がいいのかなんなのか、テレビモニタ越しだというのに、だいたい分別がついてしまいました。このぐい呑みは、釉薬の融け方が甘く、新しく作られたものとみた。鑑定額、3,000円。

 伊万里焼は気持ち、青味が薄い。おそらく印刷。15,000円。

 ブリキの宇宙船。おもちゃの鑑定担当のおじさんは大体古そうなら高値をつけるからどうせ高いだろう。といいますか、単にこの人の好みで高い安いがつけられているような気がしてなりません。200,000円。

 記念切手シート。東京五輪の熱でこういった記念品の類はたくさん作られているから、案外値段がつかない。とか言ってみたりして。わ。鑑定士の先生が同じことを言っています。5,000円だって。やっぱり。

 実は私ってもしかして本当に、モノを見る目があるんじゃないだろうか。かけつぎの仕事をしていた時も、ブランドもののコートなり、バッグなり、私の生活水準では到底手に入れられない高級品を取り扱うこともありましたから、いつの間にか目が養われていたりして。だからといって私が鑑定士としてスタジオに呼ばれて大活躍するわけにもいきません。骨董品屋屋の店主でもなくギャラリーを営んでいるわけでもなく私費でおもちゃの博物館を運営しているわけでもなく、一介の専業主婦に過ぎないから。

 しかし、はたと先ほどニセモノの谷文晁を摑まされた依頼者のおじいさんのしょげた顔を思い出してみて、所詮それがニセモノであったとして、どこかの誰かが金儲け目的、あるいは、世間をだまくらかしてやりたいといういたずら心で「谷文晁の名前で売りませんか。そこそこよくできてるし、どうせとっくに死んでるし、本人」と売れない画家を口車に乗せて、作品を市場に乗せ、画家としても、「私」という名前、ブランドでは食っていけないからとその時限りで谷文晁の仮面を被った可能性だってあります。自分の名前でモノを作って売れないんだったら他人を騙る、職人気質やプライドもあるけれど背に腹はかえられぬ、食っていくためには致し方なし。我こそはポスト谷文晁なり。と開き直って、谷文晁の梅、谷文晁の七福神、谷文晁のエッセイ漫画、谷文晁のヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジャケットを勝手にデザインして売ってボロ儲け。できるんだったら苦労はしません。食えないでプライドにこだわって死ぬんだったら、プライドを捨てて食えたほうがマシです。

 それで言うと、私にはプライドが一切ありません。こんなはずじゃないのに、なめないでほしい、と歯噛みした経験もありませんん。身分不相応な振る舞いはせず、食べていければいいと思っています。食べていければいいとは思いますけれど、毎日毎日来る日も来る日もテレビを見て家事をして家族の世話をして布団をかぶってテレビを見て家事をして家族の世話をして布団を被って、の繰り返しが退屈でないかと言われれば、退屈ではあります。

 なんでも鑑定団を観ていると「作者不詳」の古い焼き物に高額な値段がつけられるパターンがあります。何万もの骨董品を鑑定している眼にケチをつけるわけではないですけれど、科学的に分析しているわけではないのに、手袋を嵌めて、ルーペでじっくり品定めしたとしても、完全に、完璧に、一切のミスなく鑑定できるものなのでしょうか。もし「ほぼ寸分違わず限りなくそれっぽい」作品に出くわした時、例えば私のような一般の老人が「どうですか」とニセモノを堂々と持参して、うそをつけ。と言えるのでしょうか?

 

 どこかの誰かが創ったものでなくて、私自身が本気で拵えた作品だったとしたらどうなるのでしょうか? 

 

 

「ごめんなさい、しばらく実家に帰ります。でも、だからといって別れたいとか離婚したいとかそういうわけでなくって、自分の時間が取りたかっただけです。そのうち戻ります。連絡は取れますが、詳細はあとあと説明します。ごめんね」

 と夫と子供に告げ、いまは空き家になっている岡山の実家から車で小一時間ほど、山のほうにある備前の工房に、私は弟子入りをしました。

「お茶が趣味なんですけど、凝り性なもので、どうしても器から自作したいとなってしまって。実家が岡山市内なものですから、それだったら備前焼を本格的に勉強したいって。みんな、私が立派な備前焼の茶碗を創ったら驚くぞって思って」

 と適当な理由をつけて。お茶が趣味というのは真っ赤なウソだけれど、立派な備前焼の茶碗を作ってみんなを、世間をあっと言わせたい気持ちにウソはありません。

 備前焼の特徴は、土そのもの、素材そのものの素朴な味わいを大切にする点。ルーツは六世紀の中頃まで遡ります。朝廷に献上するための陶質土器「須恵器」を焼く窯が備前国に次々とできました。鎌倉時代から室町時代にかけてはますます製品、特に日常生活に欠かせない器、瓶、壺、すり鉢の需要が高まり、安土桃山時代に入ると、茶碗、水指、茶入といった茶道具に使われ、芸術品として扱われるようになりました。特に桃山前半期には、千利休が備前焼の荒々しい風合いを好んで重用した結果、価値は決定的に高まりました。豊臣秀吉は自らの棺桶を備前焼で作らせたと言われるぐらいだから、当時はよほど備前焼が珍重されていたに違いない。と、私の師匠に当たる窯元さんが熱弁を振るっていました。

 窯と、実家を往復する日々が続きました。家でひたすらテレビ視聴と家事に明け暮れる日々が続くよりは、毎日私の創る器の出来がよくなっていったほうがよっぽど”生産性”があります。生産性なんて物差しは人の暮らしに価値の優劣をつけるみたいでいやらしいと感じていましたけれど、私が私自身に価値を見出すことについては誰にもケチをつけられる筋合いはありません。だいいちやっていて楽しいのです。

 私はとにかく茶碗にこだわって、捏ねて捏ねて捏ねて、捻って捻って捻って、焼いて焼いて焼きまくりました。

 茶碗の口元を、4本の指で手前に引っ張りながら、ラッパ上にうすく広げていく。ろくろを回して、口をつまんで形を整え、ヘラで余計な土を掻き取り、切り糸をぴんと張り、手前に引っ張ってろくろから切り離す。その後「お化粧」といって刷毛目をつけたり釉薬を塗ったりする作業もあるのだけど、私は自分の指捌きが器に残ったまま作品が焼き上がるのが楽しく、お化粧はあまりしませんでした。鑑定団でも、「作者の指の形が器にあえて残してある。まるで人生を物語っているかのようで、躍動感が感じられて実にいい仕事をしている」と白髪メガネの骨董屋のおじいさんが蘊蓄を垂れていたので、鵜呑みにして私は私の人生を茶碗に練り込みました。「本当は大学に上がりたかったのに”女は大学なんかにあがったら婚期が遅れるからやめとけ、高校出たらさっさと就職しろ”と親に言われ夢を諦めざるを得なかったこと」「”お客様の気持ちになって、真心を込めて仕事に励んでください”が口癖のくせに、しくじったら大変な貴重品はパートの私に押し付けてばかりでヘラヘラしていた社員への怒り」「旦那が屁をこいたと同時にベランダに巣を作っていたシジュウカラが飛んでいった夏の爆笑」を思い出しては器に封じ込め、焼きました。窯から取り出す瞬間の高揚感は、ふつうに生活しているだけでは絶対に味わえないものであり、クセになりそうです。

 師匠が土を掘り出すのにも付いていきました。備前焼に使われるのは、田んぼの下を2メートルぐらい掘ったところで層になっている「ひよせ」と呼ばれる粘土質の土と、黒土を練り合わせて一年ほど寝かせたものです。冬の間、休耕している田んぼの土を掘り起こす作業は、寒い上に土が重く、翌朝は全身が筋肉痛になり、つらいものです。

 「土からやりたい、だなんて今どき珍しいよ。若くて入ってくる子でも、成形や焼きにしか興味ないのもいるっていうのに。俺ももう年出し、この窯の未来はあなたに任せてしまおうかな」

 と師匠に太鼓判を捺されてしまいました。鑑定団に出て、おじいさんを騙してみたいなんて邪な動機がバレたら私、どうなっちゃうんでしょうか。

 土の熟成までは1年以上かかるので、必然的に私の滞在も長くなってしまいました。家には時折連絡を入れ、元気にしている旨を伝えながら。私が居なかったら居なかったでなんとかなっているようでした。どんな職場でも、どんな家庭でもそう、私が居なくなったらどうなるんだろう、困って私のありがたみが身に染みてわかるはずだなんて少しばかり復讐心めいた気持ちを抱いてしまうものですが、誰かがいなくなってつぶれてしまう職場も家庭もそうはありません。あまりよくない考え方かもしれませんが、世の中、他力本願でいいんじゃないでしょうか。誰かがなんとかしてくれるのでしたら、任せましょう。とっとと辞めて好きなことをやってしまえば良かったと、今にしてみれば思います。

 

 

「それでは!依頼人の登場です」

 

 鑑定団の依頼人応募に当選し、スタジオに呼ばれたのは、私が窯元に弟子入りしてから2年の月日が流れたころのことでした。私にとっても、窯元にとっても会心の出来であった茶碗が焼き上がり、コンペティションに出展してみてはどうだろうかというありがたい声も頂戴しましたが、頑なにお断りしました。私が個人的にやっている趣味にすぎませんから、大会に出すだなんておこがましい。とかなんとか適当な理由をつけて。実際はおこがましいなんてものではないレベルの動機で茶碗を焼いているというのに。

「先日、亡くなった旦那が骨董品を集めるのが趣味で、お金ばかりかかりますし、旦那がそんな目利きだなんて信じていませんでしたから、私は骨董品集めに反対していたんです。そんな中、急に体調を崩して、あれよあれよという間に他界してしまいまして。みまかる間際に、”あれだけは本当に価値のあるものだから、僕が死んでからしかるべき人に見せて、鑑定してほしい。僕は小心者だから、もし偽物だったらならばびっくりして寿命が縮んでしまうかもしれないだろ。だから、よろしく頼む”と言い遺したんです。それで私が旦那の代わりに、先生方に、この茶碗が果たして本当に価値があるのかどうか鑑定していただきたいのです」

「亡くなられた旦那さんの気持ちが籠った一品というわけですね。これは鑑定士の先生方、責任重大ですね!」

 と、スタジオを盛り上げる関西弁のベテラン司会者。旦那は生きています。たぶん家で、ゴルフを観ていると思います。

 深紫色のクロスが敷かれた机に乗せられて、私が焼いた茶碗が出てきました。ここで、思わずちょっとだけ笑いそうになってしまいました。なんか、本物みたい。と。いえ、本物の備前焼であることに疑いはありません。だって私が備前で掘った土を捏ねて、私が備前の窯で焼いたんですから。家を2年開けてまで、旦那を殺してまでここまでやってきたのに、吹き出してしまっては一巻の終わり。私はぐっと堪えました。

「旦那が言うには、おそらく室町時代末期から安土桃山時代にかけて作られた茶碗ではないかということです。箱もありませんし、作者の銘も入っていないんですけれど、その頃の陶芸家は、名誉欲がなく、純粋にいい茶碗を創りたい一心だったから、邪念が入っていなくて、素朴で豪快な味わいが茶碗に現れている、とかなんとか言って感心していたんですけれど」

 よくもまあ私も適当な謂れをぺらぺらと喋れるな、と自分で自分に感心してしまいました。純粋にいい茶碗を創りたい一心で出来上がった茶碗であることは真実です。室町時代末期から安土桃山時代の人と同じ土を使ってはいます。

 鑑定士のおじいさんは、まず自席から私の焼いた茶碗をしげしげと眺めています。その後、着物の裾を手折って、おもむろに席を立ちました。

 スタジオの照明が落ち、私の焼いた茶碗がスポットライトで照らされました。お馴染みの音楽と共に。司会者の方、鑑定士の皆様、テレビ局のスタッフさんたち、観客、全員が私の焼いた茶碗に注目しています。心から申し訳ない気持ちもありつつ、いったいこの人たちは何をやっているんだろうという気持ちが湧いてきて、私は下を向き、スラックスのパンツのゴムを握りしめて耐えていました。

 薄手の白手袋をはめ、私の焼いた茶碗を持ち上げて様々な角度から眺める鑑定士のおじいさん。小声で「なるほど。わかりました」とつぶやき、スタジオが明転、自席に戻りました。

「さて、こちらの茶碗。ご本人評価額はおいくらでしょう?」

「えー、主人の受け売りですが……50万円で」

「50万円!ずいぶん謙虚ですね。本当に室町時代後期から安土桃山時代の作品であれば、もっとするんじゃないですか?」

「どうなんでしょうか。本当に50万円だったら、さぞ、主人も浮かばれると思います」

 もうすっかり、内心私も旦那を死んだと思い込み始めてしまいました。それに、謙虚だなんてとんでもない。私は私の茶碗に、50万円の価値があると信じているのですから。

「それでは、オープン・ザ・プライス!」

 

イチ

ジュウ

ヒャク

セン

マン

ジュウマン

ヒャクマン

 

 鑑定士席の上方に掲げられたナンバーディスプレイ。ゼロが横に、7つ並んでいます。

 百万円。私が2年を費やして焼いた茶碗の価値。

 不思議と、私は別段、驚きもしませんでした。だって、そのほかにろくな稼ぎもなくて、ただただ茶碗を焼くことしかしていなかったのですから。それに、パート時代の方が稼ぎもありましたし、この茶碗が百万円で売れたからといっても、元が取れたわけではありませんから。

「間違いなく本物。間違いなく名品です。備前焼は釉薬を使わず、土のもつ本来の味わいが現れ、炎と土の芸術品、なんて言われているんですね。縁のところに散りばめられた、黄色の胡麻模様が味わい深い。我々専門家は「黄胡麻(きごま)」といって珍重するんですけれども、まるで夜空に輝く天の川のように煌びやかで、これは作為的には創れない紋様です。おそらく当時の陶工たちは、まだ自分たちの作品が芸術品として取り扱われない世の中であっても、プライドを持って器を創り上げていたに違いありません。無欲の心が成した一品であると思います。くれぐれも、旦那様のご遺志を受け継いで、お大事になすってください」

「ありがとうございます」

 私は机の上の茶碗を持ち上げ、床に叩きつけました。無惨に飛び散る土のかけら。騒然とするスタジオ。目を丸くする鑑定士。

「これからも皆様に認めていただけるような作品を、たくさん創って参ります」