20111119_2340259

 

日常生活を送るなかで、ふと、ところで今ロボット産業ってどこまできてるんだろう、そう考えて不安になる。そんなことはないでしょうか?

 

たとえば休日の午後に、飼い犬を連れ川沿いの道を散歩しているとき、ふと、ところで今ロボット産業ってどこまできてるんだろう、と考えて不安になる。あるいは夜、遠くの街に住む恋人に電話して、最近こんなことがあったとか、今度いつ会うとか、いろいろ話をして電話を切った直後に、ふと、ところで今ロボット産業ってどこまできているんだっけ?そう考えて不安になる。

 

我々に与えられているロボットに関する情報は限定的で、全体像が把握できない。テレビやネットなんかでときどき報じられるのは断片的なニュースだけだし、映画やアニメ、漫画が伝える情報は虚実ないまぜだ。しかもこの分野は発展の速度が早く、今日見た最新のロボット情報は、明日にはもう過去のものになってるかもしれない。だからときどき、不安になる。日々の暮らしのなかでふと、ところで今ロボット産業ってどこまできてるんだろう、 と考えて。

 

たとえば、仕事を終え家に帰ってビールを飲んで一息ついたとき、ふと、ところで今ロボット産業ってどこまできてるんだろう、 と考えて不安になる。あるいは、何人かでボーリングをしていて、めずらしくストライクを出したものだから嬉しくて、ついついテンションが上がって友達とハイタッチなんかしちゃった直後に、ふと、ところで今ロボット産業ってどこまできてるんだろう、と考えて不安になる。

 

歯を磨いてるときに、添付ファイルをひらいた瞬間に、お金を数えているときに、アバラ骨が折れた瞬間に、ふと考えて、不安になる。夜空を見上げたときに、窓を開けた瞬間に、仏像を彫っているときに、仏像が完成した瞬間に、ふと、ところで今ロボット産業ってどこまできてるんだろう、 と考えて不安になる。

 

そして、ふとそう考える頻度は日に日に増えてきている。朝目が覚めたときにまず考え、布団から出たときにも考え、寝室を出て洗面所のドアを開けた瞬間にも考える。

 

洗面台の鏡の前に立ったときに、蛇口をひねったときに、つめたい水が手に触れた瞬間に、ふと、ところで今ロボット産業ってどこまできてるんだろう、と考えて不安になる。そして不安になった直後にまた、ふと、ところで今ロボット産業ってどこまできているんだろう、と考えて不安になる。