鶏の唐揚げ。俺たちが人生の暗黒に迷った時、ほんの少し手を伸ばせば届くところで光り輝いて俺たちを幸せへ一歩導いてくれる。幸せとは鶏の唐揚げに豊富に含まれている栄養素。

 鶏の唐揚げは俺も大好きだ。嬉しい時や悲しい時、なんでもない時にも鶏の唐揚げを買いに行く。鶏どもめ、俺が憎いか。

 

 近所の唐揚げ屋で初めて唐揚げを1パックを買った時に、店員は笑顔でこう言った。

 

「唐揚げ、少し多めに入れておきました! サービスです!」

 

 最高。店員に恋しそうになった。

 唐揚げの量と幸せの量は綺麗な比例のグラフを描くことが知られている。その日俺は幸せだった。

 後日、良い事があった日。良い事があった日は唐揚げだ。俺はまたその店に行った。

 

「唐揚げ、少し多めに入れておきました! サービスです!」

 

 最高。店員に恋しそうになった。

 さらに後日、嫌なことがあった日。嫌なことは唐揚げで忘れるに限る。

 

「唐揚げ、少し多めに入れておきました! サービスです!」

 

 …………おい。

 さらに後日なんでもない日。

 

「唐揚げ、少し多めに入れておきました! サービスです!」

 

 おい、なんの真似だ。それが優しさのつもりなら間違っているぞ。そんなの愛じゃない。

 唐揚げが多いのは良い。嬉しい。でも毎回毎回ちょっと多いと、いざ普通の量出された時に損した気がするじゃない。もう俺の中では「多めだ! やったー!」という気持ちよりも「次はいつもより減らされるかもな」という気持ちが勝っている。

 

 どうした、唐揚げ。お前は幸福の使者ではなかったのか。

 ……どうした、俺。素直に喜べよ。

 

 それからも何度かその店に唐揚げを買いに行った。その度に店員はおきまりのセリフを言った。

「唐揚げ、少し多めに入れておきました! サービスです!」

 

 繰り返すうちに徐々に俺の考えも変わってきた。もしや、これは永遠なのでは。たとえあのセリフがマニュアルで、そのサービスした分量が実質の通常だとしても現在の量から減ることはないのでは。つまりこの幸福は終わらないのでは。

 ごめん、店員。俺、素直になるよ。次またあのセリフを言われたら、心の底から喜ぼう。

 

「多めなんですか!? ヒャッホー!!」とか言おう。

 

 唐揚げを1パック注文。厨房から唐揚げを揚げる音が聞こえてくる。きっと、天使の笑い声ってのはこんな風に聞こえるんだぜ。パックを持って店員が出てくる。

 

「300円です!」

 

 小銭を渡す。

 

「ありがとうございました!」

 

 …………どうした、店員。言えよ。おい、言ってくれよ。そんな……そうか、今日がその時だったのか。何が天使の笑い声だ、俺が聞いていたのは黙示録の鐘だった。試される時がきたんだ。

 

 家に帰り、パックを開ける。いつもより少ない。

 

 俺は今まで恵まれていた。それが通常に戻っただけだ。それはわかっている。

 

 だが、とても損した気がする。

 

 主よ、欲深い俺をお許しください。主よ、唐揚げの神よ。慈悲を。

 

 

他の「文字そば」を読む