大学生の頃、ゼミナールを履修する必要があった。
ゼミ選びは過度な干渉がなさそう、という一点のみを重視して行った。そのため同期たちの顔立ちもこころなしか虚ろ、目線はどこか見ているようでどこも見ていない、元卓球部。そういう人間が多かった。
自ら望んでそのような環境に身を置いた訳ではあるが、人間というのはまことに身勝手なもので、どうせなら仲良くしたい、もっと言えば一緒に軽口を叩けるような気の置けない友になりたい。そんな気持ちが頭をもたげる。
ある日、チャンスが訪れた。
ゼミが終わり帰ろうかという時、ひとりがラックの上部を指差して「あれ、なに?」と言った。
なぜそんなものが置いてあったのかは未だに謎だが、そこにはelfの名作恋愛アドベンチャーゲーム「同級生2」が専門書に混じり鎮座ましましていた。
そうすると、別のひとりが
「あれで、できる?」
ぼそっと言い放った。
「できる」とは「オナニー」のことだ。日本男児なら「オナニー」の明言を避けるなよ、と思ったが仕方ない。ここは譲歩しよう。僕の中の三島由紀夫には申し訳ないが、ここは刀を鞘に収めてほしい。
この話題なら心の距離を詰めることができそうだ。オナニーの話ができたら大体友達、僕の中のジブラもそう言っていた。
暗い目をしたゼミ員たちは「いや、まあできるでしょ」「これぐらいなら」みたいな意気地のない事をぽつりぽつりと話しだした。少しばかりシャイなだけで、本当はこんな会話を欲していたのかもしれない。
そこから話は発展し、「どこまでがオナニー対象の限度か」という話題になった。オアシズ大久保、いやJUJUだ。議論は少しづつ熱を帯び始める。
しかし、まだこいつら格好つけてる。
情けない。僕の中のさくらももこも「あたしゃ情けないよ…」とため息をついている。
皆の飾り気ない本心が聞きたい。それが本当に友達になるってことじゃないのかい?
ここは僕が率先して、言い出しやすい雰囲気を作ってやろう。
「チコリータじゃない?」
その瞬間、世界に静寂が訪れた。
鼓膜が破れたのかと思った。
ゼミ員たちは静まり返り、鳥のさえずりも止み、しいん、という耳鳴りさえも聞こえなかった。
僕を凝視するゼミ員たちの表情は笑ってもいないし、怒ってもいなかった。ただそこに顔が存在している。そんな感じだった。のっぺりとした皮膚と落ち窪んだ穴が、完璧な虚無を生み出していた。
いや、待ってほしい。どんだけ引いてんのよ。別に僕だってチコリータでシコったことなんてないよ。「チコリータでめちゃんこシコりむァ~~~〜〜す!!!!!」とか言って、オキニのチコリータの画像見せつけたんなら分かるけどさ。オナニー可否の分水嶺としてはちょうどいい所じゃない?違う?真摯にチコリータと向き合ってる人たちに申し訳ないけどさ、ある種のジョークじゃん。ねぇ、そんなに引かないでよ。
結局、ゼミで友達はできなかった。
何のポケモンだったらセーフだったのだろうか?
僕の中のオーキド博士は黙して語ることはない。