つい最近まで「白湯」を「パイタン」と読んでいた。
プレーンなお湯のことを指す「白湯(さゆ)」も「パイタン」と読んでいた。
そもそも白湯(さゆ)の存在自体を知らず、ただのお湯に名前がついてるなんて思ってもみなかったのだ。
だから私のイメージする白湯は、もれなく鶏ガラや豚骨から煮出した白濁のスープ。
そのせいでツイッターなどの文字上では勘違いが多かった。
「白湯が美味しい季節になった」
情緒溢れるつぶやきに、私はパイタン風味の情景を思い浮かべた。
確かに肌寒い季節には、熱を逃がさない脂こってりのパイタンスープはもってこいだ、と。
「ビール買ってくるんだったなぁ、今家に白湯しかないよ」
液体と液体で晩酌を? 家にパイタンしかない状態って? と不思議に思いながらも、ツウっぽい晩酌メニューに感心したのを覚えている。
「自販機で水売るなら、白湯も売ってほしい」
水のようにごくごくと濃厚なパイタンスープを飲みたいというグルメ的な比喩表現だろうか? と思っていた。
自分が思う以上にパイタンスープが好きな人は多いらしい。世の中って不思議だなぁ…
違和感を覚えつつもそんな結論に至った。
もちろん、直接「さゆ」という音を耳にしたことはある。
自宅に遊びに来た友人へ飲み物のリクエストを尋ねたところ、友人はこんな風に返事をした。
「気にしないで! 私なんか全然さゆでいいから、さゆで!」
さゆ。さゆって何だ。なんかギャグっぽく言ってる。
湯? 何かを入れたお湯? さ…湯? あ、砂糖入りのお湯か!
瞬時に「さゆ=砂糖の湯」とひらめいた私は、
「そんなの出せないよ! ほら、お茶かジュースあるよ」
と無事にその場を切り抜けた。
この時、素直に「さゆって何?」と友人に聞けば解決したかもしれない。
でも友人のギャグをキョトン顔で聞き返すなんて出来ただろうか。無理だ。とても出来ない。
こうして「さゆ」=友人のオリジナルギャグとして私の脳に刻み込まれたのだ。
そんな日々を送るなかで、白湯(さゆ)を初めて認識したのは、つい最近のことだ。
深夜にラインのやりとりをしていた。
「白湯飲みたいからヤカンでお湯沸かしてるところなんだ」
という友人のメッセージに、すかさず返信した。
「深夜のラーメンって良いよね~」
もちろん、ヤカンのお湯でパイタンラーメンでも食べるのだね? という意味だ。
「なんでラーメン? 今ラーメン食べてるの?」
友人から不思議そうな返事が来た。
ここからアンジャッシュのすれ違いコントみたいなやりとりが数ラリー続き、私はようやく白湯(さゆ)というものの存在を知った。
その瞬間、これまでの出来事が走馬灯のように蘇った。
おかしいと思ったんだよ、みんな揃いも揃ってパイタンスープ飲むなんて!
それから私は「白湯」という字を見ると、恥ずかしくて頭が割れそうになる体になってしまった。
もしかすると、こうやって思い込みが重なって認識がズレたままの物事って結構あるのかもしれない。