自分が「ボム兵」って呼ばれたら、嫌だろうな。
天気のいい日に歩いていたら、そんな考えが頭をもたげました。
郵便局に差し掛かった辺りでした。

ボム兵とは、スーパーマリオシリーズに出てくる、爆弾のキャラクターです。
地面をうろうろして、誰かが触れるとそいつを巻き込んで爆発します。
丸っこくて愛らしい姿で、敵ながらどこか憎めない雰囲気です。

私達プレイヤーは、気軽にボム兵、ボム兵と呼びます。
呼ぶ分には、非常に爽快です。
何回も言いたくなる語感のよさ。
キャッチー。
いいねえ。

ただ、呼ばれる側の感情を想像したことはあったでしょうか。
恥ずかしながら、私はなかった。
そこで、頭の中で自分がボム兵と呼ばれるシミュレーションしてみると、とんでもない気持ちになったんです。

 

寂しい。

 

圧倒的な寂寞。
荒涼とした砂漠で助けを求めるも、その声は誰にも届かない。
やがては諦め、俯きながら今回の人生をやり過ごす。
そんな寂しさでした。

 

一体何がこんな気持ちにさせるのか。
「ボム」と「兵」の要素に分けて分析しました。

 

まずは、「ボム」です。
ボムと呼ばれている自分を想像してみる。
けっこう寂しい。

ボムという道具が使い捨てだからでしょうか。
自分という存在も、一度役割を果たせば用済みになってしまう。
そんな思いに襲われます。

ボムの後に何か言葉を足してみます。
ボムぞう。
ボムぞうとしましょう。
同じ任天堂から発売された、カードヒーローというゲームに出てくるキャラクターです。
その名前で自分が呼ばれてみます。

 

あったかい。

 

ボムと呼ばれ続けたときに感じた灰色の風景に、色彩が差し込んできました。
暖色の。
チェルシーのバター味のようなピンク。
「ボムぞう」になった瞬間、一気に自分が人間味を帯びたかのようです。

次は、「兵」です。
これも寂しい。
作業を完遂させるための要員。
自分なんか単なるパーツだと強く自覚させられます。

兵の前に何か言葉を足してみます。
近衛兵。
近衛兵としましょう。

 

力が湧いてくる。
なんだこれは。

 

どういう兵なのかが具体的になることで、存在意義に輪郭が現れるからでしょうか。
一秒もやったことのない近衛警護という職務に、プライドすら芽生えます。
確かに、「兵」は、漠然として無機質な言葉です。
だからって、ここまで心理的に変わるか。

どうやら、「ボム」も「兵」も、寂しい気持ちにさせる因子を持っていますが、他の言葉とくっつくことで寂しくさせる性質は消えるようです。

じゃあ、「ボム」と「兵」が組み合わさったら?
例外的にとんでもない量の寂寥感を放出するのかもしれません。

だから私はマリオをするときに気が向いたら、ボム兵をそっと飛び越えます。
「お前は生き物で、命をないがしろにしなくていいんだ」と、念を送ります。

 

時限式で勝手に爆発するやつは知らない。

 

 

 

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