一年に一回くらい。

コンビニでジジイがレジを待たずにお金だけ置いて新聞を買うのを見かける頻度。それと同じくらいの頻度で見る光景がある。

 

電車で座ってると空き缶が足元に転がってくる。たいてい缶コーヒーサイズの細い空き缶である。『まあ俺のじゃないしな』という感じで放置していると、電車がカーブに差し掛かったからか向かいの座席の方に転がっていき他の乗客の足元まで転がっていく。またカーブが来て……という、誰かが拾わなきゃ終わらないチキンレース。

自分は一度も拾ったことがないし他人が拾う瞬間も見たことがない。誰もが缶の行方を気になっているし、音も気になっているのに誰も拾わない。放置した犯人はもう車内にいないのに……

あの誰もが責任逃れをしているちょっとイヤな感じはなんなのだろう?缶の寝返りを見守るのは数少ない電車内のエンタメと思って割り切るしかない。

 

缶ではないが実際に自分が拾った時の話をしたい。

 

ほとんど人のいない地下鉄で座席に座ると、横の席にチョコボール的なお菓子を包んでいたと思われる透明のビニールが捨ててあった。普段であれば例の空き缶と同じ様に放置するのだが、当時の自分は「コレは俺が拾わないと終わらないだろうな……俺がこの戦争を終わらせないと……」と、ちょっとしたメシア気取りでビニールを掴みポケットに入れた。すると『パチパチパチ』という音が聞こえた。向いに座っていたオバサンが自分に拍手を送っていた。

 

「いやあ〜素晴らしいわぁ〜!若い人も捨てたもんじゃないわね!」

 

突然の拍手とマンガでしか聞いたことのない様な褒め言葉。そしてそのオバサンが着ていたピンクのシャツのあまりの彩度に驚き、はにかんだ。

 

「いやあ……まあ誰かがやらないとなと、思いまして……」

 

褒められたくてやった訳ではなく、ほんの出来心って感じで拾ったので照れながら答える。

 

「いやあね!私ずっと見てたんだけど誰も拾わないのよ!お兄さんだけよ〜、気付いて捨てたのは!素晴らしいわ〜!」

 

「いやいやいや…」

 

あまりにもお褒めの言葉をくれるので照れ隠しで「もうやめてくださいよ〜」的な雰囲気を醸して会話を終わらせた。

 

電車が目的の駅に着いたので立ち上がりオバサンに会釈をすると

 

「孫にも伝えるからね!」

 

と最後まで褒めてくれたので「いいこともしてみるもんだな」ってな気分でホームへ降りた。

 

 

 

 

なんだろうこの気持ちは。

 

 

何かこう引っかかる感覚が残っている……

 

 

オバサンとの会話を思い出してみる……

 

 

 

『私ずっと見てたんだけど誰も拾わないのよ!』

 

 

 

 

いや、孫に伝えるくらい感動出来る良心の持ち主であればずっと見てないで拾えって!その褒めっぷり、見て見ぬフリしている人のソレではないだろッ!!

 

 

孫に自分が見て見ぬフリをしていた事実も伝えるの?後ろめたくない?

 

 

そんな事を考えていた。大江戸線の長いエスカレーターでの暇潰しとしてはいいエンタメだった。

 

 

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