2026年2月、編集長の交代と編集部メンバーの一新を発表したオモコロ。今回は新編集長に就任したみくのしんと、14年間にわたってオモコロを支え続けた旧編集長の原宿による対談をお届けします。オモコロの過去と未来を背負う2人が今、思うことは!?

まずはお疲れ様でした! 14年間、長かったですね。
編集長を辞めて飲む酒はうめえや。
編集長交代発表時の気持ち

なんか、思ったより炎上しなかったですね。
わかる。
もっとやばいことになるかと思いましたよ。僕への非難が殺到するかと思ったら、全然そんなことなかった。
そうだね。俺もネクタイを整え直して、「やはり私が編集長で」って出ていく準備はしてたけど……
その時は僕を守ってくれよ。
編集長交代の記事が出た時、原宿さんはオモコロチャンネルの撮影中だったんですよ。合間の休憩でスタジオから出てきた時に、ずっと「炎上してる?」って聞いてきて。
「オモコロ終わった」がトレンド入りしてるかと思いきや。
意外とそんなことなくて、みんな優しいなって思って嬉しかったです。
オモコロ編集部に足りなかった「管理者」

編集長を退任して、今の気分はどうですか?
スケジュールのことを考えなくていいっていうのがめちゃくちゃ楽。まぁスケジュール管理に関しては、だいぶ前からみくのしんに任せてたけど。
僕がバーグに入社してすぐオモコロ記事の編成担当になりましたよね。
とにかくスケジュール管理とライターへの連絡業務が、編集長に集中するっていう問題があるんだよね。
あんなに社員いるのに? 当時ってオモコロ編集部だけでも7人くらいいたじゃないですか。
みくのしんが入る前は、ほぼ俺しかスケジュールを見てなかった。そこにオモコロチャンネルができて「やべ!」ってなったので、他の編集部メンバーに「今、会社で空いてるポジションはここだぞ」ってヒントを出してたけど、結局ふっクラも立ち上がって、代わることもできず……
まぁまぁ、今さら愚痴らなくても……。でも正直、もっと原宿さんの背中を見たかったですよ。

もう十分やったよ。みんなは動画とかラジオで手が回らなそうだから、俺が1人でライターに連絡して。
僕はふっくらすずめクラブをやってた時も連絡してました。
みくのしんはやってくれてた。でも1人がグイグイやってると、他の人は「任せればいいや」という発想になるんだよな。だから「何もやらない」というのも大事だなと。
バーグって長期的に見ると、自分から仕事とかポジションを作らないといけない会社なんだよね。みくのしんはいち早くそれに気付いてたのかなって感じはする。
向き不向きもありますけどね。僕はたまたま、なんでか連絡とかスケジュール管理ができたんですね。
もちろんやりたくない人にやらせたくはないし、無理なくできる人じゃないと続かない。みくのしんが管理者としての適正が高かったってことかも。
スケジュール管理を任された時、最初はできるかわからなくて。でも永田さんに「自分が得意なことは自分じゃ気付かない。みくのしんができることが得意なことなんだから、自信を持ってやっていいよ」って言われて嬉しかったのは覚えてます。だからできたのかも。
やってみて、無理だったらやめてもいいしね。
残り2記事で引き継ぎを受けたみくのしん

僕がスケジュール担当になった時点で、その2日後に出る記事までしかストックがなかったんですよ。
そりゃないよ。オモコロなんて常に記事が足りてないんだから。
引き継ぎの段階で残り2記事しかないってなった時に、ライターみんなのチャット部屋に一気に連絡したんです。これってちょっと照れくさいじゃないですか、入社したてで張り切ってるって思われそうで。
なるほど。
でもここを突破することで、そこから先は楽になると思ったんです。実際、これはやってよかったって思いますね。それ以降は記事のストックに余裕ができるようになったし。
恥をかくのは大事だよね。職責を果たせていれば、誰にどう思われようがいいというくらいの覚悟がないと編集長は務まらない。
そこは自分でも頑張ったなと思います。僕が積極的に声をかけることで、オモコロからフェードアウトしていくライターを減らせたと思うんですよ。
みんな声をかければ何かしらやってくれるからね。
僕がライターだった頃に編集部に気にかけてもらって嬉しかったのもあるし。記事を書かせようっていう打算じゃなく、自分がされて嬉しかったことをやろうと思ってました。
ライターさんの立場からしても、オモコロに載ればある程度は読んでもらえるっていうメリットもあるしね。しかも大体、何を載せてもいいという。
原稿料も昔よりは全然良くなりましたよね。
そう、最初は1記事500円とかだった。でも今の金額にこぎつけるまでに、俺や永田が家族との時間を削って撮影に同行したりもしてたわけだから。そんな偉大な編集部の後を継ぐプレッシャーは大きいんだろうなぁ……
あんまり自分で言いすぎない方がいいって。
ある年のオモコロ新年会

原宿さんとの思い出で言うと、1つ忘れられないのがあって。僕がバーグに入社した直後にあった、オモコロライターが集まる新年会での話なんですけど。
オモコロ新年会って、それまでは毎年原宿さんがスライドを用意して進行してくれてたんですよ。でもその年は直前になって原宿さんに「パソコン持ってきた?」って聞かれて。持ってないですって言ったら、原宿さんもパソコンを持ってきてなかった。
すごい。誰も持ってきてないんだ。
「ええ? 僕どうしたらいいですか?」って言ったら「みくのしんに任せるわ」って丸投げされて。結局僕1人で、何のプレゼンもなしにビンゴだけしたの覚えてます?
あー……
忘れてんの!? あれめちゃくちゃ緊張したんだから!
あったような気もする。
しかもその時の原宿さん、何もせず椅子に深く座って僕をじっと見つめてて。でもその時「試されてるな」って思ったんですよ。ここで平気な顔してビンゴを進めれば認めてもらえるんじゃないかとちょっと思ってた。

その時の原宿の姿を再現するみくのしん
そういう気持ちだったんだ。もう、みくのしんが嬉々としてやってくれるものだとばかり……
さすがにムカついたけど、その原宿さんの姿はなんか見てて嬉しくもありましたね。
多分「いい加減、誰かに代わってもいいだろう」って気持ちだったんだろうね。
それ以降、新年会は僕が仕切るようになって。オモコロ合宿も僕が取りまとめてるし。だから原宿さんの編集長期間は14年じゃなくて、実質僕がバーグに入るまでの11年なんじゃないかって思ってる。
まぁ、そこは色つけて14年にしとこう。10年超過ボーナスでさ。
そんな仕組みじゃないだろ。
原宿編集長の歩み

原宿さんが編集長になった時はどういう気持ちだったんですか?
めっちゃイヤだったね。面倒だし。大体オモコロ編集長なんて恥ずかしいじゃん。
恥ずかしくないよ。
今や、みんなの頑張りでそういう地位になったということなんですよ。みくのしんは編集長になってみてどう?
ドキドキしてますね。いろんな感情がグワーって渦巻いてる感じです。怖いとか楽しそうとか、それこそ面倒くさいもあるし。
俺も嬉しいって感じじゃなかったな。「なんで俺なんだよ」って思ってた。
当時の人の話を聞くと、原宿さんが編集長になるのは意外だったらしいですね。
仕切るようなタイプじゃなかったしね。当時は目立たずに、たまに良い仕事をするくらいのポジションでいたかったから。最初のうちは適任者が現れるまでの「つなぎ」くらいにしか思ってなかった。
とりあえず現状維持だけしてればいいかって感覚で始めたけど、地獄のミサワに「編集長になったんだから、もっと編集長然としてくださいよ」って言われて、そこから意識が変わったかもしれない。
あのミサワさんがそんなこと言ったんだ。
編集長がしっかりしてないとライターもどうしたらいいかわからないから、はっきり意見を言った方がいいと。「じゃあミサワがやれよ」って思わなくもなかったけど、確かにそうだなと納得できる部分もあって。そこから自分にできることをやりながら、編集長像というものを探していった感じかも。

僕がオモコロに入ったのが2016年だから、会った時はまだ編集長4年目だったんですね。
そのくらいだね。
今思えば4年目ってだいぶ初期ですよね。当時はもう編集長の業務に慣れてましたか?
その時はとにかくスケジュールを回したい、それさえしてればメシは食えるだろうって気持ちで、安心するために書いてくれる人をどんどん増やして、その人たちに連絡しまくって同行しまくって、っていう段階だったかな。
ライターが多いほど安心する気持ちはわかります。オモコロ杯もその一環ですか?
そうだね。オモコロ杯は、本当は賞金100万円でやりたかったんだよ。
それは前からずっと言ってますよね。
会社としての費用対効果を考えたら当然難しいんだけど。でも100万円もらえるってなったら、本気度が上がってすごい記事が集まりそうじゃん。
おもしろ記事大賞でチャンスを掴んだみくのしん

おもしろ記事大賞はどういうきっかけで開催したんですか?
※おもしろ記事大賞:2016年にオモコロとデイリーポータルZが共催したWebライターの発掘企画。みくのしんは「芋掘りを100倍感動させるために、サツマイモを光らせてみた」でオモコロ賞を受賞しオモコロに加入した。
あれに関しては、他のメディアと協力していろいろやっていこうっていう気持ちだった。Webメディアって、みんなで頑張らないといけないような小さい業界だし。
どこか1つのサイトが一強でもしょうがないんですね。
そう、業界自体を盛り上げないと俺たちの首が絞まるだけだから。ライターになりたいっていう人が増えた方が俺たちの得にもなるし、他のメディアも巻き込んでいろいろできたらいいなとは思ってた。
僕はまさに、おもしろ記事大賞のおかげで今ここにいますから。
これは本当にすごいことよ。

当時、「締め切り1週間前でも間に合うおもしろ記事講座」っていうワークショップが、本当におもしろ記事大賞の締め切り1週間前に開催してて。勇気を出してそれに参加してみたんです。
そこで単語シャッフルアプリを使ってネタ出しををして。そしたら僕のスマホに「芋」「光らせる」って出たんですよ。
そして、あの伝説の記事が生まれたと。
それでワークショップの最後に記事の序文を書いて発表したら、その場にいた原宿さんが「これ100万PVいくよ」って言ってくれて。
適当に言ってるだけなんだけど、芋が光るってなんか面白いとは思ったんだよね。
その時なんとなく、このワークショップに来てるやつは誰も記事を書かないだろうなって気がしたんですよ。だから記事を完成させて送りさえすれば、内容とは別に評価されるんじゃないかと思って。 帰りに東急ハンズに寄って芋を光らせる懐中電灯を探しましたもん。
そこが勝負どころだって気付いたのがすごい。
未だにあの日、雨の中、新宿の東急ハンズに行ったことを覚えてますからね。ここがチャンスだと思った。
すごいね、この最初の経験が今のみくのしんの「その時自分ができることをやる」っていう土台にもなってるんだから。
ただ、おもしろ記事大賞の授賞式の後の飲み会では、めちゃくちゃスベってた。

そう言うけど、最近の原宿さんの酔っぱらい方は、昔の僕とほぼ一緒ですよ! でかい声で全部に「つまんねえ」って言うみたいな。
そういう悪い笑いをやりたくなっちゃうんだよな。そこは似てるのかもしれない。
「お前の10年後は想像したくない」

ただ僕もオモコロに入ってからは記事を書かずにラジオばっかりやってて。やっと記事を書いたと思ったら編集部からは何の反応もないし。絵を描く記事、覚えてないですか?
絵を描く……?
僕が先輩の絵描きの人に絵を学んで、絵がどれだけ上手くなるかみたいな記事です。それを仕上げて送ったのに全くレスがなくて。そしたらある日急に、タクシーに乗ってる原宿さんから電話がかかってきて「あの記事ボツで」って言われて……
そんなことあったっけ!?
ありましたよ。で、横にいる永田さんはめちゃくちゃ笑ってた。
あー、あの時か! ただ、その記事はマジで意味がわからなかった気がする。
まぁ確かに面白い記事ではなかったんですよ。それにしてもこんなボツにされ方あるんだと驚いちゃって。すげえわと思いました。
当時のみくのしんってそういう立場だったよね。こいつの記事やばいって言われ続けて、文章も人に全部書き直されたりしてた。
なんでずっとオモコロにいたんだろうって自分でも不思議ですよ。飲み会のたび説教されて、永田さんから「お前の10年後は想像したくない」って言われて……。編集長になったよ! 10年後! すっごいよ!
時間ってすごいわ。
みくのしんを変えた「爆笑サマーフェスティバル」

この10年、本当にいろいろありましたからね。でも一番変わるきっかけになったのは「爆笑!みくのしんサマーフェスティバル」っていうイベントで……
あー、あったね。

オモコロ編集部