90億年前〜100億年前

歩道が狭すぎて歩きづらいよ〜
ワシは……
—— いや俺は、田中博士(たなかひろし)。幼い頃みた博士の夢を、いまも追いかける39歳だ

トンネルばっかりで怖いよ〜
—— ハレー彗星の年に生まれた俺は、幼い頃から人と話すより、夜空を眺めるのが好きだった。あの空の向こうには、どんな景色が広がっているんだろう。そんなことを想像しては、図書館で宇宙図鑑を読み耽った。そんな俺のことを両親は「将来は宇宙博士だね!」だなんて期待して、俺もまんざらじゃなかった

奥多摩湖、東西に長すぎるよ〜
—— だが俺は挫折した。青春の全てを捧げたのに、博士にはなれなかったんだ。宇宙のことは好きでも、研究者としての資質はからっきしだった

湖畔は静かだ……
—— それでも夢を捨てきれなかった。だから自分を博士だと思い込もうとした。博士に見えるように、博士っぽい喋り方や容姿を研究した

もうすぐ100km……
—— お陰で宇宙の簡単な解説ならできるようになった。だが所詮、まがいものだ。みんな俺を避けるようになったし、俺もみんなを避けるようになった。唯一、子供たちだけが、俺の話を聞いてくれた

山梨県に入ったよ!!!
……すまない、タカシくん。
?
博士号すら持っていない、どこにでもいる宇宙好きの中年男性。ただ博士への憧れだけを持ち続け、尊敬されることを夢見る虚栄心の塊。それが俺の正体なんだ
もう!別にいいよ!
え?
博士号を持っていようがなかろうが、僕にとっては博士なんだから!
……
それに、ただの博士より、むしろ魅力的だと僕は思うよ。なんだか「人間」って感じがしてさ。博士は、誰よりも人間なんだよ
タカシくん…
さあ、ゴールまで行こう!
….そうだな!
違うよ博士
「そうじゃな!」でしょ!
タカシくん……!
そうじゃな!!!!!

100億年前〜114億年前


はあはあ……

人間の気配がしてきた!

人里に着いた〜!!!
丹波山(たばやま)村じゃ!多摩川の源流に最も近い村じゃぞ

川の表記も「丹波川(たばがわ)」になったな。これが「たまがわ」の由来だという説もあるらしい
海からは114kmだって。奥多摩がもう昔のことに思える……
さすがに疲れたの。温泉に入ってから飯にするか


多摩川最高〜!!
ようやく人間の住む場所に来られてほっとしたよ。でも博士は平気なの?
ああ。丹波山村は人口500人らしいからな
そういうシステムなんだ

村のマスコット「タバスキー」が可愛すぎる
さて、114億年前あたりは、「宇宙の正午」と呼ばれることがある。宇宙全体で、もっとも多くの星が誕生した明るい時期じゃ。若い宇宙がエネルギーを爆発させたピーク、宇宙にとっての「青春期」とも言えるな
宇宙にも青春時代があったんだね
ワシの挫折の青春時代とは全然違うの……
…..博士の青春時代の挫折の話、聞いてもいいかな?
ああ。宇宙が好きで、星の話が好きで、何より博士に憧れのあったワシじゃったが……
勉強がめちゃくちゃ嫌いじゃったんじゃ……
勉強が?
物理や数学は全く興味がわかんし、論文なんて書き方すら分からんし、というかそもそも勉強という行為が無理じゃった。ワシはただ、博士として尊敬されたかっただけなのに
それはもうなんというか、全然だめだね
ああ、全然だめなんじゃ
研究者の資質とか以前の話だよね
それで、代わりに「博士っぽさ」を追求するのに明け暮れてな。知っておるか?この博士の典型的な「白髪+禿頭」の髪型イメージはアインシュタインに遡ると言われておる。その後、鉄腕アトムのお茶の水博士によって画風が確立されて….
でもそれも、青春の形なかもしれない

114億年前〜134億年前


はあはあ……


はあはあ……

人間が全然いない!!!気が狂う!!!!!


はあはあ…


はあはあ…

夜になった….


夜が明けた….

ついに笠取山の登山口に着いたぞ!!!
ここを登った先に、多摩川の始まり「水干」があるんだね

あと5kmじゃ!!!!!!

夜明けの山は気持ちがいいな〜!
約134億年前 —— この時期は「宇宙の夜明け」と呼ばれておる。それまで暗黒だった宇宙に、光輝く星々が生まれた。宇宙が初めて照らされた瞬間じゃ
それが銀河、太陽系、そして地球の誕生へ繋がっていくわけだね
その通り。星たちは超新星爆発を起こし、これまでほぼ水素とヘリウムしかなかった宇宙に、銀河の土台となるような元素を次々に生み出したんじゃ
いやあ、それにしても長い道のりだった。いまなら最初に博士が言ってたことが少しわかる。宇宙の歴史の長さを、直接身体に叩き込むことができたよ
…….あともうちょっとじゃな

134億年前〜137億年前

そろそろ宇宙の始まりについて教えてよ!
……ああ。ビッグバン理論においては、宇宙は「点」から始まったと言われておる
点?
現代のどんな顕微鏡でも観測できないほどの、小さな点。超高温で、超高密度の点。その点が爆発した。これがビッグバンじゃ。

ビッグバンが起きてから0.0000000000000000000000000000000000000000001 秒後に宇宙の歴史は始まった。141000000000000000000000000000000度もの高温の宇宙じゃった
なにがなに?
そして0.00000000000000000000000000000000001秒後にはグレープフルーツほどの大きさになった宇宙は、10秒で10光年の大きさになった
全ての単位のスケールが凄すぎて何もわからない
そう。意味不明なんじゃ
10秒で10光年って、光速より遥かに速いよね。それってありなの!?
相対性理論の定義する速度の上限は、あくまでも空間内の話じゃからな。宇宙のインフレーションは、空間そのものが膨張したんじゃ
やっぱ意味不明
あれ、この石はなんだろう….「分水嶺」だって

3面それぞれに「多摩川」「荒川」「富士川」と書いてあるの
そうか、「多摩川」の側に降った雨だけが、多摩川に流れていくんだ!ほんのちょっとの落下地点の違いで、流れる先が大きく変わるんだな……
宇宙と似ておるな
え?
宇宙が誕生して最初の10秒間で素粒子が生まれ、いまの世界を形作ることとなった。だが実はその時、ほとんどの物質は反物質と衝突して、対消滅したと言われておるのじゃ
生まれて10秒でそんなターニングポイントが…..
全ての物質のうち、わずか10億分の1個だけがそれをくぐり抜けたという。その偶然がなければ、いまの世界はなかったかもしれん
博士……
詳しいじゃん!
嬉しっ
ワシの人生も、少しの違いで、あるいは……

そして138億年前へ

じゃあさ、宇宙が生まれる前は何があったの?
マジで全然わからん
潔い
そもそもビッグバンによって時間と空間が生まれたとしたら、「その前は何があった?」という問い自体に意味がないかもしれん。時間がなければ「前」という概念もないからな

「無」ってこと?
「無」がなんなのかも全然わからん。人類の理解の及ぶ領域ではないのかもしれん
とにかく分からないんだね
そもそもビッグバン理論が認められ始めたのも、たかだか60年前のことじゃ。つい10年ちょっと前までは、宇宙は137億歳だと考えられていたし、今後、いまでは想像もつかない発見があるかもしれん。ただ….
ただ?
ワシにはこうあって欲しい、という考えがひとつある
え!自分の意見があるなんて珍しいじゃん!教えてよ!
水干に到着したらな



はあはあ…


はあはあ…


はあはあ…
あった……


水干だー!!!!

ゴールじゃー!!!!!

ちゃんと138kmって書いてあるね!
ここから多摩川がはじまるんじゃの….
あ、奥の岩場がなんか濡れてるよ!

岩肌から水滴が落ちておるな!まさにあれが、多摩川のはじまりの一滴というわけだ
近寄ってみよう!


……シミュレーション仮説。
え?
「ワシらが現実だと思っている宇宙は、誰かのシミュレーションにすぎないのでは?」という哲学上の問いだ
映画の『マトリックス』みたいな?
内容は難しすぎてなんもわからん。科学的ですらないかもしれん。だが宇宙の始まりにはそうあって欲しいと、ワシは願っておる
たしかに興味深い仮説だね

……ワシが博士になれないのもそのせいなんじゃ
え?
この世界でワシは博士になれない。なぜならそういう「シミュレーションの設定」になっておるからじゃ。ワシが博士ではないのは、ワシのせいではなく、設定のせいなんじゃ
なんてことだ….
歩きすぎて博士がおかしくなっちゃった….
ワシは本来は博士であるべきはず。これは設定ミスなんじゃ。ワシは直感的にそのことを知っている

百歩譲ってそうだったとして、博士はどうするの?
シミュレーションの主体である、上位世界へと宣言する
宣言…?
そう、「ワシは上位世界を認識しており、設定を変えて欲しいと願っている」と宣言するのじゃ
???
と言っても上位世界へ干渉できるのは、物語の主要人物だけ。だからワシ自身をまず、舞台の俎上へと載せる必要があった。こんなワシでも主役になれるような、何かしらの物語のな……
もしかして、そのために138kmを歩いてきたの!?
ああ。宇宙の解説ができる博士ならごまんといる。だが多摩川全部を歩き通せるような、健脚な博士はそうはおらん。たとえそれが偽の博士であったとしても、じゃ

そしてこれは儀式でもある
儀式……?
138kmを歩きながら、現代から宇宙の始まりまで、138億年の歴史を遡行すること。それこそがこの世界を構成するシステムの、根幹へと辿り着くための儀式だったんじゃ
意味が分からないよ!
これからワシは138億年の「はじまりの一滴」に触れる。その宣言がトリガーとなって、シミュレーションの根幹に至り、上位世界へ干渉できると考えておる
システムのバグをつく、みたいなこと?……はじまりの一滴に触れたらどうなるの?
ワシという個がリセットされる。最悪、世界そのものがリセットされるかもしれん
博士、ちょっと…!
すまん、タカシくん!それでもワシは尊敬を集めたいんじゃ!
やめろ!!!




うおおおおおおおおおお!!!

ワシを博士にしてくれええええええ!!!!
うわああああああああ!!!!!!!






こんにちは。ライターの岡田悠と申します。
多摩川沿いに引っ越して以来、多摩川が大好きになりました。
なので多摩川をずっっっっっと歩いてきて……

ついに水干まで到着しました!
自撮りですみません。

ずっと一人だったから。
途中から孤独すぎて、思わず妄想しながら歩いてました。
一番孤独だった奥多摩湖のトンネル
いや〜、それにしても……

長かった〜〜〜〜
(完)
138億年といえば……
岡田悠の新刊『駅から徒歩138億年』が先日発売されました!
色んな旅や散歩を集めたエッセイ集です。
駅から徒歩138億年
多摩川138kmを歩いた現実世界での旅行記(記事とはまた全然違う内容です!)を収録しているほか、
- – 古いカーナビの案内で散歩したり 、
- – 17年前に2秒見えた海を探したり 、
- – 学生時代に住んでた寮に泊まったり、
などいろいろやってます。
散歩にぴったりな気候になってきた今日この頃。
よかったら読んでみてください!!!!!!!

川って、気持ち良い〜
本記事の引用/参考:
・人類の出来事一覧:Wikipedia「世界の歴史」
・地図:OpenStreetMapより筆者作成
・小学館の図鑑NEO〔新版〕 宇宙(小学館)
・早回し全歴史 ──宇宙誕生から今の世界まで一気にわかる(ダイヤモンド社)
・ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか(明石書店)

岡田悠

ブロス編集部



まきのゆうき
たかや

めいと
雨穴
オモコロ編集部






