大阪府大阪市浪速区日本橋。

 西日本を代表する電気街であり、オタク・タウンである。「日本橋」を冠する駅は、近鉄日本橋駅、大阪メトロ千日前線日本橋駅があるが、堺筋線恵美須町駅からもほど近く、大阪第二の繁華街、ミナミエリアの中心地「難波」と隣り合わせであり、通天閣のある新世界にも歩いて行くことができる。2015年以降は、インバウンド観光客向けの免税店や、「コンセプトカフェ」略して「コンカフェ」と呼ばれる、女性がメイドだったり、サキュバスだったり、人格の宿ったミズクラゲだったり、様々な設定のもとで、コスチュームを身に纏って接客をする業態の飲食店が増えた。

 そうした「コンカフェ」は、専門学生や大学生が、通学のかたわらで稼げる割りのいいアルバイト先として選ぶこともあるし、酒が飲めてヘラヘラとおっさんの話を聞き流していればカネがもらえてラッキーと考える、いや、何も考えていないフリーターもいる。そしてここ日本橋では、別に「地下アイドル」として活動している女性が、営業活動の一環として、「会いに行ける場所」としてコンカフェ勤務を選ぶ場合がある。

 主なコンカフェのメインターゲット層、というのは、家庭を持っていないうえ、キャバクラに通うほどカネを持っていない、女性からろくに相手をされていないおっさんである。日ごろカネを持っている側のおっさんから叱られて怒鳴られて、涙目で稼いだ少ない賃金を、お気に入りの「コンカフェ嬢」への奉仕のためにじゃぶじゃぶ使うわけである。その結果、「俺はあの娘に多額の献金をしたのに、まったく振り向いてくれる素振りもないではないか。よって、死すべし」と短絡的殺人思考が働いて、刃傷沙汰に発展してしまうケースも発生する。これは極端な事案であるが、円満に「卒業」して店を去れればいいものの、身の危険を感じ、行方を眩ませるようにしてどこかへ消えるコンカフェ嬢も少なくない。

 日本橋で働くコンカフェ嬢「みろく」は、「自分に関わる全ての人間を幸せにしたい」というポリシーを持っていた。勧められる酒はどれだけ無理が祟っても飲み、一芸を振られれば全力で応え、一見にも常連にも愛される魅力があった。150センチ足らずの小柄な体躯ながらも、ハイトーンボイスがよく通り、黒髪のショートボブに、ブラックオニキスを彷彿とさせる漆黒の瞳が美しく、よく笑い、よく泣き、人を大声で褒め、大声で悪口を言った。コンカフェ嬢としての活動のほか、近隣のライブハウスをホームとし、自ら作詞作曲した、手すさび的なアイドルソングを歌う地下アイドルとしての側面もあった。楽曲制作からセルフプロデュースまで一気通貫・自己完結させることができたので、コストがかからず重宝された。また、こうした生業を持つ者には珍しく、肉体・精神ともに異様な頑健さを誇った。けなされても潰されても翌日は平気で出勤するし、場所柄タチの悪い絡み方をしてくる男も少なくなかったが、毎度のこと、大阪府岸和田市春木出身のグルーヴ感溢れる泉州弁「おんどれあほんだらぼけかすしばいたろか」で完膚なきまでに撃退するのだった。

 

 みろくには、コンカフェ嬢としての顔、地下アイドルとしての顔、そして、もうすぐ結婚を控えている一女性としての顔があった。「誰からも愛されたい」「誰のことも愛したい」「誰よりも愛されたい」といった愛の様相を、ひとつの人間の器に押し込もうとするには無理があった。結局、高校の一学年先輩で、実力的には中堅高校ながらも野球部でエースの4番、体格良く、これまたよく笑い、部活動で培ったコミュニケーション能力を持ち、高校卒業の後に地場の不動産会社に営業として就職、古臭い昭和の体育会系タテ社会にも耐え、酒とタバコとギャンブルは覚えたが、どれかにハマりすぎることもなく、週末になれば父親の顔の利く地元の中古車ショップにて割安で購入したホンダ・オデッセイ・アブソルートでドライブに出かけたり、接待ゴルフに数合わせで呼ばれたりする阪神タイガースファンの人畜無害な男:和馬と結婚するという堅実な選択を選んだ。万事順調であった。

 

 しかし、黙って店を去り、アイドル活動から身を引けば良かったのだが、満ち満ちる幸福感を分かち合いたくてしょうがなかったみろくは、店やステージで誰彼構わず結婚の事実を吹聴した。みろくのポリシーとは裏腹に、人間の怨念はいとも簡単に渦巻くもの。彼女自身が想像していた以上に、そして、彼女を知る周りは「そんなもんやろ」と容易に想像がつく規模で、「裏切られた」「俺が一番彼女を愛していた」「なんぼ費こたと思とんねんほんま」などといった、主におっさん、一部女性の怨嗟があちらこちらから噴出した。店で働く他のスタッフ、オーナー、その他愛すべき人々への影響、被害、迷惑、を一切合切鑑みたみろくは、この事態の収拾のため、一案を講じた。

 

 某月某日
 大阪府大阪市浪速区日本橋4丁目
 アイドルシアター兼結婚披露宴会場

 

 受付に「祝儀1万円につき10秒間。言いたいことを喋ってください」と直筆のマッキー極太で書き殴られた紙が貼り出されていた。参加者は、袱紗に包んだ祝儀を受付に預けていく。

 

 40代 厨房設備専門工務店経営 男性 5万円
「みろくさん、ご結婚おめでとうございます。私の場合、店を開けるも閉めるも自分次第、というところがございましたので、あなたのSNSを毎日チェックし、出勤日を把握、毎週木曜日のライブにも必ず参加して、相当な出費をしているという自負がございます。フランス料理のフルコース、大変美味しく頂いております。立派になったもんやね。私はいつも、閉店間際に酔い潰れた、私を含めたおっさんどもに振る舞われる紙コップに入ったワカメの味噌汁。あの味が忘れられません。別れた嫁さんが作ってくれていた味噌汁よりも、何故だか心に染み渡るんです。彼女はとても働き者で、がめついところもございますけれども、それはそれでこんな世知辛い時代を生き抜くのにも必要な才能だと思いますから、旦那さん、どうか、彼女を幸せにしてあげてください。そして、私よりもたくさんお金を稼いで、彼女に立派な暮らしをさせてあげてください。よろしくお願い申し上げます」

 

 60代 ビジネスホテル清掃業 男性 1万円
「先日、長年連れ添った妻と別れてから、あなたのことを陰ながら、密かに応援していた者です。立ち直れそうにありません」

 

 30代 無職 男性 10万円
「なんなんでしょう。この悔しい気分は。アイドルと恋愛するなんておこがましいにもほどがありますが、それにしても、あなたにはどこか手の届きそうな雰囲気と、誰にでも分け隔てがないはずなのに、自分にだけ特別に接してくれているのではないかと錯覚させる技術があった。ここではあえて”技術”という言葉を使わせていただきますけれども。私もまんまとあなたに言いくるめられたうちのひとりと言えるのかもしれません。このテーブルに座っている、いや、固められている数多くの男性たちが同じ気持ちでいることでしょうが、しかしその中でも、私は特にあなたのことを愛していたと断言できます。いつかあなたと一緒に、京町堀のイタリアンで食事をしたことがあったかと思いますが、私の語る言葉や、将来のビジョンなど、すべて真剣に耳を傾けてくれていましたね。ウソやイミテーションで、あんな振る舞いはできないはずなんだ。人間には。しかしあなたが人間でなければこの限りではない。あなたがサキュバスだったなら辻褄は合うんだ。男どもから夢や将来を吸い上げて夜空を舞うサキュバスだったなら。なんだ。そういうことか。コスチュームだけじゃなくて、ほんまにサキュバスやったんかい。言うてますけども。昨年末まで私はインフラ系のコンサルタントとして働いていました。業界的に食いっぱぐれもないですし、日々革新していくテクノロジーにもなんとか喰らいついていく自信も体力もあったんです。しかしあなたに出会ってから私の生活は一変した。なんなんだ横に座っている男は。私のほうが学歴も社会的地位も上やったやないか。文化的な素養だってあるしな。なぜ私ではないのか。カネやなければなんや。ビジュアルかい。確かに身長は159センチだが、朝いちばんで計測すれば160センチあんねん。いつかみろくさんは、身長の高い男性が好みだと発言していたね。けったくそわるい。やっぱりそういうことかい。全身脱毛しようが、パーソナルジムに通おうが、身長だけはいかんともし難いんだ。どうにもならないんだ。小学生のころに言うてほしかったんやけど。もう。夜中まで勉強してたから成長ホルモンが出よらんかってん。さっさと寝とけばよかってん。あの時日付が変わる前に寝ていれば、あなたの横に座っていたのは、この私だったんですよ。ご結婚おめでとうなんて気持ちは微塵もございませんが、この場を借りて本音で喋らせていただけたことには感謝しております。いまではすっかり無職です。どうでも良くなりました。ご清聴ありがとうございました」

 

  みろくは「性根が腐りまくっとんねんお前は」と、ほくそ笑みながら心の中で鼻をほじった。

 

 70代 公共施設夜間警備、歯槽膿漏 男性 1万円
「えー。スピーチとスカートは短いほうがいい。スピーチとスカートは短いほうがいいに決まっとります。スピーチとスカート。スピーチとスカートは、短いほうが、いい!」

 

  20代 消化器内科病棟看護師 女性 3万円
「みろく。和馬さん。結婚おめでとう。みろくはいつもそうやって、私から欲しいものを奪っていきますね。中学のころに好きだった優斗くんもあんたに盗られた。覚えてる?。覚えてへんと思うけど。合唱コンクールの時、あんたはサボりたがる男子たちの味方をしていましたね。女子からは嫌われていたけれど、気がついていましたか。でも可愛くて、結局練習しいひんかっても歌がうまかったから、人気なのはいつもあんた。腹立つけど、でも心の底からは憎めないっていうか、どこか憧れてるところもあったんやろな。大人になって気がつきました」

 

  みろくは雑に切り刻んだ羊肉をほおばった。

 

 40代 アイドルプロデューサー兼作詞家兼作曲家兼コンカフェオーナー兼バス運転手兼その他雑務処理 5万円
「ご結婚おめでとうございます。あなたのように真正面から正々堂々と恋愛、結婚宣言をして身を引いていった人は初めてです。最初は腹も立ちましたが、今は逆に胸がせいせいしています。いつだったか、武道館に立ちたいなんてお酒を飲みながら語っていたものですが、やはり叶いませんでしたね。こういう晴れの場でする祝辞の弁は、まさか本当になるなんて、とかしみじみと振り返りながらされるものと相場は決まっていると思っておりましたが、やはり人生というのは基本的に夢は叶わない。アイドルというのは、夢を与える商売なんていえば聞こえはいいものの、その実内側は世間様が想像している以上にドロドロしていますし、誰それがくっついたとか、飛んだとか、飛ばされたとか、捕まったとか、ハメたとか、叩かれたとか、詐欺られたとか、追ったとか、追われてるとか、そんな耳を塞ぎたくなるような話ばかりです。あなたはどこに行っても通用する人だと思います。だからこそ、この業界に見切りをつけるのも早かったのでしょう。私は年が年ですから、もう泥舟にしがみつくばかりですけれども、それなりにいろんな人間を見てきた自負はあります。絶対にあなたは死なないでしょう。そして私は先に死にます。地獄からあなたのことを見守っています」

 

 20代 元アイドル兼ホスト狂い兼ネイリスト見習い 女性 3000円
「くたばってください」

 

 50代 憂国の志士 男性 10万円
「諸君、この国は腐っている。賃金はあがらぬのに、物価は上昇する。血税は無駄遣いばかり。役人は醜く肥え、我々庶民は明日の生活にも困る始末。教育レベルは下がる一方、日本のGDPはインドにも抜かれて世界5位。国防に目を向けますと、ドローン部隊、スパイ、細菌兵器が跋扈し、諸外国から喉元に刃を突き立てられているような危機的状況にも関わらず、平和ボケした国は何も対策しようとしない。このままでは四半世紀以内に日本は亡びます。確実に亡びます。共に立ち上がろうではないか。拳を振り上げようではないか。我々でこの国を護らねばならぬ」

 

 ざわつく式場スタッフ。
「みろくさん、ちょっと危ない状況のように思われますが、止めますか」

 

「いや、かまへんよ。喋らせといて」

 

 引き続き雄弁を振るう憂国の志士を尻目に、玉虫色に輝くLEDで装飾されたアクリル製の巨大観覧車が運ばれてくる。周囲を取り囲む参加者たち。クエルボゴールドのショットを叩きつけ、ガラスの砕け散る音がそこら中で鳴り響いている。もはや誰もなんの話も聞いておらず、覚えておらず、憂国の志士がウェディングケーキカット用の包丁で腹を切って、血しぶきが舞った。憎まれている者も憎んだ者も、笑って、泣いて、輝いていた。色々な口約束が交わされて、そのうちひとつも履行されなかった。「ま」という謎の女のLINEが流出していた。誰も覚えていなかった。みろくや、和馬を含めた参加者全員が、3日から40年以内に死んだ。収益は会場修理費に充てられたが、それでも余りある余剰金で、みろくは野望を叶えることにした。

 令和7年度 岸和田だんじり祭り 9月祭礼

「ソーリャ!ソーリャ!」

 残暑もクソもない、外を歩き回るだけでも頭の茹だるような日。重さ4トン、大きさ4メートル、猛スピードで疾走する虹色LED搭載型婆娑羅だんじりが交差点に差し掛かった。
「みろくさん、結婚、おめでとうございます!」
 神輿の上でみろくは「私を見て」とデコレーションされた団扇を振り回した。だんじりを曳くのは、披露宴参列者であり、彼女を心から支持する人間たちだった。泉州地域に育った者は、巨大建造物同士の激突でしかカタルシスを得られない風土病に罹っている。交差点を最小限の減速で曲がり切ったのち、だんじりはぐんぐんとスピードを増していき、光に近づいていった。