突き抜けたい 思い切り走って、ぶつかって対象を破壊し、ゴールテープを切るような軽やかさで向こう側へ

 

私は以前、タイヤに激突した。それはやわらかい壁。弾力を持って私を押し返す壁。強い力でぶつかればその力を持って反発し私の全身を揺さぶる。高校生のときにやっていたラグビーで誰かにぶつかるときの“身震いする衝撃”、以前車に轢かれたときに感じた“かなわなさ”に憧れて古タイヤを積み上げて壁にして激突した

 

気持ちよかった。全身に走る衝撃が、痛みが、変わり映えのない生活で溜まった体の気泡、むなしい空白をすべて押し出してくれるようだった。非常に爽快で、アドレナリンがこの瞬間私を生かしてくれているのだと興奮した。

しかし、やわらかい壁に勝ち目はない。いくら思い切りぶつかろうがタイヤは砕けることはないし、その前に私のからだが壊れてしまう。壁を乗り越えて“克服”することは一生できない。ただ身を預けるだけでは壁の向こうには行けない。障害を乗り越えて向こう側に行きたい。

 

だから、

透明な壁を突き抜けたい!

 

山へ

「透明な壁を突き抜ける。そのためには山に行く必要がある」と伝えたら父親が車を出してくれた。私は車の免許を持っていないのでこればかりはしょうがない。AIがいくら発達しても人里離れた山に連れて行ってくれるわけではないのだ。

 


ライターの神田(こうだ)です

ということで山にやってきた。

まず、“透明な壁”について。完全に透明なものは用意できないため私が思い浮かべたのは、半透明な膜だった。

 

ある程度弾力があって、向こう側が薄く透けていて、重ねることで厚さが増すようなもの。簡単には破けない丈夫なシートが望ましい。ガラスでは脆すぎるし、突き抜けた実感がない。割れることがわかり切っているものにぶつかってもつまらない。

 

そう思って選んだのがこの「養生ポリエチレンシート」だった。建築作業現場などで、キズや塗料のこぼれを防ぐために使われるものだ。100mで1680円。それほどの長さのものを2000円以内で買えてしまうのはすごい。

JAPPY 養生ポリエチレンシート JYS-900W

見た目も理想の透け感だ。透明な食品ラップを使う手もあったが、あれは重ねると見た目が悪いし、家にある身近なものを工夫して使ってインスタントに欲求を満たすのは何か違う気がした。素材も無機質で自分から遠いものにこだわりたい。

 

そしてなぜ山に来たかというと竹が生えているからだ。竹は言うまでもなく丈夫でしなりもある。もし傷つけても迷惑がかからない(自分の敷地だから)。

2本の竹にポリエチレンシートを巻き付けて渡せば、突き抜けられる”透明な壁”を作り出すことができるはずだ。もし衝撃がかかっても竹なら折れることはないだろう。

 

とはいえ都合のいい生え方をした竹が見つかるとは限らない。竹は平地でなく斜面にも生えるし、間隔もさまざまだ。田舎の人手が減って充分に整備ができなくなってから、朽ちて倒れた竹がそのままになっている。

 

シートを設置できそうなちょうどいい竹を探すが、しっくりくるものが見つからない。こんなに生えているのになぜ。自然は人間の都合のいいようにはできていない。

 

少し山の奥に入るがまだ見つからない。竹の間隔が離れすぎていたり、間隔がちょうどよくても斜面に生えていたり、向こう側が鬱蒼とした茂みだったりする。

途中からなんだか死に場所を探しているような気持ちになる。どこでもいいわけじゃやっぱりない。自分だけの場所があるはず。引き返す。

 

結局、最初にいた辺りに戻ってきて、ある程度手入れされた竹に目星をつける。竹も太く、間隔もちょうどよく、走り抜けるのに邪魔になる障害もない。ここしかないと思った。

 

透明な壁を作っていく

竹にポリエチレンシートを巻いていく。竹の表面はひんやりしてざらざらしている。東京では竹林なんかよっぽどじゃないと見かけなくて、そういえば最近草や木なんて触ったことがなかったなと思った。

 

シートを切ってテープを巻いて固定する。これでいいはずだ。もう少しシワをピンと伸ばせば……。

 

出来上がった

見た目はチープだが、私が思い描いた理想の形だ。竹の間隔も申し分ないし、向こう側が見通せそうで見通せない半透明加減もいい。シートの真下に出っ張った竹の切り株がある以外は障害物もない

 

タイヤの壁と違って、ぶつかる心理的ハードルは著しく低い。だって半透明で薄っぺらいシートだから。当たって怪我をする心配もないだろうし、衝撃が跳ね返ってくるわけでもない。

 

思い切り走り抜けるだけとはいえ少し怖い。半透明で先が見えないからだ。いくら先ほど見た地面とはいえど、向こう側がどうなっているかわからない。

もしかしたら転んで出っ張りに頭をぶつけたり毒を持つ虫に刺されたりするかもしれない。山はそうした思いがけない怖さがある。辺りは湿った枯れ草のにおいがする。

 

車を運転していて、霧にけむって先が見えなかったらたとえ見慣れた道でもスピードを出すことはできないだろう。半透明にしたのは対象にそういう不確かさを残しておきたかったからだ。

 

「まあ大丈夫だろう」と身構える。こんな薄いシート、何のことはない。じりじりと数メートル下がって……。

 

走る!

 

透明な壁に突っ込む。シートが腕と顔に張り付くのを感じる。

 

さらに踏み込むとあっけなくシートが千切れ、

 

向こう側へと通り抜けた。

 

よろけて膝をつき、なぜか半笑いになった。あまりに手応えがない

”壁を突き抜ける”というていは成したものの、ただ通り過ぎただけでまったく気持ちよさがなかった。

それにやはり怖くて思い切り走り抜けることができなかったのも心残りだ。これはまだ私のしたかったことではない。壁を克服したといえようもない。もう一度リベンジする

 

リベンジ

竹に固定したシートが千切れた跡だ。私は尖って鋭利ではないので正面からすっぱりシートが裂けることはない。もう少し巻いて丈夫にしていく。

 

今回はひと巻き多めにしてみた。先ほどのは薄っぺらくて正直ナメていたが、多少厚くなるとどうだろう。

 

走る!

 

暖簾に腕押しというべく、ほぼ手応えがなくあっけない。もう少し苦労した実感がほしい。簡単に突き抜けてしまいたくない。

 

だから今度はもう少し厚めに巻いていく。巻き重ねて何重にもしていく。

 

四重か五重にはなっただろうか。思いのほか厚みが出てきて迫力を増してきた。

 

100mのシートだが、乱雑に使ってもまだまだ残りがある。今は何mぶんを使ったのだろうか。トイレットペーパーでも気にしたことはないが。ナタで切り落とす。

 

さて、いったん巻いてみたところで再度チャレンジする。先は見えないが、「おそらくこんなもんだろう」という慣れで思い切り体を預けられるようになった。だんだんと力いっぱい走れるようになったと感じる。

 

いけるか!?

 

これだ!

 

立ち向かうという感覚を強く思い起こさせる。

勢いよくぶつかって壁に跳ね返される。壁に体がめり込み、もう少しで引き裂けそうだ。車はこうして私の体を受け止めてはくれないし、人とこうしてがっぷり四つで組みたくはない。まして傷つけてはいけない。法律とか感情とかがあって何をしたって迷惑になる。

弾力があって、体温がなく、乗り越えられる余地を感じさせる壁。そうした私の求めるものが絶妙な塩梅で立ち現れた!

 

二度三度当たって、衝撃でゆるんだ壁に再アタックする。ここまでくれば後は思い切りやるだけだ。トドメを刺す。

 

突っ込む!

 

突き抜けた。ゴールテープを切るように向こう側へ倒れ込む。目先に迫ったシートが手応えを失って、すぐに眼前が地面に切り替わる。湿った土、濡れた枯れ葉のにおい、そういうものが一気にやってくる。

透明な壁を突き抜けた。遠くが見えない半透明な壁にめり込み、何度も当たって突き抜けた。受け入れられて弱らせて破壊する、そうしたプロセスがあった

 

目標は達成したものの、不思議と気持ちよさはない。なんだか消化不良だ。なぜか。

 

傷ついていないからだ特に痛みや痺れもなく目標を達成してしまった。何も私は引き換えていない。ただ試行したら行けただけ。実感がない。何も差し出していない。

 

だから、壁を厚くしてもう一度チャレンジする。

 

傷つきを求めて再チャレンジ

これでもかとシートを巻きつけた。重なって層になっている。これは簡単には突き破れないだろう。

 

重ねたシートを触ってみると、しっかりとした弾力で押し返してくるようになった。たくましい。まさしく透明かはともかくとしてまさしく壁である。

 

心臓が脈打ち、額や背中から汗が吹き出してくる。自分のかなわなさを思い知らされたい。興奮で周りの音が聞こえなくなり、辺りがしんと静かになる。

 

叫ぶ!

 

走る!

 

これだ!!!!!

力いっぱいぶつかって背中から落ちると、首の後ろの背骨の芯のような部分がグラグラと揺さぶられ、体がかっと熱くなる。目と歯、ただ体にくっついている部分が振動で取れそうだと思う。

 

そしてすぐ立ち上がる。「一流選手は速やかに立ち上がろうと努めるが敗者はいつまでも横たわったまま」というラグビーかアメフト監督の有名な言葉を思い出した。

 

もう一度駆け出す!

 

痛い!!!!!!!!!!

 

背中から落ち、後頭部を地面に打ちつけた。ドッという衝撃が内臓を揺さぶる。

非常に痛い。全身の血のめぐりが良くなり、頭がじゅくじゅくと熱くなる。でも、この衝撃が自分を蘇らせてくれるような気がした。

「コンクリートに向かって投げ技を食らうと死ぬ」と聞いたことがあるが、それはそうなんだろうと感じさせる痛みだった。84kgの自分の重さをそのまま引き受けるわけだからそれはそうか。投げ技って強いのか。格闘技の素養はまったくないので習おうかと思った。

 

息が詰まって立ち上がるのが難しかったのでしばらく横になる。

痛みや苦しさはいつの間にか消えるがどこへ行くのだろう。蓄積されているけど脳が出すホルモンで感じなくなっているだけなのだろうか。じゃあ全部脳のしわざじゃんと思う。快も不快も全部脳ならそっちで直接やったほうがよくないか

 

立ち上がる。

 

ぶつかる。

 

そのまま踏ん張って押し続けるが突き抜けられる気配はしない。

もう力でかなわないことがわかる。私にツノが生えていたらそこを起点に風穴を開けることができるのだがツノは生えていない。

 

私は困難が立ちふさがると私は80%くらいの力でやってみて、「とりあえずやったから」と心理的安全性を担保し、「もう少しこうだったら」と目の前の自分から幽体離脱して引きでその様子を眺めている。いつもそう。

 

首が痛むほど壁に顔を押し付けてもどうにもならない。さっきは力いっぱいぶつかったらなんとかなったのに。

何でも思い通りになるわけではないことがわかった。体も大きいし筋肉もあるから自分ならいけるんじゃないかという慢心もあった。さっきは都合がよく生み出しただけだった。本当はもう少し、血が出るまでがんばったら突破できたかもしれないがそうしなかった。

私は全力で何かに向き合ったことが今までないのかもしれない

 

絶対に壊れないタイヤの壁にぶつかってかなわないのは当たり前だが、突き抜けられそうな壁に力いっぱい対峙してもう少しでかなわないと苛立つ。

痛みを差し出した代わりに何も与えられないと悔しくなって、自分の卑しさに情けなくなる。自信があったぶん悔しい。壁を克服することができなかった。

だから、無理やり終わらせる。

 

ナタを思い切り振り下ろす!

 

いけた!!!!!!!!!

 

乗り越えられた!

 

 

弾力があって、体温がなく、乗り越えられる余地を感じさせる壁。これでよかった。向こう側へいけた。たとえ道具を使うのがズルであっても、対象を克服できたのはうれしい。世の中にはいろんな通過儀礼があるが、もし私がその機会に直面することがあったらちゃんとズルをすると思う。

青竹も、きれぎれになったシートもなんだか腹立たしい。もう少しで打ち勝てそうなものに直面してそれがかなわないと納得ではなく私は苛立つ。

 

帰り道にタケノコが背を伸ばしていて、その溌剌とした見た目に腹が立つ。蹴り折ってやりたくなった。そんなところに生えていても邪魔だから。