その神社では井戸が祀られています。

 


 

▲神社における井戸舎(イドヤカタ)の一例

 

██県███市██町██郷、

██稲荷神社。

 

その地一帯に流れる大きな川の流域、

その西部にある山あいの小さな神社です。

 

周辺地域では一般的な「厄除け」の

神社として親しまれています。

普段は人通りも少ないものの、

夏休みや初詣の時期になると

石造りの門を通ってまばらに人が往来します。

 

▲町内で行われる縁日の様子

 

そもそも人の多くない町なので、

ひときわ小さいその神社に

巫女や神主が常駐しているわけでもなく、

複数の世帯が持ち回りで

清掃を行っているそうです。

 

正式な社格をもたない無格社では、

それほど珍しいことではありません。

 

「元々大きなお社じゃないんだし、

別にやめてもいいんじゃない、

っていう人もいるんだけどね」

 

██郷こども会の副会長であり、

件の神社の清掃活動へも

定期的に参加しているという女性は、

夏のローカル新聞の取材に対して、

柔和な笑顔でこう応じました。

 

「それはきっと、今でなくてもいいでしょう。

これだけ長く続いてることなんだし」

 

曰く、彼女が子供のときから、

その神社の清掃は続いていたそうです。

 

井戸はとっくの昔に埋められたため、

井戸自体を清掃する必要はないそうですが。

 

夏になったら複数の世帯で集まって

草むしりやゴミ拾いをするものであり、

それに多少の面倒は感じていても、

無理に辞めようとまではしませんでした。

 

赤い鳥居や狛犬や本殿など、

扱いに困る建造物もあまりなかったため、

表立って反対するよりも、

小一時間我慢してご褒美の

ジュースとアイスを貰った方が

得だったのです。

 

この神社に限らず、地域の清掃活動は

そのくらいの認識で行われるものです。

 

この神社の御利益は、

恐らく神社と聞いて

多くの人が真っ先に想像するような、

「厄除け」が主です。

 

神の加護により災厄から身を守る。

厄除け、厄落とし、家内安全、長寿、開運など、

特に何の変哲もなく一般的な理由で

参拝がなされます。

 

その規模ゆえに大きな祭や習俗は

現存しませんが、主な行事としては

初夏に境内付近で行われるささやかな露店があります。

 

7月の初旬、夕方から夜にかけて、

バザーやフリーマーケットのような形態で

出店がいくつか立ち並びます。

 

金魚すくいやヨーヨーなどの

水物は禁止されていますが、

菓子類のくじ引きが行われたり、

酒盛りをする親向けの

軽食が振舞われるそうです。

 

それこそバザーのように、

子供を持つ近隣住民のお下がりや

おもちゃを交換する場としても

利用されています。

 

ここまでの情報は、

あまり何の変哲もない地方の神社、

といった風情ですが。

 

先述の通り、

この神社には一点、

特筆すべき事項があります。

 

それは、この神社が「井戸」を

祀っているということです。

 

なお、井戸を祀る神社というのは、

類例がないわけではありません。

 

例えば西新宿にある「成子天神社」、

その境内にある水天宮では、

三柱鳥居(みはしらとりい)の中心で

手押しポンプの井戸が祀られています。

▲西新宿の成子天神社。井戸は現在も使用可能

 

この井戸がある西新宿8丁目の

近辺は、嘗て大きな川が流れ、

豊富な地下水が汲み上げられていました。

 

そのため、水の恵みを祈願して

水神を神格として井戸を祀ることは

比較的自然に行われたのでしょう。

 

しかし、ここで疑問を感じた方も

いらっしゃるかと思います。

 

では件の神社は、

井戸を祀っているのに、

なぜ「稲荷神社」なのかと。

 

先ほど少し触れたように、

その神社には赤い鳥居も、

狛犬や狐の類もありません。

 

ただ石造りの簡素な門と小さな倉庫、

そして社の骨組みに囲われた井戸があるのみです。

 

稲荷神社といえば狐の御使と

朱色の鳥居がつきものですが、

そういったものは一切ありません。

 

なのに、この██神社は

「██稲荷神社」と呼ばれ、

厄除けの神社として今も

近隣住民に親しまれています。

 

これは一体どういうことなのでしょうか。

 

この疑問を解消する鍵は、

今も地域に残っている行事──

すなわち露店や清掃活動、

そして信仰対象である「井戸」にありました。

 


 

「へへ、井戸替の夢を見ました」

──落語「つるつる」より

 

「井戸浚(イドサラヘ)」。

「井戸替(イドガヘ)」とも称されるその行事は、

夏の風物詩として全国各地に話が残っています。

 

年に一度、主に夏の時期に行われる、

いわば井戸の大掃除です。

 

井戸の水をいっぺんに汲み出し、

滑車から吊り下がるようにして

井戸の中に入った人が、

苔やぬめりのついた側壁を洗う。

 

底に溜まった泥などを

総浚いに取り除くことから、

この行事は「井戸浚え」と言うようになりました。

 

「七日盆(ナヌカボン)」や

「七日日(ナヌカビ)」という名称が

残っている場合もあるのですが、

この行事は主に七月の初週前後で

行われるものでした。

 

この時期に井戸の清掃を行う理由は、

いくつか考えられます。

 

まず宗教的な理由として、

およそ一週間後に行われる

盂蘭盆(うらぼん)に際しての

祓(ハライ)を行う必要があった、

ということ。

 

つまり、水場に溜まった

一年分の穢れを掻き出し、

清浄な場で祖霊を迎えなければ

ならなかったのでしょう。

 

そして現実的な理由としては、

本格的な夏が始まる前に、

水路をくまなく清掃する

必要もあったのだと思われます。

 

██稲荷神社の井戸は、

その地一帯に流れる大きな川の

流域に位置しています。

 

もし夏場に雑菌が繁殖し、

水路のひとつが汚染されてしまえば、

飲み水(上水道)を介した伝染病の流行が

発生する可能性も大いにあります。

 

そうした観点から、

七月初旬の大規模な井戸の清掃は

理に適った行事であると言えるでしょう。

 

そして、「井戸浚」がこの地の習俗に

密接にかかわっているとすれば、

現在に伝わるいくつかの行事にも

民俗的な整合性を見出すことができます。

歌川国貞「文月の晒井」, 恵比須屋 庄七, 1847.

東京都立中央図書館蔵

参照元: https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000086-I0000000003_00008516

 

井戸浚の様子を描いた

上掲の浮世絵の画中には、

「去年落た簪の玄蕃へ這入て克出た」

との記述があります。

 

▲該当箇所

「除は物を取退る意にて覗見るには

 あらねども爰が滑稽者流の域なり

 去年落た簪の玄蕃へ這入て

 克出たとのぞくといふ日に

 見たてしならん川柳風に井戸替に下駄をはいたは大家なり」

 

これは「去年落ちたかんざしが、

(井戸水を汲みだすための)玄蕃桶の中に

入って出てきた」といった意味で、

つまりは井戸の中に落としていた

失せ物が見つかったことを示しています。

 

「大掃除のときに無くし物が見つかる」

というのは現代でもよく起こることですが、

この時代では井戸の大掃除でも同じことが起こります。

 

朝方に水を汲む際、

文字通りの井戸端会議をしていた女性が

誤って落としてしまった髪飾りは、

年に一度の井戸浚えのときにのみ

発見される可能性があります。

 

そのため、この日を楽しみにしていた

女性も少なくなかったそうですが。

 

こういった背景を考えると、

現在の██郷において

七月初旬に周辺住民が集まり、

井戸周辺の清掃を行ったのちに

ささやかな露店を開く理由が、

何となく分かってきます。

 

恐らく██郷では、

井戸浚のあとに中から出てきた

持ち主不明の装身具などを

露店のように売る、或いは譲る、

という行事が行われていたのでしょう。

 

もちろん持ち主が判明するものが

大半だったでしょうが、

現代の大掃除においても、

持ち主不明な小物が家の隅から

出てくることは珍しくありません。

 

仮に見つかったとしても、

何か月も水にさらされた櫛や簪が

今更見つかったからと言って、

それを回収したいと思わない場合もあるでしょう。

 

そのため、

井戸の中から出てきた小物の

新たな持ち主を探すために、

井戸の周りでささやかなマーケットが

開かれていたのだと考えられます。

 

井戸底の清掃という、

危険を伴う大仕事も終わったあとです。

力仕事を行った男性たちの間では、

労をねぎらう酒宴なども

行われたかもしれません。

 

そして──

井戸を使わなくなった現代には、

初夏の清掃と露店、

そして親同士の交流を兼ねた

酒盛りといった、イベントの要素だけが残った。

 

住民総出の井戸掃除が

当初の目的であったのならば、

今の露店で「金魚すくいやヨーヨーなどの

水物が禁止」されている理由も、

ある程度推測できます。

 

「水物の禁止」は、恐らく当初は

「井戸浚の最中の水遊びの禁止」

だったのでしょう。

 

上水道の清掃は、特に地下水を

複数の井戸で共有している場合、

同じ時期でいっぺんに行わなければ

意味がありません。

 

力仕事も多分に伴うものですから、

小規模な村や集落においては

青年はもちろん少年を含め、

ひとりの人材も無駄にできなかったでしょう。

 

そんな夏場の仕事であるため、

限界まで組み上げられた井戸水を

使っての水遊びに興じる者のないよう、

戒めとして「水物(水遊び)の禁止」を

言い渡していたのだと考えられます。

 

その戒めを遵守する理由のなくなった

現代でもその規則のみが伝えられ、

その結果として「露店での水遊び」──

金魚すくいやヨーヨーなどへの、

あまり理由のない規制が

生まれたのではないでしょうか。

 

こういった歴史を踏まえつつ、

この神社に「稲荷」という名前が

付いている理由を考えます。

 

そもそも稲荷信仰は、

 

1. 荼枳尼(ダキニ)などと同一視される仏教的稲荷

 

2. 宇迦之御魂神あるいは保食神と同一視される神道的稲荷

 

3. 田の神や狐の神をそのまま祀っている民俗的稲荷

 

に大別されますが、

この神社における祭祀の対象は

2と3の性質をもち、

時代に合わせて流動的に変化しています。

 

どうやら、██郷における土着の信仰に

日本神話などの要素と

「井戸浚」が習合した結果、

現在の「厄除けのための神社」という

最大公約数的な形に落ち着いたと

考えられるのです。

 

(以下、██町民俗誌 『███ノ郷土』より抜粋・再構成)

 

【信仰の変遷】

 

①「農業と家畜の神」期

凡そ中世以前まで。

土着の山間信仰により、

一帯では農業神が信仰されていた。

 

②「狐と屋敷の神」期

江戸後期あたりまで。

██地方の山間部が

旅芸人の通り道として

使われるようになり、交流が増加。

 

結果として、

他地域の稲荷神(豊穣神としての性格)と

██町土着の農業神が習合。

██町東部に「██稲荷神社」という

稲荷系の神社(現存せず)ができ、

それが██郷にも分祀される。

 

その周辺で清めに用いるための井戸を掘り、

そこに配祀神として水波能売命(ミズハノメ)を祀る。

 

③「生活の神」期

しかし、神社としての整備をする間もなく、

大元となる██稲荷神社が、

明治期の神社整理に伴って廃される。

 

水波能売命を祀っていた檀も

それに合わせて撤去された。

 

拠り所を無くした██稲荷神社も

無格となるが、井戸(飲用水)を

中心とした緩やかな生活圏が

すでに形成されていたため、

井戸と「██稲荷神社」の名前は残存。

 

④「失せ物の神」期

神体はなく、神社の敷地と

井戸のみがある状態がしばらく続く。

 

しかし、井戸浚の風習に伴い、

「無くし物が見つかる」神としての

信仰を集めるようになる。

 

※「井戸」そのものを

祀るようになったのは

この時期であるとされる

 

七夕の時期になると

周囲に露店が形成され、

近隣住民の交流場所となる。

 

⑤「土着の万能神」期

戦後~現在まで。

豊穣神→稲荷神→水神……

という複雑な信仰の変遷を辿っており、

井戸を使う習慣もなくなったため、

信仰による具体的な利益や

源流を十全に説明できる者が、

この時点でほぼいなくなっていた。

 

そのため、「家内安全」や「厄除け」など、

思い思いの効果を付与するようになり、

最終的には一般的な

万能神としての信仰に落ち着いた。

 


 

つまり、土着神に対して他の神格が

一時的に習合したものの、

その後の時代背景によって

大元となる神がいなくなる、

「空白」の時代があったのです。

 

その空白を埋めるきっかけになったのが、

上述の「井戸浚」でした。

 

年に一度の大掃除が、

時代とともに「失せ物捜し」と結びつき、

なくしたものが見つかる、

という「利益」に変化しました。

 

(なお、「無くしたものが見つかる」

という御利益をもつ神社には類例もあり、

岡山県久米郡の「時切稲荷神社」が最も有名です)

 

そこから現代に至るにつれ、

かつての農業神、稲荷神や水神は、

いわば「なんでもあり」の神になり、

露店や井戸などをわずかな

信仰の残滓とする厄除けの神社、

「██稲荷神社」に

なっていったのだと思われます。

 


 

以上が、この神社にまつわる

「井戸」の信仰と、

その経緯に関する考察です。

 

ところで、この井戸が

④の「失せ物の神」として

広く信仰されるようになってから、

しばらくの間。

 

その井戸の周辺では、

度々不思議なことが起こったと言います。

 

というのも、井戸の中から

「落とし物」として見つかる小物の量が、

不自然に増加したのだと。

 

井戸の中はもちろん、

井戸浚に伴って行う付近の清掃においても。

 

その神社のあたりでは簪や櫛、

極端な場合では高価な鼈甲や

手拭いなども見つかったのだそうです。

 

殆どの場合で、元の持ち主が

名乗りを上げることはなく、

そのまま露店に下げられ、

ささやかな余興としての

取り合いに発展したといいます。

 

さらに不思議なのは、

この神社が広義の厄除けの目的で

信仰されるようになった現代でも、

「落とし物」はぽつぽつと現れている

ということです。

 

流石に今はそれが露店に

出されることはなく、

神社の物置に仕舞い込まれるか、

近隣の交番に届けられているらしく。

 

それらはもはや、持ち主はおろか、

いつから仕舞われたのかも

分からない状態で、古くから

境内の片隅に集められているのです。

 

腕時計。

ハンカチ。

ビーズのバッグ。

着物らしきものの端切れ。

果てはセピア色の家族写真まで。

 

埋め立てられた井戸の周りには、

昔から様々なものが落ちていたそうです。

 

ところで、

「厄除け」や「厄落とし」をしたいとき、

「わざと大事な持ち物を落とす」、

という民間信仰は全国各地にあります。

 

今までの自分と密接な関係があるものを

敢えて落とすことによって、

自分についた厄を一緒に落とす。

 

そして、落とし物についた厄は、

それを下心をもって拾った者に付き、

再び自分以外のひとの間を循環する。

 

特に「縁切り」で有名な神社などには、

今も様々な品物が「落とされて」いる、

とも言われています。

 

この神社が、そういった信仰と

関係があるかどうかは分かりませんが。

今もそこには、様々なものが落ちています。

 

また、先に書いた通り、

井戸浚には「穢れを落とす」意味もあります。

井戸に堆積したケガレを

定期的に落とすことで、災禍を未然に防ぐ。

 

この井戸を使う人はもういないため、

井戸は埋め立てられ、

水は循環することなく、

地面の奥深くに閉じ込められ続けています。

 

井戸浚も祀る神もなくなった今。

それを「さらう」役目は、

誰が、何が負えばいいのでしょうか。

 


 

「でも、管理する責任者は

いらっしゃらないんですよね。

困ったこととか、起こりませんか。

これだけ古い神社なわけですし」

 

夏のローカル新聞で、

ある記者が行った別の質問に対して。

 

「確かに、そうですねえ。

この町もずいぶん人が減ったし、

困ったことも起こるかもしれないけど」

 

古くからその神社を知る女性は、

このように返答していました。

とても穏やかで、柔和な笑顔で。

 

「でも、それが起こるのは、

きっと今ではないでしょう

これだけ長く続いてることなんだし」