「今もずっと探してる、CMがあるんです」

 

この話を提供してくださったのは、

短大で看護系の勉強をしている

Mさんという女性であった。

 

「無性に怖くて覚えてる

CMってあるよね、って。

そういう話をしてて」

 

今でも「迷宮入りCM」などと

検索するといくつものCMがヒットするが、

例えば幼少期にテレビを眺めていたとき、

突然に不気味なBGMや画作りの

コマーシャルが流れたという

経験を持つ人は少なくない。

 

CM映像はテレビ番組と違って

アーカイブを視聴する手段も

限られており、幼少期に見た

記憶だけが残っている場合だと、

猶更捜索が困難になる。

 

思い出す過程でその記憶が

他の映画などと混成し、

漸く当時の映像を発見しても

「実際の映像は、記憶のものと

全く違っていた」という感想を

持つことも屡々である。

 

例えば二年ほど前、

迷宮入りCMの世界では有名だった

未発見映像、通称「浄瑠璃」が実際に

発見されたときには、

実在を驚くコメントと同じくらい

「意外と怖くない」という意見が上がっていた。

 

「浄瑠璃の人形が街中で

『こっちへ、こっちへ』と手招きし、

招き寄せられた男が近づくと

その人形の顔が般若のような形相に変わる」

 

そんな梗概だけを聞き、かつ

「子供の頃に観てとても怖かった記憶がある」

という幾つもの書き込みを読んだことで、

当時実際にそれを見ていたかどうかに限らず、

そのCMの怖さを無意識のうちに

増幅させてしまった結果なのであろう。

 

そしてMさんも同様に、

「幼少期に怖いCMを見た」という

記憶が残っていて。

その恐怖が今も消えることはないのだという。

 

「私の場合……それは、リコールのCMでした。

不具合が見つかったので、

それを回収していますみたいな、

そういうやつ」

 

例えば家電や車など、それこそ

テレビに広告を出稿しているような

企業の製品に何らかの不具合が

見つかった場合、その製品の回収を

呼び掛ける広告が流されることがある。

 

基本的には華々しく楽しげな映像が

流れることの多いテレビCMと比較して、

そうしたものは往々にして、

非常にシンプルな構成であることが多い。

 

BGMはなく、簡素なテロップとともに、

淡々とした口調のナレーションで

「事故の恐れがあります」といった

不穏な文章が音読される。

 

そうしたCMを怖いと感じ、

おぼろげな忌避感をもって

受容している人は、彼女に限らずそれなりに多い。

 

しかし彼女が継いだ話は、

そうした思い出話とは少し異なるものだった。

 

「はっかのおそれがあるため、かいしゅうします」

 

彼女の記憶には、恐らくは大人の

男性であろう人が無感情に繰り返すその声が、

幼少期の記憶として、

なぜかずっとこびりついているのだという。

 

「具体的なテレビの画面は、

記憶になかったんですけど。

その、やけに無機質な感じの言葉は、よく覚えてます」

 

はっかのおそれがあるため、かいしゅうします。

 

その言葉遣いは明らかに、何らかの製品を

回収する際に用いられる文言のそれであろう。

電化製品などが断線なり経年劣化なりを起こし、

強く熱を持って発火する。

 

そのためMさんは、

中学生や高校生になってからも、

たまに何かの企業がリコールのCMを打つたびに、

ざわざわとした焦燥のような恐怖を感じていたという。

 

「お母さんに聞いてみたら、

そうそうあんた昔ほんと怖い怖い言ってたのよって、

呆れながら言われました。

なんでも、小学校低学年ぐらいのときまで私は、

そういうCMが流れるたびに、

わーって泣きながらテレビから離れてたらしくて」

 

遠い昔に見たであろうCMの印象が、

それほど無意識に紐づいているものなのかと、

彼女は少しの驚きを覚えてさえいた。

 

と、

そんな話を、

短大の友人たちにもしたのだそうだ。

 

子供の頃に近所の犬に吠えられてから

未だにチワワすら怖い、といった

他愛もない思い出話の延長で。

 

すると、友人のうち数名が、

こんな疑問を彼女に投げかけた。

 

「でも、それ、何を回収してたの?」

 

「確かに。っていうか、

そこの一文だけをCMで繰り返すって有り得る?」

 

「発火がどうこうよりも、

お客様センターの番号とか

製品ナンバーとかのが大事でしょ」

 

要は、そこまで言葉を繰り返して

回収したかったものは何なのか、という疑問である。

 

確かに、とMさんは思い直し、

記憶を手繰ってみたが。

 

その一文の前後にどんな言葉があったのかを、

まるで思い出すことができない。

 

あるのは「はっかのおそれが」という一文、

それが繰り返されていたという記憶だけで。

テレビ画面も周辺状況も、

何も手繰り寄せることはできなかった。

 

それこそ「迷宮入りCM」に覚えるような

興味を感じ取ったのだろうか。

 

友人のうちひとりが、

少し調べてみようと言い出した。

 

Mさんが幼少である年代に、

テレビで製品回収のCMが流された数は

それほど多くないはずだろう、と。

 

誰かが違法にアップロードした

「怖いCM」を幾つかのワードで絞り込み、

手当たり次第に見ていった。

 

「発火 CM」「リコール CM」など、

色々な文字を打ち込んでは試していく。

ただ───

 

「……うーん、これでもないかな」

「あー、マジか」

「似たような感じはあるんだけど、しっくりは来ない。声質とか」

 

中々、目当てのものは見つからなかった。

Mさん自身も不思議に思うくらい、

「これだ」というものが出てこないのである。

 

そもそも友人たちが言っていたように、

彼女の記憶自体に、テレビCMとしては

整合性が取れない箇所が多々あるため、

十数年の間で誇張された記憶という可能性も十分にある。

 

レコメンドされたCMもほとんど見終わり、

それでも目ぼしい情報が掴めず、

何となく気まずい雰囲気になりかけたところで、

Mさんたちは何気なく他のCM映像も見始めた。

 

リコール関連のものではないが、

「怖いCM」として有名なものの動画。

こんなんもあるんだな、うわこれ怖え、

子供観たら泣いちゃうよ、

そんなことを言いながら。

 

tiktokでも流し見するような感覚で、

彼らは元の目的から脱線しつつ、

だらだらと話を継いでいた。

 

海に崩れていく砂の像。

踏切の前で2秒に1回点滅する人影。

ティッシュをひらひらと飛ばして遊ぶ、

赤鬼に扮した子役。

突如として顔が変わる浄瑠璃の人形───

 

「『待って』って、

ほとんど無意識に声が出ていました。

スマホを見せていた友人がちょっと驚きながら

再生を止めて、その画面には、

その白い浄瑠璃の人形の顔がありました」

 

その、人形の、つるりとした白い笑顔を見ながら。

 

彼女にはなぜか、リコールのCMを

見ているときと同じ、形容しがたい恐怖が、

くっきりと喚起されていたのだという。

 

「でも、なんで、って思って。そういう人形と、

発火のリコールに関係なんてあるはずないのに。

なんで、この人形を見てるだけで、

何かを思い出しそうになるんだろうって」

 

と、そこで。

 

もうひとつ、別の記憶が、

彼女の中で紐づいた。

 

つい先ほど、「怖いCM」を幾つかのワードで絞り込み、

手当たり次第に見ていたとき。

 

友人が「発火 CM」「リコール CM」など、

色々な文字を打ち込んでは

動画サイトの検索エンジンに入力しているのを、

なんとなく眺めていたとき。

 

「はっか」というひらがなを、

「発火」に変換するときに、何か───

 

Mさんはそこで、自らのスマホを取り出し、

その三文字のひらがなを検索窓に打ち込んだ。

 

「はっか」

 

予測変換の部分に、様々な候補が出力される。

 

「発火」「薄荷」「八課」───

 

「『白化』?」

 

なんとなく、その見慣れない言葉に

引っ掛かりを覚えた彼女は、

その二文字を検索に掛ける。

すると、いくつかの意味が検索結果として現れた。

 

白化 はっ-か [名](スル)

①白くなること。

②生物本来の色彩が発現しない現象。→アルビノ

 

白化 しら-ばけ [名][形動]

①空々しく(白々しく)化けること。また、そのさま。

「慣れた時代の源氏店、その-か黒塀に」(与話情浮名横櫛)

 

調べてみると、「白粉(おしろい)を塗った女性」

および「白ばっくれる」を意味する言葉として

「白化(しらばけ)」という言葉を使うこともあれば、

単に生物の色が白く変化することを

「白化(はっか)」と表現することもあるらしい。

 

しかし、何故この言葉を見つけたとき、

そしてあの人形を見たときに、

「何か」を思い出しそうになったのか。

 

「そこで、ひとつの……えっと、イメージが、

流れ込んできたんです。

記憶ではないです、イメージ。

だから、これは、

実際に体験した思い出ではありません。絶対に」

 

Mさんはそう念押しして、話を続けた。

 

幼少期の彼女が、暗い家の中で、

泣きながら何かに怯えている。

 

テレビはおろか居間の電気もついておらず、

家の中は真っ暗なのだが、どこからか

「あの声」は聞こえてきている。

 

「白化のおそれがあるため、回収します」

「白化のおそれがあるため、回収します」

「白化のおそれがあるため、回収します」

 

テレビの画面には何も映っていないのに、

その声は絶えず聞こえてきている。

よく聞けば、それは真っ暗な家の、

外から聞こえてくる男性の声だった。

 

だからテレビ画面の記憶はなく音声だけだったのか。

いや違う。これはただのイメージだ。

断じて、実在する記憶ではない。

彼女は必死に何かの疑念を振り払う。

 

男性は恐らく玄関の扉の向こうに立って、

抑揚のない声で、同様の言葉を繰り返している。

 

居間で泣きながら蹲る幼い彼女の

すぐ隣には、母が無言で正座している。

 

その、

母の、顔が、

なにもなかった。

 

まるで安物の人形のように、

眼も鼻も口もなく、

つるんとした真っ白な顔の輪郭だけの顔。

 

当然ながら何も喋ることはなく、

というか生きているかどうかすらも分からない。

 

真っ暗な家の中で、

そういうマネキンのような顔立ちの母が、

ただ彼女の横で正座していた。

 

「白化のおそれがあるため、回収します」

「白化のおそれがあるため、回収します」

「白化のおそれがあるため、回収します」

 

今も家の外から聞こえ続けるその声を聞きながら、

幼い彼女は、なぜか強くこう思っていた。

 

どうしよう。

どうしよう。

 

このままじゃ、

お母さんが、

とりかえられてしまう

 

まるで化粧しらばけが──否、

塗装が剥げたように、

顔のパーツはなく、ただ輪郭だけが残った母。

真っ暗な玄関の外で、「回収」を呼びかける、

なにかの業者のような男性。

 

そんな「イメージ」が、なぜか強く、

Mさんの脳内に流れ込んできたのだという。

 

「もちろん、これは実在する記憶なんかじゃありませんよ」

 

Mさんは繰り返し、そう強調した。

 

「だって、有り得ないじゃないですか、そんなの。

うちのお母さんは今も元気に暮らしてるし、

何もおかしなところはない生身の人間だし。

小学校低学年以降のことであれば、

いくらでも思い出話をしてくれる。

何かと記憶が混成して、

変なふうになっちゃっただけです」

 

だから。

 

Mさんは、最初に言ったことを、

もう一度繰り返した。

 

「私、今も、そのCMを探してるんです、ずっと。

ほんとうにしっくりくるテレビCMの映像が見つかって、

ああ意外と怖くなかったねって言えれば、

全部他愛もない思い出話になるだろうから」

 


 

header image: “Doll” (Metropolitan Museum of Art), public domain