八原咲江

「070…………」

さきほど教わったばかりの番号に電話をかける。

 

雨穴:もしもし、八原咲江さんのお電話でよろしいですか?雨穴です。

咲江:あら、先ほどはどうも。

 

ーーー電話の向こうは少し騒がしい。子供たちの声。風の音。

 

雨穴:今、どちらにいらっしゃいますか?

咲江:公園で、修斗を遊ばせてるところ。疲れちゃったから、ベンチで休んでるの。

雨穴:今、少しだけお話することはできますか?

咲江:…………その様子だと、分かったのかしら。ビデオテープのこと。

雨穴:はい。咲江さんがたくさんヒントをくれたおかげで分かりました。
ビデオテープを隠したのは、咲江さんだったんですね。

咲江:……………………

雨穴:今、あなたが使っているスマートホン……誠一さんの形見「ギャラクシー」で呪いの儀式を撮影した。
……久美子さんに呪いをかけようとしたんですよね?

咲江:……どうしてそう思うの?

雨穴:最初、久美子さんは私に、誠一さんは「突然死だった」と嘘をつきました。本当は自殺なのに。
つまり、彼女は誠一さんの自殺に関して、うしろめたいことがあったんです。
では、誠一さんはなぜ自殺をしたのか。八原家で起こった三つの不幸の順番を考えると、その理由がわかりました。

 

雨穴:修斗君の事故がきっかけで、誠一さんはある事実を知ってしまった。それが原因で誠一さんは自ら命を絶った。それほど、誠一さんにとってつらい事実だった。
……修斗君は、誠一さんではなく、中田明人の子供なんですね。

咲江:……………………

雨穴:おそらく、それが判明したのは、血液型……違いますか?

咲江:………………知ってる?最近の産婦人科ってね、生まれた赤ちゃんの血液型を調べないところが多いんですって。
だから、シュウくんも小さいころは、血液型が分からない子供だった。
はじめてわかったのは、四年前。不幸な事故だった。私も久美子さんも、偶然目を離していて、そのときにシュウくん、かわいそうに大けがしちゃった。
大慌てで救急車を呼んで……。結局、助かったからよかったけど、出血が多くてね。輸血をする関係で、血液型を調べてもらったのよ。
シュウくんはA型だった。
おかしいわよね。誠一も、久美子さんもO型。どうして、O型の夫婦からA型の子供が生まれるのかしら。
そのとき思い出したの。明人ちゃんは、A型だったこと。

雨穴:久美子さんは、中田さんに言い寄られて……不倫を……。

咲江:誠一は、本当にショックを受けてた。
夫婦で何度も話し合って、ひとまずはシュウくんのためにも、離婚はしないって決まったみたいだけど、誠一は耐えきれなかったのね。
あの子が首を吊った朝、枕元には遺書がおかれていた。「久美子に恨みはない。俺が弱かっただけだ」って……。

 

雨穴:その一か月後、咲江さんは、誠一さんの跡を追おうとしたんですね。

咲江:ええ。この年になって、一人息子を失って。もう、生きてる意味もないと思ってね。
階段から飛び降りたの。
でもね……死ねなかった。……怖かったのよ。
本当は頭から落ちるつもりだったんだけど、怖くって……体が自然に膝をついちゃって、結局、複雑骨折で入院。情けないでしょ?

雨穴:…………

咲江:でもね、救急車で病院に運ばれてる途中で思ったの。
「きっと、誠一は、もっと怖かったはずだ」って。
自分の首に縄を巻き付けるとき、どれくらい、怖くて……みじめで……苦しかっただろうっ……て。
でも、誠一は私と違って、やりとげたのよ。やりとげてしまったの。
それほど、久美子さんに裏切られたのが辛かったのね。私、そのとき決めたの。

久美子さんに復讐しようって。

 

雨穴:それで…呪いを……。

咲江:嵓蜾はねえ。昔、私の祖母から聞いた話なのよ。当時すでに、地元でも知ってる人はほとんどいなかった。
でも、子供心に妙に印象に残っていて、不思議と手順を覚えていたのよ。
まさか、それで息子の嫁を呪うことになるなんて、思わなかったけどね。はは……ばれたんじゃ、世話ないけどね。

雨穴:一つ、お聞きしていいですか?どうして、四本目のテープを隠さなかったんですか?

咲江:四本目のテープ……?

雨穴:嵓蜾には四つの手順があります。本来なら、四本のテープが必要なはずです。でも、見つかったテープは全部で三本。これでは、呪いは成立しません。
四本目のテープはどうしたんですか?

咲江:…………ああ、なくしちゃったのよ。せっかく作ったのにね。

雨穴:咲江さん……本当のことを話してください。

咲江:私が嘘ついてるっていうの?今さら嘘ついて何になるってのよ。

雨穴:これは私の憶測にすぎませんが……思いとどまったんじゃないですか?久美子さんを呪うのを。

咲江:……何を言ってるのよ。

雨穴:咲江さんが作ろうとした四角形には、違和感がありました。

 

雨穴:嵓蜾は、部屋全体を呪う儀式です。普通に考えて……

 

雨穴:久美子さんの部屋の四隅にテープを隠すのが適切なはずです。

 

雨穴:でも実際は、部屋の左端が呪いの範囲からはずれていました。これは……わざとじゃないですか?
昔から押し入れで遊ぶのが好きだった修斗君が、呪いの影響を受けないために、押し入れを呪いから除外しようとした。

 

咲江:……あなた、私を善人だとでも思いたいの?

 

雨穴:いいえ。でも、咲江さんが修斗くんのことを愛しているのは確かだと思います。あなたが修斗くんのことを話すときの口ぶりが、嘘だとは思えません。
そんなあなたなら、たぶん、こう考えるはずです。
「もしも久美子さんが死んでしまったら、修斗くんは親のいない子供になってしまう。」
だから、呪いを完成させる寸前で、思いとどまった。

 

ーーー長い沈黙のあと、咲江さんは大きな息をついた。

 

咲江:私はね、弱い人間なのよ。息子のあとを追うこともできず、復讐を誓っても、直接手をくだすのが怖くって、呪いなんて不確かなものにたよって、その呪いさえ、すんでのところでためらってしまった。
たしかに、修斗のことを考えて、二の足を踏んでいたのは本当よ。
でもね、それ以上に、私自身が怖かったの。旦那に早く先立たれて、息子も死んでしまって、これ以上、家族を失うのが怖かったの。
おかしいでしょ?恨んでるはずの久美子さんにさえ、私は依存していたのよ。
でも、だからといって、久美子さんを許してしまったら、誠一が浮かばれない気がして、だから、三本のテープをはがすこともできなかった。
もう、わけがわからないでしょ?本当に、なにもかもが中途半端なのよ。

雨穴:久美子さんのことは、今でも恨んでいますか?

咲江:どうかしら。もう、どうでもよくなっちゃったのかもしれないわね。
久美子さんが死んでも、誠一が生き返るわけじゃないし。
はー……本当は、修斗が大きくなるまで一緒にいたかったけど、もう無理ね。あの家には居られないわ。

雨穴:家を出るおつもりですか?

咲江:ええ、あのテープが見つかったときから、もう、長くはいられないって覚悟してたの。
まあ、あなたのおかげで、思ったよりも早くでていくことになったけどね。
今から家にもどって、身支度を整えるから、それまで久美子さんに報告するのは待ってちょうだい。さすがに、合わせる顔がないもの。

雨穴:行く当てはあるんですか?

咲江:…………さあね。

雨穴:久美子さんには、報告しません。

咲江:え?

雨穴:彼女が納得のいくような、嘘の説明もします。咲江さんが犯人だとは、絶対に言いません。

咲江:どうしてあなたがそんなことを……。

雨穴:八原家には、咲江さんが必要です。
以前、久美子さんが言っていました。咲江さんには本当に感謝してるって。修斗くんだってそうです。
おばあちゃんがいなくなったら、絶対悲しいです。
咲江さんも、本当はまだ、二人と一緒にいたいんですよね。
それなら、わざわざ離れ離れになる理由はないですよ。家に帰って、ずっと、一緒に暮らしたらいいじゃないですか。

咲江:あなたね、一度、呪いをかけようとした人と、知らん顔で暮らせっていうの?
私に、そんな恥知らずになれって?

雨穴:はい。不幸になるより、恥知らずのほうがずっとましです。とにかく、このことは誰にも言いませんから、二人のために家に帰ってください。

咲江:でも……

 

ーーー咲江さんが何か言いかけたとき、電話の向こうから、男の子の声が聞こえた。

 

「おばあちゃん、おなかすいたー」

 

ーーー咲江さんが慌てたように答える。

 

「あ……シュウくん、ちょっとまってね。今おばあちゃんお電話してるから。」

 

 

雨穴:咲江さん。はやく、修斗くんと一緒に、家に帰ってください。

咲江:………………本当に……久美子さんには言わないでおいてくれる?

雨穴:もちろんです。

咲江:…………また、あとで電話するわ。

 

電話を切ったあと、少し悩んだ。
本当にこれでよかったのだろうか。

しかし、年老いた咲江さんと、父親のいない八原家……離れ離れになって、何も良いことはない。

とりあえず、咲江さんからの電話を待つことにした。

 

約束

八原家から電話がかかってきたのは、その日の夜、12時過ぎだった。
咲江さん、ではなく久美子さんからだった。

電話を取るなり、久美子さんは今までにないほど動揺した、震えた声で話し始めた。

久美子:雨穴さん……夜分遅くにすみません。ちょっと……どうしていいかわからなくて……

雨穴:大丈夫ですか?何かあったんですか?

久美子:さっき、ベッドに入って電気を消して寝ようとしていたら、修斗が……息子が部屋に入ってきて、暗闇で変なことを言いはじめたんです。

雨穴:変なこと?

久美子:たしか……ひめさま、ひめさま……まだらくに……とかなんとか

雨穴:え……?

久美子:それで、何かと思って電気をつけたら、修斗がドアの前で、変な人形を持って立っていたんです。

 

ーーー人形……まさか……

 

久美子:それで、「なにやってるの?」って聞いたら……「おばあちゃんと約束した」って。
「今夜、ママが寝たら、部屋に入って、このお人形を持って、おまじないを言ってちょうだい」って言われたって……。

雨穴:……すみませんが、その……人形の写真を送っていただけませんか?

久美子:はい。ただいま。

 

ーーー間取り図を見る。

 

ーーードアの前……ちょうど、四つ目の角だ。しばらくして、久美子さんから一枚の写真が送られてきた。

 

雨穴:この人形……

久美子:ご存じなんですか?

雨穴:いや……うーん。ところで、咲江さんは今どちらに?

久美子:今日は同窓会があるから行ってくるって、夕方に出かけていきました。今日はホテルに泊まるらしくて、大きな荷物を持って。

 

ーーー出て行った……。なぜだ。どういうことだ。咲江さんに何があった。あのとき、電話で咲江さんは……。いや、まさか。

私はある恐ろしい可能性を思いついた。

もしかして、咲江さんは最初からこうするつもりだったのではないか。

思い起こせば、三本のテープにはいずれも音声が入っていなかった。つまり、咲江さんはビデオテープに映像を記録することはできても、音声を入れる方法を知らなかった。
そこで、四つ目の手順……「暗闇で呪文を唱える」という最後の手順を、修斗くんにやらせることにしたのではないか。

いや、おかしい。咲江さんは修斗くんを愛しているはずだ。その証拠に、修斗くんを不幸にさせないため、わざわざ押し入れを呪いの範囲からはずし、母親の久美子さんを呪うのを思いとどまったのだ。そこまで修斗くんを愛している咲江さんが……どうして……。

 

ーーー押し入れ……呪いの範囲外……もしかして……咲江さんが呪いの範囲から除外したかったのは、押し入れではないのか。まさか……。

雨穴:あの……八原さん。一つお聞きしてもいいですか?

久美子:はい。

 

雨穴:押し入れの隣に、小さなスペースがあると思うんですが……そこに、何か置いてあったりしますか?

久美子:はい……

 

 

……主人の仏壇です。

 

 

 

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