


牛乳飲んでていいですか?
あなたのこと、邪魔しないので。
あなたはあなたで、好きなことをしててもらって構わないので。

正直、あなたの答えはどうでもいいんですがね。一応断りは入れとかなきゃと思って聞いてるだけなので。どのみちあなたの声はこちらには届かないし。

まあ、あなたの言いたいことはわかる。なぜ人が牛乳を飲むところなど見なきゃならないんだと思っているんだろう。私だって自分が牛乳を飲む姿を人に見せつけたいわけじゃない。私はただ、牛乳を飲みたいだけなんだ。

つまり何が言いたいかって、私が牛乳を飲んでいるところを見たくないなら、あなたはここを出ていったほうがいいってことだ。私に牛乳を飲む権利があるように、あなたにもここを出て好きなことをする権利がある。漫画を読むとか、噴水を眺めるとか、エビチリを作るとか。

そう恨めしげな顔をしたってどうにもならないよ。考えてみてほしいんだが、今この瞬間に牛乳を飲んでいる人なんて世界に何万人といるはずだ。そのうちの1人が偶然目の前に現れたからって、そんなに目くじらを立てるようなことか? まさに今、壁1枚隔てたあなたの隣人が牛乳を飲もうとしているかもしれない。そいつに向ける無関心を、なぜ私には向けることができない? 私とあなただって画面という壁に隔てられているのに。

ともかく、私は牛乳を飲むと決めたんだ。今日ばかりはそれを曲げる気はないし、あなたの望むようなことをするつもりもない。楽しい思いをしたいなら他の人のところに行ってくれ。まさか私に、この世のエンタメの全てを一手に担えなどと言うんじゃないだろうね?

ただ、あなたが何かを得るまでてこでも動かないって言うなら、ひとつ話をしてやってもいい。これは私が製材所で夜警の仕事をしていた時のことだ。

町外れにある、それほど大きくもない製材所でね。わざわざ警備員を雇う必要もなさそうだったが、その分楽な仕事だった。私は2階の事務室兼宿直室に寝泊まりしていて、そこの窓からは表の通りが見えた。その道を、いつも決まって空が白み始める頃合いに、同じおばあさんが歩いて行くのが見えたんだよ。
おばあさんは大きなマヨネーズを持っていた。遠くから見ても大きいとわかるほどだから、実際あれは業務用のかなり大きなマヨネーズだったんだろう。少なくとも私がシフトに入っている日は毎日、おばあさんはでかいマヨネーズを手に道を東から西へと歩いてどこかへ向かっていた。徘徊老人といえばそれまでだが、その足取りからは確固とした意志が感じられた。自分が何をしているのか全然わかってない、という風には見えなかったね。

あれは11月の肌寒い日のことだった、私はついにおばあさんに接触を試みた。おばあさんの姿が見えてきたと同時に製材所を飛び出し、話しかけに行ったんだ。初めて間近で見るマヨネーズは本当に大きくて、おばあさんの背丈と同じくらいあるんじゃないかとさえ思えた。私がおばあさんに「すみません、毎朝マヨネーズを持ってどこへ向かってるんですか?」と尋ねてみたところ、次のような回答が得られた。
「あたしがマヨネーズを持ってどこへ向かってるか、だって? へっ! なんでそれをあんたに教えなきゃならない? あんたとあたしに何か関係があるか? ねえだろう、くそったれ? じゃあ話しかけてくるんじゃねえよ。さっさと失せろ、このXXXXXXが!」
おばあさんはそう吐き捨てると、いつものように西へ向かって歩き去っていった。伏せ字にした部分はその時は何と言っているかわからなかったが、後で調べてみたところ恐ろしく陰惨な古い差別用語だった。その言葉をかけられたことより、そんな言葉がこの世に存在していることにぞっとしてしまったよ。
それから何があったかというと、私は製材所の仕事を辞めた。仕事には何の関係もないとわかっていながら、おばあさんに怒鳴られたことですっかりふてくされてしまったのだ。こうして私は、せっかく見つけた楽な仕事を失ってしまった。余計なことはするもんじゃないね。

こういうことだ。牛乳を飲もうとしている人間から引き出せる話というのは、この程度のものだよ。あなたがどうしてもと言うから話してやったんだ。文句を言われる筋合いはない。

なんだ、まだ何か言いたいことがあるのか?……まあ確かに、「話してやった」という言い方は傲慢だったよ。それは謝る。悪かった。申し訳ない。

……考えてみれば、あなたは私に期待をするからこそいつまでもここにとどまっているのだろうね。牛乳を飲みたいという私の意志に揺らぎはないが、だからといってあなたの期待を無下にしていいことにはならない。いつの間にか私は、あなたをただの邪魔者のように扱ってしまっていた。もっとあなたに敬意をもって接するべきだったよ。

もっとも、私がこれから牛乳を飲むことは変わらない。それだけは譲れないさ。たとえそのせいであなたに愛想を尽かされたとしてもね。わかっているとは思うが、私はあなたを嫌いなわけじゃない。ただタイミングが悪かっただけなんだ。そればっかりはお互いにどうしようもないことだね。

自分のしたいことが、誰かの望むことではない……そんな当たり前のことが、これほどもどかしく思えた日はないよ。私が牛乳を飲む様子をみんながこぞって見たがる世界なら、お互いこんな思いをせずに済んだのに。そんな世界を作れなかった私が悪かったのかもしれない。だが、今ここにある世界が可能性の全てだ。これだけがたったひとつの有り得た現実なのだ。

さあ、時間だ。もう行ってくれ。これ以上は本当に何も言うことはない。ここから先はただ幻滅の荒野が広がっているだけ。独りよがりな欲望が叶えられる瞬間の醜さを誰かに見せるわけにはいかない。わかってほしいが、私はほんとにあなたを愛してるんだ。だから早くここから出ていってくれ。出ていけ! さっさと失せろ、このXXXXXXが!









翌日
おはよう。昨日の彩雲の記事読んだ?
あー、「牛乳飲んでていいですか?」ってやつ? 「ここから出ていけ」みたいなことばっかり言われるから途中で読むのやめちゃったよ。
いやそれがさあ、一応最後までスクロールしてみたんだけど……
彩雲、牛乳飲むんじゃなくてかむかむレモン食べてたんだよ!!
嘘でしょ!? それなら絶対最後まで読んだのに!!
ねー! でも、それならなんでみんなを追い払うような真似をしたんだろう。
確かに。そんなのみんな見たいに決まってるのにね。
よくわからないけど、何周もしてるとそうなってくるのかな。
まあ……
でも……

そういうところが、推せるんだよな〜!!

彩雲







