野菜不足に陥りがちな現代人にとって、心強い味方が野菜ジュース。もちろん私も飲んでいます。

 

私が好きな野菜ジュースはキリンの「48種の濃い野菜」。商品名の通り48品目もの野菜が入っています。48ってすごい数ですよ。品目が多いほうが良いのかどうかはわかりませんが、テンションは上がります。

 

48種の濃い野菜に使われている野菜。成分表を見るに、含有量が多い順に並んでいる模様

とはいえ、48種全ての野菜の味を感じたことはありません。感知できる味は多く使われているトマト、にんじん、セロリくらいまでで、それ以下となると全くと言っていいほどわからない。実際1つ1つの野菜の含有量はわずかだろうし、個別に味を認識するのは難しいでしょう。

しかし、あくまで気持ちの上では、全ての野菜としっかり向き合いたいと思っています。私はきっと今後もこの野菜ジュースを買い続けるだろうし、いわば人生の伴侶なわけです。ならばその全てと向き合うのは当然ですよね? というわけでこの春は、「48種の濃い野菜」の全ての品目と真剣に向き合います。

 

トマト

結局お前だよ。野菜ジュースと言いつつ、味といい色といい実際はほぼトマトジュースじゃないか。事実、パックの前面にも「トマトミックスジュース」と書いてあるし、わからないけどおそらく全体の半分くらいはトマトなのだろう。でも私は不思議と、お前がいい気になってふんぞり返っているとは思えない。今のお前からはむしろある種の切なさや翳りのようなものが感じられる。エースを務める誇りにも重責にもすっかり慣れきって、偶像としての自分を受け入れてしまったのだろうね。いったいお前が毎晩、どんな気持ちで眠りに就いているのか私は心配だ。時間がある時にでも電話くれ。

 

にんじん

にんじんも、ある! 野菜ジュースによってはにんじんメインのもあるし、2番手に食い込んでくるのは納得だ。だがにんじんって野菜としてのポピュラーさの割に、少々取り回しに難があるのではないか? よく火を通さないと青臭くてかなわないし、キャロットラペなど作ろうものなら細切れになった欠片がそこらじゅうにひっついてもうめちゃくちゃだ。それでも、お前の絵に描いたような明るさに救われた夜もあった。きっと私たちは最後までわかり合うことなく、微妙なすれ違いを続けていくのだろう。そしてお前は私とは違って、そのことを気にしたりはしないのだろう。今はそれだけがほんの少し悔しい。

 

セロリ

トマト、にんじんまでは順当な並びだが、ここでセロリがくるとはね。大躍進と言っていいだろう。私はセロリは全然好きではないが、これは称えてやってもいい。私はセロリは全然好きではない。セロリの浅漬けなど頼んだことないし、セロリを買うのはミートソースを作る時だけだ(刻んで入れる)。それもおしゃれな気がするからやっているだけで、セロリを入れることでミートソースがおいしくなっていると思ったことはない。だが、こと「48種の濃い野菜」に関してはセロリの味が割合はっきり感じられるし、むしろそれが心地よい。私たち、友達になれそうじゃないか。お互いにもっと歩み寄るところから始めてみよう。

 

なばな

4番目、なばな!? トマト、にんじん、セロリときて、なばな!? いや、わざとらしく驚いてしまってすまない。お前だって頑張ってるもんな。以前はよく春になるとなばなを買っておひたしを作っていた。だが、なばなは茹で時間の調整が難しい。少しでも茹ですぎると茎の部分がぐずぐずになってしまう。茹ですぎたなばなの茎ほど嫌な食感の食べ物を私は知らない。おそらく虫の卵を噛み潰しても同じ食感が味わえるだろう。いや、さすがにそれは悪く言いすぎかも。ごめん、気を悪くしたよね。自分がなばなをナメていたことを今初めて気付かされた。

 

モロヘイヤ

ごめん! お前のこと、全然わからないかも! モロヘイヤってなんなんですか? 見た目は普通の草なのに切るとヌルヌルになって、味は別に特徴がないし、何の料理に使えばいいのかもよくわからない。でも正直、面白さはピカイチだと思う。結局こういうやつが一番面白い。そしてこういうやつは私みたいな手合いを全く認めてないんだろうなということもなんとなくわかる。それに対して全く怒りや悔しさはないし、申し訳ないとしか思わない。そりゃそうだよ、だってお前が一番面白いんだから。そもそもモロヘイヤ側からしたら、私のような者にこうして言及されるの自体気持ちよくないかもしれない。それなら私はただ口をつぐんで立ち去るしかない。こう表明することで、モロヘイヤが少しでも傷ついてくれればと願いながら。

 

玉ねぎ

玉ねぎ、好きじゃないです。あまりにいろんな料理に入っているのでさすがに観念して食べるようになったが、未だに「おえっ」とは思っている。でも最近気付いたけど、玉ねぎ自体が嫌いというより、玉ねぎがここまで重宝されている世界が怖いのかもしれない。昔母親に、シチューに玉ねぎを入れないでくれと頼んだら「煮込み料理の玉ねぎは『だし』のようなものだから、入れないわけにはいかない」と言われた時の突き放されたような気持ちは今も忘れられない。私の嫌いなものが「なくてはならないもの」とされている立つ瀬のなさといったら。世界に牙を剥かれたようですっかり打ちのめされてしまった。そして今、私が愛飲しているこの野菜ジュースにも当然のように玉ねぎが入っている。私の負けだよ。完敗だ。

 

パセリ

この食べ物と装飾の中間のような、奇妙な立ち位置の緑の草を私はどのように扱うべきなのだろうか。無論パセリ自身が何を望んでいるかはわからないが、もし私がパセリだったらと想像すると、食べられずに残されたとしてもそれはそれで悪くない気分かもしれない。手つかずのままゴミ箱に捨てられたらショックではあるけれど、それはそれで喜劇的であると思えそうというか。少なくとも誰かに恨みを抱くことはないだろう。それはそうと私は食べ物への感謝を忘れない道徳的な人間なので、料理の付け合わせのパセリは必ず食べるようにしている。

 

キャベツ

キャベツのように堂々とした野菜に出くわすと、なんだか恐縮してしまいますね。へへっ、いつもお世話になっております。実際お前はすごいよ。調理次第で主菜にも副菜にもなるし、お腹にも優しい。値段もたまに高騰することはあるけれど、基本的にかなりコスパは良いほうだと思う。キャベツが優秀な野菜であることは疑いようがない。でもそれゆえと言うべきか、どこかキャベツのことを冷めた目で見ている自分もいる。誰からも好かれる人気者だからこそ、誰の一番にもなれないだろうという侮りがある。いや、それはただの願望だろうか。結局、人気者が順当にみんなの一番になっていくのが現実だ。それを受け入れたくないがために、私はキャベツに無為な敵意を向けていただけなのかもしれない。

 

アスパラガス

好きです。アスパラの魅力って不思議だ。これといった味があるわけじゃないし、特別汎用性が高くも、一芸に秀でているわけでもない。でもなぜ好きかというと、食べ物としてどうというより、もっとニュアンス的な意味合いで、こちらに歩み寄ってくれている感じがするからだ。もし私が野菜の世界に迷い込んだとして、最初に話しかけてくれるのはアスパラだと思う。野菜界隈の内輪ノリに染まりきらず、少し引いたところからそれを眺めているような印象をアスパラからは受ける。一体アスパラのどの部分からそんなイメージを持ったのかわからないが、私にとってアスパラとはそういう存在だ。

 

赤ピーマン

赤ピーマンってパプリカのことかと思ったが、調べてみると別の品種とのこと。赤ピーマンは普通の緑色のピーマンが熟したものらしい。だが品種の違い以上に、パプリカと赤ピーマンとでは名前の印象が違いすぎる。かたや音楽や映画のタイトルに用いられ、かたや見たままの何のひねりもない名前だ。私が赤ピーマンだったとして、自分とよく似たやつが「パプリカ」などとおしゃれな呼ばれ方をしていたら癪に触って仕方ないだろう。でも案外、パプリカのほうがこの名前を重荷に感じているのかもしれない。実際、パプリカが名前のインパクト以上に食べ物として活躍しているところを見たことがない。野菜の名前なんて「赤ピーマン」くらいでちょうどいいのだろう。

 

カリフラワー

本当に苦手な人ってこういう感じかも。そもそもそんなに食べたことがなく、はっきり嫌いと言えるほどには味を覚えていないし、でも好きではなかった印象は残っていて、漠然と悪いイメージが膨らんでいく、そんな感じだ。いっそもっと酷いことをしてくれれば嫌いになりきれたのに。このモヤモヤを晴らすため、一度カリフラワーを買ってみようともならないあたり本当に相性が悪いのだろう。こんなことを言ってしまって申し訳ないとは思っている。きっとお前も私のことなど好きじゃないだろう。お前はお前で、どこかで私の悪口でも言ってくれ。それで終わりにしよう。

 

ブロッコリー

ブロッコリーはわりとよく買う。値段のわりにかさが大きくて、調理も茹でるだけで済んで楽だからだ。そして茹で上がったブロッコリーを見て、私はいつもその時になって、自分がそこまでブロッコリーを好きではないことを思い出す。安さと調理しやすさに目がくらんだ結果、好きではない野菜をたくさん食べることになるのだ。こんなのはおかしいと思いつつ、私はブロッコリーの「商品」としてのちょうどよさに抗えず何度も買ってしまう。これだけブロッコリーを買っているのに、茹でる以外の調理法を試していないのも愚かだ。ブロッコリーの素揚げがおいしいというのは本当なのだろうか。いつか試してみたいなあ。

 

かぼちゃ

野菜としても好きな部類だが、それ以上に好感が持てる野菜である。まず「かぼちゃ」という名前自体、今ではすっかり当たり前のものになっているけれど相当面白い。ポップなウケと玄人ウケの両方が狙えるポテンシャルが4文字に詰まっている。家庭的でほっこりした味かと思えばハロウィンにも絡んでいるし、硬くて切りづらいという別角度のイジりしろもある。特別明るくはなくて自己主張もするほうじゃないが、こいつがいれば場が盛り上がるという感じ。私もこうなりたいものだ。でも、こういう風になるのが一番難しいとも知っている。

 

レッドキャベツ

レッドキャベツには昔から憧れている。レッドキャベツこそ豊かなる生活の象徴、アッパーミドル層のみ手が届く高貴な野菜だと思っているからだ。これは実際の値段の問題ではない。私だって買おうと思えばレッドキャベツを買うことはできるが、それは「レッドキャベツ買ってみた」なのだ。レッドキャベツを日常的な食材として特別扱いせず使うには、それなりの経済的余裕と品格が求められる。もし私が金持ちになったら、一度は全ての通常キャベツをレッドキャベツに置き換えて料理をするだろう。餃子も焼きそばもお好み焼きも全部レッドキャベツだ。いや、こういうことを考えている時点でレッドキャベツにふさわしくないのか?

 

ピーマン

ピーマンといえば子どもが苦手な野菜の代表格だが、私は昔からピーマンは全然食える。むしろ好きなほうだ。でもこの年になって、かえってそれがピーマンを苛立たせていたのではないかと思うこともある。ピーマンは「子どもに嫌われている」というコンプレックスを、今やすっかりアイデンティティに転化した。そんな壮絶な自己受容のプロセスを経てきた彼にとって、「いや、僕はわりとピーマン好きですけどね」などと抜かすガキほど憎たらしいものはないだろう。表面上はにこやかに接していても、この逆張り野郎が、ろくな大人にならねえぞと内心毒づいていたに違いない。今こそ、お前の本当の気持ちを聞かせてほしい。

 

クレソン

クレソン好きー! 『風立ちぬ』でカストルプがボウルいっぱいのクレソンをもりもり食べているのを見てからずっと憧れている。でもあれを実行に移したことはない。実際のところ、クレソンだけを大量に食べたってそんなにおいしくはないだろう。それが証明されてしまえば、映画のあのシーンに心から感動することもできなくなるだろうし、それが何よりの損失だ。それくらい私はあのクレソンのシーンが好きなのだ。ラピュタもナウシカももののけ姫もあらすじすら覚えていないが、風立ちぬのクレソンだけは目に焼き付いている。憧れの灯を絶やさないため今後もクレソンの一気食いはしないつもりである。

 

有色甘藷

名前、難しっ!! 中国の故事成語を言われたのかと思ったよ。まあでも要は紫芋のことらしい。それならそう言ってくれればいいのに。それはそうと、紫芋って私にはわからない。芋が紫でだからどうした、と思ってしまう。芋が紫色であることを面白がれるほど私はこの世界に対して前のめりではない。もちろん紫芋には紫芋なりの良さがあるとは思うが、今回の人生ではそれに気付けなくていいかと思っている。私にとって紫芋はやりこみ要素のようなもので、1周目から手を出そうという気にならないのだ。もし来世があるとして、私がもう少し好奇心豊かな人間になれば、その時初めてしっかり向き合えるだろう。

 

チンゲンサイ

焼きそばを作る時しか買わない野菜である。焼きそばにチンゲンサイを入れるとうまいんだ。シャキシャキの歯ごたえが中華麺とよく合うし、鮮やかな緑色が見た目にも映える。キャベツより合うんじゃないかと私は思っている。だが考えてみると、なぜ自分が焼きそばにチンゲンサイを入れるようになったのか思い出せない。そもそも焼きそばの具材として王道でもないし、どこかでそういうレシピを見た覚えも、子どもの頃親が作ってくれた焼きそばにチンゲンサイが入っていた覚えもない。不気味だ。

 

なす

世間の、特に大人世代からのなすの好かれようは目をみはるものがある。それを見ているとなすが大変に素晴らしいものに思えてきて、自分でもなすを買って食べてみるのだが、そのたびに「まあ、そこまでかな」と思うのを繰り返している。だからといってなすが過大評価されていると言いたいわけではない。全然嫌いではないし、年を重ねるごとに評価が上がっていきそうなのもなんとなくわかるからだ。それゆえに今の状態がもどかしくもある。私も早くなすを心の底から礼賛できるようになりたい。あるいは、なすなんて全然おいしくないと思えたなら。なすに対する評価が「まあ、そこまでかな」のままおじいさんになったらと思うと、不思議と背筋が冷えるものがある。

 

しそ

最近になってこいつのすごさがわかった。薬味としてのサポート性能は言わずもがなだが、醤油漬けにすればご飯がすすむおかずにもなると知ってからはさすがに一目置かざるを得ない。名バイプレイヤーとして十分な評価を受けているのに、主役としても成功してしまったのだから。私がしその薬味仲間なら、心から「負けた」と思うことだろう。いや、負けたとすら思わず、もはや別世界の住人となったしその背中をぼんやりと眺めることしかできないかもしれない。私の近くにしそがいなくてよかった。

 

よもぎ

この野菜ジュース、よもぎが入ってるの!? よもぎって、存在はもちろん知っているけど、味も見た目もぱっとは想像がつかない。それゆえ、思うところも特にはない。『WORKING!!』に出てくる小鳥遊4姉妹の一番下の子の名前がよもぎだった気がしたが、あの子は「なずな」だ。であれば、よもぎに対する私の印象は完全にゼロである。ただ、よもぎまでカバーしていると知って48種の濃い野菜への評価は上がった。知らず知らずのうちによもぎを摂取できていたと思うと得した気分になる。

 

ケール

青汁に使われていることもあり、野菜の中でも特に栄養価が豊富で、特に食べづらそうな印象である。うじゃうじゃとこじらせたように縮れている見た目も相まって、生粋の厄介者といった雰囲気だ。でもやはり、野菜ジュースには欠かせない存在なのかもしれない。ケールのようなやつを見ると敗北感と嫉妬を覚える。みんな多少は無理して周りに合わせているのに、鼻つまみ者のまま受け入れられているなんてそんなのずるじゃないか。こんなやつを評価するな! と叫びたくなるが、叫ばない。頭がおかしいと思われたくないから。

 

しょうが

調味料としてのしょうがは好きだけど、生のしょうがは味が強すぎてちょっと苦手かも。料理に入っているしょうがを思いがけず噛むと、一気にしょうがの味で口内が占領されて他の食材の印象が打ち消されてしまう。声がでかくて自己主張の激しい人に絡まれているようで疲れる。ただ声がでかいだけならまだいいが、言ってる内容もわりとトゲがあるんだよな。一部の界隈ではウケてるんだろうけど、自分にはピンとこない毒舌芸をずっと聞かされている感じというか。しょうが自身は悪いやつじゃないのはわかるので嫌いになりたくはないが、気を抜くと嫌いそうになってしまう。嫌いにさせないでくれ!

 

ゴーヤ

味といい見た目といい、人間に好かれようという意思が微塵も感じられないのにそれなりにポピュラーな存在であり続けているのがすごい。あまりの存在の不穏さから、「こいつの正体は早めに解明しておかないとまずい」ということで食材としての開拓が進んだのではないかと思うほどだ。今の私たちはゴーヤが無害な野菜であると知っているが、こいつが何なのかわからない状態が続いていたとしたら恐ろしすぎる。勇気ある先人たちに感謝せねばならない。

 

ラディッシュ

ラディッシュに対して何も言いたいことがない。別に好きでも嫌いでもないし、褒めるべき点も責めるべき点も見当たらない。言うことがあるとすれば「赤くておしゃれだね」くらいか。でもそんな上滑りしていくような言葉をかけたって私もラディッシュも気持ちよくないだろう。そもそもあまり食べたことがないのもあるが、たくさんラディッシュを食べたとしてもそんなに言いたいことは生まれないような気もする。48種も野菜が入っていればそういう相手がいるのも仕方ない。

 

ほうれん草

ほうれん草は良いですよね。クセがないからどんな料理にも合わせられるし、何に入れてもそれなりにおいしい。これでアクさえなければ完璧なのにと以前は思っていたが、最近はアクも含めてほうれん草の魅力だと思うようになってきた。確かにアク抜きは面倒だし、ほうれん草を茹でた後のお湯に手を浸すとかゆくなって仕方ない。でもそういう尖りがあるほうがかえって好感が持てる。ほうれん草がただおいしくて使いやすいだけの野菜だったら、そこまで好きにはならなかったかもしれない。食べすぎるとシュウ酸のせいで尿管結石ができるリスクがあるくらいがいいのだ。

 

みつば

近所の八百屋でみつばがやたら安く売っているのでたまに買うが、良い使い方がわかっていない。見よう見まねで丼ものに入れてみたりするものの、1わ全部入れると多すぎるし、わざわざ残しておいても持て余しそうだ。そもそもみつばって何のジャンルにあてはまる野菜なんだ? 香味野菜にしてはパンチが控えめな気がするし、普通の野菜にしては1袋あたりの量が少ない。どこのグループにも属せず孤立している野菜のように思えてきた。みつばという名前も、葉が3つに分かれていることから名付けられたらしいが、もう少し興味を持ってやってもいいのではないか。誰かみつばを愛してあげてください。

 

きゅうり

「いじられキャラ」という感じがする。教室の後ろのほうでカースト上位の連中に雑に絡まれて苦笑いしているきゅうりの姿が目に浮かぶようだ。きゅうりのぱっとしない印象ってどこからきているのだろうか。ひょろひょろな見た目のせいか、味の主張のなさのせいか、栄養がないと言われるせいか。野菜としての知名度や重要性に対し、貫禄のようなものが全然伴っていない。みんなうっすら、きゅうりのことはナメていいと思っている気がする。でもきゅうりは、いじられることをおいしいと思えるほどしたたかなやつではないと思う。顔では笑っていても、繊細だからきっと内心は傷ついていることだろう。おおごとになる前にみんなきゅうりに対する接し方を改めるべきだと思う。

 

白菜

とかく冬の時期には世話になる野菜だ。私は基本鍋にしか使わないが、それでも冬場は大活躍である。葉物野菜にしては煮込んでも食感が悪くならないし、葉先も根元もおいしい。派手さはないけれど飽きが来ず、何度食べてもしみじみうまいと思える。でも最近、白菜の中にでかい芋虫が入っていたという話を聞いてにわかに評価が揺らいでいる。確かに、同じ結球する野菜でもキャベツやレタスと比べると虫が混入しやすそうな構造だ。幸い今までは虫入り白菜にあたったことはないが、今後も買い続けるならババを引くのは時間の問題だろう。この話を聞いたのは今年の冬の終わり頃だったが、私は次の冬からどうすればいいんだ。

 

とうもろこし

なんとなく「特殊な立ち位置のキャラ」っぽい。野菜のゲームがあるなら、とうもろこしを攻略しておかないとトゥルーエンドに進めない気がする。そもそも実際のとうもろこしも不思議な野菜だ。お菓子みたいに甘くて食べやすいが、その一方で三大穀物の1つとして世界中の食糧事情を支えているというすごさもある。とうもろこし自身は普通の無邪気な子なのだが、何かの事情によって大いなる運命を背負わされてしまった、という感じだ。私なんかが何と声をかければいいのかわからないし、何も言っていないのと同じようなものだが、「応援してる」とは伝えたい。私はいつだってお前を応援してる。

 

グリーンピース

サイゼリヤの「柔らか青豆の温サラダ」を除けば、ここ10年以上は口にしていないと思う。自分で買って調理することはないし、シュウマイの上にのっているのも最近はあまり見ない。そのため私のグリーンピースに対するイメージは「子どもの頃周りに嫌いな人が多かった」というところで止まっている。私は普通に食べられるが、嫌いな人の気持ちもわかる。まず「グリーンピース」という名前が若干鼻につく。お前みたいな感じのやつが、そこでかっこつけてどうする? そんな小手先で評価が上がると思わないでほしい。でも「グリンピース」はちょっと面白い。「グリンピース」にしたほうがいいよ。

 

じゃがいも

ここにきてじゃがいも!? まあ、野菜ジュースならこれくらいの順番が妥当か。まさかじゃがいもも、自分がこんな遅くに名前を呼ばれるとは思わなかっただろう。「ボクチンは野菜の中でもメインディッシュ級、フライドポテトなんてみんな大好きデショ?」とたかをくくっていたら、なばなやモロヘイヤや有色甘藷に先を越されることになったのだから。じゃがいもに恨みはないがちょっと痛快である。でもじゃがいもがただの威張りんぼではなく、しっかり努力家であることも私は知っている。この悔しさをバネに、さらなる成長を遂げてくれることだろう。

 

ごぼう

ここでごぼうがくるのはアツい! もともと好きなほうの野菜でもあるけど、こういう場にごぼうが参加してくれたというのが何より嬉しい。みんなでワイワイするのとかは好きじゃなさそうだし、なんなら野菜ジュース的なノリはちょっとバカにしてるのかとも思っていた。でも、なんだ、ちゃんと仲間と思ってくれてたのね。ごぼうの風味を感じ取れるわけではないが、ごぼうが入っていると思うだけで少しテンションが上がる。お前がいてくれたおかげで良い会になったよ。「48種の濃い野菜」の個人的MVPはごぼうです。

 

にら

全然食えるし嫌いではないけれど、どこかにらのことを信じきれていない自分がいる。というのも、にらは私の苦手なネギ類の仲間だからだ。やつらに比べればだいぶクセは控えめだが、よくよく味わってしまうと「系譜」が感じられるので注意しなければならない。特に、モツ鍋とかに入ってるにらの束を噛んでしまった時など……ダメだ、考えすぎると本当ににらが無理になってしまう。もっとにらが好きになるようなことを考えよう。学生時代に韮澤(にらさわ)という同級生がいたが、この苗字は相当かっこいいと思う。

 

バジル

好きではあるが自分では買わない野菜の筆頭だ。パスタを作る時、ここにバジルでものせれば料理としてのグレードが1段上がるぞと思いつつ、やらない。なんでもない日に作るなんでもないパスタにバジルをのせるような贅沢を、躊躇なくできるようになってはいけないと思っているのかもしれない。バジルを常用するようになったら人生もあがりという感じがする。私はまだあがるわけにはいかない。戦って、傷ついて、苦しまなければ。そうでないとバジルの本当のうまさもわからないだろう。

 

あしたば

あしたば、ダメです。昔、田舎からあしたばが送ってきたので食べてみたところ、やたらクセのある味で一口で苦手になってしまった。それ以来あしたばのことを避け続けていたのだが、こんなところにいたとは。子どもの頃に嫌いだったやつが、大人になった今意外と近い業界にいた、みたいな感覚だ。ただ、今となっては嫌悪感も薄れているし、素直に「頑張ってるな」と思える。1対1で接すれば今も無理なのだろうけど、大勢の中にいる分には気にならないし、むしろいてくれて嬉しいまである。お互い大人になったね。

 

小松菜

値段も高くないし、煮浸しにしても炒め物にしてもおいしい。アク抜きをしなくていい分ほうれん草より使いやすい。欠点を見つけるほうが難しいくらいだ。しかし、私の中で小松菜は永遠に2軍止まりである。実際のスペックに対し不思議なほど評価が追いついていない。それくらい小松菜は地味でぱっとしない印象だが、一方で、小松菜自身もそういう評価を望んでいるのではないかと思うこともある。「野菜は脇役であるべきだ」と自らに課し、目立つことをタブーとしているくらいでなければあの控えめさは説明がつかない。そういう実直なやつこそしっかり評価しなければと思うが、小松菜を心から称えるには私は若すぎる。それに小松菜も大層な賛美は望んでいないだろう。私がもっと年を取って相応の落ち着きを手に入れたら、スズランの花でも贈ってあげよう。

 

チコリ

こう思っているのは私だけかもしれないが、チコリって今マイナーな野菜の中で一番ベタなポジションになっている気がする。野菜でボケる時、真っ先に思いつきやすいというか。確かにチコリはちょうど面白い。名前は知られてるけど食べたことある人は多くなさそうだし、語感もいい。だからこそ、すでに面白ワードとしてバレ始めており、いずれ陳腐なフレーズになってしまいそうな予感がある。センスがいいと思われたいなら、もはやチコリは使わないほうがいいかもしれない。今一番センスを感じる野菜は何だろうか。「おかひじき」?

 

きょうな

きょうなってマジで何!? 食べたことがないとかではなく、本当に名前も知らない野菜がここにきて現れた。調べればすぐ正体はわかるが、その前に予想を立ててみようと思う。きょうなとは「経菜」、つまり仏門に縁がある野菜と見た。お寺の近くでよく採れたとか、精進料理に使われていたというような由来があるのではないか。名前的にはいかにも京野菜っぽいがこれはミスリードだろう。ここまで書いてから調べてみたところ、きょうなは普通に「京菜」で京都地方で古くから栽培されている野菜らしい。あと、「水菜」と同じものらしい。じゃあ水菜って書けばよくない!?!?

 

大根

私が言うまでもないことだが大根って素晴らしいですよね。大根自体にこれといって味はないのに、煮込むとあんなにうまくなるのはすごすぎる。「媒体」としてこれほど優れた食材はないだろう。大根おろしにしてもおいしいし、正直優秀すぎて何も言うことがない。そういえば以前、母に一番好きな食べ物を聞いたら「大根の葉っぱ」と言っていて、そんなわけないだろと思いながら少しかっこいいとも思ってしまった。年を取ったからといって、全食物の中で大根の葉っぱが一番好きと言い切れるのは並大抵のことではない。あの時ばかりは母を素直に尊敬した。

 

野沢菜

野沢菜に縁のない人生を送ってきてしまった。「野沢菜漬け」ですらそんなに食べたことがない。今こうして野沢菜に思いを馳せながらも、どこか自分とは関係ないもののように思ってしまう。自分がスーパーで野沢菜を買っている様子が想像できない。そういえば少し前に野沢菜のおやきを食べたことがあったが、その時もうまいとかまずい以前にピンとこなかった。味がではなく、野沢菜のおやきを食べている自分自身が。なんというか、自分ではない誰かの物真似をしているような気分になった。私と野沢菜は交じり合わないものらしい。

 

ビーツ

まいったね。ビーツについて何か言わなければならない日が来るとは。ビーツのことを何も知らないので調べてみたところ、栄養価の高さから「食べる輸血」と呼ばれているらしい。これを考えた人は名コピーライターだと思う。食べ物を人血に例えるって本来は顰蹙ものだが、ビーツはまさに血のように鮮やかな赤色なので必然性のある比喩になっているのが見事だ。「輸血」という言葉選びもいい。「血液」だと生々しすぎるところを、インパクトは残しつつ適度にマイルドな表現に仕上がっている。もしかしてこれ考えたの、糸井重里? 私はコピーライターを糸井重里しか知らない。

 

ねぎ

ねぎばっかりはダメだ!! 刻みねぎや白髪ねぎなど、薬味のねぎを少量食べるくらいならいいが、許容できるのはそこまで。これでも昔よりは食えるようになったのだ。小学生の頃は、給食に入っている小さなねぎのかけらすら食べたくなくて机の中に隠していた。その結果、色鉛筆のアルミケースにカピカピになったねぎがこびりついてよりねぎが嫌いになるのだ。そんな私だが、好きになれるならねぎを好きになりたいという気持ちはある。下仁田ねぎとかをうまがっている人を見るとうらやましくなる。最近ようやく「ねぎま」を直視できるようになったし、90歳になる頃くらいにはねぎ料理を楽しめるようになっているかもしれない。

 

いんげん

うちでは昔から、天ぷらといえばいんげんの天ぷらだった。家で天ぷらを作る日は、母がとにかくいんげんばかり揚げるのだ。我が家の天ぷらの内容はいんげん6割、舞茸3割、その他1割といった具合だった。おかげで私はある程度の年まで、いんげんといえば天ぷら界のスターなのだろうと思っていた。だが実際は、いんげんの天ぷらは脇役中の脇役である。おそらく母は安くて量が多いからいんげんの天ぷらをたくさん揚げていただけなのだろう。それでも私は未だに天ぷらといえばいんげん、いんげんといえば天ぷらという刷り込みを捨てることができず、てんやで肩身が狭そうにしているいんげんを見るたびに「遠くに来てしまったな」と思う。

 

レタス

葉物野菜の中でのレタスのポジションってけっこう微妙だと思う。キャベツや白菜ほどメインを張れる印象はないし、サラダ以外の活用法があまり思い浮かばない。フレッシュで食べやすくはあるが、本当にそれだけというか、ただ軽薄なやつにも思えてしまう。このままじゃいつか通用しなくなるぞ! と説教したくなるが、大して響かなそうだ。ハンバーガーやサンドイッチなど、パン系の付け合わせのポジションを確立したことで満足しているのかもしれない。でも私は脇役としてそれなりの仕事をこなすレタスではなく、舞台の中央でスポットライトを浴びるレタスを見たいのだ。それが、怖いかい?

 

緑豆もやし

もやしを見ていると、自分を安売りすることの功罪について考えずにはいられない。私自身、何度ももやしを買っておいしく食べているはずなのに、スーパーで嘘みたいな値段で売られているもやしを見るたびに「こんな安い野菜が良いもののはずがない」と思ってしまう。その過剰なまでの安さのせいで、もやしの食べ物としての価値すら無意識のうちに軽んじているのだ。せめて水菜とかと同じくらいの値段ならそんな風には思わないのに。でも、この安さこそがもやしの覚悟なのかもしれない。いわばもやしは、野菜としての威厳と引き換えに今日の知名度や親しみやすさを得たわけだ。そこに至るまでの葛藤を思えば、軽々しく「自分を安売りするな」とも言えない。どう振る舞うのが自分にとって最善かなんて、結局全てが終わった後じゃないとわからないんだから。

 

アルファルファもやし

東京03の前身となったコンビが「アルファルファ」でしたね。アルファルファ時代から面白かった。プラスドライバーのネタは見たことないがオンバトの成績も良かったらしいし、その2グループが合体したと思えばその後の活躍も納得だ。2009年のキングオブコントで東京03が953点を獲得した時の興奮は未だに覚えている。今思うとあれが、自分が面白いと思ったものが明確に面白いと証明された初めての瞬間だったかもしれない。今でも時計が9時53分を指しているのを見ると「キングオブコントの東京03の得点じゃん」と思う(これはマジ)。好きなネタはいろいろあるけど、一番笑ったのは「救世主」かな。みんなが好きな東京03のネタは何?

 

芽キャベツ

近所のスーパーで芽キャベツが売っていて、見るたびに買ってみようかと思いながらも結局買わず、いつしか旬が過ぎてしまった。一度など手に持ってかごに入れかけたことさえあったのに。ちょっと高いしどう調理していいかわからないしで購入に踏み切れなかったのだが、やっぱり買っておけばよかったと思う。もし今の私が事故や事件に巻き込まれでもして死ぬようなことになれば、芽キャベツを買わなかったことを後悔するかもしれない。いや、それはないか。命の瀬戸際に芽キャベツのことなど思い出すわけがない。死の直前に思うことはきっと、痛い、怖い、寒い、だけだ。芽キャベツのことを考える余裕があるならどんなにいいか。死の恐怖をいたずらに薄れさせるようなことを言わないでくれ!!

 

全ての野菜と向き合ったところで、今一度「48種の濃い野菜」を飲んでみましょう。

 

 

 

 

うまいっ!!!!