……え!?

 

 

 

エンドレスエイトの本!?

 

 

 

2018年に!?

 

 

『エンドレスエイトの驚愕 ハルヒ@人間原理を考える』p.389

 

何いってんの?????

 

 

 

キョンくんでんわ

 

 

 

哲学者が書いた「エンドレスエイト」読解本が出た…2018年に

 

エンドレスエイトの驚愕: ハルヒ@人間原理を考える

 

 

『エンドレスエイトの驚愕 ハルヒ@人間原理を考える』という本を読みました。2018年に出た本です。

著者は三浦俊彦。東京大学文学部教授で、美学・分析哲学の専門家です。

 

読んでみたらハチャメチャに面白くてためになり抱腹絶倒、狂気と恐怖と謎のカタルシスすら感じるとてつもなく変な本だったのでご紹介します。

 

 

 

エンドレスエイトって?

 

アニメ『ポプテピピック』で、30分の前半・後半で同じ映像を繰り返していることが話題になりましたが……

 

もっとヤバい「繰り返し」が昔もありましたよね? そう、「エンドレスエイト」です。

 

 

アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズ最大の驚愕と絶望と議論を巻き起こした一連のエピソード群。それこそが「エンドレスエイト」なのです。

 

もはや『涼宮ハルヒ』というアニメ自体の説明は省きますが(どうせ知ってる人しか読まない記事なので)、「エンドレスエイト」が放送された当時の状況だけをおさらいしてみましょう。なにぶんもうすぐ10年前のできごとなので……。

 

 

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・2006年、京都アニメーション(京アニ)制作の大人気アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』が、エピソードを時系列順に組み替えて2009年に再放送された。

 

・そのとき、サプライズ的に新作エピソードが公開。2009年版が実質的に「ハルヒ2期」であることが明らかになり、ファン大歓喜。

・しかし、ハルヒの潜在意識が作った夏休み無限ループからの脱出を描いたエピソード「エンドレスエイト」(原作小説では短編)が、なんとほとんど同じ内容・わざわざ違う作画で8週にわたり8回放送される、という大暴挙が起こる。

・結果的に、新録エピソード全14話のうち8話がエンドレスエイトという誰も望まぬ結果になり、アニメファンの間で感想が大荒れに。

・その後に公開された映画『涼宮ハルヒの消失』は好評価だったものの、未映像化の原作ストックを多数残したまま2018年現在まで続編なし。

 

今もなお「ハルヒシリーズ最大の黒歴史」「オワコン化の戦犯」といった形でポツポツ語られる「エンドレスエイト」事件。満を持して2018年に出た考察本こそ『エンドレスエイトの驚愕 ハルヒ@人間原理を考える』(三浦俊彦)なのです。

 

……なんで今?

 

どういう本なのか

 

書店でこの表紙を見かけた瞬間は正直爆笑しました(心のなかで)。なんで今ハルヒなんだよ、そしてよりによってエンドレスエイトなんだよ、と。

 

サブカル評論に通じてる人ならこう思うかもしれません。

 

「タイトルに『エンドレスエイト』というパワーワードを持ってきてるだけで、内容は『あのハルヒ現象はなんだったのか』みたいな論文集なんじゃないの?」

 

 

違います。

 

この本、約400ページに渡って徹頭徹尾「エンドレスエイト」の話しかしてません!

 

芸術理論や先端科学知識など、古今東西の知見を総動員しますが、全ては「エンドレスエイト」を読むために駆り出されてます。

そのうえ、人気アニメの読解を踏み台にして現代社会評論をする本でもありません。むしろ本書はそのようなよくあるサブカル批評の傾向にはどちらかというと批判的で、純粋にアニメ作品として、あるいはアートとしての「エンドレスエイト」の可能性を模索していきます。

この人、よっぽどエンドレスエイトが好きなのか、それとも憎いのか……?

 

そして後半からラストにかけて、本書は驚天動地の結論に達します。

 

「エンドレスエイト」分析の流れ

 

「エンドレスエイト」という実験的作品が持つ興味深い芸術哲学的含意を明らかにするのが本書の目的である。(p.29)

 

まず「ハルヒのエンドレスエイトとは何だったのか」という大テーマが掲げられます。あの一連の試み(おんなじ話を8回も流す、しかもわざわざ作画は変えて!)にどんな価値があるのか、あるいはただの失敗作、黒歴史でしかないのか? あらゆる可能性を模索していきます。

本書は11章から成りますが、検討の段階は大まかに3つ。

 

①「エンドレスエイト」は「物語」としての価値があるか?

ようは、エンドレスエイトって普通の意味で面白いか? という話です。放送当時の2chの書き込みやまとめサイトのコメントを多数引用しながら、反省会的なノリで擁護の可能性を探っていきます。

 

よく出る擁護論として、たとえばこんな意見があります。

 

 

「情報統合思念体が作ったアンドロイドである長門有希は、『エンドレスエイト』で繰り返した15日×15000回以上の夏休みをすべて記憶している。その過負荷が長門を実質的に壊してしまい、映画『涼宮ハルヒの消失』で起きた事件の原因にもなった。そんな彼女の気持ちを疑似体験するためにやる意味はあった」

 

「時間のループをこんな正確な手法で描くなんて前代未聞で面白いじゃないか」

 

「8回見終わったときのカタルシスは凄かったよ」

 

 

まだまだありますが、著者はこういった擁護論をネチネチと検証し、論理的にぶった切っていきます。それによって「長門が壊れたという解釈がまずおかしい。そもそも原作の読解を間違えている」「物理学的にもこんなふうにループすることはありえない」「エンタメとしても、もっとマシな見せ方はいくらでもあった」…などなど、エンドレスエイトが試みた奇抜な演出は、物語としてはどう好意的に解釈してもあらゆる意味で中途半端だったことを明らかにします。執拗すぎて制作陣がかわいそうになってくるレベル。

 

しかし、これはまだ前フリにすぎません。

 

②「エンドレスエイト」は「表現」としての価値があるか?

前半でエンドレスエイトがアニメとして面白いとはとても言えない、ということが論理的に導き出されました(ひどい)。中盤は「でも、アートとしては面白いんじゃないの?」の検証です。

 

 

wikipedia「泉 (デュシャン)」

 

 

たとえばマルセル・デュシャンという芸術家が作った立体作品「泉」は、そのへんで売ってる便器にサインしただけのあまりに雑な代物。目を楽しませる芸術としては0点ですが「そんな変なモノを美術館に飾っちゃったよ!」という意味でとんでもなく面白く価値がある、20世紀を代表する前衛芸術です。こういうアートは「アートとは何か」を考えさせる「コンセプチュアルアート」と呼ばれています。

 

「エンドレスエイト」も、コンセプチュアルアートだったのでは?

 

個人で好き勝手やれる前衛芸術家と違い、TVアニメはとてつもない人員と大金が動く商業活動。そんな一大プロジェクトで、何をトチ狂ったか同じ内容を8回も作って放送してしまう暴挙。
その結果は評価的にも商業的にも大失敗だったわけですが、この大失敗も含めてみたらこんなに面白い出来事ってなかなかありません。

コンセプチュアルアートとして成り立つどころか、なんならデュシャン「泉」以上に傑作なんじゃないの? というわけです。

 

この視点で見れば、黒歴史エンドレスエイトは芸術としてすごい価値を秘めていたことになります。アニメファンが繰り返しに困惑し、激怒するほどに「アニオタは何をアニメに求めていたのか」を浮き彫りにした批評的価値のある作品とも評価できちゃう。

 

しかも、原作小説とアニメ版の違いに隠されたとある数字から、この作品がアートとして解読されることをアニメ制作陣が前提していることも証明できる!(このへんの謎解きはかなりスリリングでおもしろいです)

 

著者はこれを「逆コンセプチュアルアート」と名付け、ひとまず「エンドレスエイトは物語としてはつまんなくても、それをひっくるめてアートとしての価値があった」とします。
めでたしめでたし……では、終わりません。

 

 

ここから著者のとてつもない「暴走」が始まるのです。

 

 

③「エンドレスエイト」は結局何なのか?

 

「エンドレスエイト」はコンセプチュアルアートと言える。

 

いや、しかし。

 

本当に「エンドレスエイト」は物語としてはダメなのか?

失敗をひっくるめた前衛芸術としての価値しかないのか?

 

著者はここでハルヒ本編でも語られた物理学的概念「人間原理」を武器にして、エンドレスエイトのさらなる可能性を探り始めます。

 

人間原理…人間が現に存在することを証拠として宇宙の構造を説明する考え方。

 

 

涼宮ハルヒの憂鬱 長門有希 (1/8スケールPVC塗装済み完成品)

 

重要なキーを握るのは、このループを唯一観測していたとされるキャラ、長門有希。

彼女はいったい夏休みに何を見たのだろうか……?

 

 

このへんから明らかに著者がふざけ始めます。

 

ふざけるという言い方は正しくなく、むしろここから格段に真面目になったとさえ言えるのですが、そのことがもうふざけている。私は読みながら何度も声に出して爆笑しました。とにかく面白い。理屈エンジンフルスロットル全開で、ねちっこい論理を徹底するとここまで行けちゃうんだ! と感動すること必至です。

 

だって「『エンドレスエイト』という作品がこの世界に存在すること」から、”実際に”地球外文明が存在することを論理的に証明してしまうんですよ。

 

なんで??????

 

その証明方法にも「人間原理」が深く関わっており、「そんなアホな」と爆笑しつつもヨタ話で片付けられない説得力と迫力があります。

 

 

『エンドレスエイトの驚愕 ハルヒ@人間原理を考える』p.391

 

終盤とか、こんな図出てきます。いったい何を言っているんだと変な笑いが止まらない。

いや、意味がわからないというわけではないんです。順を追って読んでいけば理解できるようになっています。それでも笑ってしまう。なんなんだこれは。

 

著者は「エンドレスエイト」のループが実はこういう仕組みだったんじゃないか? 「長門有希」の本当の正体は「✕✕」だったのでは? という仮説をいくつも編み出し、検討を加えていきます。特に「テラループ説」なんてかなり衝撃的です。

 

 

このへんでついに読者は著者の「陰謀」に気づくことでしょう。本書の真の目的は「エンドレスエイト」の分析や再評価じゃなく、それによって原作でもアニメでも描かれなかった超大スケールの「ハルヒ」二次創作をやり遂げてしまうことなのだと。

 

いや、二次創作という言い方では足りません。むしろ著者はこの本で「エンドレスエイト」を主軸にし、現実とアニメの垣根も超えた無数のループを内包するオリジナルのハード人間原理SF哲学作品を書いてしまったと言えるのです。

 

そして最後にはこの「エンドレスエイト」を語る行為自体がループする……。

 

 

なんという構成!

 

とてつもない「分析哲学的エンドレスエイト論」

 

『エンドレスエイトの驚愕 ハルヒ@人間原理を考える』は

 

・「ハルヒ」の謎本

・分析哲学的なアニメ研究書

・芸術論の入門書

・人間原理を追求する哲学書

・ループ構造を巡る巨大なSF小説

 

……などなど、さまざまな切り口で楽しめる本です。

難解ですが文章は平易で注釈も多く、必要とする前提知識はそれほど多くない……ような気もします。

 

 

記事冒頭で、「(著者は)よっぽどエンドレスエイトが好きなのか、それとも憎いのか」と書きました。しかし、最後まで読むと著者はアニメ史に残る奇作「エンドレスエイト」に凄まじい嫉妬心と対抗心を抱いたのでは? と邪推せずにはいられません。放送から9年弱が経っても「エンドレスエイト」の評価がオタク的にもサブカル的にも中途半端で宙ぶらりんだったことも、我慢ならない要因のひとつだったはずです。復讐心とすら感じます。

 

京アニめ、面白い試みで中途半端な結果を残してくれやがって。機は熟した。自分がその中途半端さもひっくるめてアカデミックに「エンドレスエイト」のループを完成させてやる――!

 

本書は「分析哲学的エンドレスエイト論」という看板にかこつけて書かれた、「エンドレスエイト」を駆動装置として永久に回転するループ機構です。この本が2018年書かれることによって初めて、「エンドレスエイト」という試みは本当に成功したと言えるのかもしれません。

 

 

……いや、

 

そんな簡単に片付けてしまっていいのだろうか?

 

もっと別の『エンドレスエイトの驚愕 ハルヒ@人間原理を考える』の読み方がありうるのでは……?

 

 

 

 

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