
ごちそうさまでした。ありがとうございます。
取材って、テレビドラマだとせいぜいコーヒー1杯で終わりっていうイメージだったので、まさかお昼ごはんをまるっとご馳走していただけるなんて思いませんでした。
ああ、これですか?
すみません。やっぱり気になりますよね。
手持ち無沙汰になると、ついやっちゃうんです。

スマートフォンの角を、机の角と合わせてます。
ほら、小学校の掃除の時間で、一旦机を全部後ろか前に片づけるじゃないですか?
そうそう、イスをひっくり返して、机に載せて。
それで、掃除が終わってもう一度机を元に戻す時に、位置がズレないように、床にあらかじめバミリみたいなのが貼ってあったの、覚えてます?

うちの学校は黄色いビニールテープでした。
学期をまたぐ頃になると、段々粘着力が弱まってテープの端がめくれ上がってきて、そこにホコリやら紙切れやら箒の毛やらが溜まってて。この情けなさが「教室」って感じがして良いんですよね。
あなたの学校は、何色の何でしたか?

掃除が終わって、バミリに机の脚を合わせる作業って、なんだかすごくクセになるんですよね。
机を持ち上げて、一生懸命運んで、バミリに脚をピタッと合わせる。
また別の机を持ち上げて、運んで、ピタッと合わせる。
バミリを信じて角を合わせていくだけで、パチパチパチッと机の位置が「決まって」いくわけですよね。
パズルのピースがパチッとハマった時みたいな快感を、教室の机の数だけ感じられるんです。
それも、毎日。

あの時の体験がクセになってしまったんでしょうね。
今もこうして、合わせられる角があったら、つい合わせてしまうんです。
角なら何でも良いわけじゃないんですよ。
紙と紙を合わせるようにあまりにもピッタリすぎると、ダメなんです。
スマートフォンの丸みと机の角ばりみたいに、違う形の角同士を合わせたいんですよ。

バミリと机の脚がそうでしたから。
人は最初の体験に固執してしまうってことなんですかね。
でも、同じ形の角同士を合わせたところで、一体何になるんですか?っていう話ですよね。どうせやるなら、違う形を合わせなきゃ。

違う形同士の角を合わせる時、「内接」型にするか、「外接」型にするか、いつも迷うんですよね。
今回は丸角のスマートフォンを直角の机に「内接」させましたが、もし、直角の本と丸角の机を合わせるとしたら、また違うかもしれませんね。
===
ああ、すみません。つい話が長くなってしまって。
どうやって私にたどり着いて、なぜ取材を申し込んでいただいたのかは、敢えて聞きません。
プロはさすがですね、ということで。
でも、この話に「プロ」なんているんですかね。まあ良いや。
ええと、どこから説明しようかな。
回りくどいなって思わないでくださいね。私も一応、最短のルートで説明できるように努めますから。
第1章

私には、「真ん中を取る」っていうクセがあるんです。
「真ん中を取る」というのは簡単に言えば、モノや場所の中心を探して取ることです。

たとえば、今ここに机がありますよね。
こうしてあなたと話している間も、私は並行して頭の中で机の「真ん中」を取ってます。
考え方をご説明しましょうか。

机のタテの長さから目測すると、タテの真ん中はこのあたりですよね。

同じくヨコの真ん中はこのあたり。

すると、タテとヨコそれぞれの真ん中が交わる「ここ」。
これがこの机の「真ん中」ということになりますよね。

もちろん、タテヨコではなくて対角線同士を結んだ交点で「真ん中」を取っても、同じ話です。どちらの方法でも構いません。
このくらいのサイズの机であれば、対角線の端から端までいっぺんに目が行き届きますから、対角線で「真ん中」を取った方が効率が良さそうですね。
ですから私なら対角線で取ります。
しかし、これがたとえば校庭くらい広い場合は少し考え方を変えて……
ああ、すみません。わかりました。一旦立ち止まりましょう。
目的、ですか。
目的なんかありませんよ。
言ってみれば、「真ん中を取る」、この行為そのものが目的です。
「真ん中」を取った後に更にやりたいこと・確かめたいことはありません。真ん中を取ったら、それでおしまいです。

「真ん中を取る」というのは、旗を立てるようなイメージです。
私の頭の中に実際に「旗」の像が登場するわけではありませんが、ここはわかりやすく「旗」ということにしておきましょう。あまり厳密さにこだわりすぎても仕方ないですからね。
要は頭の中でモノの真ん中を見立てることを「取る」と呼んでいるんです。
手に取るとか奪い取るの「取る」ではなくて、メモを取るの「取る」が近いですね。
「真ん中を取る」って、別にそこまで特殊な話でもないと思いますよ。
そもそも、世の中にある真ん中って印だらけじゃないですか。
いや、モノのどこかに印をつけるとしたら真ん中が一番多い、って言った方が良いかもしれないですね。
たとえば「端」は、わざわざ印をつけなくても何かしら境界物や断絶がありますから、わざわざ印をつける必要もないですよね。それに真ん中でも端でもない場所に印がつくケースって、さすがに真ん中よりは少ないと思うんです。
ですから、「取る」としたら普通はまず真ん中なんです。
モノの真ん中を取るクセがある人なんて、正直掃いて捨てるほどいると思いますよ。
わざわざ誰かに言うことがないだけです。

「真ん中」を取ったら、それでもうおしまいです。
机は用済み。
次はコップの「真ん中」、その次はナイフの「真ん中」、というように他のモノへと目と頭が移っていくだけです。

「真ん中」がどこになるかを考えて、ここだと決まったらそこに頭の中で旗を立てる。
旗が立った状態の机を確認して、ああ良かった、真ん中があった、と安心して、それで次に移るということです。
目的はないと言いましたが、強いて言えば「安心」のためかもしれませんね。
長さを測った方が正確?
確かにそうなんですが、うーん。

巻き尺で測った方が、おっしゃる通り正確は正確です。
ですが、友達とお茶を飲んで会話している時にいきなり巻き尺を取り出して机の長さを測るわけにもいかないじゃないですか?
こういうのは目立たずひっそりやらないと。ですから、頭の中で完結する方が何かと都合が良いんですよ。
それにそもそも、巻き尺できちんと測って得られた真ん中は、私の中では「真ん中」ではありません。
それは「真ん中を取る」ではなく、ただの測量ですから。
測量道具に頼らずに自分の感覚でいった方がしっくり「真ん中」になる気がするんです。
「cm」も「mm」も誰かが勝手に決めたルールで、私の「真ん中」とは関係ありませんからね。
ただし、感覚の助けになるモノを使うのはアリです。

たとえばここにナイフがあります。
このナイフを手掛かりにして「真ん中」を考えることは可能です。

机のタテがナイフちょうど2本分で、ヨコがナイフ2本+刃全部+柄の半分だったとしましょう。

すると、タテの端からナイフ1本、ヨコの端からナイフ1本+刃の半分+柄の半分の半分のラインで見えた「ここ」が、やはり「真ん中」ということになります。
さっきより少しだけスムーズに「真ん中」を取りにいけますよね。
このように机より小さいモノを手掛かりにして「真ん中」を取ることは大歓迎です。
具体を抽象に戻して測るのはNGですが、具体から具体に並行移動して「測る」のはOK、ということなんでしょうか。
机とかナイフが具体で、cmとか長さの単位が抽象で、みたいな。
キティちゃんの身長がりんご5個分っていうのと同じです。
あと当たり前ですが、「測る」ために日頃からわざとペンとかを携帯するのはNGです。
それじゃ「測量」と何も変わらないですからね。
あくまで今そこにあるモノを使って「真ん中を取る」から良いんです。
それと、ナイフを実際に手で持って机のタテヨコに充てるのもNGです。
ダメなことが多くてすみません。

頭の中でナイフを「持って」、頭の中で机に「充てる」んです。
慣れれば簡単ですよ。

机に元からある木目を手掛かりにするのは一応アリですが、

木目って最後の1切れだけ1目盛り未満の切れ端になっていがちで、かえって真ん中を取りに行くのが面倒になるので、あまりおススメはしないですね。
第2章

ふう。説明することが多くてすみません。
でも、ちゃんと理解してもらった方が良いと思うので。
私が最近考えているのが、「”自分の”真ん中を取る」としたらどうすれば良いのか、という問題です。
“自分”というのは、私にとっての私のことで、あなたにとってのあなたのことです。
つまり、私たち各々が「”自分の”真ん中」をどうやって取れば良いのか?と言い換えても良いでしょう。
ですからこの話は、私だけの話ではなくて、私たちの話なんです。
そうですよね。意味がわからないですよね。
順を追って説明しますので、コーヒーをもう1杯頼んでも良いですか?
普段はあまり喋らない方なので、口が乾いて仕方ないんです。

先ほどは机で「真ん中」の説明をしました。
机の板面は長方形の平面と見なせるので、単にタテヨコや対角線の交点を取るだけで「真ん中」になります。
つまり「真ん中」の取り方がシンプル。初級編です。
これは机だけでなく、テレビの画面でも、校庭でも、考え方は基本的に同じです。
実際にはどれも完全な平面ではないですが、「真ん中」を取るための平面を見出せば、あとはタテヨコの長さから取りに行くだけ。
ではそれ以外の場合どうするか?

たとえばお箸のように棒型のモノだったらどうでしょうか?

当然、線分の中点にあたるところで「真ん中」を取りますよね。

では、たとえばスプーンやマドラーのように、棒の片方に重いモノが付いている場合だとどうなりますか?

ここが「真ん中」でしょうか?
違います。

重さの分だけ寄せて「真ん中」を取ります。
私は。

重さの偏りが大きいほど、「真ん中」も重い方に寄っていきます。
おそらくですが、棒状のモノに関しては”指の上に載せて安定しそうなポイント”を「真ん中」に取りたがるということなんです。

でも、あんまり偏りが大きすぎると、



ゴロンッってなりますから、

ここが「真ん中」になったりしますけどね。

つまり「重心」の考え方に近いです。
以前は自覚していませんでしたが、よくよく振り返ってみると、私はできるだけ「重心」を念頭に置いて「真ん中」を取ろうとしているみたいなんです。
ただし「重心」がいつも適用されるわけではありません。
たとえば校庭の「真ん中」を取ろうとする時に、校庭の東端にいかにも重たそうな倉庫があったとしても、「真ん中」の取り方が変わることはありません。
校庭と倉庫は一体じゃないですし、そもそも校庭は指の上に載りませんしね。
校庭の「真ん中」の取り方は、また別です。
私、初めてこれに気づいた時、ものすごく世界が開けた気持ちになったんです。

世の中、机とか校庭みたいにタテヨコで「真ん中」を簡単に取れるモノの方が珍しいんです。
花とか、パフェとか、スイカの一切れとか、こういうの全部「真ん中」が取りづらくて諦めてたんですよ。タテヨコが適用できないですからね。

でも「指の上に載せて重心を見る」ことで「真ん中」を取れるとしたら、今までより遥かに多くのモノの「真ん中」を取りに行けるんです。
「真ん中」の数が爆発的に増えました。世の中が「真ん中」だらけになります。
もう、ワクワクして仕方なかったですね。
それからは、「重心」以外にも色々な「真ん中」の取り方を見つけていきました。
もう一気呵成です。
自分の部屋に閉じこもっていても、身の回りのモノ全部の「真ん中」を次々に取ることができます。
机だったらこう。机を横から見たらこう。本棚だったら全体を正面からこう。1つの棚だけで見たらこう。厚みのある本ならこう。サイコロならこう。サイコロをこうやって積んでみたらこう。花が植わった植木鉢ならこう。新品のぬいぐるみならこう。古いぬいぐるみならこう。カーテンならこう。っていう風に。

重心法、貫通法、沈澱法。
「真ん中」を取るごとに、「取り方」もどんどん増えていく。実践と発見、発見と実践が無限に連鎖していきます。
最高の気分です。
部屋から一歩も出ないまま、どんどん科学者になっていく。
そして家じゅう全ての「真ん中」を取ったと思った後に、やっと気づくんです。
まだ「真ん中」を取れていないモノがあるじゃないか、と。
それが「自分」です。
こういうわけで、私は自然な流れで「”自分”の真ん中」取りに着手しました。
第3章
考えてみてください。

「”自分”の真ん中」は、どこにあると思いますか?

重心法を使うならば、腰の中央でしょうか。
それとも肩甲骨の間でしょうか。
貫通法を使って、頭頂部から背骨にかけて長い串を1本刺しても良いかもしれません。渓流釣りで塩焼きにされてる鮎みたいに。
でもね、どれもこれも、それが「”自分”の真ん中」だと思えないんですよ。

だって、それって「“人体”の真ん中」じゃないですか?
家族だろうが親友だろうが赤の他人だろうが政治家だろうが生きてようが死んでようが、誰であろうが関係なく取れてしまう、ただの肉塊の真ん中です。
これじゃ、「”自分”の真ん中」ではないんですよ。
わかりますか?

究極ね、究極ですけど、自分じゃない他人だったら普通に、「”人体”としての真ん中」を取って手打ちにすることもできるんです。
他人というのは、究極的には人体と見なせるので。
でも、「自分」だけは「人体」として割り切ることがどうしてもできなかったんです。
弱い。私は「自分」に甘い。
今まで半ば機械的に「真ん中」を取っていた私が、いざ「自分」が取られる側に回ると、それには抵抗を感じるんですから。
呆れた話ですが、これもまた一つの真実です。

他の誰でもない「”自分”の真ん中」を取るためには、今までの取り方をもう一段応用しなければならないことに、私は気づきました。
では、他人と「自分」の間にある違いって、一体何なのでしょうか?
私も色々考えましたが、

「自分」というのは、棒状なんじゃないかと考えたんです。

この棒というのは、私の肉の形ではもちろんありません。
左端が生誕で、右端が現在、つまり私の時間の形ということになります。

有り体にいえば、今まで歩んできた「道」とか「人生」とか、そういうものなんですけど。
こういうのは、いま現在の「肉としての自分」を超えた「自分だけのもの」という感覚がありますからね、私は。
だから、「自分」は棒状。

もちろん、他人もそれぞれ「その人にとっての自分」としては棒状なのかもしれないし、そもそも人生とやらが棒状なのかどうかは見解が分かれると思います。
ですが、そんなことは私には関係ありません。
私にとって、「自分」は棒状なんだ、ということに過ぎませんから。

では、「自分」が棒状だとすれば、「”自分”の真ん中」というのはこの棒の真ん中、つまり私が今33歳と6ヶ月なので16.75歳のことでしょうか?
違いますよね。

棒状のものの「真ん中」を取るときは、重心を考慮する必要がありましたよね。

私の時間の形が、生誕から現在まで均一なわけがありません。
実際の私の時間というのは、たとえば

こんな形状のはずです。

細い金属でできた時間の芯があって、要所要所に粘土を巻きつけているようなイメージです。
時間の芯は、生きていれば誰もが当然に経過する時間のこと。これは万人共通の芯です。
ちなみに私は、バーベキューで肉とピーマンを刺すような平たくて鋭利な芯をイメージしています。
そして粘土は、その時間の質です。
粘土が盛り上がっていれば濃い時間を過ごし、粘土が延ばされていれば長い時間、粘土がほとんどなければ薄くつまらない時間、ということですね。
本当は粘土にも、粘着性の強い弱いとか、いくつか種類があるのですが、それは一旦無視しましょう。

よくある「棒状」からはかなりかけ離れているように見えますが、棒状の芯に粘土が巻きついているだけなので、私としてはこれも立派な棒状です。
すると、

重心で考えればここらへんが「真ん中」かな、というのがわかるわけです。
これが「”自分”の真ん中」です。
ここまでお聞きいただいて、どうですか?
ええ、そうです。
あなたならわかっていただけると思いました。
そうなんです。

これじゃあ、「真ん中を“取った”」ことにならないんですよ。

仮に、私の棒の重心は10歳の夏のあの日あの時間あの場所だ、と特定できたとしましょう。
追憶のかなたにある、豊かで二度と取り戻せない過去の1点に「真ん中」がある、ということです。

そこに、過去に、どうやって旗を立てれば良いんですか?
旗を立てるのは頭の中の話ですが、でも旗を立てたい対象は目の前にあったわけじゃないですか。
机も、コップも、「自分」も。
ですから、旗がどこに立つかを私が目視できないとおかしいんです。
でも、過去って見えないですよね。
少なくとも私の目の前に「過去」はありません。だから見えない。
「自分」の時だけ、旗を立てる場所が「見えない」のに「真ん中を”取った”」なんて、言えないんですよ。
あり得ないんですよ。
旗を立てて、ここが「真ん中」なんだと確認して、安心して、それでやっと次に行けるのに。

「”自分”の真ん中」が過去にあるのだとしたら、私はそこに旗を立てることが永遠にできないんです。
旗が立つ場所を目視できないから。確認できないから。
そんな恐ろしいことがありますか?

この世にある他のすべてのモノは「真ん中」を取れてきたのに、一番近くにあって、一番重要なはずの「自分」だけ、「真ん中」が取れないなんて。
たまらなく恐ろしいんです。
不安で心が張り裂けそうになる。「自分」が怖い。
事態を打開するための方法は、二つしかありません。
一つはタイムマシンで過去に戻ること。
過去の重心に戻って、真ん中を「確認」して、戻る。
でも、それじゃダメなんです。

私の時間という棒は、私が生きていく限り、どんどん右に伸びていきますから。
伸びていって、粘土がついて、重心が変わったら、やり直し。
もう一回タイムマシンで過去に戻って、「真ん中」の取り直し。
過去に戻って、「真ん中」を取り直して、それを無限に繰り返しても真ん中は永遠に決まらない。
束の間の安心を得るためだけに、無限にタイムマシンで過去に戻り続ける。
そんな人生、最悪ですよ。
ですから、もう一つの方法しかないんです。
それは、

「真ん中」を引き寄せるんです。右端に。
方法は簡単です。

今までの粘土とは比べものにならない量を、今の私が、今この瞬間の時間に付ければ良いんです。
そうすれば自然と、棒の重心が右端になりますからね。

理想としては、



ゴロンッと縦にできるくらいの重さがベストです。

そうすれば確実に、棒の右端だった箇所が「真ん中」になりますからね。
まあ、時間を縦にできるのかどうかはわからないですけれども。

要点となるのは、今この瞬間に、これまでの人生のすべての粘土を足し合わせたのよりも遥かに重い粘土をつけるということです。
これなら、過去に戻らずとも「現在」が「”自分”の真ん中」ということになり、目視でき、確認でき、安心できます。

でも、「今までの人生のすべてより遥かに重い粘土」を付けるためには、一体どれほどのことをしでかす必要があるんですかね。
私がお話しできるのはここまでです。
今日あなたにお会いしたのも何かの運命だと思って、全部話しちゃいました。
どうか、私を止めていただけませんか?
(おわり)

ペンギン
JET
梨
彩雲
鳥角
サイケ蟹光線






