母とは良好な関係を築けていると思う。
それはそれとして「感じ悪~」と思うこともある。そのひとつが、母が僕の台詞を繰り返すときに必ず声マネをしてくることだ。喉の入口にピンポン玉詰まったようなボソボソ声を完コピしてくる。息子の声でそんなことする?あなたが産んで育てた声ですよ?
それが嫌で嫌で、母の前であまり変なこと言えなくなった。他にも不満はあるが、良好な関係を築けているし、愛していると思う。
小学3年生の頃、そんな母に心中を迫られた。
夜の漁港を疾走する母の自家用車が、海まで数センチというところで止まる。暗くて母の表情が窺えない中、僕は必死に泣きじゃくった。
なぜそんなことになったのか。
僕が給食用の箸を紛失し、母に黙って先生から代わりの箸を借り続けていたことが原因だ。流石にうんざりした先生は、親に渡す連絡帳にそれを記した。読んだ母は激昂し、数時間の説教ののち、死のっかということで話がまとまり、トントン拍子に夜の海である。先生もまさかこの展開は予測できまい。僕も出来なかった。ただ小学校低学年の男児にとって母親は人生の7割だ。僕が悪い以上、死のうと言われりゃ死ぬしかないのだろう。
でも死にたくない。こんな死はなんか嫌だ、おかしいと本能が叫んでいた。それも正しいはず。
顔をくしゃくしゃにしてひたすら抵抗した結果、母の気が変わり家に戻ることが出来た。もし説得に失敗していれば、こんな駄文書けなかった。
それから十数年。多少の衝突はありながらも大きな反抗期を迎えることもなく、年月は経った。
そして僕が24歳の時に両親は離婚した。
父が母に内緒で友人や親戚から金を借りまくっていたのが発覚したのだ。父の心の拠り所はパチンコにあったが、腕前はプロに遠く及ばなかったみたいで、時々僕からも一万円を借りていた。後できちんと返してくれたし、借りに来る父の姿が可哀想だったので、特に不満はなかった。
父の借金は過去にも何度かあったらしい。それが積み重なって離婚に至ったわけだ。
話し合いの席で祖母から、僕が小学生低学年の頃にも父の借金が発覚していたと聞いた。その瞬間、先述の心中の光景がぼんやり浮かび、やがて点と点が繋がる感覚に震えた。
そうか。
僕の借り箸が原因じゃなかったのか。
母は、父の借金で追い詰められて心中を謀ったのだ。僕はきっかけ、最初のドミノを倒しただけだった。
張り詰めていた心が緩む一方で、なんか悔しい。
僕は、子供時代の間ずっと、母のことを箸のこと程度で心中しようとするヤバい人だと思い込んでいた。
お母さんごめん。とにかく可哀想。