その日ぼくは沈んだ気持ちで、新潟県に足を踏み入れた。新潟といえば日本有数の米どころである上に、日本海にびろんと面しているため(あんなにびろんと面している県は他にない)、美味い米、美味い魚が同時に食える夢の地だ。

数ヶ月前から計画を練り、お金を貯め、4日間の休みをとって、神奈川から一人でやってきた。しかし、僕の心は曇っていた。

 

 

海老の尻尾が喉に刺さったのだ。

 

 

新幹線に乗る前、駅で天そばを食べた。立派な海老だった。尻尾もぐいと飲み込んだ。そのとき喉に違和感が。刺さった。尻尾が喉に刺さったのだ!
これまで数多くの小骨を喉に刺してきた僕だが、これははじめてのケースだった。
傷口から弾丸を抜き取るように、僕は自らの手で海老の尻尾を抜きとった。血が出ている。傷は深い。
どんなにうがいをしても、唾を飲むたび喉を切り裂かれるような激痛が走る。
しかし、今さら旅を中止するわけにもいかない。鎮痛剤を買い、新幹線に乗った。

越後湯沢駅に到着し、おそるおそるおにぎりを食べる。本場コシヒカリは美味いが、飲み込むたびに喉を裂かれるので味わうどころじゃない。
もはや食はあきらめるしかない。一月かけて調べつくした名店の数々を捨て、観光に精を出すことにした。
とは言っても、田んぼしかない。果てない田んぼ道をひたすら歩く。途中、公園を見つける。遊具もなく人もいない、広大な敷地。
ベンチに寝転がる。自然にかこまれ風もゆるやか。悪くない。旅の醍醐味とは案外こういうものかもしれない。
そのとき、ポケットから何かが転がり落ちた。ゴトッ。
スマホだ。

 

割れた。

 

買いたてのスマホに保護シールを貼らない、という豪胆ぶりを示していた僕だが、こんなところでアダになるとは。
動作に問題はないが、画面にテクノな線が出ている。
僕の前世は旅先で大量虐殺でもしたのか。この旅行運のなさ。
今考えれば、「不注意」以外のなにものでもないが、そのときは激しく前世をうらんだ。

ごめんね、前世。

しかたない。温泉に行こう。
妙高・赤倉温泉郷。
小高い山を登ったところに旅館がいくつかあるらしい。観光シーズンでもないし飛び込みで大丈夫だろう。
時刻は午後4時過ぎ。空もまだ明るい。グーグルマップを頼りに山に入る。結構入り乱れた山道だ。一時間くらい歩いた頃だろうか。

 

スマホが壊れた。

 

画面に鮮やかな線がおどり、電脳世界の様相を呈している。まずい。
あたりがどんどん暗くなる。街灯も民家も、人影もない。死にゆくスマホの光の残滓だけが足下を照らす。旅館にはまだ遠く地図や案内板もない。

戻ろう。しかたない。記憶を頼りに山をくだる。小雨が降り出す。どこかで水の流れる音だけが聞こえる。「怖い」と思ったら負けだ。

数時間後、なんとか無事に下山した。9時を過ぎていた。
もう早く寝たい。町に出て泊まれる場所を探す。やっとの思いでネットカフェを見つけた。よかった。どこにでもあるな。ネットカフェ。
受付でナイトパックを頼んだ。店員さんが申し訳なさそうに言う。

 

 

「当店、10時閉店ですのでナイトパックはございません。」

 

 

おしっこがもれた。

 

 

 

 

他の「文字そば」を読む