以下に「参考」として掲載される画像に写る蝶は
すべて蝶の睫毛の似姿であり、
蝶の睫毛そのものでないことに留意してください。
蝶の睫毛は、もう存在しません。
[参考 さ丹つらふ蝶の翅]
蝶の睫毛とは、
愛した人の幻覚を見せる透明な蝶です。
かつて或る地方の限られた山村にのみ
生息したとされますが、口承あるいは
書承でしかその蝶の存在を確認できず、
昨今では半ば伝説上の存在として、
村民たちに受容されています。
[参考 グレタ・オト]
蝶の睫毛は、ひどく透明な翅を有します。
同じような翅をもつ蝶としては、
たとえば中南米に生息するグレタ・オト
(別名: グラスウィング・バタフライ)が
該当しますが、蝶の睫毛はそれよりも
翅が大きく、透きとおっています。
[参考 雨にぬれる黒い翅脈]
その翅脈はやや白く、半透明です。
透明な硝子のように広がった翅を、
まっしろい葉脈のような筋が支えています。
おそらく、はたはたと飛ぶその蝶の、
透明な翅にうすく広がる白い翅脈を、
まばたきする睫毛のようだと
思ったひとがいたのでしょう。
[参考 アルメリア(浜簪)の花の妖精]
(Cicely Mary Barker, “A Flower Fairy Alphabet”, 1934, Blackie)
通常、人間が蝶の雌雄を目視で
見分けることは不可能ですが、
蝶の睫毛はその生物学的雌雄に関係なく、
「女性」として受容されています。
嘗ての人びとのうち、
蝶の睫毛と深い交流を行っていた者は、
蝶の睫毛に女性名詞を用い、
さまざまに呼称していたのです。
蝶に女性性を見出す民間信仰自体は
それほど珍しいものではありませんが、
その地方においては多くの場合で、
ある特定の「人」として見られていました。
[参考 蝶の睫毛に用いられた女性名詞の例と、その一般的な用法]
伝承や一次資料を信じるのであれば、
蝶の睫毛は他のチョウ目の生物と比べ、
きわめて高い知能を有していました。
ヒト個体の識別さえも、
ある程度可能であったといわれています。
[参考 村民Yさんへのインタビュー記録 (以下、その文字起こし)]
質問者: つまり、蝶の睫毛は、慥かにあなたを見ていたと。
Y氏: はい。他でもない私を、彼女はいつくしんでくれた。
質問者: そしてそれは、あなたも同じだったと。
Y氏: ええ、無論です。
質問者: しかし、蝶がヒトの個々をも識別できるというのは、あまり聞かない話ですよね。
Y氏: 勿論、そんな動物は限られるでしょうね。彼女はその点に於いても、やはり特異な方だったのでしょう。
質問者: 自分とそれ以外を仔細に峻別できる。たとえば、
Y氏: たとえばイルカやカササギのような。
質問者: それに、あなたの言を信じるのであれば、蝶の睫毛は生とそれ以外をも仔細に峻別できる。動物的本能ではなく、██的理性によって。
Y氏: ええ。彼女はきっと、死を死として理解していた。
質問者: 死を悼むことすら可能であったかもしれない、それくらい彼女は賢かったのだと、あなたは言っていましたね。
Y氏: はい、わたしはそう思っています。
質問者: たとえばゾウ(※1)や──
Y氏: シャニダールの騎士(※2)のような。
※1 転載者註: ゾウが同じ群れで死んだ者を「埋葬」する事例は、たびたび報告されています。
※2 転載者註: シャニダール洞窟より発見されたネアンデルタール人「シャニダール4号(shanidar 4)」の墓穴には、複数の花弁が持ち込まれたことが示唆されています。
質問者: しかし、蝶のそうした知的活動を示唆する記述は現代にあまり存在しません。そもそも、あなたが見ていたものが蝶であるかどうかも怪しいのです。
Y氏: いえ、彼女は紛れもなく蝶ですよ。私には分かる。
質問者: その姿が限りなく透明であっても、ですか。
Y氏: ええ。透明な蝶の睫毛としての彼女をこそ、私はいつくしんでいた。それはひどく空虚で、しかし花を愛でるように簡単なことでした。
蝶の睫毛は、花の蜜を吸うように、
人びととコミュニケーションを取りました。
[参考 花の蜜を吸う紺碧の蝶]
蝶の睫毛は、不明なプロセスを伴う「吸蜜」
によって、ひとのもつ何らかの認知を
吸い上げていたと考えられています。
そのプロセスにおいて用いられる管は、
一般的な蝶の口吻と全く異なる、
おそらくは未知の吸収管です。
この「吸蜜」プロセスにおいて、
蝶の睫毛はひとの頬に
一定時間留まり、先述の吸収管を用いて
皮下からの吸蜜を試みます。
このプロセスは、吸蜜を行われている
ひとにとって一定の快楽を伴うらしく、
後述の作用も相俟って、
自発的な拒否は殆どなされませんでした。
[参考 しなだれかかる蝶]
吸蜜を行う際、蝶の睫毛はその透明な翅を
はたはたと断続的に動かします。
そのとき周囲に散る鱗粉は、
吸蜜を行われているひとが吸引したとき、
非常に強力な幻覚作用を呈します。
この幻覚作用は、吸蜜の回数を
重ねるごとに深化が進み、
そのたびに想起される幻覚は、
より具体性を帯びたものとなります。
吸蜜による幻覚は多くの場合で、
そのひとが嘗て強く愛していたひとの
姿や声として顕れるようです。
その対象は広義の恋愛対象に留まらず、
家族や血縁のない親類をも含みます。
該当する者がいない人物に対して、
蝶の睫毛が吸蜜を行った例は、
今のところ確認されていません。
[参考 蝶の睫毛が見せた幻覚と、その対象の例]
吸蜜の際、蝶の睫毛が吸い上げていたものが
具体的に何であったかは、判然としません。
しかし、蝶の睫毛が見せる幻覚に耽溺した
一部の人びとの様子は、
その喪失の大まかな内容を示唆しています。
彼らは吸蜜を繰り返すたび、
「蝶」に関する記憶を、
少しずつ失っているようなのです。
[参考 蝶から想起されるうつくしい情景]
「蝶」という生物と、
それに付随する記憶の喪失。
まるで蝶の姿が透きとおっていくように。
もはや、「蝶」ということばが
何を指し示す言葉なのかさえも、
分からなくなった事例も観測されています。
また、そうした記憶の喪失は、
幻覚へのより強い耽溺を意味します。
初期段階においては
「愛する人ではなく蝶である」
という認識をしていたひとも、
「蝶」の記憶がなくなってしまった結果、
その幻覚を愛する人そのものであると
認識するようになったそうです。
嘗ての人びとのうち、
蝶の睫毛と深い交流を行っていた者は、
蝶の睫毛に女性名詞を用い、
さまざまに呼称していたと書きましたが。
そうした固有名詞による呼称は、
喪失のいわば初期段階であるとみられます。
かれらが見ていたのは蝶の睫毛であり、
同時に愛する人の姿かたちでした。
[参考 共生する蜜蜂]
人びとが蝶の睫毛による幻覚を、
蝶の睫毛が人びとの認知と記憶を、
お互いに享受していたのであれば、
両者は何らかの共生関係にあったとも
考えられます。
では、なぜ蝶の睫毛は、
人びとから蝶の記憶と付随する思い出を、
蜜として吸い上げたのでしょうか。
蝶の睫毛が人びとの前から
姿を消してしまった今となっては、
その理由は推測することしかできません。
そもそも、実在すら疑わしいのですから。
Y氏: あなたは、ロザリア・ロンバルドという少女をご存知ですか。
質問者: いえ、不勉強ながら。
Y氏: イタリアの聖堂に眠っている少女です。享年は2。そして死亡年は、1920年。
質問者: 1920年?
Y氏: ええ。可愛らしい少女です、あなたも調べてみるといい。俗に「世界一美しいミイラ」とも呼ばれています。
質問者: ミイラ──ということは、誰かが死後の少女に防腐処理を?
Y氏: はい。ちなみにミイラ化を希望したのは彼女の父親でした。彼女の喪失に深い悲しみを覚えた父親は、せめて彼女の姿をいつまでも可愛らしく保とうとしたのでしょう。
質問者: しかし、それは却って──
Y氏: 父親は最初こそ、絶えず彼女を見舞いに聖堂へ向かいました。しかし、恐らくあなたがいま予想した通り、父親はあまりにも変わらないその姿に深いかなしみを覚え、いつしか聖堂へ行かなくなった。
質問者: [沈黙]
Y氏: あなたのように、でしょうかね。
質問者: 今は我々が質問をする時間です。不用意な発言はご遠慮いただければ。
Y氏: そうですか。失礼しました。
質問者: ───あなたは、
Y氏: はい。
質問者: あなたはなぜ、蝶の睫毛を愛することができるのですか。
Y氏: 何を今更。それが、愛らしいものだからですよ。あなただって一度だけ、蜜を吸われたのでしょう?
質問者: 違う。あんなもの、ただの幻覚でしかない。
[参考 村民Yさんへのインタビュー記録]
なぜ蝶の睫毛は我々の記憶を欲したのか。
なぜ蝶の睫毛は忽然と姿を消したのか。
あの透明なうつくしい蝶はどこへ行ったのか。
疑問点は今も尽きません。
でも、ひとつだけ分かることがあります。
きっと蝶の睫毛も、
私たちと同じだったのでしょう。
[参考 うつくしい記憶]
ある夜。
蝶の睫毛が忽然と姿を消す、その前夜。
蝶の睫毛を愛していた全員が、
全く同じ夢を見たそうです。
[参考 うつくしい夜]
夜の花畑に、ひとりの女性が立っていて。
かれらはそれが「蝶の睫毛」の姿だと、
根拠もなく直感しました。
彼女は物憂げにかれらに近づいて。
長い、長い沈黙のあと、
とても美しい声で、こう言いました。
「ごめんね わたしも かなしかったの」
[参考 あまりにも静謐な夜明け]
きっと、蝶の睫毛も同じでした。
死を悼むことができるくらいに賢く、
死を受容できないくらいに苦しく、
嘘の記憶を喜んでしまうくらいに愚かで、
そのことに絶望できるくらいに賢かった。
[参考 ふしぎと出なかった涙]
愛する誰かの死を儚んだ透明な蝶は、
ひとときの幻覚剤として、
なけなしの甘い蜜として、
人びとから蝶の記憶を吸い上げた。
まるで、鱗粉のみせる幻覚に、
すべてを忘れて酩酊するかのように。
[参考 愛と蝶、アムールとプシュケー]
(William Adolphe Bouguereau, “L’Amour et Psyché, enfants”, 1890 / PDM 1.0 Deed)
愛する者の頬に、くちづけるように。
でも、すべてを忘れることなんて、
彼女には到底できなかった。
[参考 共感と同情]
ごめんね。
わたしも、かなしかったの。
それが、彼女の最後の言葉。
愛する人の幻覚を見せ、
そのかわりに、
愛する蝶の幻覚を吸い取った彼女の。
その後、彼女の姿を見たものは、
誰一人としていませんでした。
[天離る蝶の翅]
蝶の睫毛は、もう存在しません。