あなたは物語を作ったことがあるだろうか。
あるなら、キャラクターの名付けをどれくらい重視しているだろうか。
小説を読んでいるとき、私はなるべく情景を思い浮かべるようにしている。
以前読んだ作品で、「中川」という名字の人物が登場した。
反射的に「こち亀」の中川のビジュアルが頭に浮かんでしまった。
私にとって「中川」といえば「こち亀の中川圭一」なのだ。圭ちゃんなのだ。このイメージをどうしても払拭することができない。まあまあシリアスめな物語の中に、黄色い縦ジマスーツの金持ちが割り込んできてしまった。雰囲気がぶち壊しである。
既存作品のイメージが、他の世界に流入していく。そういうことはよく起こる。
それは名前に限らない。ときには役職などにも影響を与えてしまう。たとえば私は「部長」と呼ばれるキャラクターが登場するとき、反射的に「こち亀の大原部長」を連想する。
それが学園ものであっても、だ。
「なんだ、こんなところにいたのか」
「部長……」
小説にこんなやりとりが登場したら、頭の中にはあのチョビ髭で孫びいきの警官が絶対に現れる。「部長……」というセリフも「げっ、部長!」という形に脳内変換して捏造しかねない。
もしも「中川」というラクロス部員の女子高生が、厳しくも優しいラクロス部 部長と恋に落ちる百合小説があったらどうだろうか。
「私、ずっと前から部長のことが……」
「中川……」
「部長……」
もう駄目だ。絶対に集中できない。頭の中に浮かぶのは「秋本治&アトリエびーだま」の作画である。
それゆえ、物語の作り手は名付けに慎重であるべきなのだ。
だから、間違っても恋愛ものでヒロインの名字を「両津」にしてはいけない。
両津 まどか みたいな、女の子らしい名前をつけても無駄である。
両津が恋する相手の名字が「寺井」だったりしたら目も当てられない。脳内再生にラサールとこぶ平が駆り出されること必至だ。
初デートを控えた2人のキュンとするやりとりがあるとしよう。
「寺井くん……」
「なんだ、両津」
「このあと予定とかある……?」
「え、ないけど……」
競馬場に連れて行くのかな? と思ってしまうではないか。
男女の三角関係を描いたシーンでも混乱が生じる。
「中川、両津を見なかったか」
「部長……。両津先輩なら、寺井くんと出かけていきました」
「……あのバカ。俺の気も知らないで……!」
甲冑を着込んだ大原部長が嫉妬しているシーンしか頭に浮かばない。
ましてや濃厚なキスシーンなどもっての外だ。
「んッ……両津……ッ」
寺井は強引に唇を貪った。舌がまるで別の生き物のように口内で絡み合う。
「あっ…ん…」
寺井の意外な積極性に気圧された両津は顔を紅潮させ思わず仰け反
あ~~~~~~~~~!!!!!!
やめやめやめやめ!!!!
みんな、登場人物の名前はよく考えよう!