SNSにおいて、創作したエピソードを実話として流布し、注目を集めようとすることを、俗に「嘘松」と呼ぶ。由来についてはここでは触れない。

 

Twitterでは、

 

▼公共空間でマナーの悪い人間をやり込める

▼現実における突然のBL展開

▼子どもが何気なく核心を突いた一言を述べる

▼外国人が日本の文化についてユーモラスなカン違いをする

 

などが定番どころで、毎日何かしらの面白エピソードが拡散され続けている。中にはあまりにもリアリティの欠けた話も多々あり、同一人物が毎月のように奇跡的なアクシデントに遭遇していたりすることがわかると、物笑いの種になる。

 

しかし、私には嘘松を笑うことができない。

なぜならば、私もまた、嘘松を書いたことのある側の人間だからだ。

 

小学4年生くらいの出来事だ。わりと珍しいことだと思うのだが、私がいた学年ではサケの稚魚を飼育していた。教室の前に大きな水槽が設置されており、メダカほどの大きさのサケの稚魚を児童たちが交代で世話していたのだ。

もちろん、小学生にサケの完全養殖ができるわけはない。育った稚魚は河川敷で放流する。小4にとってはテンションの上がる遠足だ。

 

「大きくなって帰ってきてねー」

 

そんな声をかけてサケを川に放した子どもたちは、帰りの電車の中でも浮かれて騒がしい。それを苦々しい顔で見ているやつがいた。私である。

 

私は子どもの頃から「調子に乗っている同世代の子ども」がイヤだった。相当イヤだった。眉をひそめる乗客を尻目に大声で「軍艦軍艦朝鮮、朝鮮朝鮮ハワイ!」とかいう掛け声の不謹慎じゃんけんをする連中を卑しんでいた。

 

さて、課外活動の後は文集の冊子に載せる作文が待っている。
そこで私は、「鮭の放流」という題の作文にこんな一節を書いた。

 

帰りの電車の中で、みんながうるさくさわいでいました。すると、それを見て、電車のお客さんが話をしていました。
「あの子たち、うるさいね」
「そうだね、うるさいね」

 

今だから言えるが、この箇所は完全に創作である。

なんでこんな嘘を書いたのかといえばきっと、みんなの楽しい思い出を、あとからちょっと嫌な感じに塗り替えてやりたかったのだと思う。

この作文が載ってから、私は強い罪悪感に苛まれた。とんでもないことをしてしまった、と思った。しかし現実のほうは淡白で、誰も他人の作文なんて読んでいなかった。

 

これが、私の嘘松だ。

 

そんな私。

 

 

 

みんなはどう思う?

 

 

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