拝啓

 

 

野菜やだ。

 

野菜のことぜんぜん好きじゃない。もういい大人だけど、野菜には一切心を開いてない。

 

野菜より肉のほうが絶対うまい。これは子どもの頃から一貫して思い続けている事実。動物性たんぱく質によるうま味の暴力の前に野菜は無力。

 

だいたい、野菜のうまさを肉のうまさと比較するのがおこがましい。肉のうまさを100点満点で測るなら、野菜のうまさは10点満点でしかない。肉は80点や90点の快楽を叩き出すことができるけど、野菜にそれはできない。だから私にとって肉はすばらしく、野菜はすばらしくない。

 

なのに大人は「そろそろ夏野菜の季節ですね」とか言う。

 

うるさい、あっちへ行け。夏でも冬でも野菜は野菜だ。私はだまされない。ゴロゴロしてようがシャキシャキしてようが、私には関係ない。

 

大人は「でも野菜はヘルシー」とか言う。うるさい、論点をすりかえるな。私はうまさの話をしているんだ。ゴミ拾いボランティアとテレビゲームのどっちが楽しいかという話で「テレビゲームのほうが面白い」って意見に「でもゴミ拾いは社会貢献ですよ」とか言うくらいふざけている。役に立つからなんだというのだ。今は味だ。本質を見誤るな。

 

私だって野菜は食べる。出されたものは残さず食す。しかしファミレスの前菜のサラダとか本当はぜんぜん食べたくないと常々思っている。焼き肉に添えてある薄ぺったいカボチャやニンジンにもなんだお前は、意味がわからん、帰ってくれと思っている。

 

野菜を食べるのは栄養を補い肉体を維持するためという現実的な理由だ。ヘルシー「だから」うまいなどと考えるのは精神に対する欺瞞だ。自分を洗脳しているのとおなじだ。拷問を毎日受けている人が、正気を保つために精神のほうをマゾに変えてしまうようなものだ。

 

「本当にうまい野菜は肉より」じゃない。そういう話じゃない。たしかにうまい野菜は存在する。だが簡単には手に入らない。肉は安くても大半の野菜よりうまく、容易に手に入る。だったら肉ばかり食べていたい。栄養素を除いて野菜をえらぶ理由がない。

 

野菜好きは野菜を食べていればよい。味覚はそれぞれ違う。でも「舌がこども 笑」と言う人間はゆるさない。ゆるさんぞ。嗜好に成熟度のものさしを持ち込むのは卑怯者だ。ゴミ拾いのボランティア活動があって、あなたが本当に心からゴミ拾いが好きな人だったとしても、ゴミ拾いをだるいと思ってる人のことをバカにしてはいけない。

 

私はこれからも野菜を憎みながら健康のために噛み締めていくつもりであるし、その態度を変えるつもりはない。なにも悪いことをしていないからだ。肉ばかり食べたいという意志を強く持って生きていきたい。

 

野菜め……。

 

 

 

敬具

 

 

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