絶交。

 

誰しも、人やコミュニティと完全に決別せねばならなくなるときがある。その相手は恋人かもしれないし、肉親や友達かもしれない。学校や会社、宗教などの環境が問題になることもあるだろう。関係を持ち続けているとどうしてもお互いのためにならない。そんなときは、思いきって絶交するしかない。

 

絶交は、けして生半可なものであってはならない。文字通り「交わりを絶つ」のだから、嫌われたらどうしようなどという態度を見せてはいけない。

 

かつて、宮沢りえと貴乃花は交際して婚約までしていたのだが、婚約会見からわずか2ヶ月で婚約破棄した。それを明らかにした記者会見で、理由を問われた貴乃花はこう述べたという。

 

「愛情がなくなりました」

 

思わず言葉に詰まってしまう。離婚記者会見における常套句は「些細なすれ違いが積み重なり」「別れた方がお互いにとって幸せ」といったものだ。ここには復縁をそそのかすスキがある。「でもね、そうはいっても……」とおばさんが口を挟む余地が残っている。

 

しかし、愛情がなくなったと言われたら、外野はただ頷くしかない。だって、すでに二人の関係は終わっているのだから。実際の心情や裏事情はともかく、この言葉は「絶交」の作法としては格段に優秀なのだ。

 

さて。
2018年、外国人演歌歌手の「ジェロ」が無期限活動休止を表明した。その休止理由は、このようなものだった。

 

「コンピューターの仕事に就くので」

 

この言葉には、貴乃花の会見に匹敵するインパクトがあると思う。あなたは、「コンピューターの仕事に就くので」と言う演歌歌手を「やめないで」と引き止められるか?

 

私はできない。

 

「愛情がなくなりました」と同じく、その言葉が出てきた時点で全ては終わっていると感じられるからだ。スポーツ漫画で考えてみよう。

 

「安西先生、コンピューターの仕事に就きます……」

 

終わりである。もう彼は二度とバスケをしないであろう。「コンピューター」と「仕事」が組み合わさることで、夢や理想というものの醸す甘いムードが完全に消臭されるのだと思う。

 

ジェロは長らく演歌界に身を浸していたからこそ、最後に演歌の詩情と対極にある「コンピューターの仕事」という言葉を掘り当てられたのかもしれない。だとすれば皮肉なものだ。

 

最後に、身近な絶交の例を思い出したので書いておきたい。

 

高校の頃に所属していた演劇部で、ひとつ上の先輩男子がとつぜん退部した。所構わずカードゲームを始めるなど決して好かれてはいなかったが、部は騒然となった。後日、その理由が明らかになる。

 

「クラスメイトのPSPを窃盗したが、盗んだ相手の前でうっかり遊んでしまってバレて退学になった」

 

うーん、
言うことなし!! 100点!!!

 

 

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