ファミリーレストラン「ココス」が好きである。ハンバーグやステーキの種類が豊富で、とつぜん湧き起こるハンバーグ欲をリーズナブルに満たしてくれる。ジョナサンやデニーズなどのファミレスとは別の良さがある。
特に、ハンバーグを注文すると鉄板の上に乗って出てくる「加熱用ペレット」が好きだ。
ココスのハンバーグは断面が少し赤い。そこで、切ったハンバーグをペレットという熱々の黒い石に押し付けて焼き加減を調整するのだ。
これが無性に楽しい。ジュワァ〜という威勢のいい音とともに香ばしい煙が立ち上る。少しだけサディスティックな気持ちになる、ちいさな非日常体験だ。
何より「良いな」と思うのは、テーブルの案内に書いてある加熱用ペレットの注意書きである。
「ペレットを使用してお肉を十分に焼きしめてお召し上がりください」
焼きしめる。ココスでは肉を熱いペレットに押し付けることをそう表現するのである。
私はココスに来るまでそんな言葉があることを知らなかったのだが、「肉を焼き、ぎゅっと引き締めて旨味を閉じ込める」、そんなニュアンスが面白いほどに伝わってくる良い言葉だと思った。それを読んで以来、私はココスでハンバーグを注文するたびに「さて。いっちょ焼きしめてやるかな」と、心の中でその言葉の面白さとたわむれるのが楽しみになっていたのだ。
しかし、別れは突然だった。
先日、ココスに行ってハンバーグを注文したとき、加熱用ペレットの案内がリニューアルされていることに気づいた。
「お肉を熱々の加熱用ペレットにのせて充分に火を通します」
焼きしめるの文字がどこにもなくなっていた。何度読み返しても痕跡すら見当たらない。
なぜ?
案内書きの刷新にあたり文章表現を見直した結果、より一般的な言い回しに変えることになったのだろうか。たしかにわかりやすくはなったが、肉をペレットに乗せたときの「これは確かに焼きしめてるな」という納得感、概念領域の広がる感覚はなくなってしまったように思う。
焼きしめるという言葉にココスの外で遭遇したことがない。もしココス以外で使われない言葉だとするなら、これは実質的な「焼きしめる」の絶滅を意味するのではないだろうか。桃太郎から「どんぶらこ」が削除されたようなものだ。
寂しかった。そして、こんなに寂しいと感じている自分に驚いた。いつの間にか、私の中で肉を焼きしめることがとても大きな存在になっていたのかもしれない。
もう、私はひとりで肉を焼きしめていくしかないのだと思う。たとえ公式にその言葉が失われても、私だけはハンバーグを熱々のペレットに押しつけるとき、焼きしめてやろうと思う。
焼きしめてあげるからね、と言ってやろうと思う。